第23話
リ・ジャスティスは注意深くMr.へと視線を向けていた。
その視線の奥にはわずかな恐れが覗いているようにも見える。そして気づいた。
「引っこ抜くくらいじゃ、ダメだったんだね」
「……けひっ。ばれちゃったか。いやね、本当は根付かなかっただろうさ? 君の技は見事だったよお。でもこの女の治癒能力のおかげだろうねえ、根付いて芽どころか花まで咲かせてくれたよ。ヴィランの芽もおかげさまでだいぶ進化した。君には感謝だMr.ジャスティス、それに大地君」
「その人の顔で、そんな面するなよ」
「いいねえ、その顔。大好物だ」
異世界人で守るのは白藤とお爺さんだけ。
恩だって仇で返す。それだけの覚悟をしたつもりだ。ふと閃いたのは偶然に過ぎない。
「ふむ、つまり君は私の孫ではなくヴィラン帝だと」
「察しがいいじゃないかジャスティス。君もしかして脳筋じゃないの? どうでもいいけどね、よくもこれまで邪魔し続けてくれた。感慨深いよ、君を殺せる日がやって来たんだ」
ヴィラン帝が指を鳴らすと七体のヴィラン、二十はいるヒーローたち、そして。
「「「………………」」」
物を言わぬマサトと水鏡と華が現れた。
「あまり調子に乗らない方がいいよお大地君。君が倒した出来損ないの複製と違ってオリジナルだ。複製も苦労したけどそれよりももっと大変だったよ、この三人の調整はぁ」
倒した方が複製だった。
ならきっともう一度やり直せる道も考えられたかもしれない。
だけど俺はもう決めている。決めた未来に皆の姿はなかった。
俺の信じた最後のヒーローすらそこにはいない。
「輝けブリリアント・ハート」
Mr.の短い言葉にブリリアント・ハートが応えた。
力を与えるというよりMr.の体力を回復させたように見える。
ただ、それでも先ほどよりも全身の輝きが鈍い。
「けひっ、悪あがきはみっともないよスーパーヒーロー」
「足掻き続けるのがヒーローの勤めだ。そして誤解しているなヴィラン帝。私はこの場にある全ての困難に打ち勝つ。足掻いているのではない。ただ勝利を掴むために歩むのみだ」
「言うじゃないか。もっとも、実現不可能だからカッコ悪いことこの上ないけどねえ」
ヒーローたちがまずは俺たちを囲んだ。
一応皆高ランクだろうが、俺たちにとっては取るに足らない程度だった。
力の差を汲み取れないヴィラン帝は、愚かだ。
「ちなみにそのヒーローたちはヴィランの芽を植えつけられただけの憐れなひが――」
ヴィラン帝が言い切るまでにはその全てがMr.の手によって倒された。
敵として相対しなければ、それほどまでに集中していなければ見えない速度なのだと知る。
「死にぞこない風情がやるじゃないか」
このまま見ていても漁夫の利は得られそうもない。
ならこの場を収めてから改めてMr.との決着を着けるべきだろうか。
ヴィラン七体は俺が粉砕した。
「末恐ろしいね。敵として見ていないと君の姿は見えないよ」
同じ評価がMr.の口からこぼれる。
「け、けひひ。いや、けひひひひ。本当に煩わしい相手だよ。初めから使うべきだった」
言い終わりに、マサトと水鏡がMr.に。
華が俺へと襲い掛かって来た。
華の拳を湿った肉片が覆っていた。
重変身によって生じたグローブなのだろう。
投石は石が砂になった。
やはり何らかの能力が付与されているようだ。
だけどそんなものに当たるほどお人好しじゃない。
一撃を華が放つ度に五度殴りつけた。
崩れる華の首を掴みあげ、あばらを砕く。
「うぐ、う、あ」
物は言えなくとも呻き声だけは上がる。
絶壁を何度も使用していたが、そんなものに意味はなかった。
水晶の防御は複雑な制御が必要なのだろう、一度も使用していない。
だけど使用したところで無駄だったろう。
横目で確認すると向こうも似たような感じだ。
Mr.の前に、ボロ雑巾のようになった二人が転がっている。
「何故だ、何故。傑作のはずだ。私の帝国をもう一度、この世界で」
ヴィラン帝が後ずさりするのを俺とMr.の二人が前進して追う。
「小者風情が邪魔するな」
お前なんかが俺の最後のヒーローを穢すな。
ヴィラン帝が一歩下がれば俺達は一歩進める。
「け、けひっ」
「ヴィラン帝、君の時代は終わったのだよ」
Mr.の全身の輝きがやや強くなった。
「今度は塵一つ残さん」
ジャスティス・ブレード。今度は全方位だろう。
マサトも水鏡も華も、そしてヴィラン帝、レディ・ジャスティスも皆消し炭になるはずだ。
俺だって無事じゃ済まないかもしれない。
身体をMr.とは反対に向け、駆ける。跳び退ったくらいでは巻き込まれるかもしれなかった。
「ジャスティス・ブレードぉぉぉぉぉぉ!!」
閃光が周囲を照らし、物の影が一つもなくなったようだった。
一度見たそれよりもよっぽど派手さがある。念動機雷を浮かばせ、衝撃に備えた。
しかし、その衝撃が一向に来ない。振り返ると、Mr.の周囲には七色の壁が生まれていた。
そしてその壁の上に雫が降り立つ。
「何で?」
俺の問いに応えてくれる存在はいなかった。
親父は何をしているんだと思わず悪態を吐きそうにまでなる。
「お願い、桃道院白雪。今この瞬間だけでいいの。だから、力を貸して」
声の主は宙を浮いていた。改造されたコスチュームが白い光を無数に放出し、落下までの時間を大幅に伸ばしている。
「おお、まだ君たちがいたか! ヴィランの芽がようやく根付いたか!」
ヴィラン帝は泡を飛ばしながら歓喜の声を上げた。
状況は最悪だ。
雫がヴィランの芽に取り込まれていたら、俺は何も出来ない。
「大丈夫だよ、大ちゃん」
その呼び方、笑い方に涙が流れた。
今この状況にまったく相応しくなくて、愚かしくて。
今Mr.や誰かに攻撃されたらそのままやられてしまいそうだと、ヴィランの芽に取り込まれていたら話せないだろうなどと妙に冷静な思考。
ごちゃ混ぜの感情がどんどん溢れてくる。
「泣き虫だなあ」
ほっとけ。昔は雫の方が泣き虫だったじゃないか。そう口を動かそうとしてやっぱり動かない。
気づけばヴィラン帝が七色の光に覆われている。隙だらけだったのだろう、俺を襲おうとして雫に捕らわれたらしい。
「何故邪魔をする!?」
ヴィラン帝の叱責に誰も反応しない。
「お願い、桃道院白雪」
もう一度その声が上空から聞こえ、そして。
刃が鞘を走る音がした。
どれほどの名器であればここまで美しい音色を奏でられるだろうか。
俺が聞いたどの楽器が奏でる音よりも耳に馴染むその音とともに耳障りな断末魔が轟く。
「「「「がぎごご、ぐげ、千年、千年生きたこの、わた、ぐげげげ」」」」
ヴィランの芽を受けた者たち全員の口から同じ言葉が紡がれ、地面が揺れるようだった。
「大地、Mr.も、皆をポッドの中へ! 鋼龍号の中にあるポッドならまだ間に合う!」
白雪が唇を震わせながら、そう告げた。
その目には涙を浮かべつつ、俺を真っ直ぐに見ている。
「この人たちを鋼龍号に入れる訳にはいかないよ」
二人が身を竦ませる。
こんな言い方はしたくない。だけど。
「二人ともどういうつもり? 親父は?」
「大地、早くしないと皆が――」
「俺のやるべきこと、知っているよね?」
どのみち誰も逃さない。
今折れたら、俺はもう俺でいられなくなる。
二度と一人で立ち上がれなくなる。
「そうする理由がなくなったから私も白ちゃんも大ちゃんを止めに来たんだよ」
「ふむ。状況は飲み込めないが、私も助けられるのならば協力しようと思うのだがね」
「動かないで下さい。あなたを倒すには今が好機なんです」
仕切り直しになったらどう転ぶかわからない。
今ここで倒すのが確実だ。
「大ちゃん……邪魔をするなら私たちが相手をするよ?」
「何でそんな話になるの?」
「レディ・ジャスティスさんもいる。マサト君、水鏡君、華ちゃんはクラスメイトだったんでしょ? なら、死なせないほうがいい」
異世界人は滅ぼす。その目標は二人とも知っているはずだった。
記憶が戻ったことで忘れたのだとしても白藤の説明がつかない。
「白藤、どういうこと?」
「雫、ちゃんは記憶を取り戻して、失った十年も、許すって」
「大ちゃんは失くした十年が許せない?」
許す許さないの問題じゃないだろう。
「言っている意味が、わからないんだ」
「大ちゃんが異世界の人たちを追い出そうとするのって、なんで?」
そんなことは決まっている。
もう二度と雫みたいに異世界人同士の争いに巻き込まれる無力な人を出さないためだ。
俺みたいな人間を増やさないためにも、そうするべきだと思った……違う、嘘だ。
「たぶん、私のせい、なんだよね? でも私はそんな大ちゃんを見たくない。私が好きな大ちゃんはそんな人じゃない。まっすぐ前を見て、おじさんを尊敬しているから恥ずかしくない生き方をしようとしてた。不器用だから全部は上手くは出来ないけど諦めが悪くて、やっぱりまっすぐ前を見るんだ」
好きだと、そう口にしてくれた。だけどそんな男を俺は知らない。
俺が知っているのは親父を好きな女の子を振り向かせようと、その親父の真似をして背伸びしていただけのガキだ。
「前なんてわからない」
わからないから決めるしかなかった。
一度決めた方向を信じるしかない。お爺さんたちとの出会いで俺は歩みを止めた。そして今、自分を誤魔化して何とか這い始めたんだ。今折れたら俺は泣き崩れてそこから一歩も動けなくなる。
例え今が誤っていたとしても、誤った方向に進むのでも、立ち止まるよりはいい。
「前がわからないなら一緒に手を繋いで進もうよ。きっとどっちかが間違えたら痛っ! て思うはずだから。そしたらその時は間違えたんだなってわかるよ」
「どっちが間違えたのかなんてわからないじゃないか」
「そうしたら白ちゃんがどちらかの空いてる手を握って引っ張ってくれるよ。それでも間違えたら今度はおじさんが引っ張ってくれる。きっとここで死んだりしなかったらレディ・ジャスティスさんだって、華ちゃんたちだって空いてる人の、空いてる方の手をつないでくれるよ。一人だと間違うことだって、皆と一緒なら間違えないよ」
そんなことはない。
多くの現界人が認めたから異世界人が増えた。
その結果が現界人では手が出せない事柄を増やしたんだ。
無力な現界人は嘆く以外の手段しか取れない。
「こんな世界を見ても、そう思うの?」
「うん。私にとっての世界は今この場所だもん。大ちゃんがいて、白ちゃんがいる。この世界はキラキラしてるよ」
「ヴィランに襲われて家族を奪われた人たちがいる。ヒーローに家を、財産を壊されて路頭に迷った人たちだっている。その人たちの前でも同じことが言えるの?」
相手が現界人だったらまだ一矢報いることが出来るだろう。
だけど、異世界人を相手にするならスタートラインが違う。
そして、その差が致命的だ。
俺は人に恵まれた。親父がいて、ご先祖の遺産も使って何とか異世界人と並べた。
普通の現界人は無理なんだ。どれだけ身体を鍛えようと種のるつぼの生活は耐えられないし、異世界の物を口に出来ないからCランクヴィランにすら歯が立たない。
「言うよ。だって私は差し伸べられた手を掴んでここまで来たもの」
ヴィランに家族を奪われ、ヒーローに十年を奪われた雫。
ヒーローと現界人の協力に命を救われ、目覚めて生まれた戸惑いを落ち着けてくれた異世界人の友達を持つ雫。
言う資格はあるのかもしれない。
「その手が差し伸べられない人だっている」
「いるかもしれないね。でも大ちゃんは誰でも、何でもを助けるつもりなの?」
誰かを助けようというつもりはない。
ただその誰かが進めるようになればいいと思う。
「助ける必要なんてないんだ。ただ、その誰かが言い訳をせずに済む世界だったらいいと思う」
ヴィランが悪い。ヒーローが悪い。でもあいつらには手が出ない。
そんな泣き寝入りをして、だから仕方がないと口にする誰かがいなければいいと思う。
「そろそろ鋼龍号に連れて行かないと間に合わなくなる。白ちゃん、Mr.に場所を教えて二人で皆をポッドへ」
「雫ちゃんはどうするの?」
「……大ちゃんを止められるのは私だけだから」
「私だって止めて見せるよ」
二人が俺の前に立った。
たぶん、俺が間違っているってことなんだろう。
だけど止まれない。俺が今まで積んできた悪行の数だってここで止まっていい程少なくないんだ。
「一端ポッドで預かりはする」
いつからいたのだろうか、親父が透明化を解いた。
「おじさん、どうやって?」
「あの七色の壁はまだ張ってある。ただきちんと底も作った方がいいぜ。掘ったら出れたぞ」
親父は煙草に火を点けた。
「大地、使え」
そう言って投げ寄こされたのはダスト・ハートとよく似た色をした小箱だ。
「出来たの?」
「まあ、出来てたってのが正しいけどな。雫ちゃん、白藤ちゃん、俺は大地の手を取った。これが間違っているというのなら、教えてくれ」
「一番初めに治療するのはレディ・ジャスティスさんでお願いします」
雫への返事代わりに親父は手をおざなりに振ると、Mr.と二言三言交わし、歩いて行った。
きっと皆の治療に入ったのだろう。
「大地、それは?」
「ヴィランの箱。ヴィランは弱いからね。ダスト・ハート一つじゃ到底ブリリアント・ハートには敵わないから」
だから量を一つにまとめた。
ヴィランの箱を装束の胸元の空洞に収める。
内部でヴィランの箱が回っていく。
回転速度が増すにつれ、少しずつ力が装束へと流れこむ。
「Mr.を倒すよ」
「それを許したら、きっと大ちゃんはもう戻れなくなる」
「もう戻れないよ」
「私たちが戻してみせるよ、大地」
「二人と戦いたくない。だから通して」
「「通さない」」
どうしてこうなるのだろう。
晴天はいつしか赤くそまっていた。
俺は雫が一番大事だと思っていた。なのにどうしてだか俺は拳を収められない。
異世界人を憎んでいる訳でもないと思う。
それでも俺は異世界人を追い出さなきゃいけないという気持ちで一杯だ。
一歩踏み出した瞬間に周囲に七色の壁が生まれた。
きっとこれがあるから雫は俺を足止めしていられると思ったのだろう。
「埋まれ」
ヴィランの箱から泥のような黒いエネルギー体が生じる。
七色の壁が黒く染まり上がり、黒くなった部分を通過した。
何度もは使えない力だ。だけど通じないと思わせるだけで十分だ。
振り降ろされた白雪の刃を素手で握り込む。
「大地の隣をずっと歩いていくつもりだった。間違った道でも一緒に歩いていこうと、それが愛情何だって思ってた」
正誤はわからないけれど、それはとても尊い気持ちだと思った。
正しいと思うとは言えない。白藤の気持ちには答えられないから。
誤っているとも言えなかった。たぶんそうされたら俺は幸せだったと思うから。
「どうして違うと思ったの?」
「昔の大地の話を雫ちゃんから聞いた」
「……そっか、雫は記憶喪失何かじゃなかったんだね」
「違うよ。少し前に思い出したんだ。それで、聞いた」
「何を?」
「大地がどれだけ雫ちゃんを好きだったか、雫ちゃんがどれだけ大地を好きだったかをだよ」
白雪の刃が引き抜かれ、また走る。
きっとこれまでで一番鋭い。だけどヴィランの箱の力を得た俺からすればまだ避けられる。
「桃道院白雪!」
これは避けられなかった。
気づけば袈裟切りにされ、血が噴き出す。
「絶界!」
雫の声がして、俺は七色の箱に囲まれた。
親父の助言を聞き入れたのか、それとも異なる技なのかそれに逃げ場はなく。
俺は七色の空間に浮かんだ。
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