◆第2話◆
◆新しい朝
目が覚めたキャロは、窓の外に広がる素晴らしい景色を眺めて溜息を――いや、全くもって広がらない景色に目をしかめた。
キャロの部屋は屋敷の隅にあるので窓が二方向にあるのだが、いかんせん林と森に囲まれているので見える範囲がごく僅かである。
森が暗いのはまだ太陽が昇りきっていないせいだろう。
丘に立つ屋敷の2階から見る水平線とは訳が違うのだ。
この屋敷へ来て、今初めて実家が恋しくなった。
だからといって戻るつもりは毛頭ないが。
ここは自分を閉じ込めるつもりは無いようだ。
とは言ってもまだキャロが自身のことを話してないだけなのだが。
隠すつもりはないのだが、なんとなく言う機会を失ってしまっただけだ。
伝えることが怖いわけではない。……はずだ。
しかしキャロには、なんとなく思うところがあった。
魔物。
声を遠くへ伝えたり、怪我を治したりする不可思議な力。
――人に不幸を与える力。自分の人生を人とは違うものにしてきた力。
関係がないとは思えない。
ロイは親切だが、彼の説明だけでは駄目だ。
彼は魔物が見えないらしいので、詳しくは分からないだろう。
何はともあれ、なんとかして
ベッドから降りたキャロは、ドレッサーから愛用の木櫛を取り出して出陣の準備を始めた。
***
起きるのが早すぎたので、数時間の張り込みを覚悟していたカイゲツの捕獲だったが、キャロが部屋から出た瞬間にあっさりと成し遂げることが出来た。
キャロが部屋を出ると同時に、カイゲツの部屋のドアが開いたのだ。
……開いたところを見たはずだ。
というのも、なぜかなかなかカイゲツの姿が現れないのだ。
キャロから見えるのは、開いたドアがぴくりとも動かずそのままになっているところである。
「あの」
思い切って声をかける。
「カイゲツ様?」
ドアの向こうからひゅっと息を吸う音が聞こえた。
なんだ、居るんじゃないか。
普通はここで知らんふりをするべきなんだろうなぁとは思ったが、そんなことを気にするキャロではなかった。
カイゲツにとっては非常に残念ながら。
「どうして居ないふりをするんです? どうせバレてるのに」
カイゲツから答えはない。
だが、ドアがかたかたと揺れている。
どうやらドアノブを握ったままのようだ。
まるで幼子のようなことをする人だなぁと思う。
なんとなくこの状況が面白くなってきたキャロは、笑声で彼に挨拶をした。
「おはようございます」
すると、ぼそぼそとはっきりしない声での返事がきた。
「……ああ」
「カイゲツ様。『おはよう』には『おはよう』ですよ。『こんにちは』には『こんにちは』だし、『こんばんは』には『こんばんは』です。挨拶とは、くれたものを受け取って終わるだけのものではありませんよ」
少し大人げなかっただろうか。
しかしそこまで言ってしまえば、カイゲツも無視することは出来ないらしい。
諦めの溜息の後で、ようやく応えをくれた。
「おはよう」
言ったあと、ドアの向こうからのそりと姿を見せた。
キャロは思わずにっこりと笑う。
「なぜ笑う」
「カイゲツ様が面白いから」
正直にそう答えると、カイゲツの眉間に皺が寄った。
よくよく眉間に皺の入る人だなと思う。
目尻には一切の笑い皺が入らないのに。
キャロはその皺が一番好きなのに。
まぁいい。
ない物はこれから作ればいいのだ。
「面白いだなんて初めて言われたぞ」
皺の理由はどうやらそれらしい。キャロは小さく首をかしげる。
「あら、そうなんですね。カイゲツ様が面白く見えないだなんて、みんなつまらない人生を送っていたのね」
本気でそう思ったので口に出したのだが、カイゲツには理解し難いことらしい。
まぁそうだろうなと一人で納得する。
自分が面白い奴だと思っている者が面白いことはほとんどないと以前グラーシャが言っていた。
曰く、「キャロ様はたいへん面白おかしい性格です」。
もちろん自分でそう思ったことは一度もない。
「つまらない人生を送っていたのはお前じゃないのか」
冷たい声にそう言われて、キャロは在りし日へと向かっていた意識を引き戻す。
「あら、知ってらっしゃるんですか」
「お前のことはお前の父親からあらかた聞いた。別に興味はなかったが、聞かされたのだから仕方がない」
言い訳がましい口調から、勝手に自分の事情を知ってしまったことへの気まずさがうかがえた。
気にすることなんて何もないのに。
「つまらない人生だったけれど、きっと今日から、……いえ、昨日からつまらなくなくなったわ。ねぇ、カイゲツ様! 私あなたに聞きたいことがたくさんあるの! 少しお話できない?」
目を輝かせたキャロに、カイゲツは苦虫を噛み潰したような顔をした。
全力で嫌がっていることが分かる。
キャロは構わずカイゲツへ近づいた。
「部屋はどうします? 私の部屋にはチェアがふたつとテーブルがあるわ。私、モーニングティーを淹れてくるわね、先に入って待っててくださるかしら」
彼の左手には数冊の本が抱えられている。
どうせ今から本を物色しようとしていたのだろう。
ようするに時間があるのだ。
有無を言わせず怒涛の勢いでそう言って、カイゲツに向かってドアを開ける。
年頃の淑女として自分から男性を招くなど言語道断だろうが、そんなことよりもキャロはたくさんのことを教えてもらわねばならなかった。
そして、何がなんでも聞かなければならないことが、ひとつだけあった。
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