◇黄昏の月の人(1)
緑が多く海が美しい小さな村を治めるショーヴル男爵家に生まれたキャロディナ・ショーヴルの不幸と言う名の人生は、誕生した瞬間に始まった。
第一の不幸は、彼女が黒髪を持って産まれたことだ。
何故かというと、ショーヴル家は代々金髪の一家のはずだったからだ。
その証拠のように祖母、祖父、父、父の兄妹、母、長女、長男の全員が見事な金髪を頭に誇っている。
それでも家族は彼女を愛そうとした。
母は自他共に認める身持ちの固い女だったし、稀に髪色の違う子供が産まれたぐらいでうろたえるほど頭の固い家ではなかったからだ。
第二の不幸として、なぜか、彼女に触れた者は、必ず転んだり何か大切なものを壊すようになった。
完璧な人間は存在しない。誰しも小さなミスはするものである。
しかし、必ず。
彼女に触れた者は、何か小さな不幸に見舞われることとなった。
だが、誰もその事に気付かないフリをした。
小さな赤子のせいで妙な事が起こるだなんて、男爵家もその使用人も表立って口にする事など出来なかったから。
数年後、キャロに自我が芽生え好きに歩き回るようになった。
彼女の行く先々で〈不幸〉が起こるとなれば、男爵家の者はいざ知らず、暇を持て余した領地の民の噂にならない訳がないのだ。
キャロにとっての第三の不幸は、好奇心が高くじっとしていられないその性格だった。
屋敷内でのキャロの立場は危うい。
それでも自分の人生を呪ったことがないのは、ショーヴル家に次男が居たからだ。
自分と同じ黒い髪を持つ、五つ上のフレンは、キャロを
幼い頃は毎日部屋から出し、外を散歩させてくれた。
なるだけ兄に触らず遊ぶことはとても難しいことだった。
黒髪が理由の屋敷内での(それでもあった少しの)不利は、先に生まれたフレンがすべて請け負ってくれていたので二人目が生まれたところで何か言う者は少なかった。
キャロが誰も憎まずに済んだのは、人生を真っ直ぐに見据えられるのは、フレンという存在のお陰だ。
フレンは男爵家ながらも王城での仕事に就くほどの勤勉家かつ才能に溢れる若者であった。
何をしてもうまくいかないキャロに比べればかなりの優等生だったし、王城に就いたとなれば誇り以外の何物でもない。
しかしその誇りも長くは続かない。
王城から訃報が届いたのは、昨年のことだ。
キャロの人生が一度終わった瞬間である。
塞ぎこんだキャロを見ていられなかったのだろう、いけ好かないと思っていたグラーシャが突然親身になったのは、それからのことだった。
* * *
ショーヴルの雑用の青年が御する馬車に半日ほど揺られて着いたのは、森に囲まれた屋敷だった。
ショーヴル屋敷はそれほど広くはなかったのだが、だとしても土地の領主の屋敷である。
二階建てではあったし、部屋も使用人に割り当てたうえで余るぐらいはあった。
しかし着いた屋敷を見て、まず一階建てというところに驚いた。
一般敵な屋敷においての一階は、言わば社交の階で、二階が家主達の階である。
だがこの屋敷は一段しかない。
客人を招いた時はどうするのだろうとキャロは首を傾げる。
庭の石垣をぐるっと一周するのに十分はかかりそうなので土地の広さとしてはショーヴルの屋敷とさほど変わらない気がするが、一段足りないだけでひどくこじんまりとして見えた。
庭には鮮やかな花々が春の喜びを誇っているが、それらは色も高さも関係なく植えられていた。
様々な花の種を混ぜこぜにして蒔いたのだろう、まるで緑の床に女の子供の宝箱をひっくり返したような庭だ。
「では、お嬢様」
荷物を降ろし終えた使用人が、無機質な声で腰を折る。
ショーヴルに仕えて日が浅い彼はよほど自分の近くに居るのが嫌なのだろう、言うやいなや荷物を置いたきり馬車に乗り出発してしまった。
うっかりキャロに触れてしまい、転ぶか何かでの怪我を負いたくないのだろうな、とよく分かる態度だ。
もしかしたら「不幸が移った奴の近くに居たくない」と苛められるかもしれない。
キャロは「うんうん、それ正しい判断だよ」と一人で納得する。
自分に触れて不幸が起こることは自分が悪いわけではない。
しかし、それを気味悪がる人も全く悪くはないのだ。
――だって、誰だって気味が悪いでしょう、こんなの。
思わず俯き下瞼に睫毛の影が落ちる。
視界が暗くなった事に気がつき、急いで頭を上げてブンブンと顔を振った。
「ああもうまた後ろ向き! だめだめ、こんな暗い顔で合ったら初対面で陰気な女だと思われちゃう!」
愛されるためにも第一印象は肝心である。
こちらへ来る準備をする時間は一日しかなかったが、昨晩は(厨房長を差し置いて)グラーシャ特製の「女性のための美容ディナー(どろどろ)」を食べてしっかりと睡眠時間を取ってきたのだ。
たった一日。
下手すると数時間しかなかったにも関わらずたっぷり睡眠する時間が取れたのは、準備にさほど手間取らなかったからだ。
キャロは足元に置かれた荷物を見る。
キャロでも抱えられる大きさの鞄と衣類が入った大きなトランクのたったふたつ。
人生の十八年分として多いのか少ないのかも分からない。
しかもトランクは無理矢理グラーシャに持たされたものなので、実質は鞄ひとつ分である。
思うところは色々あるだろうが、何にせよ今は第一印象である。
笑顔は得意だ。
何があったとしてもどんな境遇であったとしても、図太くなければ生きて行けない人生だった。
……それに気付けたのは兄のおかげなのだが。
笑顔は特技だ。
「っていうか、私は今からどうすればいいの」
本当に自分はここに嫁ぎに来たのだろうか。
正確には婚約者として来たのだが、だとしてもである。
いかな田舎の男爵家であったとしても、キャロは令嬢だ。
エスコート無しに進入しても良いものなのだろうか。
……常識知らずのキャロにでも分かる、完全にそれはアウトである。
というよりも。
政略結婚なのだから勝手に相手も貴族か何かだと思っていたが、もしかするとそうではないのかもしれないと今さらながら気付く。
あのあと父は母と二人で逃げるように出かけてそのまま帰って来なかったし、グラーシャを初めとした使用人達にもかたっぱしから聞いてみたが知らないようだった。
先ほどの若者はキャロと会話すらしようとしなかった。
知っている情報としては「住み込みの婚約者を探している」「婚約破棄は自由」「今のところ皆逃げている」という三点ぐらいである。
もしかして性欲処理として使われることになるのだろうか、と年頃の女性としては思い切った事を考える。
一階建ての屋敷と混沌とした庭を見る限り資産があるとは思えないので、きっと夜遊びに出るお金もないのだろう。
だから婚約者だと
……いや、それこそそんなに簡単ではないだろう。
グラーシャは「お嬢様方」と言っていた。
貴族としては底辺だとうかがえるこの屋敷に嫁ぐ「お嬢様」が、「皆様」と表現するほど居るとは思えない。
やはり何か、アルフレドが逃げ出すような事情があるのだろう。
不安しかないが、今さら実家に帰るつもりも毛頭ない。
実家に帰ったところで、本と人形に囲まれたあの部屋に閉じ込められて一生を過ごすほかないのだ。
とは言っても大人しくしている自分ではないが。
こっちの使用人はさっさと逃げ帰るしあっちの使用人は一向に現れないしで途方に暮れていると、裏口から若い男性が現れた。
肩まで延びた茶色い髪を、乱暴に後ろ頭で縛っている。
その上から白い布を、右眼を隠すように巻いていた。
首周りが伸びてよれよれになったシャツと裾が破れたズボンで庭師なのだろうと判断する。
片手を上げて「おーい」と声をかけようとしたところでピタリと止まる。
頭の中にグラーシャの声が響いた。
「淑女がみだりに大声をあげてはなりません」
そうだった。淑女。
今日から淑女にならなくてはならないのだ。
まだ見ぬ旦那様を愛して、そして自分も愛されるために。
「私は淑女、淑女、淑女、淑女、お淑やかな女……」
ぶつぶつと自分に言い聞かせていると、近くでジャリと土を踏む音が聞こえた。
はたと瞬きして隣を見れば、キャロから数歩離れたところに、怪訝な顔をした男が立っていた。
男の表情に気付かないキャロは、呆けた声で呟いた。
「黄昏の月だぁ……」
地平線に沈む夕陽に照らされて仄かに赤さが射した黄昏月。
脱走した日は、陽が沈む前までに家へ帰ることがグラーシャとの約束だった。
部屋に戻って、月が昇っている日は必ず窓から眺めていた。
一日の終わりの色。
彼の赤みがかった金髪は、部屋から眺める黄昏月にそっくりだった。
キャロは不思議な気持ちになって少しだけ笑う。
もうここは、あの部屋の中ではないのだ。
「旦那様!」
すると慌てた声が屋敷の方から聞こえて、片目の庭師がドタドタと駆けて来た。
「部屋から出てるなんて珍しい。しかも、女性と一緒だなんて」
旦那様と呼ばれた男は、眉間の皺を深くして庭師を睨んだ。
キャロは驚き、隣に立つ男をまじまじと見る。
もしかすると、この人が自分の婚約者なのだろうか。
「知らん。俺が来る前からここに立っていた」
不機嫌の寄せられた眉根と通った鼻筋。
瞳はチョコレートのような焦茶色だが、そこに甘さはまるでない。
全てに失望しているような無機質さだ。
歳は……あまりよく分からない。
ただ、二十代だろうというぐらいか。
背は高く体格も良い。
意外だった。
普段から身体を動かさねばすぐに痩せこけてしまいそうな繊細さを持っているのに。
ようするに、ちゃんと運動をする人なのだろうと思う。
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