八章 血鬼の章

 北欧。

 数々の「亜人種」が誕生したとされ、魔法学にも秀でた土地。

 しかし。 

 亜人種が北欧で誕生した、なんていうのは、純人たちの神話や伝承によるもの。本当は世界各地でポツポツ誕生しているのだ。魔法学だって、ここ百年ほど、ビッグベンのあるイングランドに先を越されている。

 未開の地、神秘の地。

 そうであったはずの北欧は、現代社会に飲み込まれた。

 伝説、歴史、ここは、それらを十二単のように着込んだ、お飾りの土地になってしまった。



 空港の面倒な手続きを終えて、ロビーに向かう。

 深夜ではあるけれど、ここは国際空港だ。人は多い。

 人混みに目をやると、探すまでもなく、目的の人物が見つかった。

「やっほー」素早く近寄り、数十年ぶりに再開する知己に声をかける。「なんかまた、難しい顔してるね、ハインツ」

「……開口一番、それかよ、イヴァ」

 しかめた顔を逸らす、旧友。

「あはは」

 久しぶりにその表情を見て、ボクは、つい笑ってしまった。



「ハインツ様と、イヴァンナ様ですね」

 ハインツと会ってすぐ、黒いスーツを着込んだ若い男のひとが声をかけてきた。

「……ああ」

「そうですー」

 ボク達が返事を返すと、男性はうやうやしく一礼した。

「ケヴィン・エルドンです。ようこそ、ダブリンへ」

 歯切れの良い挨拶。ぱりっとした動き。

 ケヴィン・エルドン。

―――そっか。

 本当に。

 このひとが、あの人狼部隊・・・・なんだ。

「イヴァンナ・ペトローヴナ・ロマノヴァです。イヴァでいいよ、ケヴィンさん」

「……ハインツ・フォクトだ」

 相変わらずしかめっ面を浮かべるハインツをよそに、ボクはケヴィンと名乗った人狼さんと握手をした。

「まずは、ホテルまでご案内します。車を停めてありますので、ついてきてください」




「―――ねえ。聞いてるの、ハインツ?」

 車に乗ってからというもの、なんだか一方的に話し続けている気がしてきたので、ハインツの名を呼んでみた。

「…………カレッジが、狙われてんだろ」

 窓から夜景を眺めていたハインツは、ため息を吐きながら返事をした。うん、話は聞いていたみたいだ。

「そう。あのトリニティカレッジがテロの対象になるなんて、ホント、世も末だよ。魔法学から手を引いてまだ百年そこいらなんだから、襲撃に成功すれば確かに話題性は高いかもしれない。けど、あそこにはあの図書館があるんだよ? 国宝とか、エジプトのパピルスまで保管されてる、世界一の図書館が。あそこが襲われるなんて―――む」

 気づくとハインツはまた、窓の外へ視線を戻していた。

 いつもこうだ。このオトコは、ボクの話をちっとも聞きやしない。

 そんな様子をケヴィンさんはミラー越しにでも見ていたのか、

「ハインツ様とイヴァさんは、ご友人だったのですね」

と、車を運転していながら言った。

「うんっ」ハインツはどうせ答えないので、ボクが代わりに返事を返した。「結構旧い仲でね、最初に会ったのは第二次大戦のときだから、百年くらい前かな。バルバロッサのときにボクがウッカリ捕虜にされて―――」

「友人ってわけじゃねえよ」まだ話の途中なのに、ハインツが割り込んできた。「イヴァはただの顔見知りだ」

「…………ふふ。そのわりには、ちゃんと『イヴァ』って呼んでくれるよね」

 ボクがそう言うと、ハインツは顔の皺をより深くした。

「…………」

 黙りこむハインツ。

「はは、は」

 ケヴィンさんは、引きつったような笑い声を上げた。

「…………なあ」ボクの視線に耐えかねたように、ハインツがケヴィンさんに声をかけた。「あんた。なんつったっけ、名前」

「はい、ケヴィンです。ケヴィン・エルドン」

 運転しながら律儀に返答する人狼さん。

「―――ハインツ、これで名前訊くの三回目だよ? そろそろ覚えなよ」

「……名前を覚えるのは、苦手なんだ」

 ボクのからかいの声に、ハインツは渋い声を上げた。




 ホテルに到着した。

 人狼部隊の拠点だというので、どんな最先端技術が使われているのかとワクワクしていたら、その実態は今にも崩れそうな安ホテルだった。ダブリンにこんなボロい建物が残っていたのかと、驚嘆の声をあげそうになってしまうほどの。

「どうぞ」

 ケヴィンさんが扉を開き、先を促した。彼に続くように、ハインツと並んでホテルの中へと足を進める。

 網膜認証とか、声紋認証とか、そういうのも無いらしい。ハインツが表情一つ変えない辺り、魔法による結界も無いのだろう。

「…………ケヴィンさん。さすがにここ、手薄過ぎない、かな?」

 ボクがそう言うと、ケヴィンさんは困ったような笑みを浮かべた。

「ええ、私もそう思います。ですがこれは、隊長の方針でして。施設に防備を頼るような部隊であれば、いっそ駆逐されてしまえ、と」

「わ、わあ……」

 ……なんとも豪気な隊長さんだ。自分の身は自分で守れ、ということなのだろうけれど、本来拠点というのは安心できる場所、くつろげる場所のはずだ。そこにすら頼らない、いや、頼らずに済むのが、人狼部隊の強さなのだろうか。

「ふん、それで本当に壊滅させられたら、笑い話にもならねえな」

 階段を登りながら、ハインツが吐き捨てるように呟くと、ケヴィンさんはさっきと同じ笑みを浮かべた。

「はい、ごもっともです。ですがご安心を。一応、これまでの歴史では拠点が陥落したことは無いようですから」

「―――――」

 なんでもないことのように語ったケヴィンさんの後ろで、ハインツはぎょっとしたまま黙りこんだ。

 それもそうだろう。人狼部隊の歴史というと、西暦よりも遥か昔まで遡る。数千年単位で活動してきたはずの部隊だ。それなのに、一度も拠点を陥落されたことがない、とは。

「はー……」

 知らず、声が漏れていた。

「いえ、あくまでそういう記録が無いだけです。本当は一度や二度くらい、陥落したことはあるかもしれませんよ。……少なくとも、この数世紀でそういったことはありませんでしたが」

「…………」

「…………」

 ボクとハインツはそれ以上口を開くことができず、しずしずとケヴィンさんの後に続いた。




「うっす」

 ケヴィンさんが扉を開くと、ひどく気の抜けた声がボク達を出迎えた。

 おかしい。

 人狼部隊の隊長さんの部屋だと、ケヴィンさんは言っていたのだけれど。

「隊長、イヴァンナ様とケヴィン様をお連れ致しました」

「おう、ごくろーさん」

―――ああ。

 このひとが。

 ごろっとソファに寝転んで、

 古い雑誌を胸に置いて、

 クタクタのスーツを着たこのひとが。

 この、疲れたサラリーマンみたいなひとが、人狼部隊の隊長なんだ。

「あー、そのへんに座ってくれ。別に大した話は無えけどよ、ふたりとも、長旅だったろ。お前らに動いてもらうのは、現地警察の許可が下りてからだからなあ。酒でも飲むか? ……ん、そうか。なんだ、真面目だなあ、お前ら。俺は仕事前だろうがなんだろうが、飲むときゃ飲むぞ。ああ、だから今もほら、こうやってとっておきのウイスキーを……」

「隊長。先に仕事の話を済ませてください」

「む」

 ボロボロのソファにどっかり座り込んで、薄汚れたボトルを手にした隊長さんに、ケヴィンさんがため息混じりに進言した。どうも、いつもこんな調子らしい。

「お前も相変わらずクソ真面目だなあ、ケヴィン。ま、いいや。えーと、お前は、どの分隊だったか……」

 隊長さんもため息を吐いて、ぐちゃぐちゃの机から何かのリストらしい紙切れを取り出した。

「ああ、第五か。よし、じゃあ所属を発表する。人狼、ケヴィン・エルドン。エルフ、ハインツ・フォクト。ドラクル、イヴァンナ・ペトローヴナ・ロマノヴァ。以上三名を、陣魔法解体部隊第五分隊に配属する。以上。―――もう飲んでいいよな?」

「ダメです。挨拶くらい、なさってください」

「へいへい。あー、よろしく、イヴァンナくん」

 隊長はそう言って、ハインツに握手を求めた。

「―――――あの。オレ、ハインツですけど」

「は?」

 呆れた顔のハインツと、間抜けた顔の隊長さんが、お互いの顔をまじまじと見つめた。

「……いや。いや、いやいやいや。耳長エルフがハインツで、吸血鬼ドラクルがイヴァンナだろ?」

「そうっスよ。ホラ、これ、耳」

 そう言って、ハインツはロングヘアーで隠していた耳を露わにした。

「…………あー、うん、こりゃ、立派なエルフ耳だな。

 え……、じゃあ、こっちの、この、ショートボブで、ゆるふわで、ちびっこくて明るくて可愛らしいお嬢ちゃんが、吸血鬼?」

「そうです。そっちのオンナが、ドラキュリーナ・・・・・・・です」

 二人の顔が、ボクを向いた。

「―――えへへ。よろしくおねがいします」

 なんとなくそれが嬉しくて、ボクは隊長さんにぺこりとお辞儀した。



「へーえ、最近の吸血鬼は随分と可愛らしくなったもんだなあ。ほれ、ええと、イヴァンナちゃんか。一杯飲めや」

「じゃ、じゃあ、赤ワインなら……あ、はい、ありがとうございます」

「いや、コイツがイレギュラーなだけっスよ、隊長。……イヴァ、お前はとりあえず、その服装をどうにかしろ」

「え、かわいくないかな? ダメ?」

「いや、だから、もっとドラクルらしくだな……、ああ、いや、もう、いい……」

「……ふうん。なんだ、仲良いな、お前ら」

「いやあ、それほどでもないですよー」

「…………腐れ縁なだけっスよ」



 人狼部隊長の部屋で、のんびりくつろぐエルフとドラクル。

「……隊長。そろそろ、仕事の、話を」

 そこに割って入るように、厳かなケヴィンさんの声が響いた。

「あ? さっき配属決めたろ」

「それだけではなく、仕事内容も説明してください。何のための顔合わせですか」

「その辺の情報は、先に本部ICPOから行ってると思うけどなあ」

「…………隊長?」

「うげ。怖えよ、ケヴィン。最近ただでさえ、お前みたいなクソ真面目が増えたってのに……」

「ああ、そう言えば『彼女』はどちらに?」

「あいつなら隣の部屋で寝てる。いちいち面会しても意味無えっつってな。

 ……えーと、仕事は単純だ。トリニティ・カレッジあたりの地下水道に、爆破系のでっけえ陣魔法が六つ、敷かれてるって情報があってな。お前らにはそれを解体してもらう。で、知っての通り、相手はあの・・ヒルダだ。魔力隠し、カウンター、トラップ、なんでもござれって感じだろうぜ。

 とりあえず地上からじゃおおまかな位置すら掴めねえんで、各分隊にひとりずつエルフを配備して、全六分隊総出で探索してもらう。陣を発見したら、この無線機で報告してくれ。念話は混雑するし、ジャミングの可能性もある。ちなみに敵の戦力は不明だ。が、まあ、せいぜいトロールがいるかどうかくらいだろうさ。

 ……情報はこんなもんだ。全部インターポールに報告したんだがなあ。まあ、よろしく頼む」

「はいっ」

「了解っス」

「……よし、良い返事だ。これでいいよな、ケヴィン?」

 隊長さんが気だるげにケヴィンさんの方を振り向くと、当のケヴィンさんは首を横に振った。

「…………なんだよ。まだ、なんかあるか?」

「ええ。隊長の自己紹介が、まだです」

「なっ……」

 自己、紹介?

 そんな、小学校の入学式みたいな言い方をしなくとも。

 今回のお仕事は国際刑事警察機構からの依頼であるので、他にもっと、なにか別の表現があるんじゃないかなあ。

「…………。……あー、えー、ジョゼフ・ハインドマンだ。

 ……………すきなものは、レアステーキ」

 言って、ウイスキーをあおる隊長さん。

「…………」

「…………」

「結構です、隊長」

 真面目に頷くケヴィンさん。

 ボクとハインツは、笑いを堪えるのに精一杯だった。


「あはははははははは」

 堪えていたはずの笑い声が、狭い部屋にこだました。

 ボクの声でも、ハインツの声でもない。女性の笑い声だ。

「む」

 顔をしかめる、ジョゼフ隊長。

「―――そりゃアンタ人狼なんだから、生肉好きでしょ。言わなくったってわかるわよ」

 そんな言葉がまた聞こえたかと思うと、ハインツの眼前で金髪の妖精が実体化した。

「はじめまして」ぺこりとお辞儀をし、ハインツへ話しかける妖精さん。「ジョゼフのお目付け役、インターポールから来たイェシカよ」

「はあ」

 ノリノリで挨拶する妖精さんと、不審げで気乗りしない様子のハインツ。そんなふたりを眺める隊長さんが、不機嫌そうな声を上げた。

「おい、イェシカ。お前、寝るって言ってたじゃねえか」

「優秀なエルフが来た気がしたから起きちゃった。ええと、貴方、お名前は?」

「…………ハインツ、フォクト」

「ハインツさんね。ちょっと頼みたいことがあるから、こっちの部屋に来て頂戴」

 言うが早いか、イェシカさんはしゅるりと部屋を出て行った。

「…………」

 ハインツは黙ったまま、隊長さんに「どうすれば」と視線で問うている。

「……はあ。アイツの気まぐれは、今に始まったことじゃねえしなあ。ハインツ、行ってくれるか」

「……分かりました」

 そう言って、部屋を出て行くハインツ。

 ふたりとも、やれやれ、なんて言葉が付きそうな喋り方だった。



―― ―― ――



 そして、数時間後。

 吸血鬼であるボクが、良い感じに調子の出てくる深夜帯。そんな時間に、ボク達第五分隊は下水道に潜入していた。

 ケヴィンさんは耐銀装備を頭から爪先まで着込んでいる。第二次大戦の頃の人狼の装備というと、まるで中世ヨーロッパの騎士のようにゴテゴテしていたものだけれど、今代のものは黒くてスマートでカッコイイ。いかにも特殊部隊って感じがする。

 ボクは普段着だけれど、万が一のために背中のリュックサックの中に対紫外線装備を詰め込んである。別に要らないんだけど、隊長さんがどうしても、というので背負ってきたのだ。

 ハインツもほぼ普段着だ。懐中電灯の他に怪しげなアタッシュケースを持っているけれど、それ以外はいつもどおりみたい。

 かつかつと靴音を響かせながら、暗い道を征く。ハインツに照明魔法を使ってもらいたいけれど、対魔力トラップなんかが仕掛けられているかもしれないので、前時代的な懐中電灯のみを頼りに探索を進めていた。

 とはいえ、ボクは吸血鬼だから暗いほうが良く見えるし、人狼であるケヴィンさんも目が良いらしく、問題ないらしい。ハインツは、まあ、ボク達でカバーするしかないかな。

「面白い隊長さんだね」

 黙々と進むのも嫌なので、それとなくケヴィンさんに話しかけてみた。

「そうですね」そう言うケヴィンさんの表情は暗い。「私としては、もう少し威厳が欲しいのですが……。久しぶりに会ってみても、相変わらずです」

「あれ、そうなんだ。最後に会ったのはいつごろなの?」

「ええと、『赤いLe Brigate 旅団Rosse』の事件以来ですから…………七、八十年ほど前でしょうか」

「ふーん」

「お、おい、ふーんじゃねえだろ」いきなりハインツが割り込んできた。「なんだ八十年って。アンタら、同じ部隊なんだろ。なんでそんなに会ってねえんだよ」

「え、世紀ごとに会合が開かれてますから、それなりの頻度では会っていますよ」

「うん、まあ、そんなもんだよね。……そういやボクも、三百年くらい会ってない友だちがいるっけ」

 ボクとケヴィンさんがそう言うと、なぜかハインツは頭を抱えた。

「……………。人狼と吸血鬼お ま え らの基準、ちょっとオカシイって自覚くらいは、持っとけよ……」

「純人の基準がおかしいんだよ。百年しか生きられないなんて、ヘンだよ」

「そうですね」

「……………もう、いい……」



「……ハインツさん。どう・・ですか、この地下道は」

 二十分ほど歩いたところで、ケヴィンさんがハインツに声をかけた。ハインツに訊くということは、この地下道にどんな魔法が使われているか、ということなんだろう。

「…………まあ、流石は、妖精の師ってところだな。もう二十は超える数のトラップがあった。今のところ無詠唱で解除できるようなヌルいのばっかりだが、本命に近づけばそうは行かなくなるだろうぜ。……あと、そう、これだ」

 ハインツはそう言って、レンガの壁に懐中電灯を向けた。

「これ、とは?」

 ケヴィンさんが首をひねる。特に、変わったところはない。

「そう見えるだろうけどな。ここに魔力を流すと、こうだ」

 ハインツが壁に手を当てると、音もなく、一筋の線が縦に走った。

「…………なに、これ。割れ目?」

 ボクがそう言うと、ハインツは首を振った。

「違う。継ぎ目・・・だ。ヒルダは、この地下水道全域を陣魔法で回廊操作してるんだ。しかも、水の流れはきちんと元のままにしてな。経路をめちゃくちゃにいじくり回してるくせに、始点、終点はキッチリ合わせてある。この辺の住民から、水が出てこない、流れない、なんて文句が出ないようにな。……これはもう天才というか、怪物の類だろう」

「……では、地図等は役に立たないということですか?」

「ああ、あるだけ無駄だ。探査魔法もまともに働かねえ。徒歩かちで探し回るしかないだろうぜ」

「むう。原始的だねえ」

 ボクがため息混じりにそう呟くと、

「しゃあねえだろ」

「仕方ありませんね」

と、ふたりが呟いた。

 それきり、しばらく会話が途絶えた。



 かつ、かつ、かつ。

 かつ、かつ、かつ。ぼそり。

 三人分の足音と、ハインツの呟くような破魔の詠唱だけが、ただ響く。

 ボクの性格のせいなのだけれど、無言、というのはとても居心地が悪い。何か話していないと落ち着かないのだ。

「……ねえ、ケヴィンさん」小声でまた、ケヴィンさんに話しかけた。「ジョゼフさんは、どうして部隊ごとに個別面談をしたの? みんな一気にやったほうが、楽だったんじゃないかと思うんだけど」

「ああ、あれも隊長の方針ですよ」ケヴィンさんはボクを咎めることなく、話に応じてくれた。「一時的にも部下と上司の関係になるのなら、互いの顔と名前くらい、きちんと覚えておくべきだ、と」

「ふうん。……悪い言い方になっちゃうけど、なんか、古いやり方だね」

 ボクがそう言うとケヴィンさんは、そうですね、と苦笑した。

 が、ハインツは違った。

「…………オレは、好きだけどな」

 懐中電灯を手で弄びながら、ぶっきらぼうなふうを装って、ハインツが呟く。

「ああ、うん。ハインツは、そうだろうね」

「そうなのですか?」

 ケヴィンさんはきょとんとした顔をしている。

「うん、ハインツはね、自分の若かった頃のものが大好きだから。どうしても趣味が古臭くなっちゃうんだ」

「……おい」

「えーと、好きな映画はショーン・コネリーの007、好きな本は『長いお別れ』、好きな女の子のタイプはオードリー・ヘプバーン」

「…………おい。なんで、お前、そこまで、知ってるんだ……」

 ハインツが、今まで聞いたこと無いくらいに情けない声で呻いた。

「へへん。これでもボク、吸血鬼だもの」

 そんなボクらを見て、ケヴィンさんは笑っていた。

「おふたりはほんとうに、仲がよろしいのですね」




「……………………ん」

 地下道に入って一時間が立った頃。唐突に、ハインツがうずくまった。

「ハインツ、大丈夫?」

 罠にでも引っかかったのかと思い声をかけると、

「……ビンゴだ」

と、彼は嬉しそうに言った。

 その言葉を聞いて、辺りを見渡してみる。

「…………別に、なにもないけど」

 周囲は普通の下水道だ。中央を水が通り、その両脇に道がある。天井も床も壁も、今まで通ってきた場所と何ら変わりないように見える。

 ぱんぱんと、柏手を打つような音がした。見ると、ハインツが何やら作業を終えたようだ。

「……よし。今からここを、軽く爆破する」

「へ?」

「軽くだ。だがまあ、向こう側に行っといたほうがいいだろうな」

 ハインツはそう言って、水路を挟んで向かい側の通路を指差した。

「うーん、なんかよくわかんないけど……ケヴィンさん、いい?」

「ええ、お二人に従いましょう」

 幅五メートルはあろうかという水路を見る。ボクとケヴィンさんはともかく、ハインツは飛び越せないだろう。

「よし、ハインツはボクが背負うね」

「ええ、信頼しあっている仲のほうが良いでしょう。お願いします」

「…………はあ」


 嫌がるハインツを背負ったところで、ケヴィンさんが心配そうに声をかけてきた。

「―――吸血鬼は流水の上を渡れない、と聞きましたが。イヴァさんは大丈夫なのですか?」

「あー、うん、ボクは大丈夫だよ。ちょっと気持ち悪くなるけど、一瞬だし」

「…………ケヴィン。コイツ、こんな格好だけどな、能力スペックだけは一丁前だぜ」

 ボクの背中でふてくされるハインツが、ぼそりと言った。

「そうなのですか?」

「陽にあたっても日焼けで済ませやがるからな。これで中身がマトモなら、稀代の吸血鬼だったろうに」

「えへへ。ねえハインツ、褒めてる?」

「…………」

「い、行きましょうか。……ほっ」

 一足先に、ケヴィンさんが跳んだ。

 瓦礫を巻き上げ、弾丸のように、一直線に。

「わあ。ボクもあれくらいやろうか?」

「やめろ。お前が無事でもオレが死ぬ」



「よっ」

 ふわりと岸に着地し、ハインツを降ろす。

「よし、じゃあ、さっさとやるぞ」

 さっきと同じようにうずくまるハインツ。

「何してるの? さっきも、血の臭い・・・・がしてたけど」

「あ? 血ってのは最高の触媒だろうが。遠隔魔法をキッチリやりたいんなら、それくらいしねえとな」

「なるほど。流石は魔法種だね」

「―――基礎知識だ、馬鹿」

 ハインツがボクを罵倒した瞬間に、向こう岸で爆発が起きた。

「え?」

「おや?」

 妙な爆発だった。ボクもケヴィンさんも首を傾げている。

 音がしないし、瓦礫も飛ばない。その衝撃だけが静かに伝わってきた。

「…………当たり前だ。今爆破したのは、モノじゃなくて結界だからな。戻るぞ、イヴァ、ケヴィン」



「―――これは、なんと……」

 ハインツが爆破した場所に近寄ると、ケヴィンさんが驚嘆の声を上げた。

 それもそのはず。何もなかったはずの地面は、地下深くへと続く大理石の階段へと姿を変えていた。

 懐中電灯の光を弾き返す、白く美しい階段。下水道にはあまり似つかわしくないように見える。

「私では、何も感じられませんでした。流石です、ハインツ様」

「……一応、エルフだからな」

 頬を掻きながら、ケヴィンさんに返事を返すハインツ。褒められて、まんざらでも無いらしい。

「この先に陣があるってことで、いいのかな?」

「ああ、そうだろうな」

「では、やることは決まっていますね」

 三人で顔を合わせ、頷く。

 先頭はボク、殿しんがりはケヴィンさん。

 ハインツを二人で挟む形で、今まで以上に慎重に、白い階段を下っていった。




 階段が終わると、そこは壁だった。

「ハインツ、これも結界?」

 階段と同じ大理石のように見える壁を眺めながら、ハインツに訊ねた。

「ああ。奥から魔力も流れてきてるし、ここでまず間違いないだろう。……結界はお前の腕力だけで壊せると思うが、その前に偵察だな。この程度のセキュリティなら、透視が使える」

 言うが早いか、ハインツはポケットからペンのような物を取り出し、壁に陣を描いていった。

 赤い複雑な模様が、真白な壁に塗られていく。


「―――よし」描き終えたハインツが、ケヴィンさんに声をかけた。「ここに手を付けて魔力を注げば、一時的に視界がこの壁の向こうに転移する。アンタが見て、隊長に報告しろ」

「分かりました」

 躊躇なく、陣に両手を翳すケヴィンさん。いかにも怪しい魔法なのに一切の躊躇もないあたり、ハインツを信頼しているのだろう。

「―――――なるほど。……ハインツ様、申し訳ありませんが、無線機を持っていただけますか。何分、視界が悪いもので」

「そうだろうな」

 ハインツはうなずいて、ケヴィンさんの荷物から無線機を取り出し、彼の口元に寄せた。




「―――こちら第五分隊、敵ゴブリンを発見。奥に魔法反応も確認しました。数は十。交戦許可をお願いします」

 中継器を通して、地上の拠点へと無線が飛んだ。

「敵の装備は?」

 ノイズ混じりに、隊長さんの声が聞こえた。

「特に何も。防弾チョッキなんかもなさそうです。――あ、いや、腰にナタみたいなナイフをぶら下げてますね。それから、一番奥にいる奴はハンドガンを持ってます。トカレフのようです」

「――――」

 隊長の返事がない。なにか、逡巡しているようだ。

 それもそうだろう。

 この壁の向こうに居るのは、テロの中核である魔法陣の警護隊のはずだ。なのに、居るのはゴブリンのみの貧弱な部隊、武装は拳銃一丁だけ。

 あからさますぎる。

 だ。

「―――銃は使うな。その程度、お前達なら素手で十分だろう」

「了解」

 



「じゃあ、ボクが行くよ」

 通信が終わったのを見計らってボクがそう言うと、ケヴィンさんは壁から手を離しながら「いいのですか」と、心配そうな顔をした。

「うん。ボクも、ちょっとはかっこいいところ見せたいもん。いいよね、ハインツ?」

 ボクの言葉に、ハインツはあからさまなため息を吐いた。

「……オレに出来るのは、サポートだけだ。戦闘はお前らで勝手にやってろ」

「はーい。だってさ、ケヴィンさん」

 ボクとハインツの言葉を聞いたケヴィンさんは、しょうがない、と首を振った。

「…………確かに、イヴァさんの能力を見ておきたくもあります。では、お願いします」

「よっし、決まりだねっ。行ってきまーす」

 ボクは高らかに宣言し、大理石の結界を蹴り飛ばした。

 その刹那。

「…………狙うなら足元よ・・・・・・・

 そんな声が、聞こえた。



 さっきの爆発と同じだ。

 手応えはあった。

 けれど、飛び散る瓦礫、木霊する轟音など、そんなものはなかった。かなり硬かったけれど、この妙ちくりんな感触は確かに結界だ。

「……む」

 部屋を見る。天井こそ低いが、広い部屋だ。バスケットボールコートひとつ分ほどの広さがある。そして床も壁も天井も、さっき蹴飛ばした結界と同じような真っ白い大理石で出来ている。あれも全部、結界なのだろうか。

 後ろの二人が後退するのを確認して、一歩、部屋へ踏み込む。


 その瞬間、全てが変わった。


 まず、背後。さっき蹴飛ばした結界が、どういうわけか張り直されている。これはまあ、後ろで待機しているふたりに被害が及ばなくなったので、良しとしよう。いつでも壊せるし。

 次にゴブリン。部屋で各々くつろいでいた彼らは、一瞬で血煙となって消え失せた。肉片ひとつ残さず、奇麗な赤い霧に。

 霧は消えず、真白の部屋を、ただ漂っている。

 吸血鬼ボクならわかる。

 彼らはたった今、存在そのものを、純粋な魔力エネルギーにされたのだ。

 その使い道は、さっき張り直された結界や、充満し始めた劇毒の霧、今まさに飛来してきて・・・・・・・・・・いる数千発の銀弾・・・・・・・・などだろう。四方八方から飛び交う魔弾それは、ライフル弾をゆうに超える速度で迫ってくる。

 人狼ほどではないけれど、吸血鬼にとってもというのは毒になる。充満している毒は純人やエルフ用のもの、この銀弾はそれ以外の怪物たちフリークスに対するトラップだろう。

 十発や二十発の銀弾なんて恐れるに足りないけれども、当たらないに越したことはないので、今のところは全て避けきっている。だけど、これじゃキリがない。なにせゴブリン十人分の魔力だし。ヒルダぐらいの魔法使いなら、一晩中撃ち続けられるくらいの魔力効率を出せるだろう。ボクだってそれくらいは粘れるけれど、あいにくそんな時間はない。明日には、あのバカでかい陣魔法が六つも起動するのだから。

 一番手っ取り早いのは、部屋をまるごとめちゃくちゃに破壊してしまうことだ。けれど、それをすると、ハインツが怒ってしまうだろう。部屋いっぱいに描かれたあの爆破の陣は貴重なサンプルになる。出来る限り壊さず、陣の解体はハインツエルフに任せたほうがいい。

「うーん……」

 ぴょんぴょんと部屋じゅうを跳び回りながら、鈍い頭を回転させる。ハインツと念話を試みたけど、さっきの結界が妨害ジャミングしているらしく、繋がらない。

 もう一度、部屋をゆっくり見渡してみる。

 魔法陣に関しては、詳しくないので置いておく。延々と飛来する銀弾は、床、壁、天井の大理石もどきが変質したものらしい。ボクに当たらなかった銀弾は大理石に戻り、また銀弾となって発射される。魔力の続く限り、半永久的にこのサイクルは続くだろう。これが無作為に発射されていると避けにくいのだけど、どうもこの魔弾は部屋にある生体反応……今はボクのこと……を狙っているらしいので、かえって避けやすい。

 こういうときは、やっぱり魔力エネルギーの元か、連結ラインを断つのが定石だ。魔法の苦手なボクには、そんな器用な真似はできないのだけれど。

「あ」

 そう言えば、さっき誰かがなにか言ってたっけ。

 足元、がどうとか。

「――――――」

 ゴブリン達が居た場所を思い出す。部屋が広いので分からなかったが、彼らはちょうど円形に並んでいたのではなかったか。

 そう、魔法陣の外周をなぞるように。

 記憶と現実を合成し、再生する。

 彼らの足元。

 そこにはそれぞれ、小さな円形の陣が描かれていた。




「正解だ」

 入り口の結界が自壊すると、なまいきなエルフは開口一番、そう言った。

「むう。普通に褒めてよう」

「馬鹿か。二十分も待たせやがって、何言ってんだ」

 ざくざくと土を踏みながら、ハインツは魔法陣を調べに行った。

 ゴブリン達の足元にあったのは、彼らを魔力へと変換し、罠の陣へと注ぐ「供給陣」だったらしい。ボクがすべての供給陣を破壊すると、大理石もどきの壁や床は、本来の土へと姿を戻した。放っておけば、一時間もしないうちに崩落するだろう。

「…………はい。ええ、お願いします。私達も引き続き、探索に戻ります。……では」

 ケヴィンさんは部屋の入口で、隊長さんへの報告をしていた。ちょうど今終わったらしい。

「ごめんねー、ケヴィンさん。ボクがでしゃばったせいで、待たせちゃったね」

 部屋の真ん中から、入り口のケヴィンさんに声をかけた。

「―――いえ。イヴァンナ様に任せたほうが、良かったのです。私の手に負えるトラップではありませんでした」

 彼は、どこか暗い表情で話した。

「そーかなあ?」

「そうですよ。あの魔弾の速力では、耐銀装備など紙切れと同義でしょう。回避するにしても、私の体力では十分が限度かと」

 やっぱり、ケヴィンさんの顔は暗い。

 細い眉は険しく寄せられ、唇は真一文字に結ばれている。

 手には、音の切れた無線機を握ったまま。

―――むう。

 こういう顔は、すきじゃないな。


 さくり、さくり。

 土を踏み、ケヴィンさんの元へと歩み寄る。

「…………ケヴィンさんなら、五分もあれば罠を解除できたよ」

 ボクは、出来る限りの笑顔で語りかけた。

「きっとボクは、ヒントがなけりゃ、いつまででも跳んだり跳ねたりしてたとおもうもの。ケヴィンさんはボクなんかよりよっぽど頭が良いんだから、そんなオマヌケはしないはずだよ」

 たじろぐケヴィンさんを他所に、ボクは頑なに笑いかける。

「ね、そうでしょ?」

「…………そう、ですかね」

 彼は諦めたように、ひそめていた眉をゆるめた。

「――――――ああ、そうだな」

「お?」

 背後から声がした。

 振り向くと、魔法陣を調査していたはずのハインツがすぐ後ろに立っていた。ハインツが自分から会話に割り込んで来るとは、また珍しい。

「言っただろ、ケヴィン。この馬鹿は頭はカラだが能力だけは一丁前だ。並の吸血鬼も刃が立たねえし、先祖のはずの人狼ですら、ちょっとやそっとじゃ負かせられねえだろう。ま、馬鹿だから、さっきみたいなヘンなトラップに引っかかるんだが」

「えへへー」

「イ、イヴァンナ様、褒められていません……」

「それにな。オレ達亜人種にはそれぞれ得手不得手ってのがあるだろう。お前の得意分野は、戦闘じゃなさそうだが?」

 ハインツが、なにか探るような視線をケヴィンさんに送った。

「―――確かに、そう、ですね。…………ええ、そのときが来れば、私も本領を発揮しましょう」

「ああ、楽しみにしとくさ」

 そう言って、彼らは互いに笑みを交わした。

「…………むう」

 おとこのひとは、いつもこうやって、勝手に仲良くなってしまう。

「おんなのこは、大変なんだよ?」

 ふたりに聞こえないよう、ボクはぽつりと呟いた。



「ねー、ハインツー、まだー?」

 かれこれ三十分。未だにハインツは、巨大な魔法陣の上をうろうろしている。

「黙ってろ。オレだって、これだけ複雑な陣は初めて見るんだ」

 確かに、そう言うハインツの顔は真剣そのものだ。陣をなぞってみたり、ぱしゃぱしゃと写真を撮ったり、なにやら怪しげな魔力を流したりしている。

「せっかく見つかったのですから、じっくり調査すべきですよ、イヴァンナ様。ほかの五隊も懸命に探索してくれているのですし、あの陣から何か手がかりが見つかるかもしれません。我々はじっくり、腰を据えるとしましょう」

「……うーん。まあ、そうだねえ」

 ふたりの意見はきちんと筋が通っていて、反論の余地がない。こうなるとボクは黙って待っているしか無いのだけれど、じっとしているのは苦手なのだ。なので、さっきから部屋じゅうをうろちょろしている。勿論、ハインツの邪魔にならない程度に。

「……あの、イヴァンナ様。先ほどあれだけ動かれたのですから、お座りになって休まれたほうが……」

「え、だって、地面に座ったら汚れちゃうじゃん。このデニム、お気に入りなんだよ」

 ぱんぱんと、青いデニム生地のホットパンツを叩く。ブランド物でちょっと高かったのだけれど、デザインがたいへん気に入っているのだ。

「そ、そうですか……」

 ケヴィンさんの視線が泳いだ。はて、なんでだろう。

「このオフショルダーのシャツも、結構お気に入りなんだあ」

「え、ええ、その、大変、お似合い、です……」



 それから、更に十分後。

「……………………あん?」

 ハインツの、怪訝な声が響いた。

「どうかしたの、ハインツ?」

「…………ここか。ここ、なんかあるぞ」

 ハインツが手で触れているのは、部屋の一番奥の壁だった。

 他の土の壁と同じで、特段変わったところはない。

「ケヴィン。掘ってくれるか」

「ええ、お任せください」

 ケヴィンさんは颯爽とハインツのもとに駆け寄り、ものすごい勢いで壁を掘り始めた。

 ざっくざっく。ざっくざっく。

 湿った土が、彼の足元に積もっていく。

「―――おや?」

 唐突に、ケヴィンさんの手が止まった。ハインツと一緒に、しげしげと掘った穴を覗き込んでいる。

「え、なにかあるの?」

―――気になる。すごく。

「なにー? なんなのー? ねーってばー」

「…………」

「…………」

 聞いてもふたりは答えてくれない。ので、仕方なく自分から近寄ることにした。

 ふたりの後ろからひょいっと頭を出し、ケヴィンさんの掘った穴を覗く。

 そこには、真っ白な大理石の壁があった。

「ハインツ様。これも、壊しますか?」

「頼む。だが、中に何があるか分からん。慎重にな」

「はい」

 がりがりと、爪と壁とが音を立てる。

 程なくして、その中身・・が姿を現した。



「…………名前は?」

「……マック、だ」

 力のない返事。

 壁の向こうで座り込んでいたのは、ひどく痩せ細ったゴブリンだった。

 四方を大理石の結界に囲まれ、足元には、さっき壊した供給陣が描かれている。

「…………そうか。あの魔弾の嵐は、お前が操っていたんだな?」

 ハインツの言葉に、マックと名乗ったゴブリンはこくりと頷いた。

「さしずめ、生体デバイスってとこか……」

 立ち上がる素振りもなく、ゴブリンは再び口を開く。

「―――――ああ。私達の行いは、確かに非道だろう。悪逆そのものなのだろう。けれど、それでも。我らゴブリンは、それでも―――」

 息も絶え絶えに語るゴブリン。

 けれど、そこまで話したところで、彼は気を失ってしまった。

 力を失った体が、ばたりと音を立てて倒れる。

「…………」

 さて。

 どうしようか。



―― ―― ――



「では」

 ゴブリンを背負った人狼が、夜の闇へ溶けていく。

 ゴブリンを連れて歩きまわるわけにもいかないので、地上で待機している人狼部隊さんに引き取ってもらうことにしたのだ。

 隊長さん曰く、人狼部隊は既にゴブリンをひとり、捕らえていたらしい。ただ、そのゴブリンは知能が低く、情報もほとんど持っていない。なので、きちんとした知能を持つあのマックとかいうゴブリンは、それなりに重要な情報源になるかもしれないらしい。

 かもしれない、というのは、ボク達が順路を逆戻りして地上へ戻る間、彼が意識を取り戻さなかったからだ。容体を診たハインツは、生命力を吸われすぎただけだからしっかり休めば意識も戻る、と言っていた。もっとも、それにどれくらいの日数がかかるかはわからないようだけれど。

「…………さあ、仕切り直しです。二つ目の陣を探しましょう」

 きりっと背筋を伸ばし、ケヴィンさんが地下道へと戻っていく。

 あてのない、陣探し。

 六つの分隊が探索を開始して五時間以上は経っているはずだけれど、魔法陣解体の報告は、まだボク達第五分隊の一件のみ。

 もうすぐ日が昇る。いつ、陣が起動しても、おかしくない。

「…………急がなきゃね」

「……ああ」



 最初に降りたときとは逆方向に歩を進めていく。

 情報が正しければ、魔法陣は全部で六つ。魔法の規模から、極端に集中して配置されているとは考えにくいので、ある程度広い範囲を捜索する必要がある。

 陣の守りが手薄だったから、本来の目的は爆破テロではないのだろうけれど。それでも、あの爆破の陣が強力なものであることに変わりはない。ハインツの見立てでは、あの陣ひとつでアパート二棟は瓦礫の山に変えられるそうだ。

 そんなものを、放っておく訳にはいかない。

 あてのない探索でも。先の見えない徒労でも。

 ボクらがやらなくちゃいけないんだ。



―― ―― ――



 足を止めず、ひたすらに地下水道を三人で進む。

 想像以上のトラップを目の当たりにし、ボクらは自然と、口数が減っていた。

 と。

「―――え?」

 ボクの声を聞いて、ケヴィンさんが振り向いた。

「どうかしましたか、イヴァンナ様」

「す、すとっぷ、ふたりとも、すとっぷ」

 地下道をずんずんと歩き続けるふたりの手を引き、その足を無理やり止めた。

「お、おい、なん―――」

 大声をあげようとするハインツの口を、急いで右手で塞ぐ。

「…………あっちから、誰か、来る」

「っ」

 ハインツの表情が強張る。同時に、彼の懐中電灯が消灯した。

 こんな時間、こんな場所に、普通の人間が歩いているとは考えられない。

 今まで出くわすことはなかったけれど、哨戒に出ているゴブリンなんかが居てもおかしくはないのだ。

 足音を立てないように壁際に移動し、三人で固まって身を隠す。

『……何人居るか、わかるか。距離は』

 ハインツから念話が届いた。

『うーん……そんなに多くない。三人居るかどうかかな。距離は遠いね。けど、こっちに近づいてる。……と思う、けど。ケヴィンさんは、どう思う?』

『い、いえ、私は何も聞こえませんでした。……すみません……』

 こつ、こつ、と、足音は次第に大きくなる。やはり数は、三人、ないし二人。しっかりした足取り、でも、それでいて、何かふらふらと彷徨うような。

『………あ、私も聞こえました。そうですね、二人くらいかと』

『そうか。…………仕方ない、とりあえず、身を隠すぞ』

 ハインツは念話でそう言うと、アタッシュケースから一枚の紙を取り出した。

『……それ、何の陣?』

『姿隠しと魔力隠しだ。壁と一体化する。魔力は、お前のを使うぞ。どうせ余ってるだろ』

『うん、好きにしていいよ』

 ハインツが壁に陣を貼り、ボクがその上に手を重ねる。

 ぐっと力を込めるように魔力を流すと、体の片側に薄い膜がまとわりつくような感覚がした。

『―――これで、いいのかな?』

『上出来だ。……魔力量だけは一丁前だな』

『えへへ』

 そうこうしている間に、足音はもう、間近まで迫ってきていた。




『―――あ、見え…………』

 暗闇から歩いてきたのは。

 ゴブリンではなく。

『…………ヒト?』

 純人か。エルフか。この距離では判別がつかないけれど、明らかにゴブリンの身長ではない。

『……照明魔法を使っていますね』

『ああ、しかも片っ端からトラップを解除してやがる。なんだ、アレ』

『なんだろうね?』

 こちらに気付いている様子はない、何かぶつぶつとぼやきながら、ふたり分の人影が近づいてくる。

『―――――ああ、なんだ』

 唐突に、ケヴィンさんが安堵の声を漏らした。

『おふたりとも、ご安心ください。彼らは第六分隊・・・・です』



「こんにちは、レベッカ」

「…………アンタ、いつからドッキリが趣味になったのよ」

 姿隠しの陣から出て、何事もなかったかのように挨拶するケヴィンさんと、それにたじろぐ大柄な女性。女性とともに歩いていた老齢のエルフは、突然出現したボク達を見て腰を抜かしてしまっている。

「知り合いか、ケヴィン」

 ハインツの投げやりな質問に、ケヴィンさんは女性から目をそらさず、

「ええ、彼女は人狼部隊の一員です」

と、簡潔に答えた。

「それで、レベッカ。どの分隊も三人一組のはずですが……貴女の分隊の吸血鬼ドラクルはどちらに?」

「知らないわ。そのへんほっつき歩いてるか、もう故郷くにに帰ってんじゃないの」

 なんでもないことのように言う、レベッカ。

「…………また・・ですか」ケヴィンさんがため息を吐いた。「隊長からあれほど注意されていたでしょう。今回の任務こそ、他種族と綿密な連携をとって―――」

「うるっさい。あんなクソ生意気なドラクルと仲良くしろですって? ふざけないで。アタシは誇り高い人狼よ。劣化種の吸血鬼なんかと手を取り合うなんて、そんな事ができるのは平和主義者のアンタくらいよ、腑抜けのエルドンッ」

 彼女のヒステリックな叫びが響く。

「この薄汚い老いぼれエルフを連れて歩いてやってるのよ。褒めてくれたっていいくらいだわ。いつもなら首を刎ねるか胸を抉るか、どちらかしかしないもの。ほら、まだ左腕しか・・取れていないでしょう? それに引き換え、貴方は何? キザなエルフに、かわいこぶってるドラキュリーナをはべらせて。ヴェアヴォルフとしての誇りはないの? それでも、人狼部隊の一員なの?」

「このクソアマ、黙って聞いてりゃ―――」

 食って掛かろうとするハインツ。

 その首根っこを、ケヴィンさんが力づくで引き倒した・・・・・

「な―――」

 どん、と響く鈍い音。背中から地面に叩きつけられたハインツは、苦悶の表情を浮かべている。

「う、ぐ…………」

 その場に居合わせた全員が、唐突なケヴィンさんの乱行に言葉を失った。

「…………レベッカ。互いに、隊長からの仕事が残っている筈です。それが終わってから、またお話しましょう」

「――――え、ええ、そう、ね……」

 たじろぎながら、わたわたと去っていくレベッカ。そして、その後を追う片腕の老エルフ。

 ケヴィンさんはしばらく、険しい表情のままだった。



「…………申し訳ありませんでした、ハインツ様」

 ハインツの背中に手を当て、治療魔法を使いながらケヴィンさんが語る。

「彼女は人狼部隊きっての戦闘員アタッカーです。その戦闘力は、イヴァンナ様と同格か、それ以上。荒事に関して彼女の右に出るものはおりません。そして、あの性格です。本気で衝突したら、隊長ですら無事では済まされないでしょう。あのままハインツ様が彼女に食いかかろうものなら、どうなっていたか、想像に難くありません。……ですので、少々強引な手段を取ってしまいました」

「いや……礼を言う、ケヴィン。オレも、頭に血が上っていた」

 地面に座るハインツの背中に、暖かな治癒の光が灯っている。

「―――――これは、隊長と私しか知らないことなのですが」

 うつむいたまま、ケヴィンさんは贖罪するように話し続けた。

「今回の作戦では、各分隊の戦力を、わざと偏らせてあります。第一分隊が最も能力の低い部隊であり、第六分隊が最も能力の高い分隊です。……ですが、その『能力』はインターポールから送られてきた数値データのみを参考にしており、『実力』とは多少異なっています。本来なら、各員の得意分野、分隊員同士の相性など、様々な条件を加味して決めなければならない分隊チーム分けですが、今回の作戦は何もかもが急なことでしたので、それも出来ませんでした。ですからせめて、各分隊の中で戦力のバランスが取れるよう、このような配分にしたのですが……」

「仕方ないよ、ケヴィンさん。みんながみんな、チームプレーできるわけじゃないもん」

 ボクはケヴィンさんの横にぺたんと座り、彼の丸まった背中を撫でた。

 硬くて大きな背中だ。

 曲げちゃ、いけない。

「そうだな。オレ達は、イヴァが特殊だったから上手く行ってるが、オレとケヴィンだけならたぶん、あのレベッカと似たような事になってたと思うぜ」

 これまた珍しく、ハインツが素直なことを言った。このエルフも、たまにはいいことを言う。

「―――ありがとうございます。ハインツ様、イヴァンナ様」

 そのおかげか。ケヴィンさんの顔が、少しだけ明るくなったような気がした。




 地下水道の探索は続く。

「…………もう、地上うえは朝か」

「そうだね、ボク、ちょっと眠くなってきちゃった」

「イヴァンナ様、朝になって眠くなるなんて、まるで吸血鬼のような…………あっ」

「あはは、ケヴィンさん、今のおもしろーい」

「……イヴァ。今の、素で間違えただけだと思うぞ」

 こうやって軽口を叩ける程度には、ボク達第五分隊の仲は良い。だけど、他の分隊はどうなっているのやら。

「おや、無線です」

 ケヴィンさんが無線機を取り出した。

『―――こちら第二分隊、陣を解体した。探索を続ける』

 簡潔な報告が流れる。

「あー、ケヴィン、今のでいくつめだ?」

「ええと……我々が二つ、第三分隊が一つですから……四つ目ですね」

「……あと、ふたつかあ。ふわあ」

 あくびをしながら、こつこつと歩く。ちなみに二つ目の陣はケヴィンさんが格好良く解体してくれた。

「ところでイヴァンナ様、ずっと気になっていたのですが……」

「え、なあに?」

「そのお背中の大きなリュック、何が入っているのですか?」

「ああ、これ? ええと……」

 鞄のジッパーを開けて、中身を取り出す。

「じゃーん、この耐紫外線装備ですっ」

「…………」

「…………」

 何故か、ケヴィンさんとハインツは黙りこんでしまった。

「………あれ?」

 ケヴィンさんは首を傾げ、ハインツは呆れ顔を浮かべている。

「…………イヴァンナ様?」

 やっとケヴィンさんが口を開いた。

「私には、サングラスと、日焼け止めクリームにしか見えないのですが」

「? そうだよ?」

 ボクがそう言うと、ふたりは揃ってため息を吐いた。

「で、あとは何が詰まってんだ。どう見ても十キロ以上は―――」

 唐突に、ハインツが言葉を切った。

「…………ハインツ?」

 ハインツの視線が宙を泳いでいる。

 どうやら、誰かと念話しているらしい。

 でも、誰と?

 どうやって?

 地上とは妨害魔法ジャミングで通じない。他の分隊に知り合いも居ない。

「―――悪い。ちょっと、移動するぞ」

 そう言って、ハインツは駆け出した。

 ボクらが最初に壊した、魔法陣の方向へ。




「ちょ、ちょっと、ハイン、ツ……」

 異様なスピードで駆け続けるハインツ。エルフのそれではない。明らかに、過出力の魔法を使っている。

「―――っ、―――――っ」

 その証拠に、ハインツの息は絶え絶えだ。それでも、彼は速度を緩めない。

 ケヴィンさんでも追いつくのがやっとの速力で、ただひたすらに駆けて行く。


「―――――」

 ちょうど、魔法陣のあった部屋へと続く階段の、その目の前にたどり着いたとき。

 ずざざざざ、と土煙を立てながら、走りだしたときと同様に唐突に足が止まった。

「はっ……はっ……はっ…………」

 耐え切れず、しゃがみこむハインツ。

「ねえ、どうしたの。何があったの、ハインツ」

 ボクの問いを無視して、ハインツは震える手でアタッシュケースを開ける。その中から一本の紙巻ロールを取り出し、ボクに押し付けた。

 そこに書かれてるのは、ボクが壊したあの「供給陣」とそっくりの魔法陣だった。

「――――そっか。うん。わかった」

 いや、なにもわかっていないけれど。

 でも、今ボクが何をすべきかはわかった。

 陣をハインツの背中に押し当て、力を込める。

「――――は、あ」

 ボクの魔力が、供給陣を通してハインツへと流れていく。

 ハインツはまだ、アタッシュケースをまさぐっている。

 息も、まだ荒い。

「―――私も」

 そう言って、ケヴィンさんがボクの手の上に、自分の手のひらを重ねた。

「ふっ……う……」

 ハインツの呼吸が整ってきた。

 そうして、彼がアタッシュケースから取り出したのは。

「…………髪の毛?」

 一束の金の髪が入った、試験管だった。



「―――Übertragung.  Die Ausbreitung.  Haar des Geldes.」

 聞こえるのは、遠く透き通る青い詠唱。

Einmischung.  Hemmung阻害.  Eine Demenzいた- Fee.」

 見えるのは、まばゆく輝く金の髪。

Heinzハインツ Fogtフォクトが verteidigtここ es hier唱える.」

 声は高らかに。

Magie魔よ. Law法よ.」

 光は清らかに。

Ich私が ermahne彼を ihn戒めよう.」

 輝きは収束し、天井を貫いた。




「―――――これで、いいはずだが」

 座り込むハインツ。

 ボクとケヴィンさん、ふたり分の魔力をたっぷりプレゼントしたはずだけれど、今の詠唱魔法で全部使ってしまったらしい。

 手には、輝きを失った金髪が握られている。

「で、なんだったの、今の」

「……頼まれごとだ。地上うえに戻ったら、話して、や、る……」

 それだけ言って、ハインツは静かに横たわった。

 整った寝息を立てながら。


「ど、どーしよ、ケヴィンさん」

「ど、どうしましょう……」

 眼前にはぐーぐーと寝息を立てるハインツ。

 周囲には余波の魔力が充満している。

 ボク達はさっきの大詠唱が気になって仕方がない。

 そしてまだ、陣魔法はふたつ残っている。

「…………」

「…………」

 ええっと。

 こういうの、ぱにっくって、言うんだっけ?



「む?」

 五分ほど経ったところで、妙な魔力の流れを感じた。

 はるか、遠く。

 まるで、爆発するような・・・・・・・――――?



「…………捜索部隊っ。報告しろ、どうなったっ」

 ケヴィンさんの無線機から、隊長さんのがなりたてるような声が響いた。

「―――こちら、第三分隊。同伴するエルフが、カレッジ地下の二つの魔法陣の起動を確認しました」

「そんな――――」

「は。…………結局、こうなったか」

 気が付くと、ハインツが目を覚ましていた。

 座って頭を掻きながら、ぼやくハインツ。

「ハインツ様。今の、第三分隊の報告は……」

「ああ、正しい。解体しそこねた陣が、全部起動したんだろうな」

「…………」

「あ、あ……」

―――間に、合わなかった。

 作戦は、失敗だ。

 あれだけ大きな魔法陣が、ふたつも起動してしまった。

 どれだけの被害が出たのか。どれだけの犠牲者が出たのか。

 ボクらが、もっと、がんばっていれば―――

「おい」

 ぺしん、と。

 急に、頭を叩かれた。

「何してる、イヴァ」

「何、って……」

 見れば、ハインツが立ち上がっている。

「まだ、仕事があるだろうが」

「仕事―――」

 ボクらの仕事?

 まだ、できること?

 陣探しはおしまいだ。全部の陣が、解体されたか、爆破された。

 じゃあ、次は。

「―――そっか。そう、だね」

 この地下水道の上には、トリニティ・カレッジがある。

 人払いはできているはずだけれど、そうでないのなら、たくさんのひとが爆発に巻き込まれている。

 それでも。

 まだ、助かるひとがいるかもしれない。

「…………行こう」


 ボクらはまた、地上を目指す。

 次に探すのは、爆発を起こす陣じゃなくて。

 助けを求めるひとたちだ。




 無線から全部隊へ、ホテルに居るジョゼフ隊長からの的確な指示が飛んで行く。

 救助活動なんて、人狼部隊はやったことないはずだけれど、その手際の良さは眼を見張るものがあった。

 夜を徹しての救助活動は絶え間なく、滞り無く進んでいった。



 そして、「降龍」が始まった。



 青く燃え上がる三角形が、大空に描かれる。

『降龍、だと……?』

 報告を受けたジョゼフ隊長は、その声を最後に無線を切った。


 と、思いきや。

 彼は信じられないほどの速度で、トリニティ・カレッジに駆けつけてきた。それこそ、転移魔法でも使ったんじゃないか、と思うくらいの短時間で。

 そうでないのは見れば分かる。だって、隊長が着地したところが、ごっそりクレーターになってるから。

「―――げほ、げほ。隊長、仕事を増やさないでくださいよ」

「わりーな、急いでんだ」

 ケヴィンさんの声も気に留めず、広場へと駆けて行くジョゼフ隊長。

「イヴァンナ様」ケヴィンさんが、ボクの方を振り向いた。「私達も、行きましょう」

「え、あ、うん」

 救助活動はほとんど済んでいる。あとは瓦礫を片付けるだけだ。

 ちょっとくらいは、休憩しても、いいかな。



「わあ、おっきいねえ」

「壮観です」

「そ、そう、だな……」

 ケヴィンさん、ハインツと広場の隅っこに並んで、降りてきた「青龍」を見る。

 大きい。とにかく大きい。視界に収まりきらない。

 艶のある、美しい鱗。長く伸びた髭。鋭い眼光。

 ずっと見ていても飽きないな、なんてことを、思ってしまった。

『―――この一件に関して、竜種として言うことは何も無い。が、事が事だ。あわや人類史の分岐点となるところであった。それ故、此度の降龍を行った。我ら竜種は人類とともに在る。その事を、我らと貴公らに再確認させるためである』

 青龍の厳かな声が、カレッジ一帯を震わせている。

「威厳たっぷりだねえ」

「そうですねえ」

「そ、う、だな……」

 さっきからハインツは気圧されっぱなしだ。まあ、仕方ないかな。

『―――では、次の降龍までしばしの別れである。我らはいつでも、貴公らを見守っている。よしなに』

 青龍の足が、地面を蹴った。巨体がふわりと浮き上がっていく。

「――――敬礼っ」

 ジョゼフ隊長の号令で、ずらりと並んだ人狼部隊が一斉に敬礼する。

「むっ」

 それに倣い、ボクとハインツも右腕を上げた。

 青い龍は満足したように、炎を吐きながら住処おおぞらへと戻っていった。




「よしなに……って? ハインツ、どういう意味?」

「竜語だ」

「あー、そうなんだ。さすがハインツ、ものしりだね」

「……ハインツ様、イヴァンナ様を、からかわないであげてください」

「無理だな」

「無理だね。ハインツなりの愛情表現だから」

「ははあ、そうでしたか。それは失礼しました」

「…………イヴァ、結局、そのリュックには何が入ってんだ」

「えーとー、お菓子とー、着替えとー、輸血パックとー」

「……遠足かよ……」

「遠足ですね……」

「―――あ、これ。このお菓子、おいしいんだ」

「これは……? 中国語でしょうか?」

「極東のダガシだよ。カバヤキサンタローって言ってね」

「ダガシ……ですか」

「ダガシ、ねえ」

「ダガシだよ」

「では、一枚。…………あ、からいですね、これ」

「うん、ちょっとね」

「かっらああああぁぁっ」

「あ、ハインツ、からいのダメだったっけ。あはは」

「…………ふ、ふじゃへんにゃ……」

「ぷ、あは、あははははは」

「ふ、ふふ……」

「け、けふぃん、てめえ……うああああ」

「あ、逃げた」

「お逃げになられました」


「…………じゃー、もう一仕事、しよっか」

「そうですね。まだまだ、これからです」

「うん。頑張ろう」

「ええ、頑張りましょう」

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