第9話

 海を渡り、山を越え、そして目にした。

 親父の病院が燃えている。

 雫の病室のある病院が、燃えていた。雨の中でも消えない炎が病院を覆う。

 血の気が引くような光景の中、何かが誰かとポッドを運んでいる。


「何を、している」

 目の前に着地した俺に、ヴィラン共が身を竦ます。

 誰かは親父で、ポッドは雫の収まるポッドだった。

「なんだよ、ビビらせんじゃねえよ。ヒーローかと思ったじゃ――」

 親父を抱えたヴィランの首を落とし、親父を肩に担いだ。

 遅れてヴィランの胴体から紫の血液が吹き出し、崩れる。

「ひっ、おま、何して」

「聞いているのは、俺だ。何を、している」

 俺の身体を這いずりまわる重油のような蛇が不快で仕方がなかった。

 もちろん実在していないことはわかっている。

「ちが、俺たちはこの、女をリ・ジャス――」

 早く、早く、早く言え。どこか冷静なもう一人の自分が唱えている。

「――ティス様の命令で――」

「雫に、触るなぁぁぁぁ!」

 耐え切れなかった。気づけばポッドと親父を支え、血煙が浮かぶ空間を見ていた。

 腕が痛んでいる。どれだけの強さでヴィランに叩きつけたのだろう。


 スーツを消し、ポッドを覗き込むと、そこには変わらぬ雫の姿があった。

 雨が目に入り、それがそのまま流れ落ちる。

 酷く熱い雨だ。

「げ、なんだこりゃ」

 ヴィランの死骸を見つめ、そう言うヴィランが現れた。

「まだいたのか」

 自然と口が動いた。自分の声だとは思えない声だけど、今この場にいるのは俺とそのヴィランだけだ。

 親父とポッドを降ろし、ポッドを一撫でした。雨の感触がする。別に中にまで浸透している訳じゃないし、風邪を引いたりする訳じゃないのはわかっている。だけど、早く落ち着ける場所まで連れていってあげたい。

「人間か? おい、これをやった奴を――」

 上半身を吹き飛ばしてやった。雨と一緒に紫の血が降ってきて、不愉快だ。

「この辺りか」

 徒党を組んだヴィランたちが十。互いの生命反応でも共有しているのかもしれない。

 それは、とても都合がよかった。

「ふ、ふふふ」

 そして、とてもおかしい。わざわざ死にに来た。


「なんだありゃ?」

「おい、あれじゃねえの」

 あれと、ヴィランが親父と雫を指差した。滑稽だ。肉塊が人間をあれと呼ぶ。物が人を物扱いする。

 無警戒で近づいて来たヴィランの上半身と下半身を分けてやった。

「冗談じゃねえぞクソが!」

 五体のヴィランが同時に襲い掛かって来た。

 スーツを凝着することなく迫って来たそいつら、その先頭のヴィランの頭蓋を握り潰す。そいつの脊髄を握り込み、棒を振るようにして身体を叩きつけてやると二体が巻き込まれ、地面に跳ねた。その二体は全身の骨を失い、舌を突き出しながら痙攣を始める。

 残った二体は途中で足を止めた。

「聞いてねえぞ、なんだあれは」

「ヒーローじゃねえ、ヴィランでもねえ」

「人間か?」

「な訳ねえだろ、人間があんなにつええ訳ねえ」

 後、六体。

「くそ、早くしねえとジャスティスが来るぞ」

「おい人間、見逃してやるからそのポッドと親父を寄こせ」

 どれだけ愚かなのだろう。まだ力の差をわかっていない。でもそれよりももっと。

「見逃してやると思うか?」

 捕食者は、俺だ。


「ハッハー! 助けに来た――む、大地君だったか……どうかしたのかね?」

「Mr.……いえ、何もありませんよ。どうかしたんですか?」

 タイミングが悪かった。俺だと知りながらやって来たわけではないだろうに絶妙なタイミングだ。

「いや、恐ろしい顔付きをしていたのでな」

「親父が襲われましたからね」

 一応納得したのか、Mr.ジャスティスは鷹揚に頷いた。

「さて、運がないね諸君」

 最強のヒーローの登場に、ヴィランたちは顔を合わせる。

 逃げることはさせない。Mr.ジャスティスもヴィランに容赦はしないはずだ。


 ヴィラン共は目配せをし合うだけで、一歩も動けずにいた。

「来ないのなら、こちらから行こう」

 Mr.ジャスティスが、その体躯からは信じられない速度でヴィランへと駆け寄り、拳を振るう。

 そして一匹目を粉砕した。続けて二匹目。

 しかしその二匹目に触れると思われた瞬間、多重水晶がそれを阻んだ。

 二匹目のヴィランは吹き飛び、敷地に植えられた木に身体をめり込ませはしたが、まだ息があった。

「リ・ジャスティス様!」

 ヴィランの誰かが叫んだ。その視線の先、白いコスチュームに身を包んだヒーローが姿を現す。

 そしてその隣には黄色いコスチュームを顕現させたヒーロー候補生。


 もちろん俺はあの二人が誰だか知っている。だけど、あまりのことに名前が浮かばなかった。

「お久しぶりです、お爺様。お変りないようで残念です」

「私の孫は十年前に亡くなったよ」

「ええ、墓標が立っていましたので驚きました」

「隣の少女は私の知る生徒によく似ているのだがね、君の知り合いかね?」

「ええ、私の娘です。名前は華と申します」

 白いコスチューム姿のヒーロー――レディ・ジャスティスに紹介された華は身を捩り、顔を俺から背けていた。

「周囲のヒーローは掃討しました」

 青いコスチューム姿の水鏡が、さらにその後ろに現れレディ・ジャスティスに報告をする。

「さすがですね、お二方」

「よせやい、Aランクヒーローすらいなかったぜ」

 二度と変身は出来ないと診断されていたマサトが、赤いコスチューム姿で仁王立ちしている。


「これは、どういうことだね?」

「悪い、爺さん。この姉ちゃんに付いて行けば変身機構治してくれるっていうからよ……俺は、やっぱりヒーローを諦めきれねえ」

「俺はあんたたちがマサトを簡単に見限ったことを忘れない」

 マサトは少しだけ気まずそうに頬を掻いているが、水鏡の方の目は氷のように冷たかった。

「残念だ。それで華君はどういった事情かね? 年齢が合わないことが疑問なのだが。君はまさか十歳というわけではあるまい」

「十七歳で間違いねえよ。あんたの家族関係が冷え込んでいただけだろ」

「そうか。言いわけのしようもない」

 そう口にはしても、Mr.ジャスティスの目に悔恨の念は見えなかった。ただ、まっすぐ皆を見つめている。


「マサト、この火はお前がやったのか?」

「いや、俺じゃない。けどよ、言い訳は、しないぜ」

 我が身かわいさでヴィランの凶行を止めず、また行動を共にしている。

 ヒーローどころか人としても最低の部類だ。そのくせにヒーローを諦められないと口にする。

 また蛇が俺の身体を這い始めて来ていた。


「大地君、私はあの日から修行を重ねました。今の私ならあなたのお父様のお力添えがあれば雫ちゃんの意識を取り戻せるかもしれません。あなたからもお父様に頼んでもらえませんか?」

「どうして?」

 なぜレディ・ジャスティスが雫に拘るのだろう。

「……自分のためです。今でも夢に見るんです、雫ちゃんを救えなかった日のことを」

 だから救いたい。救って、罪を贖いたい。そう言うことだろう。

 誰かのためじゃなく、自分のためにという物言いは好感が持てた。

 治したところで雫の十年は帰ってこない。だから雫のためというのであれば俺は許さなかった。


「お前がこっち来たら白藤も来るんじゃねえの?」

 意外にも、華は白藤を気に入っていたのだろう。

 俺が行けば白藤も来るという論理展開にはやや疑問が残る。しかし、華はそうあればいいと思っているように見える。

「大地君、私は例え元生徒であろうと世界に仇なす者であれば情け容赦はしない」

「大丈夫です、大地君。お爺様は後五年もすれば亡くなります。その間は私たちが全力で皆をお守りしますよ」

「ハッハー! 私がヴィラン共を打ち漏らすと? 育成の仕事がなくなれば私はヴィランの巣を潰して回るよ」

 Mr.ジャスティスから逃げ延びるのは将来的にもこの瞬間的にも難しいだろう。仮に今例の水晶での転移を行ったところでMr.ジャスティスは一度目にしている。今度は対応して来るはずだ。

 それに残ればブリリアント・ハートの支給が早まるかもしれない。それさえあればMr.ジャスティスも脅威にはなり得ないだろう。


 今雫を起こしてもMr.ジャスティスは彼女をもヴィランと取るかもしれない。

 そもそも治せなければ完全にデメリットしかないのだ。

 そんな危険を冒す必要があるのだろうか。

 しかし俺は知っている。レディ・ジャスティスによる治療は親父とは別アプローチの最高峰だ。

 俺は雫が目を覚まし、共に過ごせる時間を切望している。

 だけど、その時間だけを求めた俺は過去に失敗をしていた。

 それに俺はヴィランの巣を潰したところだ。その結果レディ・ジャスティスがどう出るかも未知数だ。


「どうする、大地君?」

「どうするの? 大地君」

「来いよ、大地」

「大地、そいつらは俺たちを使い捨ての道具扱いしている。気付け」

「白藤は私らがばらばらになってたら悲しむんじゃねえの?」


 皆勝手なことばかりを言う。

 頼むから黙ってくれ。

 俺だって悩むことがあるんだ。

 すぐに結論を出せないほど大切に思う人がいるんだ。


 短いアラーム音がした。

 繰り返し、繰り返しそれが鳴る。

 発信源は、雫のポッド。

 そのアラーム音は俺が十年間願いに願った音だ。

 震える手足を進め、俺はポッドの窓を覗く。


 いつも人形のように綺麗な顔だった。

 表情筋が動かないから皺ひとつ浮かばない、陶器のような滑らかな肌。

 それが、わずかに皺を作っていた。眉間に皺が寄っていた。

「そうだよな、雫。俺は、そうじゃない。そうじゃないんだよな」

「大地君?」

 余計な雑音で俺の幸せを遮らないでほしかった。

 だから応えることなく唱える。

「神衣憑依」

 六色の光が俺を包み込み、中性的な装束が顕現される。

 雫の装束が女の子らしくなくてよかった。じゃなきゃとてもおぞましい姿になっていただろう。

 気づけば少しだけ笑ってる俺がいる。


「うるさいんだよ、異世界人共」

 この世界が生んだたった一人のヒーローの力を見せてやる。

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