五章 人狼の章(前)

 人狼。

 別称、ウェアウルフ、ヴェアヴォルフ、ライカンスロープ、狼男。

 純人種、巨人種よりも強靭な腕力、脚力を持つ我らは、有史以前から自由の傭兵として活動してきた。

 我らに欠点はない。月の夜には獣と化する身だが、それを制御するすべなどとうの昔に完成している。

 満月の夜の獣化に関しては抗えないものの、月のない夜、あるいは真昼でも、人狼としての力の一端を発揮する事が可能だ。強大な腕力、強靭な脚力は勿論のこと、鋼のような肉体、霧のような動きなど、簡易的な変化まで可能となる。

 強いて欠点、いや、弱点を挙げるなら、銀に弱いということか。

 アレは我らにとって毒以外の何物でもない。触れればそこが飴のように融け、斬られれば容易く両断され、心の臓にでも埋められようものなら即座に全身が消えて失せる。

 だからこそ、我ら人狼部隊は肌という肌を防弾加工を施した装備によって覆い隠す。

 それらの重量による負荷などは取るに足らない。少し動きにくくはなるが、それ以上になる。

 それに、ただの銃弾、ただの斬撃、ただの毒などなら恐れるに足らない。そんなもので出来た傷など、数秒で完治してしまう。

 唯一の弱点は銀。そしてその弱点すら、我らは純人種の技術によって克服することが出来た。




「なーんてな」

 キーボードを打つ手を止める。

 ノートパソコンの画面に映っているのは、お偉いさんへの報告書だ。

 数日前のことだ。

 国際刑事警察機構I C P Oからの初仕事がやってきた。

 ゴブリンどもになにやら不穏な動きがあるので人狼部隊に動いてもらいたい、だがそも人狼が何たるかが分からないので教えてほしい、などというすっとぼけた命令である。

 まあ、仕方のない事だろう。本当に人狼が何なのかサッパリわからないわけではなく、ひとつの戦闘部隊として、どれだけの価値が有るのかを見出すのが目的のはずだ。

 ならば、偵察のひとつでもこなしてみるのが定石か。

「よし、それで行こう」

 カタカタとキーボードを叩き、メールを送り返す。

 内容はシンプル。ゴブリンの集会所を判明させ、偵察の任に就かせてもらう。それだけだ。慣れない報告書より、こういう文章のほうが書きやすい。



「ふう」

 窓を開け、ベランダに出る。

 ストリートに立ち並ぶ、オンボロアパートメントの三階。ここで、行き交う人を見下ろしながら煙草を吸うのが、ここ最近のちょっとした息抜きだった。

 二月のニューヨークは寒い。足元を歩く人々は、とことこと早足で移動している。薄暗い路地裏なくせに、やけに人通りが多い。

 それを眺めながら煙草を口にくわえた途端、どこからか声がした。

「じょーぜーふぅー、煙草はやめてって言ったでしょう」

「うるせえな、俺の勝手だろう。嫌ならお前が出て行け」

 ライターを使い、火を点ける。

「それが出来ないから文句言ってるんじゃない。あたしは貴方のお目付け役なんだから」

「あーもうそれなら耳にタコどころかイカが出来るまで聞いた。聞いたからもう喋るな、せっかくの煙草が不味くなる」

「なにをう」

 と、くわえていた煙草が消えた。

「なっ、てめえ」

 俺の眼前、ちょうど二メートルほどの空中で、火のついたままの煙草が浮かんでいる。

「ふーんだ、こんなものっ」

 ひゅう、と風が吹いたかと思えば、煙草の火が煙とともに消えていた。

「よしよし、満足満足」

 火の消えた煙草は地面に落下、いや投げ捨てられ、その一連の行動を引き起こした存在が姿を現した。

 手のひらにすっぽり収まりそうな小さな体。美しく、長い金の髪。澄んだ碧眼と、白い肌。そして背中に生える、半透明な銀の羽。

「イェシカ、てめえ、ほんっとに握りつぶすぞ」

「へっへーん、やれるもんならやってみなさいっての」

 手のひらサイズの妖精は、その半透明の羽をパタパタさせながら、あっかんべー、なんてポーズを取っている。

「ふん、なにが妖精だ。もーちっと可愛げのあるやつが来てくれたんなら良かったのによ」

「あらあ、あたし以上に可愛い妖精なんて居ないわよ。貴方はラッキーね、あたしを呼べて」

「呼んでねえしラッキーでもねえよ」

 煙草は哀れにも地上へ堕ちた。道を行くドワーフは頭に落ちてきた煙草を不審げに眺め、ぽい、と排水溝へと投げ捨てた。

 はあ、と溜息をつき、散らかった部屋に戻る。

 からからと窓を閉じ、視線を戻すと先の妖精が目の前に浮かんでいた。

「なんだよ」

「なんだよ、じゃないわよ。何よあの報告書、宣戦布告みたいになってるじゃない」

 提出した内容を見られたらしい。イェシカは腰に手を当て、いかにも不満があります、なんて顔でこっちを見ている。

「イェシカ、お前に仕事内容までとやかく言われる筋合いはねえはずだろう」

「そりゃそうだけど、あれはいくらなんでもひどいわよ。まだ最初に書いてた独白のほうが良かったわ」

「てめえ、見てたのか」

「当たり前でしょう。トイレとお風呂と着替えのとき以外は貴方を視ているんだもの」

「どうせいつでも聞き耳は立ててるんだろう」

「当然よ。それがあたしの仕事だから」

 それを聞いて二度目の溜息を付き、椅子に座る。

「何よ」

「部下に指示出すんだよ、さっきの宣戦布告はもう送っちまったからな、あとは動くだけだ」

「あっそ」

 そう言って、イェシカはしゅるりと消えた。

 消えたと言っても、目に映らないだけだ。たぶん、その辺に座っているんだろう。

 

 イェシカ・ホールリン。

 最近では珍しい、真っ当な秘書妖精。風と水、それから治癒の魔法を扱うことができ、姿くらましやらサイコキネシスやら魔眼やらの特異能力もほぼすべて所持している、Aランクの妖精だ。

 そんなスペシャルフェアリーがなんで俺のところに居るのか。

 そもそも俺は擬似妖精すら使っていなかったのだ。真っ当な妖精なんてものは必要ない。必要ないのだが、今回のゴブリンの一件で人狼部隊に要請が来たのと同時に、情報収集、ということでICPOから派遣されてきたのが、このイェシカだった。

 イェシカの言うとおり、コイツはお目付け役だ。お偉いさんからの派遣ということで無碍には出来ない。実際、俺自身が報告書をまとめるより妖精イェシカに情報を集めさせ、報告させたほうが遥かに情報の質は良いだろう。

 なにより、イェシカをここに居させることで、ICPOに対して敵ではないとアピールできる。良い機会といえば確かにそうだろう。

―――人狼部隊、と言っても数は少ない。全体で一個小隊程度の人数で、そいつらを世界各地に配置している。司令塔である俺はほとんどここアメリカから動くことはない。部下に司令を下し、その結果を受け取るのが俺の仕事だ。

 ぶっちゃけて言うと暇なのだ。一応、きちんと自分一人でも戦闘できるようトレーニングしたり、俺自身が調査を行うこともたまにある。

 それでも日々の時間を持て余していることに代わりはない。

 人狼部隊ではない、他の人狼種は純人種とほぼ変わらない生活を送っている。満月の夜の獣化こそ止められないが、それ以外は純人種と変わらないのが我々だ。ヒトの姿でいる間は知能も腕力も変わらない。違うのは、長い寿命、強靭な肉体くらいのものだ。

 教壇に立つ人狼、警備をする人狼、工場で働く人狼、家を建てる人狼。我らのライフスタイルは純人種とともに多様化していった。

 そんな中で、軍人として名を馳せる人狼も多く居た。

 はるか昔は人類の敵として。西暦以後では人類の守護者として。

 そしてとうとう、世界の警察を束ねる、ICPOまでもが我らを必要とし始めた。

 そのひとつめが「子鬼ゴブリン」というのはなんだか味気ないが、仕事は仕事だ。これからより多くの役目を負うために、この任務は確実に遂行する必要がある。

 そして、このイェシカについても。

「イェシカ」

「なに」

 どこからか声が返ってきた。姿を消している間は、どこから声が響いてくるのかイマイチわからない。

「自分の身は、自分で守れよ」

「はん。言われるまでもないわ、ばかジョゼフ」

 あとどれくらいの間、この生活が続くのかはわからない。

 けれど、とりあえずは、日々を持て余すことはなくなりそうだ。



 そして、一週間後。

「ジョゼフ、メールが来てるわ」

「ん」

 午睡から目を覚ますと、律儀にイェシカが話しかけてきた。さすがは秘書妖精、相手が誰であれ仕事を全うするらしい。

 ベッドから出て、椅子に座り、パソコンを点ける。背後に、イェシカが実体化した気配を感じた。

「…………ま、そうだろうな」

「へーえ」

 メールは、調査をさせた部下からの報告だった。

 中東からのゴブリンが、どうもニューヨークあたりに集まってきているらしい。ゴブリンにしては巧妙な手口で密入国し、とあるパブで、夜な夜な集会を開いている。

 ついでに、ICPOから偵察の許可も下りていた。

「灯台下暗し……ってほどでもねえ、か。ここならそう遠くない、俺達で行くぞ」

「ちょっと、何よ、俺達って」

 背後に居たイェシカが、俺の目の前に割り込んできた。腕を組み、ムスッとした表情を浮かべている。この構図も見飽きてきた。

「あのな。お前、俺のこと監視してんだろ。なら一緒に来ねえと仕事にならんだろうが」

「もうちょっと考えてから物を言ってくれないかしら。確かにあたしは貴方と同行するけれど、貴方の味方をするわけではないのだから、あたしのことなんて忘れなさい」

「あん?」

「貴方がこのパブに行くのはゴブリンを偵察するため。あたしがこのパブに行くのは貴方を監視するため。わかった?」

「そうかよ。つれねえな」

「お生憎様。そこまで軽い女でなくてよ、あたし」

 イェシカはそう口にすると、ぷい、と顔を背けたまま姿を消してしまった。

「なあ、それどうやって消えてんだ」

「知らないの? おっどろきー、人狼も堕ちたものね」

 けらけらという笑い声が、狭い部屋にこだまする。

「フェアリー風情のことなんぞ知ってたまるか」

 まあ、いい。こっちはこっちで準備がある。部下からの情報を見るに、おそらく今夜も集会はあるはずだ。

 これから俺が行うのはあくまで偵察だ。だが、拳銃程度は持っておいたほうが良いだろう。


 引き出しから弾薬と弾倉を取り出し、弾を込める。

 かち、しゃこん。

 かち、しゃこん。

 かち、しゃこん。

―――中東育ちのゴブリンは、基本的に知能が低い。

 奴らでは、ネット会議、なんて洒落たことは出来ない。大抵は頭の良いどっかの誰かががそのままトップになり、中東ゴブリンはその手先となる。だがそのためには、ゴブリンに入念に計画を刷り込まなければならない。なにせ、ここ一世紀でやっとこさ読み書きを覚えた連中だ。この時代に何かを企むっていうんなら、相当じっくり取り組まないと成功しないだろう。そしてその刷り込みは、fate to faceで行わなければ意味が無い。

 で、そんなにじっくりやっているところをむざむざ見逃すほど、現代の警察組織は無能ではない。俺の部下がこれほど早くに足取りを追えたのも、中東ゴブリンが間抜けだったおかげだ。

 だが。

「…………ゴブリンごときにインターポールが動くかよ、フツー」

 こんなもの、ニューヨークの所轄にでも放っておけば勝手に解決する事案だ。世界の警察を束ねるICPOが、わざわざ人狼部隊に声をかけてくるような事態とは到底思えない。

「―――同感ね。ゼッタイ裏があるわ」

「驚いたな。俺の仕事には口出さねえんじゃなかったか」

 しゅるん。イェシカが、弾込めをする腕に座るように実体化した。

「おい、邪魔だ、そこ」

「貴方の監視があたしの仕事。でもそれだって、もうちょっと大きな事件じゃないと意味が無いわ」

 俺の言葉は聞いていないらしい。妖精は脚をぷらぷらさせながら話し続ける。

「ゴブリン騒ぎ、なんて、地方新聞の一面にもならないちっちゃい事件よ。それが、今あたしや貴方を動かしている。なら、あたし達に与えられていない大きな情報を、本部は持っているんでしょうね」

「なんだ、お前も知らないのか」

 弾を込める手が止まる。俺はてっきり、コイツは全部知った上で行動しているものだと思っていた。

「あたしは、貴方が人狼部隊の隊長さん、ってことくらいしか知らされてなかったわ。前から獣人には興味があったから二つ返事しちゃったんだけど、なんであたしにそんな話が回ってきたのか、ってことくらい、考えればよかった」

 脚の動きを止め、下を向くイェシカ。

「どうした、らしくないな」

「そうね。ちょっと、嫌な予感がするの」

 沈んだ声。こいつのこんな声は、初めて聞いた。

「へえ。そりゃ、妖精の予知魔法か何かか?」

「…………乙女の、勘かな」

「は。そりゃありがてえな」

「…………うん」

 しゅるり、とイェシカが消えた。

「お、おい」

 本当に、らしくない。

「…………」

 気にしても、仕方ないか。

 弾込めを再開する。ひとつ目は終わったので、ふたつ目の弾倉を手に取る。まあ、三つもあれば十分だろう。

 全て込め終わるまでに、イェシカから何か聞き出せるだろうか。

 その、乙女の勘について。



―― ―― ――



 ネオンで描かれた看板を見上げる。夜の路地裏を煌々と照らすそれは、ひどく時代錯誤な代物だ。

 サンクチュアリ聖域

 それが、ゴブリン達が集まるというパブの名前だった。

『大層な名前ね』

『そうだな』

 イェシカからの念話に応える。仕事中は話し声を立てるわけにはいかないので、黙っていろと言ったらこんなものを使い始めた。

 人狼にも念話をする奴はいるが、俺は出来なかった。なので、これはイェシカ相手でしか成り立たない念話。コイツの魔法による一時的なものだ。

『念話ってのは、なんだか背中がムズムズするな』

『あたしは普通に喋るより楽でいいけどね』

 周囲に人気がないことを確認し、ホルスターから拳銃を取り出す。

 ワルサーのPPK。古いオートマチックピストルだ。小さなピストルなんて幾らでも存在するが、潜入任務といえば、やはりコレだろう。

 遊底スライドを引き、初弾を装填する。安全装置を掛けたことを確認し、もう一度ホルスターへ戻す。

 ここ数十年で流行りだしたポリマー合成樹脂フレームってやつは、軽すぎて持っている気がしない。部下には、時代遅れ、だなんて笑われたりもするが、人狼なんてのは存在そのものが時代遅れみたいなものだ。なら、とことん旧型で戦ってやる。

『ねえ、ちょっと思考が漏れてきてるわよ。古臭くってたまんないわ』

『んぁ? そうか、念話ってのは繋がりっぱなしだったか。そりゃ悪かったな』

 と、しゅるんと目の前にイェシカが実体化した。

『やけに素直じゃない。どうしたのよ』

『なんでもねえ。調子が狂うのはお互い様ってことだ。行くぞ』

 イェシカを避け、路地裏から階段を降りる。

 パブは地下にある。地上にあるのならば外部から好きなだけ覗き見られるが、地下となると厳しい。ゴブリンが集会所にするだけあって、魔法防壁まで備えてある。これでは直接入るほか手が無かった。

 程なくして、店に着いた。扉の前に立ち、深呼吸をひとつ。

「さて、鬼が出るか、蛇が出るか」

 木の扉を押し開け、店に入る。店内は木を基調にしており、パブというよりバーのような内装だった。そして、無駄に天井が高い。

 一歩踏み出そうとする俺を、でん、と立つ巨人トロールが止めた。

「らっしゃい。なんの用だ」

 六メートルの高みから見下すその目は、妙な動きをすれば殺す、と言っている。

「…………『電気羊の夢を見た』」

「……いいだろう、こっちだ」

 合言葉くらいは調べてある。が、なんとまあセンスのない合言葉か。

 トロールが右の壁に寄り、床板を開く。そこにはちょうど一メートル四方程度の穴が空いており、更に階段が続いていた。

「見ない顔だな、新入りか」

 板を持ったまま、トロールが話しかけてきた。出来るだけ話したくはないが、無視すると怪しまれるだろう。

「……そんなところだ。珍しい話じゃないだろう」

「ふん、お前らゴブリンのコトなんぞ知ったことか。とっとと行けよ」

 自分から話しかけておいてこれである。普段、ゴブリンにどんな態度を取っているかが伺える。

 とはいえ、このまま突っ立って居ると踏み潰されそうだ。でそんなことをされると洒落にならないので、おとなしく穴に潜り込んだ。

『―――へえ、上手くいくものね』

『人狼を舐めんなってことだ』

 頭の上で、ぱたんと床が閉じられた。真っ暗な階段を降り続ける。



 今宵は満月。人狼は皆、獣と化す。

 が、まあ、俺みたいな例外も居る。

 人狼は、純人やエルフ、妖精と交流を重ねることで、獣化の際に好きなものに化ける術を得た。個体ごとにその能力には開きがあるが、俺をはじめとする人狼部隊は皆その手のトランスレイションの達人だ。その中でも一番変化が上手いケヴィンの野郎なら、妖精種の目すら欺ける。

『ふうん、それは是非お目にかかりたいものね』

『……おい、どこまで漏れてんた、俺のアタマ』

『そうね、貴方の思考が無駄にポエムチックなのが分かるくらいかしら』

『ダダ漏れじゃねえか……』

 念話が繋がっている間は、余計な考え事をしないほうが良さそうだ。

『ま、それができれば苦労しないわよね』

『ケッ』

 階段が終わった。目の前には小さな木の扉。この先にゴブリン達がいる。

『待って』

 扉を開けようと伸ばした腕に、イェシカが実体化した。

『おい、出てくるなって言ったろ』

『お願い、お願いだから、ちょっとだけ待って』

 イェシカは腕から飛び立ち、扉にその小さな手を当てた。目を閉じ、真剣な表情を浮かべている。

『…………間違い、ない、わね』

『何だ』

『―――――ジョゼフ・ハインドマン。貴方に、この仕事の『裏』に、何があるか、何が居るか、今ここで教えてあげるわ』

 手をついたまま、深刻な表情でこちらを見るイェシカ。こいつと同居し始めて二週間、こんな顔は初めて見た。

『彼らのトップは、妖精よ』

『…………なんだよ、よくある話じゃねえか。それがどうした』

 中東ゴブリンのまとめ役は、北欧のゴブリンだったり、エルフだったりと様々だ。妖精がトップに立つことも、そう珍しい事じゃない。

『ただの妖精なら問題無いわ。その場合は貴方一人でも、この場にいるゴブリンもろとも葬り去れるでしょうね』

『じゃあ、何が問題だっていうんだ』

『……この中にいる彼はね、私達妖精の、師にあたるひとなのよ』



 妖精種は、すべからく高い魔力を有する。

 が、その使い道、使い方まで最初から知っているわけではない。自らの得意な属性の魔法ならともかく、特殊な魔法、応用の魔法を使うためには、それを教えてくれる師が必要となる。

 昔はその手の魔法学校がそこら中にあったものだが、今ではロンドンにあるひとつが残っているだけだ。

 最後のひとつというだけあって、規模は大きい。街ひとつぶんの広さを持つ魔法学校には、妖精種のみならず世界各地からエルフや純人が集まる。

 今回、ゴブリンをまとめている妖精種は、その講師だと、イェシカは言う。

『正確には講師だった、ね。先生はここ数年で教壇を降りたって聞いたわ』

 扉の前でレンガの壁に寄りかかり、念話を続ける。

『どういう奴だ』

天才genius。数えきれないほど多くの画期的な陣魔法を発案してる。詠唱魔法だって、五つの属性全てに於いて、彼の弟子は師である彼に勝てなかったわ』

『それ、教えるのがヘタなだけだろ』

『そうじゃな……、いえ、そうだったのかもしれないわね。でも、とにかく頭が良くて、魔法の上手なひとだった。そのうえ人格者で、私達の面倒をよく見てくれる良い先生だったわ』

『ふうん。名前は』

『…………ヒルダ。ヒルダ・ホールリン』

 うつむいたまま、イェシカはそう言った。




『これでいいか』

『ありがとう。大丈夫よ』

 イェシカの指示に従い、彼女の長い金髪を数本ずつ、扉の四隅のレンガに埋め込んだ。

『便利なもんだな、魔法ってのは』

『そりゃそうよ。でも、こうやって手を借りないと出来ないこともあるから、パートナーは必要ね』

 確かに素手でレンガに異物を「埋め込む」など、純人でも難しいだろう。だがこれで、部屋の内部を監視、盗聴出来るらしい。既に俺の部屋のパソコンと回線を繋いで記録を取っているとか、なんとか。

『お前さんが、ここまでしてくれるとはな』

 随分と楽な仕事になった。後は痕跡を残さず帰るだけだ。

他人事ひとごとじゃなくなったもの。……当たっちゃったわね、乙女の勘』

『そうだな』

 手についたレンガの欠片を払う。これで当初の目的は果たせた。ならば長居は無用である。

 降りてきた階段を登りながら、念話を続けた。

『ヒルダ・ホールリンって言ったな。お前と同じファミリーネームだが、なにか理由があるのか』

『もちろん。貴方、妖精種がどうやって生まれるか、知ってる?』

『知らないな』

『でしょうね。機会があれば教えてあげるわ。私達にはね、他の亜人種みたいに親ってものが居ないの。だから、名前をつけてくれる存在が別に居る』

『……ああ。お前の場合は、それがヒルダだったのか』

『半分当たりね。イェシカって名前をくれたのは別のひとだけど、ホールリンは師から貰ったものよ。妖精種はね、みんな、一番お世話になった師の姓を貰うものなの』

『へえ。なかなかロマンチックじゃないか』

『そりゃあ、妖精種が生まれた頃から続いている慣習だもの。ホールリンを名乗ってる妖精は、あの先生にしてはそんなに多くないけど、そのほぼ全員がBランク以上の認定を受けているわ』

『どこから』

『インターポール』

『…………へえ』

 ICPOは世界各国の警察機関の連携を図る組織であり、妖精認定機関などではない。あそこは、所属する妖精にしかそういった認定を下さない。なので、逆に言えば、ホールリンと名のつく妖精の殆どがICPOやその下部組織に所属していることになる。

『そりゃあ確かに大先生だ。だけどよ、そんな相手に魔法なんぞ使って、バレやしねえのか』

『その心配はいらないわ。さっきの監視の魔法は魔力をそんなに使わないから、もともとバレにくいの。それに、先生はね、魔法が使えなくなったから教壇を降りたのよ』

『はあ? 妖精が魔法を使えなくなったあ?』

『あたしも原因は知らないわ。そんな話、他では聞いたこともないもの。だけどそれが真実なのは間違いないわね。先生が現役なら、あたしが実体化した瞬間に串刺しにされてるもの』

『誰が』

『あたし達が』

『…………』

 しれっと言うが、複数形なのが恐ろしい。

『魔法こそ使えないけれど、ヒルダ先生は学者としても天才だった。彼がゴブリンを統率するというのなら、並大抵のテロリストじゃなくなるわよ』

『なるほどな。そりゃあ、インターポールも放っておけねえわな』

『そういうことね』



 床板を開けて階段から出ると、入ったときとは別のトロールが立っていた。

「なんだ、もう終わりかよ、ゴブリン」

「いいや、ちょっと俺ぁ体調悪くてな。早退だよ」

「け、馬鹿は風邪を引かねえって言葉、知ってるか?」

「…………知らねえな、なんだそりゃ」

「ゴブリン風情が知るわけねえよなあ、けけけ」

 笑うトロールを尻目に、店を出た。

 階段を登り、一ブロックほど路地裏を歩いたところで、姿をゴブリンからヒトに戻す。折っていた服の裾を伸ばしながら、ひとりごちた。

「――極東のコトワザだろう、それくらい知ってるっての……。予定は狂ったが、仕事は終わりだな。ありがとよ、イェシカ」

「べつに。礼を言われる筋じゃないわ」

「そうかよ。…………っと、煙草はNG、だったな」

 胸ポケットから煙草の箱を取り出しかけ、イェシカの小言を思い出した。仕事終わりの一服、というのは格別なのだが、それ以上にこいつの小言は堪える。

「……………。今日、ぐらいは、許してあげる」

「――――」

 念話がまだ、繋がっているんだったか。

 できるだけ何も考えないようにし、一本の煙草を取り出して、指先から火を灯す。

「……なんだ。貴方も魔法、使えるんじゃない」

「煙草を吸うくらいならな」

 ふう、と煙を吐く。

 吐いた煙は地面からの蒸気と混じり、丸い月へと昇っていった。




 二月十八日。

 報告。

 中東ゴブリンの不穏な動きを察知し、彼らの集会所となっていたパブ「サンクチュアリ」に潜入した。その際、本部より派遣された妖精種、イェシカ・ホールリンの監視魔法を設置し、内部の会議を記録した。添付ファイルを参照願う。

 その内容を以下に記す。

 中東ゴブリン種はヒルダ・ホールリンと呼ばれる妖精種を筆頭に、北欧にてテロを計画している。詳しい場所はまだ明らかではないが、会話から推察するに五つから六つ程度の巨大な魔法陣を使い、広範囲を同時に爆破するようである。それと同時刻に某所にて籠城し、何かしらの声明を発表するらしい。

 これらはひとつの意思を示威するのが目的であると推察される。その目的は未だ不明ではあるが、我々は以後も監視を続け、その目的を明かし、テロを未然に防ぐ。

 その為に、こちらから幾つか要望がある。

 ひとつは、万が一テロを防ぐことが出来得なかった場合に備え、吸血鬼等の戦闘員、及びエルフ種のような魔法兵を、六人ずつ用意していただきたい。こちらの人狼部隊では頭数が足らないので、万が一の事態の為に、用意だけしておいて欲しい。

 そしてもうひとつは、派遣されたイェシカ・ホールリンの本作戦への正式参加だ。これは、これからの監視、偵察をより円滑に進める為である。

 無論、我々人狼部隊の監視は続けていただいて構わない。

 以上を以って報告とする。以後、情報が判明次第、逐次報告を続ける。



「イェシカ。こんなもんか?」

「そうね、いつかの脅迫文よりはマシね」

「脅迫文って、おい」

 ノートパソコンのディスプレイに腰掛ける妖精を、じとりと睨む。

「何よ」

「いいや、何でもない。……っと、そういえばよ、なんかお前、獣人に興味があるとか言ってなかったか」

 俺の言葉にイェシカは目を白黒させた。

「よく覚えてたわね。ええ、そのとおり。ちょっと、いろいろあってね」

「いろいろ、ねえ」

 こいつもこいつで、それなりに苦労しているのか。

「ケンタウロスって、居るでしょう」

「ん? ああ。…………個人的には、ちっと可哀想な連中だと思うぜ、あいつら」

「意見が合うわね。あたしも、そう思うわ」

 半人半馬の亜人、ケンタウロス。腰から上は純人で、腰から下は馬の格好をした、ギリシャを起源とする馬人種だ。

 二、三世紀ほど前までは、その脚力を活かし、荷馬車による運送業やら旅客業やらをこなしていた。だが、今や車とバイクの時代となった。ケンタウロス達は、時代に取り残されてしまったのだ。

 そうして、一部のケンタウロスは、競走馬として扱われることとなった。無論、ケンタウロス達も望んでのことである。純人が徒競走を好むように、ケンタウロスもその足の速さを自慢にしていた。ならば、それを見世物にしてしまえば良いと、純人達は考えたらしい。

 そういった事情で百年ほど前から始まったセントCentaur・レースは、大衆に大いにウケた。なにせ、物言わずただ駆けるだけの馬と違い、高い知性を持つケンタウロスのレースだ。

 それはもう空前絶後の大ヒットだった。特にアメリカでは、セント・レースに出場するケンタウロスはスーパーヒーロー扱いで、そんじょそこいらの俳優など足元にも及ばない。

 だが、それを哀れだと思うのは、俺が同じ獣人だからだろうか。

 蔑んでいるわけでも、同情しているわけでもない。でも、そうすることでしか価値を発揮出来ない彼らが、ひどく哀れに思えるのだ。

「なまじ純人とかけ離れた外見として生まれてしまったが故に、世間から切り離されてしまったケンタウロス。ヒーロー、なんてふうに扱われているのはごく一部よ。だから、そういう獣人種はどんなふうに暮らしているんだろうって、興味があったの」

「それで、感想は?」

「期待はずれもいいところね」

 ディスプレイの隅っこに腰掛けたまま、これみよがしに溜息をつくイェシカ。

「貴方達人狼は、純人に近づきすぎよ。唯一の欠点であった獣化、いえ、狼化ですら貴方達は克服してしまった。それはもう、人狼とは呼べないのではなくて?」

「そりゃ誤解だ。俺みたいに獣化を操れるのはほんの一握りだしよ、それだって月のある夜じゃねえと使えねえ。訓練すれば獣化せず腕力だけ上げたりってこともできるが、それだって数十年は鍛錬しねえとどうにもならん」

「へえ。見た目は若いのに、何十年も鍛錬を?」

 訝しげな目線。

「人狼は寿命なんて有って無えようなもんだ。それに俺はな、三度の大戦も前線で生き延びてきたんだ。並の人狼と同列に考えてもらっちゃ、他の人狼に悪い」

「え、それほんと?」

 イェシカは身を乗り出して訊いてきている。余程意外だったのだろう。

「ああ。みっつめの大戦はちっとキツかったが、まあこうやって生きてる」

「魔法、大戦。……あれはそんなに、酷い闘い、だったの?」

 イェシカの目が、僅かに曇る。

「違う。立ち位置の問題だ。アレは亜人と純人の戦争だったろう。人狼はどっちの立場にもなれるし、どっちの立場にもなれない、おとぎ話のコウモリみたいなもんだったんだ」

「……そう。それは確かに、辛いわね」

「短期間で済んでくれて良かったぜ、アレは。長引けば、今居る人狼の半分は死んでたかも知れねえ」

「――――」

 イェシカは目に見えてしょんぼりしている。何か、思うところがあるらしい。

「……まあ、昔の話、済んだ話だ。それよりも」

「それより?」

 ぽかん、と顔を上げるイェシカの顔のその額に、こつんと人差し指を当てる。

「あいた」

 額をさすりながら、今度はうんざりしたような顔をするイェシカ。普段のこいつは感情表現が豊かなので、わかりやすくて良い。

「お前、ほんとにここに残っていいのか」

「何度も言わせないで。この事件はあたし、いえ、私達妖精にとっても重要な事件よ。ここまで関わっておいて、本部に戻るなんて出来ないわ」

「…………下手すると、お前、死ぬぞ」

 俺のその言葉に、イェシカは自信たっぷりに応えた。

「大丈夫よ、あたしは最高位の妖精なんだから。……それでも――」

 視線をずらし、顔を背けながら、言葉を続ける。

「――それでも、ピンチのときは。貴方に、助けて貰うから」

 白い頬が、ほんのり赤く染まっていた。

「……そうか。なら、そうしよう」


 こいつが最初にこの部屋に来たときは、一体どうなることかと思った。

 煙草は駄目だというし、昼寝をするとだらしないと文句を言うし、仕事をサボるとすぐに怒る。

 でも。

 なんだかんだで、素直なところもあるじゃないか。

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