九章 半人の章
ヒルダ先生へ
―― ―― ――
二月二十八日
前略。突然の便り、ありがとう。精霊から報せを受けたときには新手の冗談かと思ったのだけれど、本当に貴方からだとは。随分、日本語も上達したようだ。しかも筆で書いているとは、なかなか時代錯誤なことをするね。隠遁生活をしている私にどうやってこの手紙を届けたのか、想像もつかないけれど、貴方は昔から常に私達の想像の遥か上で生活していた。ので、今更そんなことでは驚かない。だがこの内容は、さすがに目を疑ったよ。本気でやるのかい? 確かに場所はいい。春先っていうのも、なんとなく風情がある。だが、なんとなく、貴方らしくない気がしてね。本気でやるというのなら、私も手を貸そう。出来ることなどたかが知れているが、恩師の頼みとあれば断れないさ。簡素な葉書で申し訳ない。封書を送ることができるほど、こちらの術式が安定していないのだ。返信を待っている。
―― ―― ――
三月二日
拝啓。
凄まじく早い返事をありがとう。
貴方は一体全体どんな魔法を使って私にこの封書を届けているんだい? 返信の速度もそうだが……五日ごとにねぐらを変えている私に、よくもまあ届けられるものだ。
しかも今度の手紙は和紙ときた。このご時世でよく無地の和紙なんて見つけたられたね。力の入れどころを間違っているよ、先生は。理解に苦しむな。
ロンドンの暮らしは順調だ。真っ昼間に人混みにまぎれて街をぶらぶらしてみると、なんだか自分がただの人間になったような気がする。古臭い建物に不味い料理ばかりだが、私はこの土地が気に入った。極東に戻るのも面倒だしね。
先生はアメリカでジャンクフードばかり食べているのだろう? たまには野菜も摂らないと、魔力が偏るよ。ただでさえ歳を召しているのだから、体調には十分に気を使ってほしいものだ。
覚悟の程は確認した。本気で、ダブリンを滅茶苦茶にするつもりなのだね。
先生の熱意は伝わったよ。少々捻れてはいるが筋の通った大義だ。そこは素直に先生らしい、と言っておこう。
うん、わかったから、追伸を三通も四通も送るのはやめてくれないかな。うちの精霊たちがてんやわんやで、私の仕事をこなしてくれなくなっているのだけれど。
いいだろう、大義名分も揃っている。いつかのように、テロリストの片棒をかつぐとしよう。
とりあえず、依頼された「爆破の陣」の草案を同封しておく。目を通しておいてくれ。
敬具
コーラル・ヤマムラ
ヒルダ・ホールリン
―― ―― ――
三月十日
拝啓。
こちらの精霊たちもそろそろ投函魔法に慣れてきたようだ。こんな妙な魔法、覚えさせる予定なんて無かったけれど、経験は多いに越したことはない。機会をくれてありがとう。
こちらの生活は、まあ、ふつうの純人たちと変わらないかな。出かけるときに必ず魔力隠しと変装をしているくらいなもので、それさえしておけばこうやってカフェで手紙をしたためることだって出来てしまう。昨今の世界的な平和ボケには辟易するものの、こういうところではありがたいね。
陣魔法についての意見、しかと受け取った。修正しておこう。
それにしても、流石はヒルダ先生だ。あの雑な草案からここまで詳しく陣を分析できるなんて。こうやってチェックを貰うと、ウエストミンスターに居た頃を思い出すね。
思えば、私の鬱屈した人生で、あの時間、あの場所だけがひどく輝かしかった。
先生がいて、姉さんがいて、私がいた。がなりたてる先生の声と、それをかき消す姉さんの一喝。私はいつも、椅子で縮こまっていたっけ。
なんでもない、学生の生活だった。それこそが、私の身には余るほどの幸福だったよ。
そうそう、姉さんといえば、最近可愛い妹ができたらしいね。私はまだ会っていないのだけれど、あの姉さんが珍しく愛情をダダ漏らしにしていると、風のうわさが流れてきた。余程のことだ。想像もできない。一体、どんな子なんだろうか。先生は知らないだろうか?
ああ、話が逸れてしまった。陣の件だが、先生の修正を加えて清書をすればもう完成だ。どこかしらで試しに起動する必要はあるかもしれないが、多分そちらは問題無いだろう。
問題があるとすれば、魔力だ。
先生の言う規模の術式で、となると、この陣の上に拡大の陣やら増幅の陣やら、とにかく規模を大きくするものを重ねなければならない。それに、爆破の陣はひとつでは駄目だ。ある程度の間隔を空けて、少なくとも三つ、出来れば六つは設置しないと。
そうなると、個人の規模で補える魔力ではなくなってくる。それこそ数十人単位の魔力が必要だろう。術式そのものに問題はなくとも、起動できなければ意味が無い。魔力は余分に調達しておくことを勧める。
陣は完成次第、構成をそちらに転送する。魔力は先生次第だ。よろしく頼む。
敬具
コーラル・ヤマムラ
ヒルダ・ホールリン
―― ―― ――
三月十三日
拝啓。
まずは、謝罪を。
先生がそんなことになっていたなんて、思ってもいなかった。
いや、考えようとしなかっただけなのかな。あの先生が教壇を降りるなんて、そんなことでもないとあり得ないのだから。
だって、そう考えれば、全て辻褄が合ってしまう。先生がウエストミンスターを去ったこと、姿をくらましたこと、そしてこんな計画を立案したこと。
魔力の枯渇、か。先生……いや、妖精にとっては死と同義だったね。存在の維持に全てを注げばあと十年は生きられるから問題はない、なんて先生は言っているけれど。魔法の使えない十年に、いったい何の価値があるんだい?
これは、私も本気で取り組まなくてはなるまいね。先生は部下になるゴブリンの養成に手を尽くしてくれ。私が必要な陣を構築する。
先生のテロ計画には、ざっと見繕っても反射、転移、搾取、姿隠し、魔力隠し、そして爆破の、六つの陣が必要だろう。あとは軽いトラップ陣くらいか。
確か、転移と反射、それから姿隠しは先生の得意分野だったね。そこの仕上げは先生に任せるけれど、とりあえず六つすべての基礎を私が組み立てておくよ。爆破の陣はほとんど完成しているし。
待っていてくれ。とびっきりスペシャルな陣を贈呈しよう。
不肖の弟子の、せめてもの手向けだ。
敬具
コーラル・ヤマムラ
ヒルダ・ホールリン
追伸
私の変装スタイルについて、とやかく言われる筋合いはない。
たしかに今でも真白のスーツばかり着ているけれど、これは趣味だ。
どんな服を着ようが、私の勝手だろう。ほうっておいてくれ。
―― ―― ――
三月二十四日
拝啓。
返事が遅くなって申し訳ない。
陣の原型が完成してから返信しよう、なんて意地を張っていてね。そうしたら一週間もかかってしまった。以前使った陣を転用すれば早いのだけれど、流石にそんなことをするとすぐ足がつくからね。それにしてもたった六つの陣に一週間もかけるなんて、何十年ぶりだろうか。まあ、それだけ頑張っているのだと思って欲しい。
というわけで、原型だけはできた。あともう二週間もすれば実用レベルになるだろう。ただし魔力隠しだけは、もう少し時間が欲しい。なにせ、私の一番の得意分野だからね。徹底的なものを創りたいんだ。あまり凝り過ぎると私が手を貸したとバレるかもしれないが、それもまた良し。どうせ手配中の身なのだから、背負う罪がもうひとつ増えるくらいなんということもないさ。
ゴブリンのしつけは難儀しているようだね。このご時世だ、仕方ないだろう。中東のゴブリンだけでなく、アメリカなどから調達してみてはどうだろうか? あの国のスラム街は、今ではゴブリンの住処になっていると聞く。頭の働くゴブリンもいるだろう。さすがに魔法が使えるほどの者はいないとおもうけれどね。魔力持ちのゴブリンなんて見つかれば、真っ先に時計台送りだし。
それで、「暇つぶしに文通がしたい」というのは本気なのかい。先生がそんなことを言うとは思わなかった。いや、私は構わないんだけど……話をしたいのなら、他にいくらでも手段はあるだろう。わざわざこんな、時代錯誤で手間のかかる方法を採用しなくともいい。
まあ、先生がどうしても、というのなら私も付き合うよ。手紙を書くくらいの暇はある。
話の種が尽きないか、私はそちらのほうが心配だ。
敬具
心配症の弟子
いつも元気な師へ
―― ―― ――
四月二日
拝啓。
今、私は中国でこの手紙を書いている。
目まぐるしく進化と退化を繰り返す、先生の嫌いなあの中国だ。私はそこそこ好きなんだけどね。ふらりと立ち寄った遼寧省でとても良い雰囲気のジュエリーショップを見つけたので、今日は一日満ち足りた気分だ。
ということで、文通を始めよう。まさか先生から「話の種などない」と言われるとは思っていなかったので、先行きに不安しか感じていないのだけれど。なんでそんなので文通をしようなんて言いだしたのか、理解に苦しむよ。
それにしても……この歳になって「先生」と手紙のやり取りだなんて、悪い冗談のようだ。ついでに課題でも出してもらって赤ペンを入れてもらおうかな? ……まったく、このことを姉さんが知ったら十分間はお腹を抱えて笑うことだろう。
そういえば、姉さんは今、なにをしているんだろう。私がウエストミンスターを去ったあとも、彼女はしばらく残っていたようだけれど、まさかずっとあそこに居るわけでもないだろう。能力だけは優秀だったから、秘書以外ならなんでもできそうだ。姉さんのことだから、今もどこかで罵詈雑言を垂れ流しているんだろうな。うん、ちょっと調べてみよう。
姉さんのあの機関銃のような罵倒には、先生もたじろぎ気味だったね。先生は必死に平静を保っていたようだけれど、私にはお見通しだったとも。
特に面白かったのは、先生が勝手に姉さんのプディングを食べてしまったときだ。「スイーツばかりばくばく食べているから、妖精のくせに太るのよ、このジジイ」なんて台詞を高名なヒルダ・ホールリン大先生に言えるのは、後にも先にも姉さんだけだったろう。
……いや、そういえば、なんで先生は妖精なのに太ってたんだ? すぐまた痩せていたけど……魔力が有り余っていたのかな。今思い返すと不思議でならない。カスタード・プディングばかり食べていたからだろうか。
今もあの甘ったるいお菓子を食べているのかい? いい歳なのだから、ほどほどにしなよ。
さて、魔法陣だが。先生に仕上げてもらう予定だった転移、反射、姿隠しが形になったので、同封しておく。今からならゴブリンの養成と並行してでも間に合うだろう。私は、私の陣をもう少し煮詰めていくよ。なかなか良い物ができそうだ。期待していてくれ。
敬具
甘いものが苦手な弟子
甘々な師へ
―― ―― ――
五月十日
拝啓。
先生は相変わらずゴブリンたちに手を焼いているようだね。手紙の文面からでも苦労しているのがひしひしと伝わってくるよ。崇高な目的のため、頑張ってくれたまえ。妖精にはめっぽう厳しかったヒルダ先生がゴブリンたちをどう指導しているのか、気になって仕方がない。
姉さんについての情報、ありがとう。今はICPOに所属しているとのこと。確かに彼女らしい仕事だ。優秀な魔法使いであったから、存分に腕をふるっていることだろう。秘書としては、すこし毒舌が過ぎると思うけれどね。
姉さんといえば……私が彼女を「姉」と呼ぶことが、そんなにおかしいかな。確かに血の繋がりがあるわけでも、長い期間共に過ごしたわけでもないけれど、とても世話になったからね。私はきょうだいなどいないから、ああいうひとが姉なのだと思ったんだ。
だから、そう面白おかしいようにからかうのはやめてくれ。便箋一枚をたっぷり使ってからかうなんて、先生も人が悪い。私もなんだか恥ずかしくなってしまうじゃないか。ああもう、これから姉さんをなんて呼べばいいんだ……。
私はインドに来ているよ。ここは昔から変わらないね。活気に満ち溢れていて、私の気持ちも少しばかり活発になった。気がする。
ああ、変化の術は昔よりも得意になったよ。インド人に化けてるんだが、物乞いたちが私を無視するようになった。
あとは魔力隠しのペンダントでも着けていれば問題ない。余程勘のいい魔法使いにでも出会わない限り素性がバレたりはしないだろう。いやあ、魔力隠しが得意でよかった。こうやって世界中をふらふらできるのも、ひとえに先生の教えのおかげだ。ありがとう。
さて、それでは先生の「話の種がないから何か書け」という無茶振りに応えるとしようか。
まずは、偉大なるヒルダ・ホールリン先生の来歴を紐解いてみよう。
……と言っても、そういえば私は先生のことをあまり知らないね。
大魔法使いマリア・ホールリンを師に持つ、元・詠唱魔法の名手。「増幅」の固有魔法との相性も抜群で、精霊種すら凌ぐほどの魔法が行使できた。しかし、妖精種としては保有魔力量が少なく、また固有魔法の燃費が著しく悪く多用できなかったために陣魔法手に鞍替え。そこでもずば抜けた才を発揮し、ウエストミンスターの魔法陣開発のトップで在り続けた。
出身はダブリンのトリニティ・カレッジ。けれど、カレッジの妖精種至上主義に辟易し、卒業後は早々にウエストミンスターで教鞭をとる。師としてもたいへん優秀で、弟子の数こそ少ないもののその全てが時計台首席クラスの能力を得、現在も社会で大活躍中。つまはじきものになったのは私くらいか。
先生自身はダブリンのトリニティ・カレッジが魔法学科を閉めたのとほぼ同時期にウエストミンスターの教壇を降り、公には消息不明に。遺されたのは膨大な数の陣魔法と、数少ない優秀な弟子たちだけ。そのどちらも、この先百年以上かけてもそれ以上のものは生まれてこないと言われている。
そして今では故郷のダブリンをひっくり返そうとするテロリストになったわけだが、これはまだ私くらいしか知らないことだね。
私が知っているのはこれくらいかな。どうかな、良い話の種になったと思うのだけれど。
何か追加したいエピソードや情報があれば教えてくれ。伝記として後世に伝えるから。
敬具
つまはじきもののホールリン
超絶偉大なヒルダ師へ
追伸
とりあえず、先立って役に立ちそうな搾取の陣を添付しておく。私がこれまで作った中で最高効率のものだ。これでゴブリンたちから魔力をもりもり搾り取ってくれたまえ。
―― ―― ――
六月二日
拝啓。
以前送った魔法陣の仕上げは好調なようでなにより。雑な仕事ですまないね。
アメリカのゴブリンも、とりあえずはそれだけ確保できれば十分だろう。どうせ彼らにやってもらうのは迎撃陣の操作端末役だ。読み書きができるくらいの能力で問題ない。
うん、計画はおおむね順調みたいだね。そろそろ下水道の回廊操作にも着手する頃かな。あまり魔力を使い過ぎると、ゴブリンたちの生命力だって保たないだろうから、程々にね。
ところで、先生の手紙にあった「姉弟子」の話は本当なのかい? あの大魔法使いマリア・ホールリンの弟子というと、ヒルダ先生だけだったはずだ。少なくともこの世の魔法使い全員がそう認識しているよ。
「ウラガでどこぞへ消えおった」というのは、日本で言う黒船来航事件のことだね。さすがに三百年も昔のこととなると、情報が残っていないのも仕方ないのかな。
性格は私の姉さんと同じおてんば、か。姉さんはおてんばとは少し違ったような気がするけれど、なんとなく想像はついたよ。面白い人だったんだね。
それにしても驚いた。先生に姉弟子がいたとは。さぞや優秀な魔法使いだったのだろう。願わくば、一度話してみたかったな。今でも壮健だろうか。ちょっと探してみようかな。見つかったら連絡するよ。
それから、諸々の時計台エピソードもありがとう。私の知らないことばかりで、とても興味深かった。
特に教員同士の派閥抗争。あの学び舎の上層部の胡散臭さは学生にも伝播していたけれど、まさかそれほどとは思っていなかった。闇討ちだの決闘だの、まるでマフィアの抗争じゃないか。そんなことはいいから、生活に役立つ魔法のひとつでも教えてほしいものだ。
ヒルダ先生がそういうことに関わってなかったというのは、ちょっと考えてみれば当然のことだね。うん、先生はそういう無駄を嫌うひとだったもの。一歩引いて、冷ややかな目で眺めていたことだろう。
さて、私の記憶に残っている時計台の話というと、やはりどうしても姉さん絡みになってしまうね。いつでもどこでも姉さんが居た気がする。今思い返すと、あれはストーカーだったんだろうか。ああいや、見張りかな。うん。
じゃあ、先生が知らなさそうなエピソードをひとつ。
とある純人の学生が、姉さんに懸想していてね。それで、こともあろうに私に恋愛相談をしてきたんだ。「彼女の好きなタイプは」とか、「どうすれば仲良くなれるか」とか。……まあ、よくある話だ。
私は一貫して「彼女は恋人なんて求めていない」と返答していたのだけれど、どうも、彼はそれを違う意味に捉えてしまったらしい。
私が姉さんと恋仲にあるという、そういう勘違いだ。相談してきた彼に面と向かって「お前は俺のコイガタキだ」なんて言われたときには、意味がわからなくてしばらく空いた口が塞がらなかったよ。
まったく、私と姉さんが恋仲などと……なぜそんな勘違いをしたのか、今でも理解に苦しむね。
結局彼はその勘違いをひとりで抱え込んだまま、悶々とした学生生活を送ったらしい。ウエストミンスターを去る直前に姉さんに告白したようだけれど、姉さんの「貴方、誰?」のひとことで玉砕したとか。姉さんらしい話だろう?
それにしても、彼女が誰かに懸想するなんて、想像もできない。……今ちょっと想像してみたのだけれど、なぜだか少し気持ち悪くなったよ。
他にも幾つか思い出したけれど、それは今後の文通で話の種にするとしよう。
先生も何か面白い話があれば、また教えておくれ。楽しみにしているよ。
敬具
コーラル・ヤマムラ
ヒルダ・ホールリン
―― ―― ――
八月十五日
拝啓。
先生にしては珍しく返信が遅かったので、どうしたのかと心配していたよ。
手紙を読んでみたら、下水道の組み換えに手をかけすぎた、だって? 各所の入口と出口をきちんと繋ぐように、それでいて原型を留めないようにでたらめに組み替える? 何をやっているんだ。そこはあくまで囮で、テロのメインじゃないだろう。なんだっていったいそこまで手の込んだことをしているんだ。
まったく、無駄な回廊操作にそこまで入れ込むなんて……ウエストミンスターに居た頃の悪い癖が、まだ抜けてないんだね。
思えば、昔から先生は妙なところにばかり手を尽くすひとだった。出血管理を陣魔法で代用するために教室いっぱいに陣を刻んだり、学生の色恋沙汰に首を突っ込んだ挙句当事者たちをウエストミンスター橋から突き落としたり、私が徹夜して仕上げた陣魔法の草案にコーヒーをぶちまけたり。……あ、最後のは違うね。
回廊操作が楽しいのはわかるけれど、ゴブリンたちの教育は大丈夫なのかい? 中東育ちは覚えが悪い。とっとと当日の動きを染みこませなければ、ここまで準備したものが水の泡になってしまうよ。
おっと、言いたいことをすらすらと書いてしまったが、先生なら言わずもがな、だったね。釈迦に説法というやつだ。心配している弟子もいるのだということだけ、覚えておいてくれ。
では、今回の手紙の本題だ。
先に言っておく。私と姉さんはあくまで姉弟弟子だ。断じて、断じて、断じて、そういう仲ではない。
というか、先生ならわかってるはずだろう。あの姉さんが男に入れあげるなんてあり得ない。男をたぶらかすことはあっても、男にたぶらかされることはない。想像もできないししたくない。そんな光景を目の当たりにしたら、きっと私は発狂してしまう。
なぜ先生までそんな風に誤解していたのか、理解に苦しむね。確かに先生の言うとおり、私は姉さんと仲が良かったし、どの講義も一緒に受けていたし、食事も一緒に摂っていたし、同じ部屋で寝泊まりしたこともあったけれど、たったのそれだけだ。まったく、それだけのことでなんで恋仲などと言われなければならないんだ。
世の中にはもっと美しくもっと醜い男女関係がうごうごしているじゃないか。それに比べれば私と姉さんなんてただのクラスメイトだ。友人だ。健全だ。男と女は磁石のようにぺたぺたとくっつくものではない。
分かったら、とっととゴブリンたちを一人前のテロリストに育ててくれ。もう八月なんだから、そろそろ急がないといけないだろう。
敬具
純粋を極めた弟子
邪推する師へ
―― ―― ――
九月十一日
拝啓。
前回の手紙は済まなかった。先生の言うとおり、感情的になってしまっていたようだ。
それもこれも先生がヘンなことを書くからだが……まあ、この話はおわりにしようか。うん、双方に得るものがない。何より、私が言葉を尽くせば尽くすほど、墓穴を掘りすすめている気がする。
私は日本に来ているよ。とても久々だ。魔法大戦のとき以来かなあ。
この国の技術力は相も変わらず変態の極みだね。何が彼らを駆り立てるんだろうか。魔力感知器の精度なんて、先生が欲しがっていたあのストライヒ製の最新型と同レベルだ。ほら、五十キロメートルの遠隔地でマッチ火力の発火魔法を使っても感知される、アレだよ。あんなのがトーキョーのそこらじゅうに配備されていた。市民は平和ボケしているけどね。たぶん私が変装しなくても、素性がバレたりはしなかっただろう。
ああ、勿論変化の魔法は使っていたよ。手持ちの陣の中で一番強力な魔力隠しもセットでね。それでも警察官に「微量な魔力反応がある」なんてふうに職務質問されてしまった。あの国にはおいそれと近寄れないな。
別に用件があったわけではないから、もうすぐどこか別の国に行こうと思う。なんでわざわざ来たかって? そりゃあ私だって、たまには故郷が恋しくなるのさ。
では先生の言うとおり、今度は私の来歴を書いてみようか。わざわざ書くようなこともないけれど、再確認というのは大切だ。
歳は今年でちょうど百二十だ。純人に換算すれば、おっさんというやつだ。ヤマムラは漢字で「山村」と書く。日本ではありふれた名前だ。デイビスやウイリアムズみたいな感じかな。
純人の父とエルフの母を持つ、エルフ寄りの半人。先生にはよく「半端者」と言われていたなあ。私に言ってもしょうがないだろうに。生まれは日本で、母の勧めにより早いうちからウエストミンスターの現代魔法学科へ留学した。以後、ほとんど日本には戻っていない。
得意なのは陣魔法で、詠唱魔法はからっきし。初歩の初歩、遠隔発火すらまともにできない。でも魔力隠しの陣に関してならば、先生の上を行ける自信があるね。
現在は国際指名手配を受けて世界各地を転々とする……とまあ、こんなものかな。
大したことをしてこなかったからね。大したことが書けないよ。そもそも先生相手に自己紹介しても仕方ないような……。話の種にはなるのかな。
文通を始めてもう半年だ。話の種も尽きる頃だものね。
今回の私の書が、また新たな話題の元となることを祈るよ。
敬具
コーラル・ヤマムラ
ヒルダ・ホールリン
―― ―― ――
十月二十日
拝啓。
日本からロンドンに戻ってみたら、ここのあまりの冷え込みに驚いた。寒すぎる。ストリートがそこらじゅう枯れ葉まみれだよ。これを風流だというやつが多いが、私の目には汚れているようにしか見えない。理解に苦しむね。
アメリカもそろそろ秋かな。ゴブリンたちの体調管理には気をつけてくれ。彼らは案外と冷えに弱いからね。
で、私は先生の手紙を見て驚いたよ。まさか弟子の私が指名手配されていることを知らなかったとは。先生が知らなかったということを私は知らなかったよ。
うん、大したことではないんだ。今回の先生の依頼と、似たようなものを知人から受けてね。ほうっておくわけにもいかなくて、ついつい深入りしてしまったんだ。
そいつはエルフなんだがね、魔法大戦の折、アメリカで純人に奴隷のように扱われていたんだ。勿論大戦が終わってからは解放されたんだが、憎しみが消えるわけはない。むしろあのあとの純亜和平に腹を立てて、アメリカで一発デカい花火をあげてしまった。
ほら、あの、純人のビルに飛行機が突っ込んだやつ。私が聞いていた以上の規模のテロで驚いた。同時多発とか、聞いてない。宗教関係のいがみあいってのが表向きの理由だが、裏では私や先のエルフなんかの魔法種が手を貸していた。あいつは飛行機に乗ったままくたばったが、まあ本望だったんだろう。
私は魔法種の痕跡を残さないよう、適当な魔力隠しの陣を提供したんだが、CIAだかFBIだかってのは凄いな。半年くらいで私の学生時代の顔写真が世界中にバラ撒かれていたよ。どうも、飛行機の残骸から陣を探し当てて、それが私の陣だと突き止めたらしい。恐ろしい連中だ。
無論、罪悪感はある。アレでどれだけの人間が死んだのか、世界がどういう影響を受けたのか、私はよく知っている。
けれどね。あの三度の大戦は、もっと酷かった。あれに比べればこの程度、どうってことはないだろう。
だから、今回の先生の計画も受けることにしたんだ。なにしろ、私にはテロリストとしての経験があって、先生への恩義もあった。なれば、手を貸さずにはいられないからね。
魔法陣は全て完成した。同封しておくから、先生の好きなように使ってくれ。
なあに、これでまた私の犯行だとバレても、あと百年は逃げおおせてみせるさ。心配せず、先生は先生の為すべきこと、為したいことを為してくれ。
敬具
現役テロリスト
未来のテロリストへ
―― ―― ――
十一月三十日
前略。
突然の申し出に困惑している。
が、まあ、確かに「やめどき」といえばそうかな。かれこれ半年も続いたものね。
マリア大師のバングルはしかと受け取った。私がこれを受け取るのは気が引けるが……好きに使って良いとのことのなので、そうさせてもらうよ。
この手紙にも、もう返信を書かないのだろうか。
…………結局。先生は、寂しかっただけなのだろう?
自分のこれからを考えると、きっとどうしようもなく虚しく、悲しく、寂しくなったはずだ。
だって、私も同じ道を辿ったから。
私は何をしているのかと。何をしてしまったのかと。何を失ってしまったのかと。
きっと先生も、これからその道を辿るのだろう。
不肖の弟子、テロリストの先輩として、一言だけ贈らせてもらうよ。
「やるからには全力で」
それでは、達者でね。
敬具
弟子 コーラル・ヤマムラ
偉大なる師 ヒルダ・ホールリン
追伸
今際の際にでも思い出してほしいので、記しておく。
貴方の最後の愛弟子、私の最初の姉弟子の名を。貴方がただ、「フェアリー」とだけ呼んでいた、彼女の本当の名前を。
多くの妖精は師から名を貰うというのに、彼女は、愛したひとから名を貰ってしまった。その名は、「一人前の魔法使いになったら」先生に教えるつもりだったそうだ。
けれど、先生はその前に姿を消してしまった。姉さんは先生に名前を伝えることが出来なかったというわけだ。
なので、私が代わりに教えよう。
イェシカ。
彼女は、そういう名前だった。
―― ―― ――
四月二十四日
前略。
もはやこの手紙を書くことに意味は無い。
それでも筆を走らせているのは、半年続いたあの文通のせいだろうか。
この手紙を書き上げる頃には、先生のテロは失敗しているだろう。それは先生自身、わかっていたはずだ。それでも実行に移してしまった。
先生から手紙を受け取って、目を通して。その瞬間に私は察してしまったんだ。
もう、私の師は居ないのだと。
……西の宮殿の隅っこで、ひたすらに陣を書き、ひたすらに檄を飛ばし、ひたすらに魔法を愛したヒルダ先生。
先生は、大好きな魔法と同じくらい、私たち人間のことを、人類種のことを愛していたね。
そんな先生が、事もあろうに母校を人間ともども爆破した挙句、ダブリン一帯を制圧するだなんて、正気や狂気の話ではない。もはや、沙汰の外だ。
「出来損ないの陣に、他人の魔力など注げるはずもなし」
先生の口癖だったね。今はもう、覚えてすらいないのだろうけれど。
先生は直接手紙には書かなかったけれど、あのテロの本当の目的は、ダブリンを先生のものにすることだったんだろう? 大掛かりな爆破の陣も、デミフェアの根絶などという建前も、すべては隠れ蓑に過ぎなかったはずだ。
妖精種がその存在を維持するのに必要なのは、ただただ純粋な魔力のみだ。他のすべての人類種と違い、膨大な魔力さえあれば、肉体、霊体の劣化など瑣末な問題になる。
そしてその膨大な魔力は、ゴブリンを始めとした亜人種……、いや、人類種から搾取してしまえばいい。
でも、そんなものは長続きしない。維持に必要な魔力量は加速度的に増えていく。十年もしないうちに、純人ひとりを殺しても一日生きるだけで精一杯になるだろう。詠唱魔法など使えば、一瞬で消滅してしまうだろう。
それでも先生は、ただただ生きることを望んだ。他人をどう扱おうと、自分さえ生きることが出来れば良いと、そう考えた。
極端な言い方をすれば、独裁国家だ。血迷っているとはいえ、先生の頭脳は鈍っていない。貴方ほどの手腕なら、そのような無茶も通ってしまうだろう。
だがまあ、前提からして破綻していた。私などに頼る時点で、先生は諦めていたんだ。
先生は死にたくないくせに、死に場所を求めていた。
引導を渡すは人狼部隊。場所は故郷、ダブリン。
いい、死に場所じゃないか。
そう時を待たずして、私のことも嗅ぎつけられるだろう。ほら、人狼は鼻がいいからね。
私もいずれ、後を追うことになるよ。
そう長くは待たせないさ。
安心して、眠ってくれ。
敬具
コーラル・ヤマムラ
ヒルダ・ホールリン
―― ―― ――
イェシカ姉さんへ
―― ―― ――
七月二十一日
拝啓。
久し振りだね、姉さん。初夏の頃、如何お過ごしだろうか。
そろそろ私のことも嗅ぎつけたかなあと思って、この手紙をしたためている。
優秀な魔法種を抱えているのなら、あの魔力隠しに気付いたはずだ。そしてそれを姉さんが見たのなら、まず間違いなく私を疑うだろう。
そしてそれは大当たりだ。私こそ、姉さんの関わったあのダブリンのテロの共犯者。ヒルダ・ホールリンに陣を提供した魔法使いだ。
だがまあ、簡単に捕まるのも面白くない。私にもいくつか、やりたいことがあってね。一身上の都合というやつだ。もう少しばかり、身を隠させて貰うよ。
そのうちのひとつが、この手紙だ。姉さんに言葉を贈るのは何十年ぶりだろう。未だに何を書けばいいのかわからなくて、少々混乱している。
ええと、まずは同封した金の腕輪から。これはヒルダ先生が師であるマリア大師から賜ったバングルを加工して、妖精の腕輪サイズに落とし込んだものだ。人間の指輪とほぼ同じサイズになるね。
加工と言っても、並みの職人には任せられない。なにせあのマリア大師のバングルだ。資料的にも、魔術的にも、計り知れない価値がある。
というわけで、先生からバングルを受け取ってから、世界中をうろうろして腕の良い職人を探していたんだよ。
結局任せたのは中国にある小さなジュエリーショップだ。気の強い女ドワーフがひとりで切り盛りしていたんだが、店においてあった装飾品はどれもこれも素晴らしい完成度で、よく憶えていた。
それで、仕事を依頼しようと思って店を訪れたら、新しく見習い娘が雇われていたんだが……その娘を見て驚いた。彼女自身自覚しているかどうかは知らないが、技術強化系の不断魔法を持っていたんだよ。ただでさえ器用なドワーフが、技術強化だよ? そりゃあ信頼できるに決まっている。
で、出来上がったものが、これだ。月桂樹のリング……もとい、ブレスレット。
素晴らしい出来だ。ここまで仕上げてくれるとは思わなかった。話を聞けば、やはりあの見習い娘が加工してくれたらしい。彼女は私が店を訪れた日にちょうど雇われたらしくてね、店主も娘の技量にたいそう驚いたそうだよ。不断魔法の話をしたらまた驚いていたけれど、深く納得した様子だった。
姉さんも今後装飾品を買うのなら、あの店がお勧めだ。中国の大連にある、Knott's Shop。是非顔を出してみてくれ。
……この指輪、本当に良い出来だなあ。姉さんに贈呈するのを今更惜しんでいるけれど、先に決めていたことだからね。大人しく手放すよ。先生の形見だ。好きに扱ってくれ。
師からこういうものを受け継ぐことが出来るのは、常に一番弟子でなければね。少なくとも私はそう思う。テロリストの私と、国際警察のイェシカ姉さん。どちらがこれを持つに相応しいか、考えるまでもないだろう?
ああ、月桂樹を掘り込んでもらったのは私の勝手だよ。花言葉は知っているかな。栄誉とか、勝利とか、そんな感じだ。今の姉さんにはぴったりと思うんだ。
ええと、それから……後になってしまったが、謝罪を。師弟揃って馬鹿をやってすまなかった。いや、すまなかった、では済まないということはわかっているんだけどね。そういうのを抜きにして、純粋に弟弟子として、姉弟子に謝りたかったんだ。
師から、姉から賜ったこの陣を、人殺しに使ってしまった。許してくれとは言わない。蔑んでくれて構わない。むしろ、私のようにはならないよう、姉さんは光の道を歩んでくれ。影を歩くのは、私だけでいい。
最後に、先生について。
私に計画を持ちかけた先生は、既に狂っていた。私たちの知っていた先生ではなくなっていた。姉さんは、先生に会ったかい? 会えばわかるはずだ。あれはもう、ヒルダ・ホールリンじゃない。私は文通していただけだがね、それでもわかるほど、先生は正気を失っていた。
姉さんが対策部隊に加わっているという情報を手に入れたときは、正直言って安心したよ。姉さんになら任せられる。もう、済んだことだが。
偉大なるヒルダ師は死に、忌むべき弟子、コーラルは隠遁中。世界中の「ホールリン」たちはさぞ、肩身が狭いだろう。
それを打破できるのは貴女だけだ。一番弟子、イェシカ・ホールリン。
私とその師が穢したホールリンの名を、どうかまた、再興させて欲しい。
身勝手な願いだ。私にこれを言う資格はない。
けれど、私以外、誰も貴方に頼めない。だからこそ、恥を承知でこの手紙を書いている。
よろしく頼む。
敬具
コーラル・ヤマムラ
姉へ
追伸
先生はテロの直前まで、昔のようにカスタード・プディングばかり食べていたらしい。姉さん、勝手にプディングを食べられて怒ったことがあったろう?
ああいうところは、変わっていなかったよ。
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