◇黄昏の月の人(2)

「えっじゃああんた誰?」


 観察していたところに突然話をふられ、キャロは「へっ」と気の抜けた声を出してしまった。

 しかし庭師の視線がこちらを凝視していることに気付き、すぐに外面用の笑顔を浮かべる。


「初めてお目にかかりますわ。わたくし、ショーヴル男爵家の末娘、キャロディナと申します」


 目一杯の外面笑顔を浮かべたことが功を奏し、庭師は少し頬を赤くする。

 キャロは心の底から「外皮だけでも」特訓してくれたグラーシャを拝んだ。


 黄昏月の男は興味がないようでこちらを見ようともしていない。

 それどころかさっさと屋敷に帰ろうとばかりに歩き出してしまった。


「えっ、あっ、待ってください!」


 キャロは家主らしき男を必死で追うが、いかんせんリーチの違いかなかなか追いつくことが出来ない


 ここまで無関心となると、彼が婚約者という線はなくなったのではないかと思う。

 では一体誰なのだろう。

 外見年齢から考えて、彼の息子ということは多分ありえないだろう。

 ということは兄弟のうちの誰かか。

 あまり考えたくはないが、叔父とかだったらどうしよう。


「……っもう、待ってったら!」


 ついには抱えていた鞄を投げ捨て全力疾走で彼の前へと立ちふさがった。

 ようやく立ち止まった男は、キャロの予想外の行動に少し驚いて目を見張った。

 貴族の女子がなりふり構わず走るところを初めてみたことへの衝撃だろうか。

 少しやらかしてしまったが、これでようやく彼の視線が自分を捕らえる――ことはなく、何故か自分の肩辺りを凝視していた。


 ゴミでも付いたのだろうか。


 ぜえはあと息を整えながら肩を払うが、視線が外れることはない。

 キャロは自分よりも頭ひとつ分上の高さにある彼の目を見上げながら首をかしげた。


「あの、何か付いてます?」


 彼は引き締めていた口をパカリと開き、思わずといった態で「蝙蝠が」と呟いた。


「蝙蝠? 一体なんのことですか?」


「……見えていないのか」


「蝙蝠がこんな昼間に居るわけがないじゃないですか。それに蝙蝠に引っ付かれて気付かないほどボーッとしてませんよ私」


「いや。なんでもない」


 そう言ってまた、あの興味を無くした目をするものだから、キャロは少し苛立たしい気持ちになった。


「あなたの目に何が見えているのか教えていただけますか?」


 下腹から出す強い声で言った。

 彼の感情は見えないが、だからこそ嘘を言うようには思えなかった。

 きっと本当に蝙蝠が見えているのだろうと思う。

 そうならそうと言えばいいのに。


 彼は面食らったように口を閉じた。

 その瞳が、今度こそキャロを見つめる。

 しめた、と思う。

 キャロは、自分の瞳がとても美しいことを知っているのだ。

 人の心を掴む銀色。

 ゆっくりと目の奥に力を込める。


 彼は何度か口を開いたり閉じたりした後、諦めたように嘆息してようやく話してくれた。


「お前には蝙蝠の魔物が憑いている。我がファルクネス家はそれら魔物と契約し、その力を使う絆術師はんじゅつしを生業としている。お前の婚約者は当主でもあるカイゲツ・ファルクネス。俺だ。ショーヴル家の当主とは先日話したばかりなうえに何の連絡もなかったし、彼はあの場では酔っていたから本当に娘を寄越すと思っていなかった。あとは庭師のロイに任せる。裏の森には入るな。それ以外は好きにしろ。以上」


 言うやいなや去っていく大きな背中を、キャロは今度こそ追うことが出来なかった。

 というか無理だ。

 いくつか爆弾を落とされた気がする。

 彼の発言全てが爆弾だった気がする。


 駄目だ頭の整理が追いつかない。

 もはやカイゲツが何を言ったのかすら忘れかけている。


――えーっとなんだっけ、まずお父様はお酒を飲んで私を売ったのね、それもつい最近。そして森には入ってはいけない。それ以前に言われた事が何か別の意味で衝撃的だった気がするけどもう思い出せない……!


 うんうんと唸っていると、後ろから突然大声で叱られた。


「あのさ、庭に鞄投げないでくれねぇかな! 花! 育ててっから!!」


 乱暴に言われて、カイゲツを追うことに夢中になって鞄を花の上に投げ飛ばしてしまったことに気がつく。

 無意識だったとしても酷い行為だ。

 キャロは真っ赤になって頭を下げた。


「ごっ、ごっごめんなさいっ!」


 するとロイは目を丸くしてキャロを見る。

 へぇ、と呟いた後、キャロに向かってにぃっと笑った。


「謝れんならいいんだよ謝れんなら。うちの花は丈夫だし、ちょっと折られたくらいならまた咲くからな。それよりあんた新しい奥様候補らしいな。一体いつまで居れるかんじ?」


 気風の良い態度に今度はキャロが目を瞬く番だった。


「いや……婚約してそのまま結婚って聞いてたからいつまでっていうかずっと居るつもりですけど……。え、期間とか決まってるんですか?」


「決まってないぜ。ってか敬語使わなくていーよ、あんた俺より立場上なんだからさぁ。楽にしてよ」


「あっそれ言う権利そっちにあるんだ……まぁいいや。なら聞かせて欲しいんだけど、ここは一体どういう家で私はどういう立場なの?」


「ん? ちょっと待って、えーっと、あの長ったらしい名前どうにかなんねぇ?」


「キャロディナ。キャロでいいわよ」


「キャロは今どこまで知ってるんだ?」


 聞かれ、キャロは自分の知っている情報を出す。


 婚約者としてここに住まわせてもらいに来たこと、婚約はいつでも拒否できること、どうやら自分は父親に数日の決断で売られたらしいくカイゲツも自分が嫁ぎにくると知らなかったこと。

 ……ようするに何も知らないのだ。


「うっわあんた可哀想だなぁ。そんなに可愛い顔してんのにこんなとこに嫁に出されたのか。愛されてなかったの?」


「私の話は後でいくらでもしてあげるから、先にここのこと教えてよ。私が今どれくらい不安か分かる?」


 初対面にしては、というか家族以外で初めて軽口で男性と話すにしてはお互いの距離がかなり近い気がする。

 なんとなくロイとは仲良くなれそうだと直感した。


「えっとなぁ、寝耳に水っていうかあんたの価値観とか常識とかぶっ壊す発言するけど真剣に言うからちゃんと聞いてくれよな」


「大丈夫、さっきカイゲツ様に蝙蝠がいるとかどうとか言われたけど真剣に聞いた」


「よし分かった。頭を柔軟にろよ。まず最初に、あんたは我々の隣人、すなわち魔物の存在を信じているか?」


 キャロは正直に首を振る。

 魔物とは、生命の隣人のことを指す。

 生命のすぐ傍に居て、いつもこちらを窺っていると。

 だから人々は口をそろえていうのだ。


「嘘をついても隣人にはバレているぞ」

「盗みを働くと隣人に罰される」

「良い行いをすると隣人が褒美をくれる」


 ともすれば、協会の神よりも存在が信じられているかもしれない。


 彼らは常に隣に居るのだという。

 だから、隣人。


「魔物は居るぜ。俺らにゃ見えねぇが、確かに存在してる」


「私たちのすぐ隣に?」


「別に隣ってわけでもねぇよ。森の奥深くとか火山の中とか、人間がいないところにも居るしな。あいつらは、言わば森羅万象の化身なんだ」


 もしかして、自分はからかわれているのだろうか。

 キャロは、彼の真意を探るべく、布で隠されていない左目を見つめる。

 嘘を吐いている様子はない。

 とはいってもずっと閉じ込められてきたキャロは対人経験が圧倒的に少ないので自信はない。


 しかしそれでも、嘘は吐いていないのだろうなと決断付ける。


「見えないってどういうこと?」


「旦那様が言うにゃ、相性やら向き不向きがあるらしいぜ。曰く、俺は圧倒的に向いてないらしい。非常に残念だ」


「見えないのに信じられるの?」


「そりゃ、この家は魔物のおかげで成り立ってるからな。それに、ちゃんと不可思議なことも起こるんだ」


「雨を降らせたり、太陽を隠したり?」


「そんな感じかな。この家だと、大婆おおばば様は自分の記憶を人と分け合えるし、旦那様は自分が見知った人にならいつでも伝言することが出来るし、妹のミディアンヌ様は人を若返らせたり傷を治したり出来るよ」


 記憶を分け合う? 伝言? 若返り?


 確かに人知を超えた力である。

 それは一体どんなものだろう。


「旦那様のは便利だぜー、俺がちょーっとサボ・・・・・・出かけてたら、買い物の注文してきたりするし」


「えっ。ちょっと待って理解が追いつかないんだけど。何それどういうこと?」


 いや、語幹からの理解は出来た。

 出来たのだが、脳が理解を拒否しているのだ。


「だから、例えば俺が隣町にいて旦那様がここに居たとしても、言葉を伝えられるってこと。一方通行なのが不便だけどなーどうせなら俺の声の伝わればいいのに」


 一方通行が不便とは本気で言っているのか。

 キャロにとっては正に晴天の霹靂である。


 心臓がドクンと跳ねた。わくわくする。

 こんな「楽しい鼓動」は久しぶりだ。

 脈がうるさい。

 自分が生きているのだと分かる。

 もしかすると自分は今、ようやく生き返ったのかもしれない。


 兄が死んだあの時から。

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