◇黄昏の月の人(3)
「つっても俺もよく知らねぇしとりあえず荷物置かねぇ?」と言われたので、ロイに屋敷の中を案内してもらうことにした。
鞄は自分で抱えたが、トランクはロイに持ってもらう。
まず最初に驚いたのは、こじんまりとした玄関である。
ちょっと大きな荷物ぐらいなら通る大きさのドアと、白い壁。
そしてドアより少し先を見ればまたドアがある。見通しが悪くて狭い。
「『こんな玄関耐えられないわ!』ってんなら今すぐおうちへ帰ることをオススメするぜ」
とロイが笑う。
ド下手糞な女声を出した辺り、どうやらそう言って帰った令嬢が居たらしいと予想する。
本来ならば、玄関は豪華に飾られるべきなのだ。
ショーヴル屋敷で入ってまず目に入るのは正面の壁に嵌めこまれたステンドガラスの美しさだ。
床は乳白色の大理石で出来ていて、虹色の光を柔らかく受け止めていた。
それ以外にも様々なもてなしの仕掛けがされているのだが、この屋敷ではどれも一切見受けられない。
玄関の正面にある重苦しいこげ茶のドアが、もてなすどころか「こっちから先に入るな早く帰れ」と言っているようである。
いや、実際きっとそのつもりなのだろう。
「掃除が楽そうでいい、のかな……?」
精いっぱい前向きに考えた結果がこれだ。
ロイが「違いない」と頷いたので、これが正解なのだろう。きっと。
左にある両開きのドアと右にある片開きのドアを交互に見ていると、ロイから説明が入った。
「向かって左が食堂兼広間。でもここの人達は誰かとメシ食うの嫌いだから各自の部屋で食べてるよ。右が応接室。お客さんが来た時はここに近づかないほうがいいぜ~、旦那様が不機嫌だから」
言いながら正面にあったドアを開き、キャロを招き入れる。
ドアの向こうには、真っ直ぐと細い廊下があるのみだった。
「キャロの部屋はここの突き当たりの右側のドア。他の部屋には絶対に入らないこと。みんな一人で居るのが好きだからなあ。何か欲しいモンあったら俺に言って。大抵のものは買ってもらえるよ多分。すぐ帰るからって気にしなくてもいいぜ、この家、金だけはあるから」
「お家の方たちにはいつお会いできるの?」
もしかしなくても、カイゲツ本人にもご家族にもどうせすぐ帰ると思われているのだろう。
しかし挨拶はしなければなるまい、キャロにあてがわれた部屋の前で立ち止まり、ロイは「あー、」と難しい顔をした。
「まぁ、一週間ほどここで生活してりゃ、全員には会えるんじゃねぇかな……?」
なるほど、どうやらこの屋敷の人々は揃いもそろって孤独好きのようだ。
数居た令嬢方が耐えられずに逃げ出す理由はきっとこれだろう。
家族や使用人に囲まれて暮らしてきた類の女の子たちは一日をほぼ一人で過ごすことは苦痛だ。
どうやら性欲処理に使われることはなさそうだ、とひとまず安心する。
ではなぜ一人大好き一家が嫁を欲しがるのか。
魔物の説明は簡単にしてもらったので上辺の謎は解けたが、代わりのように新しい謎が増えるばかりである。
「カイゲツ様には?」
「……この部屋の正面が旦那様の部屋だし、部屋から出て来た瞬間を狙え。来客があれば出て来る。あと便所ん時と図書室に行く時」
図書室という言葉にキャロの耳が反応した。
「図書室があるの!?」
「あるよ、あのドアがそうだ。地下には書庫もあるぜ。今度案内してやるよ」
キャロは目を輝かせた。
本は好きだ。
アルフレドがキャロに贈る物の中でもいっとう嬉しかったのが本だった。
退屈しないし、時間もすぐ過ぎるし、何より自分が知るべきこと、知らない世界がそこにはあったから。
「私も使っていいかしら!?」
「そりゃあここの住人になるんだからいいに決まってるだろ。しかも俺達使用人にまで解放されてんだぜ。まぁ俺はあんまり読まないけどな」
今日聞いた中で二番目に嬉しい情報である。
もちろん一番目は魔物が存在しているということだ。
実家の部屋は本に溢れていたが、書庫どころか図書室すらなかった。
キャロは一気に幸せな気分になる。
カイゲツは難しそうな人だったが、答えて欲しいと態度に出せばちゃんと教えてくれた。
根が真面目で優しい人なのだろうなと思えた。
顔も悪くない。
ロイは図々しいがキャロとそう変わらないぐらいなので、むしろ仲良くなれそうな気がする。
そして、この家には魔物が確かに存在しているのだ。
もしかすると、自分は相当な当たりを引いたのではないだろうか。
カイゲツはキャロの肩を見て「蝙蝠がついている」と言っていた。
しかしキャロにはその姿は見えなかった。
もしかすると、その蝙蝠が魔物というやつなのかもしれない。
わくわくした。
雪が降り始めた日とか、雪が溶けて花が咲き始めた日とか、部屋から蛍が見えた時の何百倍もわくわくした。
何か、いつもと違うことが、私の人生にはこれまで欠けていたことが起ころうとしている。
それが良いことであっても悪いことであっても、全てが楽しみで仕方がない。
新しい人生が、始まろうとしていた。
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