第8話

「雫」

 十年経った今でも掛ける言葉は溢れてくる。

 溢れすぎてそれを口にし切れないだけだ。

 ポッドの表面は滑らかで、撫でれば何の抵抗もなく手が動く。


 ポッドのガラスの奥では雫の髪やまつ毛が液体の流動に合わせて揺れている。

「今日、Sランクヴィランを倒したよ。もうあいつらはやっつけられるかも」

 ヴィラン対ヒーロー。その図式が終われば雫みたいな子はもう二度と生まれないはずだ。

 根絶するまで何年かかるかわからない。だけどそう出来るだけの力は付いた。

「弱っちかったよ。たった十年、たった十年違えば僕は雫を守れたのかなあ?」

 視界が滲んだ。鼻の奥がつんと痛む。

 嘘だ。十年すら必要なかった。あの日から血反吐が出るほどの訓練を始めた。

 今日相手にしたヴィランは俺が訓練を始めてから数年目程度の実力だったと思う。

 ヒーローごっこを始めたのが三歳くらいだったと記憶している。その頃からもしも俺がしっかり訓練をしていればあの日まで、雫を守る力を得るに十分な時間があったはずだ。

 バカだったんだ。毎日雫と居られて楽しい以外の感情のなかった頃の俺は。毎日その時間だけを求めて。

 だけど、もう俺はそんなバカはしない。


「入るぞ。お前のことだから気付いていただろうけどな」

 親父が雫の病室に入って来た。両手が塞がっているせいでノックもなしだけど問題ない。

 涙を見られて恥ずかしい相手でもない。もう何度も見せてしまっている。

「追えた?」

「当たり前だろ。誰が作った発信器だと思っていやがる?」

「くそ、カッコいいこと言っちゃってさ」

「お前の親父だからな、カッコつけないとな」

 唯一残った肉親が親父で良かった。


「船もしくは潜水艦もしくは――竜宮城だな。座標は海だ」

 竜宮城、つまりは海中都市のようなものということだろう。もしもそれだったらひょっとしてヴィランの国かもしれない。滅ぼせたら何年も掛かると思っていた戦いがかなり前倒しで終わる。

 胸の昂りを感じた。

 親父の手元にある端末を覗き込むと、光点が浮かんでおり、その隣には座標が示されている。


「行って来るよ。白藤が退院するまでには帰ってくる」

「わかった。気を付けろよ」

 拳を上げて応えると、俺は雫の病室を後にした。

 雫の前では凝着をしたくない。


 そのまま病院の屋上まで上がった。

 空は曇天で、今にも泣き出しそうにしている。

「幸先いいな」

 俺の戦いの幕開けの日、そんなあの日に似た空になりそうだ。一区切りがつくという前兆だといい。

「凝着」

 力が漲る。

 高く、高く跳んだ。


 眼下に広がる海に船の姿はない。

 焦点を合わせても影は見えなかった。

 自然と、頬が上がる。

 船ではない。潜水艦でもない。

 重力に従い落下していく。着水。

 周囲に船があれば転覆させてしまったかもしれない。そう思うだけの水柱を上げ、それに反して俺の身体は沈んでいく。その速度が鈍化すれば、あとは泳いで行くだけだった。

 全地形対応のスーツは海水の抵抗を大幅に軽減し、また水中での呼吸も可能にしている。

 楽な物だった。数分も進めば目的地が目に入る。


 そこはまるで失われた古代都市と言われれば信じられる在りようだ。

 装飾の一切ない家屋は石を切り出して作ったように繋ぎ目がなく、美しい白をしていた。

 そしてどうやら空気もあるようだった。どうみても海水と街の周囲に隔たりがある。

 その隔たりに触れると、まるで海から陸へ上がったような感覚があった。

 空から地へと降りるように、その都市に立つ。


「何者だ」

 即座に現れたそのヴィランは怠惰のヴィランだった。

 しかし三本角のうち一本も欠けていない。

「ジャスティスに手酷くやられたと聞いていたが」

「……あの程度リ・ジャスティス様の手に掛かれば怪我のうちに入らん。それで我の問いに対する答えがまだだ」

 仲間の振りをしてもすぐにボロは出るだろう。

「お前らを滅ぼしに来た、と言えば死神にでもなるか?」

「我がヴィラン七柱が一人、怠惰のヴィランと知らぬ訳でもあるまい」

「ああ知っている。七柱と言えばヒーロー共になす術もなく駆逐されたヴィラン共だ」

 ヴィランが両端の角を引き抜き、弓を引き絞るような体勢を取る。

 明確な殺気がマスクに浮かぶ。

「その姿、ヴィランに違いないだろう。何故同朋を裏切る。そんな場合ではないこともリ・ジャスティス様の御心も知っておろう」

「知らん、リ・ジャスティス様とやらの御心を話してみるか?」

 大方ヒーローを滅ぼして理想郷をなどとほざくつもりだろう。ヴィランなんてその程度だ。

「これから死に行く者に話しても仕方がない」

「それは、残念だ」

 例え捕らえて拷問しようがこいつは話さないだろう。

 ヴィランの剣がそれなりの速度、それなりの重さで突き出された。

 それらを指で摘まみ、そのまま砕く。そして伸長を始めた額の角を押さえつけると、頭蓋を砕くような音と共にマスクが割れ落ちた。

「があぁぁぁぁ――」

 左右の腕を捻り上げ、根元から引き抜く。

 膝を着いたヴィランの背中を蹴り倒し、そのまま足蹴にした。

 無様な姿だ。傲慢の仲間だというからこいつに責任を取らせてもいいのだが。

 そう考えていた俺の耳に、異音が届いた。それは息を飲んだ音だ。


 音のした方を見ると、地面にわずかなズレがあった。隠し扉だ。

「なるほど。静かだと思ったが、シェルターか」

 まるで人間たちのようだ。そう考えると少しだけ笑えてきた。おかしいんじゃない、笑っていないと正気じゃいられないほど憎らしいんだ。

 加害者のくせにどれだけ被害者から奪うというのだ。

「リ・ジャスティスは今どこにいる?」

「今頃はジャスティスに止めを刺している頃だろう」

 世迷い事を。それが出来れば苦労はない。

 ヴィランのダスト・ハートを引き抜いた。


 結界の要はどこだろうか。

 それさえ破壊すればきっとこの都市は海に沈むだろう。

 わざわざ海と隔てているということは皆が皆水中に適している訳ではないだろう。

 一際大きな建物が目に入った。もしもリ・ジャスティスが留守でなかったらあそこが根城だったかもしれない。

 要は見つからなかった。巧妙に隠されているのか、俺のスーツの力を持ってしてもわからない。

 ならば方法は一つだ。


「さよなら」

 土の力で金属を生んだ。火の力で熱を加える。

 水の力で冷水を生んだ。風の力でそれをさらに冷やす。

 金属も水も、都市を覆うように広がっていく。

 覆い尽くしたところで、その金属と水を触れ合わせた。


 海底都市の行く末を目にして、俺は海面に上がった。

 涙が浮かぶ。十年かかったんだ。

 一刻も早く帰りたい。

 海水を蹴り、海面へ。そこから跳躍。

 一度跳躍を開始すれば後は繰り返すだけだ。

 海底都市にはかなり多くのヴィランがいた。リ・ジャスティスを含め残っていても大した数はいるまい。

 ようやくこの世界はすこしだけ元の世界に近づいたのだ。異世界人なんて異物が蔓延る異常から救われたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る