第15話

 雫が目覚めてから一週間が経った。

「入るぞ」

「うん。珍しいね」

 親父は研究室か病室じゃないと落ち着かない体質だ。

 だから白藤の家の離れを借りることとなった日からも、ここに来ることはそうそうなかった。


「雫は?」

「白藤ちゃんと買物に出かけてる」

「そっか」

 二人はとても打ち解けていて、俺といるよりも二人の時間の方が長いくらいだ。

 むしろ俺との時間がないと言った方が正しいか。

 記憶喪失の女の子に、その昔を知る男が馴れ馴れしくするのもよくないだろう。

「給湯器と浄化装置の改造が終わった。二十年後でも最新式で通るだろ。世話になった分の金銭的部分についてはまあ、これで十分だろ」

 そう言ってから親父はマッチを擦ろうとして、止めた。

 火の点いていないタバコを咥え、上下にただ揺らす。

「間を取り持ってもいい、Prof.がそう言ってくれてる。元々お前がしたのはMr.を隔絶で一時的に閉じ込めただけだし幸いヒーロー陣営にはまだ手を下してないからな。あの人が間に入ってくれるならお前はヒーロー学園に戻れるだろうよ。俺も技術部はどうか何て言われたよ」

「お爺さんの提案に、乗るの?」

「それを決めるのは俺じゃない」

 親父の鋭い眼光は、雄弁に語っている。


 きっと、正しく受け取れた。

「貸し借りを気にする必要はない。親子共々世話になってるんだ、Prof.に恩返しするのは親である俺の役目だ。そして手前勝手かも知れないが俺はもうすでに世話になった分の対価を支払ったつもりだ」

 金銭で考えると、釣りが出るくらいだろう。

「Prof.の提案を受け入れるなら俺はまたこの街に家を建ててお前たちを養っていくつもりだ」

 俺と雫で俺たち。

 俺はヒーロー学園に戻り、ゆくゆくはヒーローとして働くだろう。

 そしていつか雫と家庭を築く。もっとも雫に断られればここいらの計画は崩れるが。

「Prof.は雫ちゃんを引き取っていいとも言ってくれている」

 それはつまり受け入れない選択肢を取った時でも雫の身の安全は保障されているということだ。

 だけどそこには穴がある。

「Prof.と戦ったら、雫が悲しむよね」

「先に聞いちまうと返事を誘導しちまいそうだから黙ってたけどよ」

 親父は煙草に火を点けた。


「お前、Prof.と戦えるのか?」

 言葉はすんなりとは出て来てくれなかった。

 ようやく出てきた言葉も、情けない一言だ。

「わからない」

「……俺の見立てじゃ無理だな。お前、Prof.のこと気に入っただろ。身近な大人が俺しかいなかったからな、本物の祖父さんみたいな感覚もあるんだろうし元々馬も合うんだろ」

 親父の口から煙が吐き出された。

 お爺さんはキセルに火を入れてもそのままほったらかしにするからその煙の動きは、二人の間で違いがある。


「まあじゃあ決まりだな。俺は技術部に志願する。お前はMr.と協会のおっさんたちに頭を下げてヒーロー学園に戻る」

 十年間。人生の半分以上を掛けて目指してきた世界は、お爺さんと出会い、そして雫が目覚めたことで消えてしまった。

 たぶん今までの十年は誰にとっても無駄な十年だったのだろう。間違った目標だったんだ。

 俺はただ自分の愚かさを笑えばいい。だけど巻き込まれた親父たちにはどう償えばいい。

 答えは出なかった。

 だけどこれからも間違え続けて巻き込む人を増やさないために、決意しなければならない。

 厚顔無恥にも自分が間違っていたと言うんだ。


「うん。そうし――」

 お爺さんの提案を受け入れよう、そう口にしようとした瞬間だ。

 離れ全体が揺れた。

 障子紙は破れそうな音を立て、またその隙間を縫うように耳に届いた声。

「大地!」

 俺を呼ぶマサトの声だ。

 障子を開けたところでその姿は見えなかった。

「助けに来たぞ!」

 なにやら妙なことを口走っている。

「行って来るよ」

 親父の短い返事を受け、俺は門へと向かった。


 辿り着いたその時には、壁にコスチューム姿のマサトがめり込んでいた。

「大地、これはなんじゃい?」

 Prof.は白雪を杖にするようにして仁王立ちしている。

 これとマサトを顎で指し、その顔は不愉快だと隠すことなく険しい。

「同級生です」

「か、この程度でヒデオの後を継ぐつもりじゃったとは。なんじゃい、お主や白藤とえらく差があるではないか」

「俺たちは戦いに来たのではないからな、本気を出していないだけだ」

 コスチューム姿の水鏡が、Prof.の背後からその背中目掛け、水の剣を振るった。

 それを一瞥することなく白雪で弾くと、そのまま鞘で水鏡の鳩尾を突く。


「こいつもかのう?」

 首肯すると、Prof.は苦虫を噛み潰した顔になった。

「人の家の門は破壊する、不意打ちはする、心も浅ましければ力も弱い。本当に程度が低いのう」

 腹を押さえうずくまる水鏡へ、Prof.は冷たい眼差しを向けている。

 それはどこかMr.に近い物を感じた。敵には容赦はしない。

「水鏡、お前たちは何をしに来たんだ?」

 マサトは助けに来たと言った。一体何からだろうか。


「くっ、お前たちがヴィランに利用されていると聞いて助けに来たんだ」

「誰がそんなことを言ったんだ?」

「リ・ジャスティス様だ。彼女は素晴らしい。俺たちヒーローの新たな先導者になれる方だぞ。Mr.何ていう協会にいいように利用されている老害は早急に討ち、リ・ジャスティス様を新たな正義の象徴にしなければならない」

 水鏡の目を注意深く観察しても、そこに異常は見られなかった。

 だけど、明らかにおかしい。何がおかしいと指摘するまでもなく全体的におかしい。

「どうしたんだ水鏡、操られているのか?」

「何を言っているんだ大地、操られているのはお前たちの方だろう、正気に戻れ、白藤と一緒に俺たちのところに来るんだ。今ならまだお前たちはこちらに戻って来られる。帰って来い、また一緒にヒーローとして活動しようじゃないか!」

「水鏡、お前とはいけない」

「そこまで洗脳が進んでいるのか、大地。俺はお前たちを救って見せるぞ、重変身!」

 水鏡のコスチュームが暗い青になり、その姿も禍々しい物に代わる。それはヴィランのスーツにも似ていた。

「マサト。お前もいつまで気絶しているつもりだ。ヴィランだぞ!」

「ヴィランだとぉぉ!? お前らの好き勝手にはさせない、重変身!」

 マサトのコスチュームまでもがヴィランのそれに近くなった。


「その姿、そうか――ヒデオめ、し損じておったのか」

 Prof.の身体が倍ほどに膨れ上がった気がした。

「大地ぃ、気張れよ」

 言った瞬間、Prof.の白雪が水鏡の首を目掛けて走る。

 しかしその刃はマサトに掴まれた。

「ヴィランなんざの好きにさせるかよ!」

 そしてマサトが拳をProf.に振るう。

 それをProf.が両腕で防ぎ、玉砂利の上を滑った。

「なるほど、進歩しておるわ。白藤ではちと荷が重いかもしれんのう……大地、白藤と雫のところへ行け! あと一人おるのじゃろう?」

 確かに、華の姿が見えない。それにさっきマサトは俺の名前しか叫ばなかった。

「わかりました、すぐに戻ります!」

「行かせると思うか?」

 踵を返した瞬間、水鏡が回り込んできた。

 その速度はこれまでの水鏡の比じゃない。


「どけ」

「お前は俺たちと来るんだ。お前ならリ・ジャスティス様の片腕として」

 蹴りは容易く避けられた。

「大地! なぜわからない」

「もうお主はしゃべるでないわ、鬱陶しい」

 水鏡の背中に白雪が沈み込んだ。

 しかしその背からは血の一滴も噴出さずに終わる。


 後ろ髪が引かれた。

 Prof.からは相変わらず覇気が発せられている。

 しかしそれでも俺は一歩を躊躇う。

「見くびるでないわ。儂はジャスティスを冠するSランクヒーローじゃぞ?」

 Prof.は、かか。そう少しだけ笑った。

 きっとうじうじしていたらまた後でお説教だろう。ひょっとしたらもう確定かもしれない。

 俺は白藤たちがいつも買物へ行く商店街を目指した。


 周囲に気配がなくなった瞬間、短く唱える。

「凝着」


 商店街の方角から、黒い煙がもうもうと上がっている。

 高く跳んでしまったせいでその発生源を詳しく知ることは出来なかった。

 自由落下していくその速度にやきもきし始めた時だ。


 煙が一気に吹き飛び、次いで建造物だった物と思しき砂が過ぎ去った。

 そして明瞭になった視界に、多くの倒れた人が映る。

 その光景の中、立っているのはMr.だった。

 少し離れた場所で座り込んでいる雫、膝を着いている白藤。

 それからヴィランと何人かのヒーロー。


 Mr.から少しだけ距離を取って落下していく。

 一か八かで凝着は解いた。

「大地っ」

 俺に気付いた雫の目は真っ赤で、俺を呼ぶその声はしゃくり上げていて、辛そうだ。

 白藤はコスチュームをところどころ破れさせ、全身傷だらけで気絶していた。だけど、どうしてだか近づけば細白雪を向けられると感じる。

「タダヒロから話は聞いた」

 Mr.が俺に背を向けたまま、言った。

「どうやらあいつは君を気に入ったらしいな。白藤君を育てたあいつだ、私よりも人を見る目がある。だから今は君に対して問うことはしないでおこう」

「俺の大切な子を、守ってくれてありがとうございます」

 謝るよりも先に、感謝の言葉が出た。

「それは違うよ、大地君。その子を守り続けているのは白藤君だ。私は、その子の助けに呼ばれただけだ」

「大地、白ちゃんが私を庇って、あの人たちが私を攫うって、私、白ちゃんのお爺ちゃん呼びに」

「そっか、わかった。怖かったね、雫。Mr.を呼んでくれてありがとう」

 近付けば思わず抱きしめてしまうかもしれない。だからその場でいつも雫がやってくれていたように膝を着いて目線を合わせた。

 きっとうまく微笑めているはずだ。手本は雫で、その効果は俺が誰よりもよく知っている。

「Mr.お願いがあります。Prof.を助けて下さい。妙な力を手に入れた水鏡とマサトがやって来て、今交戦中なんです」

「そうか。しかし大地君、その妙な力というのに私もタダヒロも実は思い当たる節がある。そして、今この場にいる彼らにも、その妙な力があるだろう。そうでなければ彼ら程度に白藤君がここまで傷つくはずがないからね」

 Mr.が巡らせた視線の先にはヴィランのみならず、くすんだ色のコスチュームを身に纏ったヒーローの姿もあった。

「私はその妙な力を今度こそ根絶しなければならない」

「……わかりました。ここは俺が引き受けます」

 珍しく目つきを厳しくしているMr.は俺を見た。

「君は、こいつらに勝てるかね? 肉を切らせて骨を断つ。そんな価値観で戦える相手ではないぞ?」

「……気付いていたんですね」

「いや、タダヒロに聞いた。言っていたぞ、大地君は死ななければ勝ちだと思っている節があると。ハッハー、まあなんだ。何か切り札を持っているような気はしていたがね」

 お爺さんは本当にProf.と仲がいいらしい。その二人の中で自分が話題にのぼる。それが少しだけ嬉しいと、そう思える。


「あります。だからここは俺に任せておじ――Prof.をお願いします」

 水鏡とマサトはここにいる正気を失っているような目をした奴らとは違う。

「ハッハー、少年の純粋な心に応えずして何がヒーローか! よし、ここは任せよう。みっともないところを見せるなよ、№1!」

 Mr.は二人に近づいたことで白藤に斬りかかられたが、それを弾くと白藤と雫を小脇に抱えた。

「うむ! 見事な太刀筋であった白藤君!」

 そして、跳躍した。


「あ、あ、ああ」

 周囲にいたヴィランとヒーローがMr.を視線で追い、そこから何匹かが跳躍の体勢を取る。

「凝着」

 スーツ姿になった俺に対しても感情を浮かばせることなく、残った奴らが距離をじりじりと詰めてくる。

 その姿に、心の底から冷たい物が沸き起こってくる。

「雫を攫おうとしたそうだな」

 もちろんその問いに答えはない。

 きっと雫は怖かっただろう、白藤が傷つくのを目の当たりにして心を痛めただろう。

 もしも俺に力を託していなければ、そのどちらも雫は感じる必要のなかった感情だ。


 殺すだとか、そんな安い言葉はもういらない。

 ただ俺はそいつらの胸を貫き、頭を踏みつぶした。

 ヴィランも、ヒーローも、そいつらの中で区別を付けることなく蹂躙する。


 向かって来なかった何匹かが跳躍の体勢を取り、跳ぶ。

「凝着解放」

 スーツが無数のパーツに分かれ、砲弾となってそいつらを軒並み落とした。

 そして。

「凝着」

 全砲弾が再びスーツに戻ったのを確認してから俺は生身に戻った。

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