第6話
視界が開けてくると、飛び込んでくるのは緑につぐ緑だ。
種のるつぼと言われるだけあって何の生物の鳴き声かも足音かもわからない音が響く。
緑をすり潰した匂いが濃く、むせ返りそうになりながらも歩いた。
軽く探ってみたが付近にあいつらや他のヒーローの気配はなかった。
そのまま足を進め、水場にまで辿り着くと先刻感じた気配に遭遇する。
ヴィランだ。自然区としてこの島に手を加えることや長期滞在することは通常許されない。必然犯罪者たちが身を潜めるのに適していると勘違いして侵入してくる例が立たないそうだ。
しかしその末路は一つ。
「ぎゃあぁぁぁぁ――」
ヴィランが水柱を立てたと思ったその矢先、背中から浮いてきた。
そして間もなく大型の魚が二匹水面に跳ね上がり、着水すると同時にヴィランの肉を削いていく。
三回も繰り返されればそのヴィランはもう跡形もない。
ヒーローから逃れるようにしてここにやって来る程度のヴィランに、ここでの生活は過酷だろう。
水鏡に合流すれば水に困ることはなくなるし、マサトに合流すれば火が起こせる。
華に合流すれば安全な寝床を確保できるし、白藤に合流出来れば食事に困らない。
一週間と言われているが、正直島から脱出して学園まで泳いで行けば今日中には帰れるはずだ。あいつらだって一週間はかからないだろう。
「うおぉぉぉぉ! 大地見つけたぁぁ!」
蔓を何かの遊具みたいに使って移動しているサル、もといマサトだった。
ときおりマサトの気配は掴み損ねてしまう。あまり歓迎できる出来事ではない。
「早いね。Mr.が何を期待しているのかわからないしまだ合流しない方がいいんじゃないかな?」
「ん? そうなのか?」
「たぶんね。Mr.は俺たちの生存能力を試したいのかもしれない」
「マジか。よし、俺は誰とも会わなかったし見なかった」
それだけ言い残すと、来た時と同じようにしてマサトが退場していく。
「ひぃーゃっほう!」
活き活きとしていて楽しそうだ。
帰るか残るか悩んでいても仕方がなかった。
水際まで寄ると、水中から殺気が漂って来る。気づかない振りをして指を入れればすぐにでも先ほどヴィランを襲った魚が姿を現すだろう。
案の定指を入れた瞬間それは飛び出して来た。飛び出しはしてきたが所詮は魚だ。
頭を落としてしまえば後は攻撃の術を失くし、ただの食糧と化す。
生で食べるとあまり美味しくない種だということは知っている。凝着すればすぐにでも火は起こせるが、他の皆に見つかると面倒になる。
原始的な手段で起こした火で炙り始めると、周囲の野生生物の気配が濃くなってきた。
一つ思い出して、立ち上がろうとしてその気配に気づく。
「大地、この辺りの奴らは火を恐れないみたいだぞ」
「皆案外近くに飛ばされたのかな?」
マサトから間髪空けずに水鏡だ。
「どうだろうな。俺たちにとってこの島は別に広くも何ともないからな」
俺たちなら端から端まで走って十数分。確かに広くも何ともないと言える。
「そう言えば雄叫びを上げているバカとは合流しなかったのか?」
「なんだ、水鏡も会っていたんだ。そっちはどうして合流しなかったの?」
「あいつは俺を水筒か何かだと錯覚しているみたいだったからな、野生に帰れと言ったらその気になったみたいだ。あいつがヒーローになった暁には間違いなくレンジャーになるだろうな」
どうやら合流こそすれ、すぐに別れたらしい。
「同感。それにしても水筒扱いされたならお返しにライター扱いしてやれば良かったじゃないか」
「集めた食糧焦がされたよ」
肩を竦めた水鏡の顔には笑みが浮かんでいる。
「それは災難だったね。こっちの番か、俺はこれがMr.からの試験だったらまずいなと思ってさ」
「なるほど。個々の生存能力辺りか。だけどそれは違うと思うぞ大地。Mr.から見て俺たちは種のるつぼに飲み込まれるほど脆弱な存在に映っていると思うか?」
ない。やはりこの程度の言い訳で引き下がるのはマサトくらいのようだ。
「じゃあなんなんだろうな?」
俺の問いに答えたのは、しわがれた声だった。
「――お前たちを守ろうとしたのだろう。いや、ひょっとしたら餌にしたのかもしれんな」
ヴィランだ。だけど、ただのヴィランじゃない。これまで見たどのヴィランよりも格が上だろう。
額から一本の短い角が生えている。その角からヴィランの力が溢れていた。
「お互い間者を行き来させていたとはな。くく、だが我らの勝ちだ」
「何者だ」
水鏡の声に緊張が混じる。
「怠惰のヴィラン。貴様らがヴィランと呼ぶ者共の七柱よ」
「七柱? 察するに組織の幹部の呼び名か? いつの間にヴィランは組織を立ち上げたんだ?」
時間稼ぎのつもりだろう。水鏡から見ればこいつは戦っちゃいけない相手だ。
「そう怯えるな。全てを教えてやる。冥土の土産に持って行け」
水鏡に肯いてやる。くれるというのなら情報を貰っておくに越したことはない。
「さて、何から話したものか。我は武人がゆえ、口は上手く動かん」
瞬間、ヴィランが角を引き抜いた。角が持ち手の細剣となり、それが振るわれる。
剣の腹を蹴り飛ばすと、ヴィランは口端を吊り上げて見せた。
「くく、やるじゃないか。なるほど、これが件の秘蔵っ子共か。だが、随分と差がある」
歯軋りの音が俺の隣でした。
「冥土の土産をくれるんじゃなかったの?」
俺が防がなかったら水鏡は大怪我をしていただろう。
戦闘能力を奪ってから長々話つもりだったと言われればそこまでだが。
「いや、すまない。どうも学生といえ、ヒーローを見ていて腹立たしくなるのは避けられないようだ。しかしこの分だと学園の方は既に火の海に沈んでおるか――くく。いや、貴様ら以外の三人も既に始末が済んでおるかもしれんな」
「学園にはMr.がいるけど?」
目の前のヴィランはかなり強い部類だ。七柱と言ったから最多でこいつ程度の力を持つ六人を相手にしているだろう。けど、それでもMr.ジャスティスが敗北を喫する姿は想像出来ない。
「ジャスティスか……彼奴の時代は間もなく終わりを迎える。そして間もなくリ・ジャスティス様の時代が幕を開けるのだ」
「リ・ジャスティス?」
「そうだ。我らが首領にして最高のヒーローだ」
「ヒーローだと? 俺たちの中に裏切り者がいるとでもいうつもりか? ありえない」
認められるか。認めたくない。そんな水鏡の目だ。
俺としてはいてもおかしくはないだろうくらいの心境だ。それよりも今こいつの口から確実にヴィランが組織を立ち上げたことが語られた。最近多かったヴィランの組織めいた行動は、そうではなく組織としての行動だったらしい。
しかし最高のヒーローの意味がわからない。そう呼ばれたヒーローは十年前に亡くなってしまった。
「レディ・ジャスティスは十年前に亡くなったよ」
「ほう、貴様若いくせによく知っている」
忘れる訳はない。彼女が、僕の認めた最後のヒーローなのだから。
「そうだ、かのBランクヒーローは死んだ――我だ。そうか、ならばこちらも終わらせよう」
話の途中で、ヴィランが人間であれば耳があるだろう場所に手を当て、それから殺気を強めた。
残念ながら土産話はここまでのようだ。
「すまないが、事情が変わった。土産なしで三途の川を渡って頂こう」
ヴィランの攻めの気配に水鏡を蹴り飛ばすと、縦横無尽にヴィランの剣が俺の前で振るわれた。
それなりの速度だ。白藤なら何とか防げるかもしれないが他の奴らは辛いだろう。
「やるな、やりおる! だがこれでどうか、凝着!」
黒いゴム状の物に包まれ、あとには禍々しいスーツ姿へと姿を変えたヴィランの角はそれぞれ側頭部から二本、額に一本の計三本にその数を増している。
凝着の拍子に霧散した細剣の代わりに、側頭部の角を共に抜くと、やはり先ほどの角と同様に剣になっていた。
「倍だ。次は防げるか?」
「子供の理屈だ」
剣が増えれば手数が増える。持った武器の数だけ強くなれると。
「言うではないか!」
振るわれた両腕を掴み、押し合う。
「貴様、生身でこの力、恐ろしいな。貴様よりも強いヒーロー候補はどれだけいる?」
「一応、主席だけど」
「そうか、安心した。ならばこれで任務完了だ!」
額の角が、ゆっくりと伸びる。実際には一瞬だけど、俺の目にはゆっくりと映った。
侮って、油断した。でも、それでもこの角は避けられる。問題はこの角がどこまで届くのかだ。
射出なら射程距離は。伸びるだけでもその長さは。そもそも軌道は真っ直ぐか。
俺じゃない。俺以外の誰かに害が出る可能性がある。
それはあまりに間抜けだ。
「ぐが!」
ヴィランの額の角が、根本から欠け、その伸長が止まった。
「ハッハー! さすがだ№1! こちらは誰も傷ついていないじゃないか!」
その声に遅れて、大震動。草が、土が舞い、それが晴れた時、その姿が現れる。
筋骨隆々のその肉体にぴったりと張り付いたコスチューム。救助者を保護するためにあらゆる防性能を組み込んだせいでバカみたいに重くなったマント。使い捨てと揶揄されるほど酷使されるブーツ。
それら全てが一番似合う男と言われている。それがMr.ジャスティスだ。
「……ジャスティス」
「呼んだかね、ヴィラン?」
「ジャアスティスゥゥゥゥ!」
額の角を失い、マスクに浮かべる光の球の輝きを強めたヴィランが二刀流の剣を振るう。
「ふんぬ!」
その剣を、筋肉の隆起だけで防ぐ。
「ぜぇぇい!」
気合一閃。その声だけでヴィランの剣が砕けた。
これだ。この差がある限りヒーローがヴィランに敗北することはないだろう。
得物を失ったヴィランは、距離を取ると肩で息をし始めた。
マスクの隙間から涎が垂れる。
「我ら七柱がうち五柱をどうした」
「なんだそれは?」
「学園を襲ったヴィランはどうしたかと訊いておるのだ!」
「全て私が倒した!」
さもありなん。襲われている学園を放置してここに来るようなヒーローじゃない。
「ぐぅぅ――我だ……わかった。頼む」
ヴィラン全体を包む結晶が現れた。
「此度は我らの敗北だ。退こう」
「行かせると思うかね?」
Mr.ジャスティスが拳をさらに握り込み、そして結晶を叩く。
その結晶がひび割れ、砕ける。しかしその結晶は幾重にも重なり、最終的に薄い結晶が残った。
それから、残った結晶ごとヴィランが姿を消した。
「妙な手応えだった」
「おそらく、強度の異なる結晶を重ねていたのではないかと。Mr.の拳の威力を分散させ、結果結晶による結界でしょうか? その強度を高めたのではないかと」
「なるほど」
どうやら敵は本気でMr.ジャスティスと事を構える覚悟だったのだろう。
それだけの工夫が見て取れた。
Mr.ジャスティスが周囲を窺うと、その目を細める。
「まずい、マサト君がピンチだ――ぐ」
Mr.ジャスティスが膝を着く。
これは俺の知る限り初めてのことだ。
「Mr.!」
戻った水鏡が駆け寄り、Mr.ジャスティスを支える。
「すまんな水鏡君。少しばかり強力な毒を食らってね――重ね重ねすまんが、マサト君を助けに行って貰えるかな? 数分でいい、時間を稼いでくれ」
その目は、俺を捉えて離さない。額に脂汗を浮かべたその顔は演技には思えなかった。
信じられないことは二つ。どうやって毒を食らわせたのか、どれほど強力な毒を使えばここまで最強のヒーローを弱らせることが出来るのか。
知りたい。だが、今はどうすることもできなかった。
「任せて下さい、仲間は俺が助けます。水鏡、Mr.を頼む」
「ああ、任せろ。どんな相手が来たってMr.には指一本触れさせない」
「ハッハー! 頼もしい生徒たちだ。未熟な教師ですまん、あとは頼む」
そう言い残し、Mr.ジャスティスはいびきをかき始める。
今ならMr.ジャスティスを倒せるかもしれない。そんな誘惑は振り払う。
万一にも敗北は許されないのだ。
Mr.ジャスティスが最後に視線を向けた方角へと駆け出す。
少し経つと、緑の木々が途切れた。
何かを中心に爆発したように、あらゆる自然が焼け焦げている。
見間違えることはない。これはマサトが特異能力を全力で使った後だ。
「遅かったであるな」
全身がぬめり気のある蔓で覆われているヴィランがそこにはいた。
そのぬめり気には、大量の血液も一役担っているだろう。
マサトは全身を穴だらけにし、華は四肢が折れ曲がっている。
白藤は四肢を拘束され、その首に蔓が巻かれていた。
「だい、ち……」
喉を既に潰されているのだろう、掠れるような白藤の声だった。
ただ悲しみが込められているのだけはわかる。
涙を滔々と流し、その目は腫れぼったい。
「吾輩は高慢のヴィラン。七柱最強のヴィランである」
すでにスーツ姿になっているヴィランに対して、皆は生身だった。
「最強が聞いて呆れるな。奇襲したんだろ?」
「いかにも。しかしそれが悪いことであるか?」
「どうだろうね、正々堂々とは言えないけどヴィランにそれを望むのも酷だろ? せいぜい高慢の割には謙虚な戦法を取るなと思うくらいだ」
背後に迫りつつある蔓もそうだ。やたらと遠回りをしながら俺の後ろまで辿り着いた。
「ヴィラン七柱は各々最も遠き罪を名乗っているのである。よって吾輩に油断はない」
言い終えたと同時に向けられた鋭利な蔓を、半身になって掴み取る。
「……驚いた。Aランクヒーローを殺した時の戦法だったのであるが」
「仲間を人質にして、陰から攻撃が?」
むしろこんな手でやられる程度がAランクヒーローなのかと、そちらの方が驚きだ。
「面白いであるな、貴様。無惨な仲間の姿を前にしながら、酷く冷静である。心音の乱れも見えぬ」
よく見ている。あまり余計な事をしゃべらせたくない相手だ。まだ白藤は意識を残しているのだから。
「激情にあってなお鈍らず。やるべきことをやるのがヒーローとしての心得だよ」
「かか、ならばこの者たちはヒーローに非ずと?」
「俺たちはまだ候補生だ。これから心得て行けばいい」
「かか、甘いな。学生気分で日々を無為に過ごし、庇護され安心安全と傲慢に振舞うから吾輩たちに足元をすくわれるのである!」
蔓の何本かが鞭のようにしなり迫る。また何本かが矢のように射出された。
鞭の先端を掴みとり、矢を巻き込むように蔓を躍らせると、矢は瞬く間に蔓に絡まり、脅威を失う。
「終わり?」
ヴィランの目と化している光が明滅を繰り返す。
人で言えば瞬きを繰り返している。
「吾輩の、吾輩の攻撃を見切ることなど、まして、生身で」
「笑えるね。何が最も遠き罪何だろう?」
お前は、傲慢だよ。
蔓を全力で引き寄せると、その蔓に繋がる身体を始点にくの字に折れ曲がりつつ迫る。
「ぐぎぃぃぃぃ」
折れ曲がったスーツが内部を傷つけたのか、耳障りな悲鳴が上がった。
「運が悪かったね」
白藤には聞こえなかったはずだ。
一撃で終わらせる訳にはいかない。それはMr.ジャスティスの専売特許だ。
何より倒す訳にはいかない。候補生如きがそれだけの力を持っていてはならない。悪目立ちし過ぎる。
加減した俺の拳が、肘が、膝が、ヴィランのスーツを打ち続けた。
「候補生、如きがぁ!」
疲弊はしていてもなお衰えない闘気と、反して衰えた攻撃の隙をつく。
「大丈夫?」
全ての攻撃を避けきった俺の小脇には華とマサト。
そして眼前には白藤。
「だ、いち」
可愛いと評判の白藤が顔をくしゃくしゃにして俺の腰に抱き着く。
「ごめんね、遅くなった。すぐに皆で学園に帰ろう」
気が抜けたのか、白藤はそのまま意識を失った。
「引かせる「終わりだよヴィラン」か――」
Mr.の一言と共に繰り出された拳により、高慢のヴィランは灰塵と化した。
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