一章 純人の章

「ユリ、置いてくぞ」

 コンコン、と木の扉をノックする。扉の向こうからはがしゃがしゃと、なんだか騒がしい音が聞こえてくる。

「え、もう? ちょ、ちょっとまってよう」

「あと五分なー」

「あちゃあ。うん、急ぐよ」

 その言葉を最後に、部屋からの物音はひときわうるさくなった。

「なにやってんだか」

 扉を後にし、階段を降りる。ちょうど父が家を出るところだった。

「行ってらっしゃい、父さん」

「ああ、行ってくる。母さんには言ったんだが、今日は遅くなるかも知れん。何かあったらコイツを飛ばすよ」

 そう言って、父は携帯電話を取り出した。

「オヒサシブリです、シューイチさん。イザというときはオマカセクダサイ」

 画面からひゅん、と実体化する擬似デミ妖精フェアリー

「はいはい、頼むよ」

 僕の言葉に頷き、デミフェアは画面に戻った。

「便利なんだか面倒なんだか、よくわからんな、コイツは」

 靴をごそごそやりながらぼやく父に、消えたはずのデミフェアが声だけで抗議する。

「ケンイチサマ。ベンリですよ、ワタクシは」

「便利なやつが自分で便利って言うものかい」

「サイキンのコはイイマスよ」

「まあ、サラリーマンとしちゃ、話し相手になってくれるだけでも嬉しいがね。じゃあ、行ってくるよ、修一」

「イッテキマス、シューイチさん」

 へろへろと手を振る父と、その後ろでひゅんひゅん飛び回るデミフェア。

「行ってらっしゃい」

 そのふたりに手を振って見送った。

 自分の荷物はもう玄関に置いてある。朝食は食べたし、準備は万端だ。あとは一緒に登校する同級生を待つのみである。

 時間はまだ少しある。することは特に無い。こういうのを一般的に、暇をもてあます、と言う。

「……暇、だな」

「では、お話しましょうか」

 ひゅん、と、胸ポケットから実体化する擬似妖精。

「お前とは話の種も尽きたよ。それとも、なにか面白いことでもあった?」

「いえ。株価は特段大きく変動していませんし、この辺りでは事件もありません。平穏そのものでございます」

「だろうね。それくらいは知ってる」

 壁にもたれかかって、自分の眼前に浮遊する擬似妖精を見る。

 デミ・フェアリー。

 亜人種の中でも希少な妖精種を、AIによって再現した擬似妖精。

 元々妖精種はその大きさ、性格、能力から全体的に秘書として優秀だと知られていた。それをコンピューターのAIとして再現したのがこの擬似妖精、通称デミフェアだ。

 デミフェアは純粋な妖精種を所有できない一般層に広く浸透した。今では携帯端末の標準機能とされ、機種によってはこうやって立体映像ホログラフィックにより中空に投影することもできる。

「お前の着せ替えでもするか」

「なんなりと」

 ちょうど十センチほどの大きさであるデミフェアは、サラリーマンから小学生まで、幅広い世代が使っている。話しかけるだけで携帯端末の機能を作動させてくれる利便性の高さも勿論だが、見た目や性格などのカスタマイズが出来るのも大きな魅力だ。

「そういやこないだのイベントで背広貰ったっけ……。お、これだ」

 端末の液晶を撫でて、黒い背広を選択する。

「上等なお洋服、感謝いたします」

 こんな感じで、対話するにはなんだかオカシイ部分もあるけれど、こういう片言なところもデミフェア人気の一端を担っている。

 携帯端末の機能というよりは、普通の友達には話せないようなことでも話せるパートナーとして、デミフェアは認知されている。情報端末を扱えないシニア層にも、デミフェアに話しかけるだけで各種機能が使えると大人気である。

「よし、こんなもんか」

「さすがはシュウイチ様、私めには勿体無いお召し物でございます」

 金のオールバック、青い目、白い肌、黒い背広、白い手袋。そして極めつけの片眼鏡モノクル

「執事だな」

「執事でございます」

 ふかぶかと礼をするデミフェア。

 ちなみにコイツには、特に名前はない。自分のデミフェアを特別視し、名前をつける人間もいる。そういう人間にとって、デミフェアはもはやペットである。僕はデミフェアなんて携帯電話の一機能に過ぎない、と考えているので、名前なんて付けるやつの気が知れない。

「ユリアーナ様がお越しになられたようです」

 デミフェアが階段の方を手で指し示す。ちょうど勢い良く扉が開くところであった。

「よっしゃー、まだ大丈夫だよね、シューイチ」

「そうだな、今日は走らずに済みそうだな」

「よしよし。ご飯食べてきまーす」

 わちゃわちゃと忙しい女である。スカートからワイシャツを半分はみ出させたまま、階段を慌てて降り、そのままリビングへ駆け込んでいった。

「ユリアーナ様は今日もお元気そうですね」

「そうだね。ホントにハーフかよ、アイツ」

「それは間違いありません。あの立派なお耳が何よりの証拠です」

「そりゃ見りゃわかるけどさあ」

 ユリはイギリス出身で、珍しい、エルフと純人のハーフだ。見た目は純人とほぼ変わらないが、能力はエルフのそれと同等。そして、耳が長い。

 昨年の秋から、本人の強い意向で、こうして日本にホームステイしに来ているのだ。

「僕、エルフってもっとこう、落ち着いてるイメージがあったよ」

「左様でございますか。昨今のエルフのモラル低下は、国際問題になりつつあります。シュウイチ様のお言葉も、ごもっともかと」

「そんなもんか」

「はい」



 ユリと並び、広い通学路を歩く。

 ホームルームピッタリの時間に着きそう、というタイミングなので、他の学生の姿は少ない。

「シューイチ、歴史のレポートやった?」

 僕の左で、自分の妖精と指先で戯れながら話すユリ。

「やったよ。お前やってないのか」

「ニホンの歴史とか知らないもん。クロフネ、くらいなら知ってるけど」

「だから勉強してるんだろ」

「う。それは、そう、だね」

 エルフというのは、総じて寿命が長い。歳を取るのもそれに応じて遅いのだが、ユリの場合は僕ら純人と同程度の成長スピードらしい。実際、僕とユリは同い年だが、特に成長に差があるわけではない。

 まあ、一部、未成長な部分はあるようだが。

「あ、なんかシツレーなこと考えてるね」

「人の頭を勝手に覗くなよ……」

「えへへ、わかっちゃんだからしょうがないよう」

 ユリも持っているエルフの特徴として、有する魔力量の多さがある。そして彼女は本場ロンドンで研鑽を積んだ、れっきとした魔法使いである。僕程度の思考を察知する程度、造作も無いだろう。

「魔法って言ったって、最近は規制厳しいからねえ。特にニホンは監視がキツいから、ヘタしたら発火の魔法だけでお縄だよ」

「お前な、なんでそういうところだけ日本語が上手いんだ」

「ユリアーナは日本のサブカルチャー、主に時代劇がお好きなのです」

「あ、こらヨセフ、よけーなこと言わないでっ」

 わたわたとでたらめに動くユリの腕を、直立の姿勢のままひゅんひゅんと避けるヨセフ。

「流石は純粋種、お前とは動きが違うな」

 胸ポケットの端末から、デミフェアを表示させる。

「私どもは所詮妖精、ヨセフィーナ女史のような動きなど、到底真似できるものではありません」

 深々と礼をする、僕のデミフェア。こういう仕草をするからこういう見た目にしたんだが、コイツは意識してやってるんだろうか。

「まったく、ユリといいヨセフといい、なんでウチに来たんだろうな」

「お二方共、たまたまだと仰られていましたが」

「…………別に、いいけどさ、こんな経験、普通じゃできないし」

 純人とエルフのハーフに、それに仕える純妖精。僕みたいな一般人が、おいそれと関ることのできる組み合わせではない。

「ねえ、シューイチ。今日はバイト、無いんでしょ?」

 ヨセフとじゃれあうのには飽きたのか、ふとこちらを振り向くユリ。

「ん。そうだな、今日は無いよ」

「当然でございます、ユリアーナ様。このような日に予定を入れるほど、シュウイチ様は無粋な方ではございません」

 ひゅるりと僕とユリの間に浮かぶデミフェア。

「そうだよね。もしそんな事をするようになったら、貴方がシューイチを止めてあげて」

「かしこまりました」

「…………」

 今日は、僕の誕生日だ。

 そして、ユリの誕生日は四月二十四日。

 すなわち今日である。

 すなわち。

 すなわち、僕とユリは、同じ誕生日なのだ。

「ホントに偶然なのかよ」

 やれやれ、と、ユリには聞こえないようにつぶやいてみる。

「偶然ですよ、修一さん」

「わ」

 ユリの妖精、ヨセフが右から話しかけてきた。

「……ヨセフ、驚かさないでくれよ」

 ヨセフことヨセフィーナ・ホールリン。輝くような赤い髪はまっすぐ背丈ほど伸びており、その瞳は美しいエメラルド・グリーン。

 彼女は擬似妖精ではない、正当な妖精種だ。なので、左にいるユリから離れて僕の右から話しかける、なんていうアクロバティックな芸当が可能なのである。無論、それ以上のこともできるが。

「ご免なさい。修一さんがあまりに素直な反応をするものだから、つい」

 微笑むヨセフ。彼女は結構いたずら好きだ。こういったところは、なんとなくおとぎ話の妖精に近い、気がする。

「そういや、ヨセフって誕生日はいつなんだ? ってか、妖精って、誕生日あるのか?」

「ふふふ、それは妖精に依りますね。私はありますよ。八月二三日です」

「へえ、誕生日がない妖精も居るんだ」

 僕の質問に、ふわふわと宙を漂いながら答えるヨセフ。

「ええ。それどころか名前の無い妖精だって居るんですよ、貴方のデミフェアのように」

「あれ、そうなのか。親が名前をつけてくれるってわけじゃないんだね」

「はい。私の場合は姉さんが付けてくれたんです。それも、つい二ヶ月ほど前のことですが」

「じゃあ、それまで名前、無かったのか」

「はい。名無しの妖精さんでした」

「――――」

 知らなかった。

 ユリがうちにホームステイしに来たときには、デミフェアしか連れて来ていなかった。ちょうど二ヶ月前、「新しいデミフェア」と言って姿を現したのがヨセフだったのだが、まあそんな嘘は直ぐにバレた。

 現在は橘家の家族のみ、ヨセフが純粋種であることを知っている。純粋種だということがバレると、学生の身分としては少し面倒なことになってしまうから、だそうだ。

 それにしても、名を貰ったのがその二ヶ月前とは。

「それ、辛かったんじゃないのか」

「あら、修一さんはお優しいですね。確かに名前がないことは辛くありましたが、きちんと姉さんから貰うことが出来たので良かったのです」

「そうか……。お姉さんの名前は?」

「姉さんですか? イェシカです。イェシカ・ホールリン」

「イェシカ、か。なんか、妖精らしい名前だね」

「ええ、私もそう思います」

 幸せそうに笑うヨセフ。姉の事が、余程好きらしい。

「自慢の姉です。今はなんとインターポールで働いてるんですよ。今はダブリンに居るんだって、連絡が届きました」

「そりゃ凄いな。……って、インターポール?」

「ええ。確か、お父様の賢一様も、インターポールでお仕事をされているんですよね」

「一応、ね。下っ端だよ」

「お巡りさんに上も下もありません。ご立派なことです」

「そう、かな」

 ヨセフにとってお姉さんが自慢なら、確かに僕にとっても父は自慢である。ICPOに所属している、なんて、まるでマンガみたいだ。

「そういう立場にいるから、ユリがホームステイしにきたのかもしれないな」

「そうかもしれませんね」

 ふふふ、なんて笑うヨセフ。

「むう」

 そんなヨセフと僕を、じとりと見つめる視線がふたつ。

「シュウイチ様は、ヨセフィーナ女史と仲が宜しいようでございますよ、ユリアーナ様」

「そうでございますわね、デミフェアさん」

「あらあら、ご免なさいね、ユリアーナ。修一さんを横取りするつもりは無いのですよ」

 するすると、自らの主のもとへ戻っていくヨセフ。

「べ、別にヨセフがシューイチをどーこーしよーがどーでもいいわよう」

 またユリのでたらめパンチが炸裂している。それをヨセフはひょいひょいと避ける。

「…………なあ、デミフェア」

「はい、何でしょうか、シュウイチ様」

「やっぱ、お前も名前、要る?」

 僕の言葉に、少しだけ目を見開くデミフェア。

「……頂けるのでしたら、是非」

「オッケー、考えとく」

「ありがとうございます」

 今日は僕とユリの誕生日だ。

 コイツの名付けには、丁度良い日だろう。




「デミフェアの名前、ねえ」

 歴史の授業中、テキトーに教師の話を聞き流しながら考える。

 僕が自分のデミフェアに名前をつけていなかったのには、名付けすることがとても苦手、という理由もあった。一体、どうやってナマエをつければいいのか、てんでわからないのである。

「ヨセフ……ヨセフィーナって、綴りは……Josefina、だよな。男性形にして、Joseph、ヨセフ……ああいや、ジョセ……ジョゼ、フか。……うーん、なんかイメージが違うな」

 ノートにアルファベットを書きながら、いろいろと思案してみたが、ピンと来るものはなかった。

「あ、そうだ。後でヨセフに訊いてみよう」

 妖精同士、何か良い名前を思いついてくれるかもしれない。

「……第二次世界大戦後、純人種に対し不満を持った亜人種が蜂起し、最初となる魔法大戦が…………」

 ユリにはああ言ったが、実際歴史の授業というのはつまらない。なんというか、昔の話ばかりで親近感というものが湧かないのだ。

 数学や国語、英語ならば日々の生活に直接役に立つけれど、歴史なんて言うのは知っているかどうかを試される教養だ。そりゃあ自分の国の歴史を全く知らないようなヤツは馬鹿にされるかも知れないけれど、それも中学生までの知識があれば十分だろう。高校生で習う内容は中学で習った内容の掘り下げばかりだ。あとの知識は、生きていく上で自然と身についてく。

「橘、答えてみろ」

「あ、はい」

 突然の指名。話を聞いてなかった。が、ホワイトボードを見れば何を訊かれているかくらいは分かる。書かれている文章は、「魔法大戦に於いて亜人種側のリーダーとして立ちまわった人種は――」というところで切れている。

「…………エルフです」

「そうだ。大戦の際、エルフ種が亜人種を取りまとめる立場として、純人種と敵対した。これが大戦のきっかけとなり――」

―――歴史の授業をつまらないと思う理由は他にもある。

 今でこそ和解しているからいいものの、この教室にはユリのような亜人種だって居るのだ。そんな場所で戦争の話をするなんて、無神経にも程がある。

「修一さんは、少し優しすぎますね」

「む」

 頭のなかからヨセフの声がする。

「授業中に念話なんてするなよ」

「あら、修一さんはこの授業はお嫌いだったのでしょう?」

「はあ。そうやって人の頭を勝手に覗くところは、ユリと似てるな」

「ふふふ、先ほどのような強い感情の場合、勝手に聞こえてしまうものなのですよ」

「ふうん。……ああ、丁度よかった、ヨセフに頼みたいことがあるんだ」

 ホワイトボードを眺めながら、口を動かさずヨセフに念話で話しかける。

「あら、なんです?」

「僕のデミフェアに、名前を付けてくれないかな」

「あらあら、私なんかが付けてしまって宜しいのですか」

 ことりと、机から小さな物音がした。下を見ると、僕の机の裏からにょっきりヨセフが顔を出していた。

「ああ。僕はどうも名前を付けるのが苦手なんだ。ヨセフは本を読むのが好きだったろう? 僕よりかは得意かな、と思ってさ。ヨセフが良ければ、頼まれてくれないかな」

 僕の言葉に、ヨセフが笑みを浮かべた。

「ええ。それでは、修一さんの誕生日プレゼントはデミフェアさんのお名前にしますね。楽しみにしておいてください」

 それだけ言って、しゅるりとヨセフの姿が消えた。念話もシャットアウトされている。

「さて、鬼が出るか、蛇が出るか」

 僕から念話を発することは出来ない。一度、念話の出来る相手に回線を開いてもらえば会話のやり取りができるが、それも一時的なものだ。

 とりあえずは、ヨセフの名付けのセンスに期待しよう。




 滞り無く授業は終わり、昼休憩もついでに終わって、あっという間に放課後になった。

「シュウ、今日は部活出ていかねえのか」

「ああ、今日は早く帰らないといけないんだ」

「なんで?」

 意味わからん、なんて顔をするクラスメイト。

「今日は僕とユリの誕生日なんだ。そういう日くらい、早く帰らないとな」

「へえ、そりゃすげえ」

「だろ? だから、先に帰らせてもらうよ」

「そうかい。せいぜい楽しんできな」

 しっしっと虫を払うような仕草をする同級生にデコピンを炸裂させ、ユリの机に近寄る。

「帰ろう」

「あ、うん……」

「ん? なんだ、どうかしたのか」

「…………ううん、なんでもない。早く帰ろう」

 何かを振り切るように立ち上がり、鞄を持って歩き出すユリ。

「なんでもなくは、ないだろう」

 その背中を追いかけた。



「……ねえ、シューイチ。ヨセフに何か言った?」

 帰り道。ヨセフを先に帰らせたユリが、小声で訊いてきた。

「何かって?」

「なんかね、ヨセフ、お昼ごろから元気がないの。すごく落ち込んでるみたいで……」

「…………」

 デミフェアの、名付けのことだろうか。

 いや、そこまで悩むようなことではない、ような。

「直接、聞いたほうが早いんじゃないか」

「そ、それはそうなんだけど、もしシューイチが知ってたら、と思って」

 ユリとヨセフは仲が良い。主従関係というより、友達といったほうがしっくり来る。

「……関係ないとは思うけど、頼みごとをひとつしたんだ。コイツの名付けを、ね」

 胸の携帯端末に触れる。

「そう、なんだ。……うん、確かにそれは、ちょっと違うかな」

「だろう。帰ったら訊いてみよう」

「そう、だね」


 夕暮れで朱に染まる道路を、並んで歩く。

「…………」

「…………」

 せっかくの誕生日だというのに、なんだか空気が重い。

「あ。そうだ。なあデミフェア、父さん、今日は帰りが遅いとか言ってたな」

 擬似妖精機能を起動し、話しかける。

「はい。本日午前七時二四分に、そのように記録しております」

「どうしたの、シューイチ」

 怪訝な顔をするユリ。

「いや、父さんがこういう日に帰りが遅いなんて、今まで無かったんだ。こう言っちゃなんだけどさ、仕事より家族ってひとだから、僕達の誕生日に早く帰ってこないなんて相当のことだよ」

「そういえば、そうかも」

 父の仕事は警察官だ。それも、インターポール、ICPOの末端組織に所属している。

 嫌な予感がする。

「…………シュウイチ様、噂をすれば影、でございます」

「え?」

「あと五秒で、お父様の擬似妖精が転送されてきます」

「な」

 きっかり五秒。僕の胸ポケットから、父のデミフェアが投影された。

「シュウイチサマ、ケンイチサマは、オシゴトがカタヅカナいそうでス」

「やっぱりか。なんの仕事だ?」

「アイルランドの、ゴブリンが、ナントカとオッシャテいまシた」

「ゴブリン?」

 はて、と首をかしげていると、ユリの表情が変わった。

「ア、アイルランドの、どこっ」

「エエト…………だぶりん、のよウです」

「ダブ、リン…………」

 ダブリン?

―――昼間、ヨセフは言っていた。自分の姉が、ICPOに所属していると。

 そして、ダブリンに居ると。




 結局、家に帰って早々、原因ははっきりした。

「ひどい……」

 居間のテレビは夕方のワイドショーを流している。緊急ニュースとして、煙に包まれたトリニティ・カレッジが映されていた。

 アイルランドの首都、ダブリンで、テロが発生していた。

「カレッジ周辺に居た純人やドワーフなど、死傷者は百名以上に及ぶと見られています。首謀者と見られる妖精種、ヒルダ・ホールリンは既に現地の部隊に殺害されたとの情報もあり――」

「…………ホールリン?」

 ユリと顔を合わせる。

 『ホールリン』は、ヨセフのファミリーネームだ。

 当のヨセフは、テーブルの上に座り込んでしまっている。

「ヨセフ、大丈夫……?」

 ユリが手を伸ばすと、その手にヨセフが寄りかかった。

「……ええ、大丈夫よ、ユリ。さっき、姉さんから連絡が帰ってきたから」

「良かった……」

 だが、ヨセフの顔色はまだ悪い。

「なあ、ヨセフ。答えたくないならいいんだけど、その、ヒルダ・ホールリンって……」

 僕が詰まらせた言葉に、ヨセフは少しだけ微笑んだ。

「……やっぱり、修一さんはお優しいですね。ヒルダ・ホールリンは、私と姉さんに魔法を教えてくれた恩師です。でも、どうして、こんなことを……」

 ヨセフの視線がテレビに戻る。

 テレビには、トリニティ・カレッジの惨状が映し出されている。道路からは白煙が昇り、行き交う人々は血に塗れ、カレッジの一部は崩落している。

「…………たった今入った情報によりますと、ICPO、国際刑事警察機構がこの事件の捜査を各国に依頼していたとのことです。このような事態になる前に、未然にテロを防ぐことは出来なかったのか、ICPOへの非難の声も――」

 ぷつり、とテレビが消えた。

「ユリちゃん、修一。私達に何かあるのなら、お父さんが教えてくれるでしょう」

「母、さん……」

 キッチンから出てきた母は、手にリモコンを握っていた。

「ほら、今日はふたりの誕生日なんだから。ヨセフちゃんのお姉さんも無事だったのでしょう?」

「……ありがとうございます、綾香さん」

 母に向かって、深々と礼をするヨセフ。

「いいのよ。さあ、お父さんは遅いようだから、先にご飯食べちゃいましょう」




 夕食は、ユリの大好きなトンカツだった。ちなみに僕も好物である。

 食後のデザート……というか誕生日のメイン、ケーキも平らげ、まったりした空気が居間を包む。

「あ」

 小さなカップで紅茶を飲んでいたヨセフが声を上げた。

「すみません、修一さん。お名前の件、失念しておりました」

「え? ……ああ、別に構わないよ」

「いえ、そうはいきません。ですが、私も良い名前が……」

 と、なにやら考えこんだかと思うと、ぱっと顔を上げるヨセフ。

「ユリ、携帯電話を貸してくれないかしら」

「え? まあ、ほとんどヨセフのものなんだし、好きにしていいけど……どうするの?」

 ユリが携帯電話を取り出し、ことん、と机に置いた。その上をヨセフがふわふわと漂う。

 デミフェアがそうであるように、純粋種の妖精もこういった携帯端末を制御することが出来る。例えば、

「姉さん、お久しぶりです」

 こんな風に、地球の反対側に向かってテレビ電話を掛けたりできるのだ。

「こうやって顔を合わせて話すのは確かに久々ね、ヨセフィーナ。あら、そちらがユリアーナさん?」

「はい、ユリアーナ・バッヘムです。イェシカさん、ですね?」

「ええ。イェシカ・ホールリンよ。妹がお世話になってるようね。迷惑はかけてない?」

「そんな、ヨセフにはお世話になりっぱなしです」

 てへへ、と頭を掻くユリ。

 実際、ユリはヨセフに甘えまくりである。文字通り朝起きてから夜寝るまで、というか寝てからも、ヨセフのサポートを受けている。完全にメイド扱いである。

 机の上の携帯電話からは、中空にイェシカさんの姿が投影されている。長い金髪、澄んだ碧眼。人形のように美しい、ひとりの妖精。

―――姉妹とは言うけれど、ヨセフとはあまり似ていない。

 ヨセフは目の覚めるような赤い髪で、瞳の色だってエメラルドだ。まあ、妖精と純人では、姉妹という言葉の意味合いも違ってくるのかもしれない。

「それで、どうしたの、ヨセフィーナ。貴方から電話を掛けてくるなんて珍しいじゃない」

「もう。少しは心配する身にもなってください。そちらは大変なんでしょう」

「え? そうね、大変といえば大変だけど、もう済んだことだもの。面倒な手続きは他の人がやってくれてるから、私は休憩中よ。……あ、こらジョゼフ、煙草は……」

 何事かを誰かにつぶやいて、イェシカさんがフレームアウトしてしまった。

「どっか行っちゃったな」

「どっか行っちゃったね」

「どっか行っちゃいましたね」

 十秒としないうちにイェシカさんは帰ってきた。なぜか、自分の背丈と同じくらいの大きさの煙草を神輿のように担いで。

「もう、隙があったら吸おうとするんだから……。ええと、なんだっけ、ヨセフィーナ」

 ぽい、と煙草を投げ捨てて話をするイェシカさん。

「いえいえ、本題はここからです、姉さん。あのですね、こちらの修一さんの、擬似妖精さんに名前を付けてあげて欲しいのです」

 そう言ってヨセフは僕の方に携帯電話のカメラを向けた。

「あ、はじめまして、橘修一です」

「はじめまして、修一さん。タチバナっていうと……ああ、ユリアーナさんのホストファミリーですね?」

「ええ、そうです。今日は僕とユリの誕生日なんですけど、そのついでに、ヨセフにコイツの名付けを頼んだんです。で、何故かこんなことに」

 自分の携帯電話を取り出し、擬似妖精を表示させる。

「私めもナニガナニヤラ、でございます、イェシカ様」

 投影されたイェシカさんに深々と礼をする擬似妖精。

「なるほど、そのデミフェアの名付け、ね。……なんだか、ことごとくデミフェアと縁がある日ね、今日は」

「姉さん?」

「あ、ううん、なんでもないわ。そうねえ、じゃあ……」

 うーんと考えこんだあと、何かひらめいたような顔をするイェシカさん。

「そうだ、ジョゼフ、貴方何かいいアイデア無いの」

 どうも、同じ部屋にいる誰かに話題を振ったらしい。話がどんどん転がっていく。

「あ? つーかお前、ヨセフィーナって、俺の名前勝手に使ったろ……まあいい、ええと、そっちの金髪の名前か?」

 ひどく低い、男性の声が聴こえる。

「はい、私めにございます」

「あー、そうだな、ジェシーでどうだ。綴りは、j、e、s、s、e」

「ジョゼフ、貴方それ、ジェシカJessicaの男性形じゃないっ」

「いいだろ、お前も同じことやったんだしよ。それでいいか、ボウズ」

 ぐいっと画面に割り込んでくる外国人。

 黒髪。赤い目。白い肌。そしてにかっと開いた口から見える、八重歯と言うにはあまりに長い、牙。

「え、あ、はい、勿体無い名前、です」

「おう、貰っとけ貰っとけ。じゃ、お前は今日からジェシーだからな、デミフェア」

「畏まりました。このような特別な日に名前を受け賜り、感激の極みでございます」

「おいおい、なんだ、すげえなコイツ、流石極東ってとこか……。―――うげ、いでで」

「で、て、けっ」

 イェシカさんが、先ほどの男性の頬を全力で押し、フレームアウトさせようとしている。

「おう、えーと、シュイーチだっけか? 横のお嬢ちゃん、とっととどうにかしねえと、俺が獲っちまうぜ」

「ええい、黙れこのウェアウルフ……ッ」

 最後の一押し、といった具合にぽーんと顔をはねのけるイェシカさん。

「はあ、はあ、もう、頼った私が、馬鹿だったわ……」

「いえ、良いお名前がいただけました。ありがとうございます、姉さん」

「……ですって、好評みたいよ、ジョゼフ」

 そーだろー、と言う声が遠い。部屋の隅にでも追いやられたのだろうか。

「ジョゼフさんと仰るのですね。姉さんがお世話になっております」

「ヨセフィーナ、このひとは別にマスターでもなんでもないわ。ちょっと仕事の都合で一緒に居るだけよ」

「あら、仕事の都合で男性と同じ部屋に二人っきりなんて、まるでスパイ映画のようですね、姉さん」

 遠くから、ぶはっと噴き出す声が聞こえた。

「……言うようになったわね、ヨセフ。近くに居るのなら水責めにするところよ」

「姉さんが遠くにいらっしゃるから言えるのです。でも、お元気そうで安心しました」

「ええ、心配は無用よ。用件は終わりかしら?」

「はい、お忙しいところ無理を言ってすみませんでした。ありがとうございます」

「いいのよ、頼ってくれて嬉しいわ。それじゃ、ユリアーナさんと、修一さんも、お元気で」

 笑顔で手を振るイェシカさん。その顔には、特に疲れなども見えないような気がした。

「はい、ありがとうございます」

「あ、ありがとうございましたっ」

 ひゅん、という音とともに映像が消えた。

「なんだか、大変そうだったね、イェシカさん」

「ええ、でも元気そうでした。良かったです」

 ほっと息をつくヨセフ。その顔からは、さっきまでの影が消えていた。

「あれがイェシカさんかあ。話には聞いてたけど、本当に綺麗な妖精さんね」

 携帯電話をポケットにしまいながら、ユリがヨセフに話しかけた。

「ええ。自慢の姉だもの」

 楽しそうに笑うヨセフ。

 名付けを頼んだことが、なんやかんやで良い方向に働いてくれたらしい。

「じゃ、これからよろしくな、ジェシー」

「はい、修一様」

 そう言って、僕のデミフェア、ジェシーは深々と礼をした。




「ジェシー、映画は何時からだっけ」

「はい、本日修一様がご覧になるご予定の『タイガー道場劇場版』は十三時二十五分開演予定となっております」

「だってさ、そろそろ出ないと見れなくなるぞ、ユリ」

 昨日の朝と同じように、ユリの部屋の扉を叩く。

「わ、わかってるようっ。も、もう終わるからっ」

 まったく、毎度毎度なにをごそごそやっているのやら。

「修一さん、お茶を淹れましたから、一杯如何ですか?」

 背後からヨセフの声がした。

「ん、ああ、じゃあそうするかな……。って、ヨセフが淹れたって?」

「ええ、そうですが」

 それが何か? なんて顔をするヨセフ。

「いや、どうやって淹れたんだ。ヨセフの大きさじゃ、ポットとか持ちあげられないだろ」

「ああ、それなら問題ありません。私用に小さな紅茶セットを持ち込ませていただいておりまして。ちょっとしたティータイムにはぴったりなんですよ」

「へ、へえ、そんなのあるんだ」

「流石でございます。私めには到底真似できぬ所業でございます」

 ぴょこんと実体化したジェシーに、ヨセフが近寄る。

「ジェシー、ショギョーという言葉、あんまり良い意味ではありませんよ」

「左様でございましたか。いやはや、ご指摘いただき恐縮至極でございます」

「むう」

 ジェシーの日本語はユリ以上にどこかおかしい。突っ込んでいたらきりがないぞヨセフ、という言葉を飲み込む。

「……お茶飲んでくるよ。冷めちゃいそうだし」

「あ、はい。ユリアーナの準備が整ったらお知らせ致しますね」

 ヨセフの言葉に頷きを返し、居間に向かう。

 今日はユリとともに映画を見るのである。母がどういうわけかチケットを買っていたので、二人で観に行く事になった。映画のチョイスは流石我が母、なんというか内角高めから外角へ逃げるスライダーのようなセンスである。

 テーブルには一杯の紅茶が置いてあった。紅茶の良し悪しはわからないけれど、飲んでみるとなんとなく美味しい気がした。

―――女の子と二人で映画を見る。こういうのは一般にデートと呼ばれるそうだが、相手はホームステイをしている同居人である。なので問題はない。

 あ。いや、それはそれで問題があるのか?

「あら、修一さん。顔が赤いですよ、紅茶、熱かったですか?」

「え?」

 ぼうっとしていたのか、気が付くとヨセフが目の前でふわふわしていた。

「ああ、いや、そんなことはないよ。凄く美味しかった、ありがとうヨセフ」

「いえいえ、お気になさらず。ユリアーナの準備も整いましたので、玄関にお越しください」

 そう言って、ヨセフの姿がしゅるりと消えた。

 

 今日は天気が良い。

 映画が面白いかどうかは知らないが、これなら近くの喫茶店にでも入って、ユリとお茶をするのも悪くないだろう。

 面白くてもつまらなくても。

 その感想をユリと言い合えるのなら、それはきっと楽しいだろうから。

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