第12話 バーボン

 私が酒屋で店長を務めていたころの話である。

 そもそも、私は下戸である。

 下戸の私が、酒屋に転職したのだ、受かると思わなかった面接に受かったのが意外で、

 当時の社長に聞いたことがある。

 社長曰く、

 酒を飲めない人間のほうが、酒屋の経営には向いている。

『好きこそものの上手なれ』とは、いかないのが商売であるとのこと。


 その日、『つう』は私を乗せ、河川敷を走っていた。

 昔は大きな川であったそうだが、現在の川幅は当時の半分もない、

 浅い河で砂利の採掘をしているのであろう、小さく粗末な掘削船が稼働中である。

 喉かな昼下がり、つい、うとうとしてしまう。

 BGMは彼の講釈である。

「なんで、親父は、俺に農業を継げと言わないんだろう?俺はいつでも継げる準備はできているというのに…」

つう』は、仕事が嫌になると、実家の農業に逃げようとする。

 実家とて裕福ではなく、彼の両親は冬期間は、米菓工場にアルバイトに行くのである。

 息子が車を壊しては田んぼを売り、

 残った土地は作りかけのジグソーパズルのようになってしまったそうだ。

 息子の嫁は、働かない。

 人づきあいが嫌なんだそうだ。

 ある意味、成るべくして成った夫婦といえよう。

 だから、継げなんて言うわけがない。

 出来るわけがないと判断しているのだと思う。


 そんな『つう』曰く、

 息子は非常に頭が良く、クラスでも特別扱いだそうだ。

「俺の息子は、頭がいい。先生も特別扱いして、みんなが1枚しか貰えないプリントを10枚くらい貰ってきた」

「プリントって何?」

「掛け算のホラっ、覚えるのに、お前も貰わなかった?」

「あ~、暗記しろって、わら半紙でもらったわ」

「ソレ、家中に張ってる、アチコチ、風呂にも」

 人が1枚のところ、10枚貰うって、人の10倍頑張れってことじゃなのかな~たぶん。

 わら半紙、風呂に張ったんだろうか?

 今も、わら半紙ってあるのかな~、などと考えていた。

「いや~でもさ、今でも難しいね」

「なにが?」

「四の段と七の段」

「……あぁ言いにくいね」

「いや、覚えられない」


「あの汚いいかだみたいのなに?」

「砂利でも採ってんだろ」

「えっ川で石拾うだけでいいの?」

「詳しくはしらないけど、砂利使うでしょ建築にも庭とかアクアリウムとかさ」

「へぇ~いいな~、船でタバコ吸ってやがる!!アレで金貰えるのかよ」

「いいな~、お前と一緒に、ああやって生活したいな~、お前が会社作って、

 売り込んでさ、給料決めて、あぁ~いいなソレ!!」

 お前は何をする気なんだ?

「やろうよ!!お前とならできる気がする」

「絶対…嫌だ」

 この間、私は一度も彼の方を向かず、ただ流れる河川敷の景観を愉しんでいた。

 彼と私の会話は、温度差の違いが凄いのである。


 夜も更けたころ、『通』が私を最近行きつけだというバーに誘った。

 彼にバーとは似合わない。

 それ以上に下戸の私が立ち入る場所でもない。

 断ったのだが、どうしても、そこで飲みたいと聞かない。

 おおよそ、私に、俺はこういうところで酒をたしなんでいますづらがしたいだけなのだ。

「一杯だけ、日課なんだ、お願い、」

 と必死である。

 前におもちゃ屋で、ドラゴンボールの稽古着を欲しがり駄々を捏ねている子供がいた。

「お母さんお願い!僕ちゃんと修行してスーパーサイヤ人になるから!」

 と言っていた。

 地球人はサイヤ人ではないので、無理である。

 クリリンMAXではなかろうか?

 その時の子供のようである。


 今日、私を誘ったのは、自分のこの姿を見てほしいからなのだ。

 朝から随分と引っ張ったものである。


 根負けして、細い階段を地下に降りバーに入ると、

 大きな熱帯魚が泳ぐ水槽に暗めの店内、

 ゆったりとした音楽が流れる、こじんまりとしたバーだ。


 カウンターに腰かけると、マスターが『つう』に

「いつものでいいね」

 と声をかける。

「そちらは初めてだよね、いらっしゃい」

 と微笑む。

「俺はいつもの、コイツは飲めないからジュースでもお願い」

 と、私はコイツ扱いである。

「どうしようかな」

 と何をだせばいいかと棚を見ているマスターに

「ノンアルコール、ジンジャーエールベースで、なにか作ってください、塩のスノースタイルで」

 と注文した。

「うん、モスコミュール風にするよ」


つう』のまえに琥珀色のウイスキー

 私には、カクテルが差し出される。


つう』の予定は狂っていたようだ。

 彼のシナリオでは、自分がイニシアチブを取って、

 私がシドロモドロする様子を愉しむ予定であったはずだ。

 彼は知らなかった。

 私が、かつてバーテンダーのアルバイトをしていたことを。


「マスター、ウイスキーって美味しいね、心が落ち着く、フランスが目に浮かぶよ」

 フランス?

 目に浮かぶ?

 以前、エッフェル塔の写真を見て、フランスって1回行ってみたいな~と言ったら

 彼は、

「行けばいいさ、行けるよ、いつか……ところでなんで急にフランス?」

「いや、ほら、エッフェル塔じゃん」

「えっ、この建物、そういうの?あっコレ、フランスのなんだ、へぇ~」

 と言っていた。

 そんな彼の脳裏には、どんなフランスが浮かんでいるのだろう。

 覗けるものなら覗いてみたいものだ。


 ウイスキーをチビチビと飲む『通』を見て解った。

 彼はウイスキーが嫌いであると。

 顔で解る。


「いい香りだね、バーボン?」

「えっ、恥ずかしいこと言うなよ、ウイスキーだぜ、ポイズン」

 …………。

 バーボンを知らないことは解った。

 ポイズンってなに?


「でたねポイズン」

「ついね」

 マスターは理解しているようだ。

「ちょっとトイレ」

 と彼は席を立った。

 マスターにポイズンってなに、と聞くと。

 彼の口癖だという。

 初めて聞いた言うと、ココに通い始めて1週間ほどになるそうで、

 来た時から、ポイズン・ポイズン言ってたそうだ。


 戻った『つう』にマスターが話しかける。

「カレが前に言ってた、連れて来たがってた友達かい?」

「あぁ、酒を語ることはできないんだけど、コイツとはココで話したかったんだ」

 どこまでも、コイツ呼ばわりである。

 軽く腹が立ってきた。

 さっきのポイズンも虫唾むしずが走る。

 なにに、かぶれたか知らないが、ここらでメンタル叩き潰そう。

 そう決めた。


「バーボン好きのか?」

「バーボン?ウイスキーは好きだ」

「ソレ、フォアローゼスだろ」

「えっ、このウイスキー、あの花のラベル銀のヤツ」

「バラな、だからフォアローゼス、プラチナだろ」

 マスターが私に話しかける。

「詳しいね、酒ホントに飲めないの?」

「えぇ、下戸です」

「なんで、詳しいの?」

「酒屋に努めてるもので」

「あ~それで、いや、さっきのカクテルも慣れてるなって思ったんだよ」

「えぇ」

 といって、カウンターでシェイカーを借りマルガリータを作ってみせた。

 大したもんだねとマスターは感心していた。

 私は『つう』にスッとグラスを差し出した。

「コレは奢るよ」

 と一声添えて。


つう』……急に……黙りだした。

 ポイズン打ち止めである。

 彼は知らなかった。

 私が酒屋に転職したことを。


 嫌いなウイスキーをやっと飲み終えた『つう』は、何やら酔っていた。

「カラオケ行こう、アイツも呼ぼう!!」

 カラオケで、音痴の彼が熱唱した曲。


「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ♪ !!」

 あ~。


 コレ以上、あそこで恥をまき散らすと憐れなので、

 バーボンとはアメリカのウイスキーだと簡単に言っておいた。

 語る前に、勉強しろバカ。

「ところで、フォアローゼスプラチナ、いくらでキープしたの?」

「3万だったかな?」

「キープの相場は知らないけど、ウチの店だと7,000円だよ」

 彼は何も答えなかった。

 私はバカにされたら、3倍返しするタイプだ。


 祗園精舎の鐘の声、

 諸行無常の響きあり。

 娑羅双樹の花の色、

 盛者必衰の理をあらは(わ)す。

 おごれる人も久しからず、

 唯春の夜の夢のごとし。

 たけき者も遂にはほろびぬ、

 偏に風の前の塵に同じ。


 道端でゲロする『つう』の背中をみて、頭に平家物語が過りました。


 掛け算、マスターできるといいね。

 せめて、息子より早く。


 次回 危険なミートボール

 彼には悪いことをしてしまった。

 私の反省。






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