第24話
七色の空間にいるとそれが酷く綺麗に思えた。
きっと世界中の綺麗な物に包まれたらこんな気分になるんだろう。
いたたまれない。
こんなにも美しい世界に俺という汚物がいることを許せなくなってくる。
だから俺は早々にここを出るべきだ。
だけど身体は指一つ動いてくれなかった。
きっと七色の壁と同じ効果で、壁ではなく液体。
その液体の中に入れられたと考えていいだろう。
胸の中にあるヴィランの箱の回転数を上げることだけ考える。
まだ足りない。
もっと速く。そう願いつつ、命じつつ時間が過ぎていく。
少しずつ余計な思考が混じる。
きっと二人は俺をこのまま閉じ込めておくつもりはないだろう。
なら解放されるのはMr.が全快して、レディ・ジャスティスがいて、そして皆のいる世界のはずだ。
きっと厳しい戦いになる。
眼球の動きだけでは袈裟切りにされた身体は見えない。
ただ出血している感覚もなかったのできっとこの空間にいる間は止血されているのだろう。
もっとも、六将の能力の一つである超回復を用いればすぐに塞がる傷ではあるが。
ヴィランの箱はこれ以上速くは回れない。
そこまで到達した。
いつでも帰れる。
帰りたくないな。自然とそう思った。
バカバカしい。表情筋が動いて、身体の周囲に泥が浮く。
「帰ろう」
七色の世界に穢れが混じり、そして俺は元の世界に戻る。
――――――
一番初めに目に入ったのは手を繋ぎ、眠る雫と白藤だった。
場所は変わらず、空には明けの明星が浮かぶ。
「半日経っていたんだ」
ずっと七色の世界にいたら浦島太郎を経験できそうだ。
「久しいの、大地」
その声は、一年振りなのに、もっと久しぶりに聞こえる。
「お爺さん……」
「酷い面構えをしておる。かか、しかし二人の話では三日後に出すという話じゃったが、半日で脱出したか」
「戦いたくない人と出会っちゃいましたね」
「心配無用じゃ。儂はもう戦えん」
そう言って上をはだけさせると、身体の中心に大怪我のあとが残っていた。
「ヒデオの心臓を貫いたと同時に貫かれたわ、ブリリアント・ハートさえなければ儂の勝ちじゃったがのう!」
豪快な笑い声だ。一生を費やして剣を磨き続け、それがダメになったというのにお爺さんは変わらない。
「親父とレディ・ジャスティスを頼れば元通りになりませんか?」
「治るかもしれんのう」
ただそれをするにはレディ・ジャスティスも見逃さなくちゃいけなくなる。
どんどんとほころびが生まれていく。
そしてそのほころびはもう取り返しのつかない領域にまできているのかもしれない。
「何も失ってなどおらぬよ」
「何がですか?」
「それは自分で答えを見つけなければならん」
重い何かが飛来して来た。
「ハッハー、半日振りだね大地君。時間稼ぎに来たよ」
「そうですか。なら、始めましょうか」
なんの感想もわかない。そんなMr.の発言だった。
本当ならもっと色々あっていいはずだけど、不思議と心が動くことはなかった。
「いや、それには及ばん。言っただろう、時間稼ぎだ。話でもどうかね?」
「いいですよ」
どんな話だって聞こう。
「もしもあの日私が孫の希望に応えていたら君たちはどうなっていただろうね?」
「……後悔しているんですか?」
「前にも話したと思うが後悔していない。何度繰り返しても同じ決断を下す」
そのはずだ。正義そのものと冠される男は過ちを認めてはいけない。
それがどれだけ辛いことか、わかると言ってはだめだろう。
「仮にそうであったらバカなガキがバカのまま育ったと思いますよ」
「そうか。ならば世界は変わらなかったね」
八十の老人から見れば今の俺も変わらないようだ。
反論する気はなく、腹立てる気も起こらなかった。
「それだけですか?」
「そうだねえ」
Mr.の視線は白藤たちへと向けられる。
猫を驚かせたらあんな顔をするだろう。
「大地、もう?」
「十年借りていた力だからね。何となくだけどわかるよ」
「Mr.他の皆は」
「後一時間はほしいそうだ」
Mr.と白藤の会話から察するに後一時間もすれば戦力が揃うと見ていいだろう。
「一時間くらいなら、待ちますよ」
「良いのかね?」
見たところMr.はもうほぼ万全だ。
なら結果は同じだし、有無を言わせない結末を迎えるには各個撃破よりも都合がいい。
「俺は負けませんから」
「勝利以外の道は我々にも存在していないよ」
きっと大丈夫だ。
雫も白藤も、Mr.にも対処出来るだけの策はある。
一時間が過ぎた。
今俺の目の前には、レディ・ジャスティスにマサトに水鏡に華。
Mr.と雫と白藤が立っている。
「親父、下がっていてくれ」
隣にいるのは親父だけだ。
「いいのか?」
「親父に死なれたら後が続かないだろ」
ヴィランの箱の調整やその他補給は俺では出来ない。
「大地君。私はどうして君と戦わなくちゃいけないのか、わからないよ」
少しだけ皺が出来たかもしれない。
だけど俺が最期まで認めたヒーロー、レディ・ジャスティスはそれでも美人だ。
「ヒーローなんですからそういう発言は、ダメですよ」
「いやいや、君はヴィランじゃないもの。おかしなことは何も言ってないよ」
「ヴィランではないです。でも、俺はきっと世界の敵ですよ」
間違っている。
きっとこの世界に意思があるのならもう異世界人を受け入れているのだと思う。
俺みたいに中途半端に受け入れてほころびを生むようなことはない。全部を受け入れている。
「年長者として、一学園の主としていじけた子供を教育せねばならんな」
Mr.の言葉にぐうの音も出ない。
俺はきっとガキのままなんだ。
「いこうか、皆。輝けブリリアント・ハート」
「「「「変身」」」」
Mr.の身体が金色に輝き、他の皆が個性的なコスチュームで彩られる。
そして各々のコスチュームからはそれぞれの色の光の粒が生まれている。
「親父…………」
「不満か?」
「カッコ良すぎるだろ」
半日でヴィランの芽を受けたヒーローたちの治療を終え、さらにコスチューム改造まで済ます。
どれだけの技術力があればそんな芸当が出来るのか。
「お前程じゃねえよ」
「親父が親父で良かったよ。ありがとな」
思い出が一瞬にして脳裏を流れた。
役立ちそうな記憶はほぼない。だけど色々思い出せてよかった。
「淀め」
ヴィランの箱から漏れる黒を身体に纏う。
すでに怪人化はしてある。その上から黒い靄が俺を覆い、それは俺の意思通りに動く。
「ジャスティス・ブレードぉぉ!」
Mr.の突き出した腕から力の奔流が生まれた。
最後の戦いが始まった。
ジャスティス・ブレードは迫りつつあるが焦る必要はない。
腕を突きだし、そこに念動剣を生む。
念動剣を覆う黒い靄とジャスティス・ブレードは互いに打ち消し合い、威力の落ちたそれは念動剣で容易く断てた。
「行くぜぇ、大地!」
マサトの空振りが激しく空気を震わせた。
「変身機構、治って良かったね」
「おおよ! レディ・ジャスティスって姉ちゃんとお前の親父さんのおかげだぜ!」
「最高の二人だろ!」
後ろ回し蹴りをまともにくらい、唇から血を流しながらもマサトは軽くよろめく程度だ。
「おおよ! その二人から頼まれたからな、俺はお前を止めるぜ。何かよくわかんねえけどよ!」
マサトのコスチュームが赤い輝きを増す。
全方位爆撃。
そう思った瞬間マサトの口端が上がった。
「なんか結構前に閃いた気がすんだよな!」
マサトの拳に火の球が巻き上がっている。
無駄ばかりだったエネルギーが一点に集中されたのだろう。
「こいつは痛えぞ」
拳が炎の尾を引く。
「当たればね」
それを丸ごと掴んだ。手を覆う黒い靄は吹き飛んだがまた覆わせた。
目で追えて、インパクトの瞬間をずらせば問答無用で対象を吹き飛ばすほどの威力もなくて。
「マジかよ」
「マジだよ」
黒い靄が掛かった拳をマサトの頬に打ち付けた。
「もう少し抑えてろ、バカ」
マサトに悪態を吐きながら水鏡の剣が一文字を描く。
速度を重視したのだろう。
それでも白藤には遠く及ばない。
指で摘まみ込む。
「見くびったな」
水の剣が氷の剣となり、黒い靄を凍らせ始める。
「そっちもね」
凍った靄も水鏡の剣も、その全てを力任せに砕いた。
回し蹴りをすると、水鏡は瓦礫へと突っ込んだ。
「油断大敵だよ、大地君」
その声は、拳は、前二人とは比べ物にならない圧だ。
金色の残像を残しつつ迫る拳は獅子をまるごと飲み込める程大きく見える。
「油断何てしていませんよ」
全体に広がっていた靄を腕に集中。
それを持ってMr.の拳を受け流し、隙の出た腹目掛け靄を纏った拳を打つ。
幾重もの層を打つ感触の後、ようやくMr.の腹部に到達したが威力は大幅に削られていた。
「そう言えば初見だったときMr.の拳すら防いでたっけ」
視線を流すと、そこには引きつった笑みを浮かべる華がいた。
「まだだぜ!」
そんなマサトの声と共に靄を背中に生む。
爆音はしたがその衝撃は俺まで伝わらなかった。
「くそ、今気づかれてなかったんじゃないのか。黙って攻撃しろバカ」
「うるせえ、叫んだ方が威力上がる気がするんだから仕方ねえだろ。だいたいそんな汚い真似が出来るか!」
念動機雷噴射。
「あ、なんだこ――」
マサトが生んだ爆音よりもだいぶ地味だが、それも積もり積もってそれなりの威力の爆風を生んだ。
二人の声が遠ざかっていくからきっとうまく吹き飛ばせただろう。
顔を巡らすとレディ・ジャスティスの周囲が揺らいでいた。
「触れなくても治療出来るんですね」
「ヴィラン帝に使われていたとはいえ、どうやら成長は出来たようだね」
ほぼゼロ距離でMr.と拳の応酬を続けた。
こちらは靄で無傷、あちらは華の力で受け流しつつときおり傷を負う。
ただその傷もレディ・ジャスティスの力で即座になかったことになる。
「少しずつ衰えているんじゃないですか?」
「ブリリアント・ハートも君のそれと似たような物だからね」
ヴィランの箱も無尽蔵のエネルギー源なんかじゃない。
だけどまだまだ有効に使える。
胸で一時も休まずヴィランの箱が回り、黒い靄を生み続けていた。
Mr.よりも強大な危険を頭上に感じる。
見上げればそこにはもはや馴染みの七色の壁が無数に浮かんでいた。
「レインボー・ハンマー……安直かな?」
「俺はいいと思うよ」
Mr.が先んじて一歩跳び退り、俺一人を目掛けて大量の七色のハンマーが振り降ろされる。
頭上に広げた靄が数多の衝撃を受け、霧散していく。
「卑怯と罵ってくれて構わんよ」
「爺さんらしくないんじゃねえの? 勝たなきゃいけないのがヒーローなんだろ」
「バカの言う通りです。Mr.が教えてくれたことじゃないですか。それに俺はこれが卑怯だと思いません」
別に変身前の闇討ちやそれに近い類の物じゃない。
俺だって皆が卑怯だなんて思わない。
「勝ったつもりになるのは早いですよ」
胸元のヴィランの箱を放出し、手に取る。
「まだ切札を残していたのかね」
Mr.の頬に汗が流れるのを見た。
光栄だ。
ヴィランの箱を咥え、そして、噛み砕いた。
粘度の増した靄が俺を飲み込む。
耳にヴィランの怨嗟の声が届く。
これまで俺がダスト・ハートを奪って来たヴィランの恨み言だ。
殺してやると息巻いている亡霊の声に、思わず笑ってしまう。
「お前らじゃ俺を殺せないよ」
だけどもう少し待て。そう言ってやろうかと思って止めた。
肩と腰の連節剣をそれぞれ雫、それから他の皆を目掛けて振るった。
雫には当たった感触がしなかった。きっと七色の壁に防がれたのだろう。
Mr.たちは軒並み吹き飛ばされ、レディ・ジャスティスや華を巻き込んでいく。
きっと今が一番のタイミングだ。
「全開放」
この場には最強の男たちが集結している。
この世界が生んだヒーローだっている。
全身から少し離れたところにヴィランの箱の大半の力が浮かんでいた。
「我願うは青空なり、我望むは晴天なり」
本当はこんな言葉は要らない。マサトと一緒だ。
いつ知った言葉かも覚えはないし意味だってわからない。
たぶん何かの比喩何だろう。
「ジャスティス・ブレードぉぉ!」
「爆炎陣!」
「くそ、範囲攻撃は苦手なのにな!」
俺を中心に広がる全力に対し、皆が範囲攻撃をしている。
偶然か、それとも本能のなせる技か。
力の奔流が止まりつつある。
しかしそれでも完全には止まらない。
華が幾重にも張った水晶を飲み込む。
雫の壁は黒に侵食される。
範囲攻撃が衰えてきた皆に対してはレディが癒しの光を与えていた。
「行くぞ、白藤」
俺と力の間にある無数の接続箇所が一つ断たれた。
「無理、しないで下さいよ」
「かか、滾らせた奴らが悪い」
ふらふらになって、細白雪を地面に刺し、杖代わりにしているお爺さんの存在。
忘れていた訳じゃない。ただ、慮る必要がなかっただけだ。
「それじゃあ最後は…………」
お爺さんと反対側、これまで一度も攻撃に参加していなかった白藤が構えている。
「ちゃんと見たよ、お爺ちゃん」
「できそうかの?」
「やる」
「出来そうも何もヴィランの芽を断った時に出来ていましたよ、お爺さん」
「かか、大地でも見誤ることがあるのじゃな」
技が違うのだろうか。
「行くよ、桃道院白雪」
本当に耳に残る心地よい音をさせ、白藤が刀を流す。
俺と力の間に繋がるものがなくなった。
まだ終わりじゃない。
「白藤がいなかったからね。凝着。この身は怪しき者なり」
「うそ……」
ヴィランの箱の大半のエネルギーはさっきの全開放で使った。
だけど、まだ俺の全力が残っている。
「我願うは青空なり、我望むは晴天なり」
指向性を持たせた方が威力は高い。
だけどそんな余裕はなかった。
俺の全力でヴィランの箱の力を押し出す。
もちろん相殺もされて威力が落ちる。だけど十分だ。
これで答えが見える。
俺の周囲に七色の液体が満ちた。
だけどそれは七色の世界に俺を送り込んだものとは違う。
まるで守られている気分だった。
俺の力、ヴィランの箱の力それらの外側にも同じ物が広がっていく。
液体に黒が混じる。だけどそれが突然消えた。
そして空白地帯に七色が浸食する。
白藤が桃道院白雪で居合を繰り返し、黒の力を削いでいく。
気が遠くなるほど繰り返されて、繰り返される。
一番先に力尽きたのはヴィランの箱だった。
そして白藤。
白藤は桃道院白雪を手にしたまま前のめりに倒れ、お爺さんに支えられていた。
最後に雫。
その背を親父が支えている。
意地で支えた身体の怠さはどうしようもなかった。
足に力は入らないし何かに後ろへ引き倒されるような感覚がする。
俺の力の放出はヴィランの箱の次に終わっていた。
倒れ込み、地面に倒れる瞬間、暖かい手に支えられる。
「今度は皆を助けるよ」
レディ・ジャスティスの声だ。
俺の全力全開は結局のところ誰一人傷つけることが出来なかった。
「…………俺の、負けです」
力を振り絞ったんだ。
もう意識を保つことさえ難しかった。
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