第2話
十年前のあの日から、桜を綺麗だと思ったことはない。
「雫、今日から俺も高校二年生だぞ。お前起きたらびっくりするだろうなあ」
雫は液体で満たされた筒状の治療機、ポッドの中にいる。
十年前から可愛かったけれど、今ではもっと可愛い。可愛いだけじゃなくて美人にもなった。
だけど、この十年間一度も目覚めていない。
ノック音に振り返ると、親父が静かに病室に入って来る。
「遅刻するぞ。今日から後継者クラスなんだろ、つまらないところで株を落とすなよ」
「うん、ありがとう」
早よ行けと親父が俺を追いやるように手を振った。
「雫を頼むよ、親父」
「任せとけ、俺を誰だと思っていやがる」
親父がいなかったら俺はきっと雫の傍を離れることはできないだろう。
この世界でただ一人の頼れる存在だ。
親父の経営する病院からヒーロー協会本部までそんなに距離はない。
そして俺はヒーロー協会本部の敷地内にあるヒーロー学園に通っている。
総勢五百人のヒーロー候補生の奴らが通う学園だ。
「ダーイチ!」
腰の辺りにスクールバッグがぶつけられた。
顔を向けるとそこには白藤がいた。
今日もトレードマークの頭のリボンが揺れている。大きな白いリボンだ。
「痛いよ、白藤」
「強く当てすぎちゃったかな? ごめんね。あ、で大地も今日から後継者クラスでしょ?」
「うん。も、ってことは白藤も?」
白藤は一年の時に文武の成績が共にずっと学年二位だった。後継者クラスの定員五人の中には当然入っているはずだ。
会話がしたい訳じゃないけれど、無言では返せない。
そんな気持ちも知らず、白藤は十年前の雫に似た笑顔を浮かべる。
「うん。後は誰だろうね? 熱血バカのマサト、委員長タイプの水鏡、皆守っちゃう華ちゃんかなあ」
「多分ね」
どうでもいいけれど。そんな言葉はもちろん口にはしない。
「余裕ですな~、どうせ自分が次代のMr.ジャスティスになるんだからってことかあ? このこの」
「痛いってば、白藤」
脇腹を肘で突かれれば痛いはずだ。
「あ、華ちゃんだ。はなちゃ~ん!」
「ちゃん付けすんなっていつも言ってんだろ――大地、お前も後継候補……だよな」
少し前を歩いていた華は足を止め、少しだけ目を細めた。
そして俺から一歩取るように下がる。
見た目は時代錯誤のヤンキー。足首近くまである長いロングスカートの黒いセーラー服だ。
こんな姿をしておいて特技は防御だと言うのだから色々間違っているというのが評判だ。
「うん。華もだよね?」
こくりと、小さく頷いたのを見届けてから俺は歩きだす。
後ろから華と合流した白藤の騒ぐ声が届いてくる。
「チーム課題出た時はよろしくね、華ちゃん!」
「おい、今あたしの胸見て言っただろ。ざけんなよ手前、もぐぞ」
華だけが持つ超能力である特異能力は絶壁という堅固な防御能力だ。
そして華の胸囲は何というか、そんな感じだった。
「そんなつもりじゃないのに~、痛い痛い、ほんとにもげちゃう、ってその前にブラ壊れちゃうから~」
「伸びろ!」
「へ? 伸びる?」
「え……」
一瞬の静寂が生まれるのと同時。
「ヒーロー学園の品位を貶めるような振る舞いは止してくれ」
オールバックの髪と額に手を掛け、ため息を吐いた水鏡が現れた。
「あ、水鏡君もやっぱり後継者クラスなんだね~」
「く、いいか白藤、僕は君に負けているつもりはないぞ」
水鏡は学年三位から五位の間をさ迷っている。客観的に考えて白藤に負けてはいるのだが妙なプライドか、それを認めたがらない。
「待てー、パン泥棒待てー」
「うおぉぉぉぉ、助けてくれー水鏡!」
二メートル近くある筋肉ダルマが恐ろしい速度で近づきつつあった。
筋肉ダルマというかマサトに間違いないのだがあの状況、あまり関わり合いを持ちたくない。
水鏡がため息を吐きつつマサトに寄る。
「何しているんだバカ」
「ちげえって、今回は悪くねえ。俺は悪くねえ。あのねーちゃんが『パンいかがですかー』って言うからありがたく貰っただけなんだ!」
「金は払ったのか?」
「はあ? くれるって言ったんだぞ? お前頭大丈夫か?」
マサトが言った瞬間白藤、華、水鏡の三人の拳骨がマサトの意識を刈り取った。
ちなみに三人で協力したのは一人二人だと大してマサトにダメージを与えられないからだ。マサトの頑丈さは折り紙つきだ。
「すみません、こいつバカなので」
昔からマサトの面倒を見ていたという水鏡が真摯に頭を下げると、パン屋の娘さんは顔を赤くして呆けた後、もごもごと何か口にしつつ水鏡からパンの代金を受け取った。
「また、またのご利用をお待ちしてます」
ぺこぺこと頭を下げながらパン屋の娘さんは帰って行く。
「で、どうすんだこのバカ。あたしは手伝わねえぞ」
鍛えに鍛えたマサトの身体は大きく重い。意識のないマサトを運ぶのはいくらヒーロー学園に通う者とはいえ一苦労だ。
「大丈夫だ。こいつの扱い何て慣れている」
水鏡がマサトの耳を掴むと、顔を寄せた。
「ひゃ~」
白藤の妙な歓声に水鏡が眉間に皺を寄せたその時。タイミングよく水鏡が口にしようとした言葉と同じ言葉が誰かから発せられた。
「ヴィ、ヴィランだー!」
「ヴィランだとぉ!?」
マサトの三白眼が完全に開き、勢いよく立ち上がる。
水鏡が察しよく耳から手を離さなかったら今頃グロテスクな光景だったろう。
「俺の目鼻が届く範囲でヴィランの好きにはさせねえ! 変・身!」
マサトが光に包まれたと思った次の瞬間には真赤なコスチュームでマサトは覆われ、その姿のまま駆け出して行く。
「俺たちも行こう」
水鏡のその言葉に白藤、華も頷く。
「「「変身!」」」
水鏡は青、白藤は白、華は黄色がメイン色のコスチューム姿となった。
「どうした大地?」
「全員で行ってまだヴィランが隠れていたらまずいからさ」
「むぐ、そうか。そうだな。最近はあいつらも組織だった行動をよくするからな。っく、ま、任せたぞ大地!」
この差か、この差なのか。などと水鏡が呟き、それでもその足はマサトを追ってピンチの誰かを救いに行っていく。
「こっちにもヴィランが出たぞー!」
先ほどと正反対の方からそんな悲鳴が聞こえた。
周囲を見渡すと、誰もいなくなっていた。一般人は地下シェルターに避難したのだろう。
あまりもたもたしていたら新しくヴィランが出た方から逃げてくる人たちが来てしまうかもしれない。
「凝着」
周囲に闇が生じ、無骨な金属片が飛び出す。
覆われた身体に力が漲るのを感じ、それから高く跳ぶ。
街を一望出来る高さからは、皆の姿が見えた。マサトがヴィランを殴り飛ばし、それがビルを突き破った。あまりの強い衝撃に、ビルが倒れ他のビルにもたれ掛るようにして崩れる。
スーツのレーダーを全開にしても生命反応はない。
「命拾いしたな」
そして目線を変えた先、女の子がヴィランに襲われている。
「あー……可愛いなあ。殺したくないなあ。三秒あげるから逃げるんだあ」
小学生くらいの女の子は尻餅を着いたまま震えている。とてもじゃないが逃げようとも出来ないだろう。だけどわかっている。あの両腕が鎌みたいなヴィランは女の子が逃げようとしたその瞬間にその足を切り落とす。
「いーち、にー」
角度的に顔は見えない。だけど簡単に想像出来る。嫌らしくて、憎らしい、そんな笑顔が。
着地と同時に女の子のスカートが少し揺れた。
「あ? おい。それは俺の得物だ。ヴィランの鉄の掟だろうが、獲物の横取りはよくないぜ? その恰好、ヴィランだろ?」
ヒーローのコスチュームと違い、ヴィランのスーツは言わば全身鎧だ。見たまま違いがわかる。
「掟か……笑える」
おかしすぎて拳に力が入る。
「あ?」
「悪人が、悪党が、ルールを守れと口にする。滑稽だと思わないか? ヒーローは人命を守ると口にしながら人の命が何から生まれるのかを知らない。所詮異世界人が俺たちを理解しようなんて不可能なんだよ」
「ああ? 何言ってんだ?」
わかってもらおうなんて思っていない。わかったところで無駄だから。
俺は目の前のヴィランの腕を掴み、近くのビルの屋上へと投げ飛ばす。
鎌の刃に触れたことになるが俺のスーツには傷一つ付くことはない。
「があ! な、なんだ?」
錐もみしながら宙に投げ出され、ビルの屋上に落ちたヴィランは混乱のまま周囲を見渡している。その目の前に姿を現してやると、目を瞬かせていた。
「くそ、凝着さえしていれば手前何ざ」
「しろよ」
「あ…………? へへ、バカな奴だぜ、俺がデスサイズスの四天王だと知っていたらそんな真似しなかっただろうによお! 凝着!」
ヴィランの身体がスーツに覆われ、まるで蟷螂のような姿へと変貌する。そして二メートル程に巨大化したその腕の鎌が光を強めた。
「死ねや!」
威勢がいいのは声だけだった。鎌が俺の肩に触れ、そして真ん中から二つに折れる。
「はれ?」
ヴィランのスーツのマスクに浮かぶ光が俺の肩とその鎌の間を行ったり来たりしている。
残った鎌を握り込んでやると、池に張った氷を砕くよりも簡単にそれはひび割れ、砕けた。
「え? あれ? え?」
スーツから生えた六本足を順番に踏み砕いてやると、自重を支えきれなくなり、コンクリートの上に転がるようになった。
「俺は、本当に四天王なんだ」
マスクに浮かぶ光が揺らぐ。
「だから?」
「俺を殺したら他の奴らが復讐に……」
「それらはお前の何万倍強いんだ?」
ヴィランが首を左右に弱々しく振るう。
「た、助け」
最後までは言わせなかった。足元には紫色の血だまりが出来ていて、不快な臭いを漂わせている。
上空へもう一度跳ぶと、女の子がまだ一歩も動けずにいるのが見えた。
近くに降り立ったのが俺だとわかると、女の子はあからさまにほっと息を吐く。
「怪我したの?」
「あ、あうう」
見ると怪我はないようだが服のところどころが砂や土で汚れていた。
ヴィランに裂かれたのか、服も一部破けていて肌着や素肌が露わになってしまっている。
小学生くらいとはいえ、女の子だ。
「ちょっとだけ待ってて」
俺はもう一度跳ぶ。
それから間もなく白藤の前に立った。
「な、新手!?」
彼女は一瞬だけ目を丸くしたけれど素早く刀を抜き、それを俺へと向け切りつけた。
鉄板に刃物を叩きつけたような音の後、地面に刀が転がる。
「いったぁ~、嘘でしょ……」
痛みと驚愕に震える彼女の肩を掴むと、彼女は大きく肩を竦ませた。そんな彼女を軽く抱き寄せ、跳躍。
「だ、大地ぃ! た、助けてぇ~!!」
「黙れ」
そう言うと、腕に何か熱い雫を感じた。
わずかに目線をずらすと、無色だった。だからきっとこれは涙だろう。
心の中でだけ、ごめんと呟いた。
少女の前に三度降り立つと、俺は白藤を下ろした。
「へ? あれ?」
事態を把握し切っていない白藤を残し、俺はまた空へと上がる。
センサーを全開にしたところでヴィランの姿は捕らえられず、ここで今回の騒動を締めくくった。
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