ちいさなほしのうえで

ゲンダカ

二〇五四年 アイルランド・ゴブリンテロ事件

序章 妖精の章

 私はこれより、咎人となる。

 私はこれより、テロリストとなる。

 私はこれより、妖精の面汚しとなる。

―――私はこれより、師に背く。

 許しなど請わない。そんなものは要らない。

 名誉など要らない。そんなものは捨てよう。

 地位。誇り。知識。経験。人生。過去。未来。世界。

 すべて、要らない。

 もう、なにも。


 世界か。

 世界にも、名は無いな。

 そも、世界という言葉はその定義すら個人により、場合により異なるものだ。

 あるときは宇宙を示し、

 あるときは個人を示し、

 あるときは全を示し、

 あるときは一を示す。

 世界とは、幾つもの宇宙と完全な無を包括した、果のない空間の名であり、

 世界とは、ただ一人の人間の脳髄から発せられる電気信号の名である。


 世界の定義を、この果のない空間に限るなら、その名は宇宙であろう。

 世界の定義を、この星に限るなら、その名は地球であろう。

 世界の定義を、この土地に限るなら、その名は北欧であろう。

 世界の定義を、この文章に限るなら。

 世界の定義を、これを思考するものに限るなら。

 それは。

 その名は、心だ。


 故に、世界に決まった名など無い。

 あるとすれば――「世界ワールド」こそが、この世界の名なのだろう。

 この星の名が地球であるように。

 この土地の名が北欧であるように。

 これが、私の心であるように。

 

 その「心」が叫び続ける。


 魔法の使えぬ妖精に、価値など無いと。


 今や純人ですら魔法の行使が可能となった現代に於いて、魔法の使えぬ妖精など、青い薔薇以上に不思議で不確かな、存在し得ぬものだろう。

 だが現に、それ・・は存在している。

 青い薔薇がその形を得たように。

 情報技術に依る疑似存在がその形を得たように。

 それらに、そんな不確かに、価値などあるものか。

 そのような無価値が跋扈するこの時代にも、やはり価値などあり得まい。

 ならば、壊してやるのが道理ではないか。


 そうだ。

 そして、その役目には、私こそが相応ふさわしい。

 魔法の使えぬ、私こそが。


―――ああ。

 我が偉大なる師よ。

 マリアよ。

 私が貴方に背く日が来るなど、考えもしなかった。

 私は貴方に憧れ、私は貴女に焦がれ、この形を得たのだから。

 その私が、貴女に背く日が、とうとう来たのです。来て、しまったのです。

 それでも、あの教え、私が最も重く受け止めた、あの教え。

 魔法ばかりを教える貴方が、ただひとつ「人としての在り方」として説いてくれた、あの教え。

 これ・・にだけは、背かないつもりです。


「為すべきこと、為したいことが相反したのなら、為したいことを為すように。そうすれば、少なくとも後悔などという惰弱は残らない」


 そうだ。貴女の仰る通りだ。

 私はその惰弱を、一片たりとも残したくないのです。


 弟子たちにも、少し迷惑をかけてしまうだろう。

 永い時間をかけて積み上げた「ホールリン」の名を、きっと私は地におとす。

 まあ、それでも、奴らならば大丈夫だろう。

 私が言うのもなんだが、奴らはよく育った。ひとりを除いて―――いや、ヤツも含めて、素晴らしい魔法使いに育ってくれた。

 奴らなら半年と経たず、堕ちたホールリンの名を、尊厳を取り戻すだろう。


 悔いはない。心残りも、なにも無い。

 準備もじき終わる。もはや私の意思とは無関係に事は進む。

 さあ、始めよう。

 世界わたしを、終わらせよう。

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