二章 耳長の章

 西暦二〇五四年四月二十三日

 現代魔法学レポート

「魔法という現象について」

 現代魔法学科一回生 アルミリア・ヘルメリウス


 魔法は、生命力を燃料に発動する「現象」の一種である。

 類似の現象として、発火や爆発がある。これらは「燃料の生命力」を使った魔法とも言えるが、現代社会においては基本的に化学反応に分類される。

 魔法とは、科学では代用、再現できない現象を示す。エルフ種、精霊種、妖精種の三種、通称魔法種が主な使い手とされているが、純人種でも扱うことのできる個体は存在する。

 魔法行使をする場合必要とされるのは魔力である。魔力は生命力を変換することで保有することが可能になるが、その変換効率、及び最大量には種族、あるいは個体ごとに大きな差異がある。これは生まれ持ってのものであり、魔法種が魔法を得意とするのは純粋に有する魔力量が多いが故である。純人種では個体ごとに魔力量は大きく違っており、極端な例ではほぼ魔力を有していない個体や、エルフのそれに匹敵するほどの魔力を有している個体が確認されている。

 魔力は生命力を源としているため、使えば身体的疲労を伴う。身に余る魔法行使は生命力を枯渇させ、死に至らしめる危険性すらあるが、大抵の場合そこに至るまでに気絶、あるいは疲労によりそも魔法行使が不能となるため、命を失うことは稀である。

 また、生命力が元となっていることから、魔力は食事や睡眠などの休息を取ることで自然回復する。魔力を多く含む物質を取り込むことで急速な回復を得ることも可能だが、それでも大した量を回復することは出来ない。故に、大魔法を行使する際には大気中の魔力を使うか、事前に何らかの方法で貯蔵しておいた魔力を使うのが一般的である。

 魔法には大別して二つの種類がある。言霊による詠唱を用いる詠唱魔法と、陣を刻むことで発動する陣魔法である。

 詠唱魔法の際に用いる詠唱は呪文とも称されるが、これは各個人により固有のものである。極端な例えをするならば、「凍れfreeze」という詠唱で i g n i t ionも可能ではある。これは詠唱がその意味を自らの身体に語り聞かせ、魔力のあり方を確定させているからだ。いわゆる自己暗示と同一のものであり、故に詠唱魔法は固有のものだ。簡易な、慣れた詠唱魔法ならば詠唱そのものを簡略化させ、手を叩くなどの動作で発動させることも出来る。基本的にこれらの魔法を後世に継承することは、困難を極める。

 一方陣魔法は、地面や壁、あるいは紙などに陣を刻み、魔力を注ぐことで発動する術式である。陣形は基本的に円形であるが、例外も存在する。陣魔法の特色は、その陣の意味を理解せずとも、魔力さえ流し込めば発動するということである。これは詠唱を陣によって代用した恩恵で、第三者の用意した陣でも魔力を通せば発動できる。これにより陣魔法は詠唱とは違い後世に残し、さらなる研鑽を行うことを可能とした。

 陣を刻むには文字通り何かに彫り込むか、水銀、体液等で陣を描く必要がある。詠唱よりも手間がかかる術式だが、その効果は詠唱魔法よりも大きい。

 現代に於いて、魔法を生業とする種族はほぼ皆無と言って良いだろう。銃火器を用いることで収入を得るのとほぼ同程度の割合だと言われている。

 実際、魔法と銃火器というのはいろいろな立ち位置が似ている。一般的に使用が忌避されること、軍事行動の際によく使用されること、各国の法律により厳しく制限されていることなどが主な類似点だろう。

 先述した三大魔法種の主な所属は、警察などの法執行機関や軍隊か、大学を始めとした研究機関だ。

 研究者としての魔法使いは、科学と魔法の融合を目指すものが好ましいとされている。勿論それに対する派閥も多かったが、魔法大戦以後はその動きも沈静化してきている。その研究の成果のひとつが擬似妖精だと言えるだろう。

 時代に取り残された遺物でありながら、今なお研究、研鑽される学問。

 それが魔法である。





「はあ」

 ペンを置き、レポート用紙をクリアファイルに挟む。

 基礎が大切だと言っても、こんな基礎からやらされるなんて聞いてない。だってこんなの、呼吸の仕方をレポートしろ、なんていうのと何ら変わらない。

 更に私が腹ただしいのは、その「呼吸の仕方」をもう半年も授業で教えられているということだ。

「あれ、レポート終わったの、アル?」

「終わったわ。エミリー、貴方は? 歴史のレポート、まだだったでしょう」

 隣で私の言葉を聞いたルームメイトは、そのままぐでっと机に寄りかかった。

「めんどくさーいー」

「あっそ。あのヘルゲ爺のお説教とどっちが面倒かしらね」

「むう。アルのそういう、すぐ本質を突くところ、どうかとおもうな」

 顔を上げ、むすっとした表情をこちらに向けるエミリー。それを無視し、鞄に教科書を詰めていく。

「正論でぐうの音も出ないだけでしょう。分かったならさっさとやりなさい。もう九時よ」

「げ」

 私達一回生から三回生までの寮は十時で消灯という決まりになっている。いまどき随分と厳しいものだが、魔法学校であるのだから厳格なのは当然といえば当然だ。

「はーあ。レキシとか、なんの意味があるのかな」

 鼻と上唇でペンを挟んで文句を垂れるエミリー。

「あら、私は有意義だと思うけど。過去があるからこそ今があるんじゃない。私達は未来を創るのだから、その為に先人の功績を知ることは必要不可欠よ」

「もう、アルはスイッチが入ると先生みたいになるね」

「あら、それもいいかもね。先生、か。……むふふ」

「アル、きもい」

「うるさい、とっととやれっ」

 手元にあった消しゴムを、隣のエミリーの額に投げつけた。

「―――きゅう。もう、暴れん坊アルはとっとと寝ちゃえ」

 ぶすぶすと文句を言いながら、それでも歴史の教科書を出すあたり、エミリーは真面目だ。

 明日必要な教科書は全部鞄に詰め終えた。あとは寝るだけなので、二段ベッドの上へと移動する。

「にしてもさ。魔法学校なのに、なんでレキシなんて勉強するんだろうね」

 かりかりとペンを走らせながらエミリーがつぶやいた。布団を整えながらそれに答える。

「魔法なんて歴史を積み重ねた結晶じゃない。学ぶのは当然だわ」

「それは魔法史だけで十分じゃん。なんで一般教養までやらされるの」

「ここが現魔科だから。現代に適応するためには、一般教養だって必要なんでしょう、きっと」

「きっと?」

「ええ、きっと。私だって、よく知らないわ。度胸があるのならあのヘルゲ爺さんに聞きなさい」

「それは嫌なので、黙々とレポートに取り組むエミリーちゃんなのであった」

「喋ってたら黙々って擬音は当てはまらないわね」

「ぎゃふん」

 ルームメイトのエミリーは、今までの人生であまり関わってこなかったタイプの人種だった。

 こういうお喋りで無駄に明るい人間とは距離を置きたかったが、ルームメイトとなると簡単には拒否できない。まあ、一応、ルームメイトとの相性があんまりにも悪ければ寮長に部屋替えの申請も出せるシステムにはなっている。

 けれど、実際にこうやって話してみると。

「じゃーなんて言えばいいのかな。さくさく?」

「作業がそれだけ進んでいるのならね」

「ぎゃふーん」

 意外と楽しいものだったりするのであった。




 魔法学校。ウエストミンスター。西の宮殿。時計台。ビッグ・ベン。

 どれも、この魔法学校を指す通り名だ。どれが本当の名前だったのか、そも本当の名前はなんなのか、もはや誰も知らない。

 そんな学校の昼休憩。

「む?」

 昼食を摂ろうと思い食堂に立ち寄ったのだが、今日はやけに人が多い。特に、テレビのあるあたりは人混みでごった返している。

 この学校内には、テレビなど数えるほどしか無い。古き良き魔法学校であるので、そんなものがあるだけ現代的だと言えるだろう。何か変わったことがあれば、現魔科の学生はこうやって食堂のテレビにかじりつくのが定番になっている。

 そして、だいたいその情報というのは、次の講義までに嫌でも耳に入ってくる。

 予定変更だ。今日は、売店でサンドウィッチを買おう。



「アルー」

 昼休憩の次の授業は実技。授業の始まる五分前に大講義室に踏み入ると、エミリーが話しかけてきた。

「見た? テレビ」

 ほら。こうやって、みんな話したくてウズウズしているのだ。

「いいえ、何があったの?」

 適当な席に向かって歩きながらエミリーに尋ねる。

「テロだよテロ。それもダブリンのカレッジで」

「な」

 思わず足をくじきかけた。

「か、カレッジって、トリニティ?」

「うん。首謀者は妖精さんで、えーと……ヒ……ヒリダ? ヒリル? って名前だって」

「…………それ、ヒルダでしょう。ヒルダ・ホールリン」

「あれ、なんだ、知ってるんじゃんアル。あーあ、話して損した」

 歩きながら、ぷくっと頬を膨らませてむくれるエミリー。

「テロを起こしそうな妖精って言ったら限られるもの。たまたまその名前だけ知ってたのよ」

「あ、そうなんだ。さすがアル、博識だね」

 ぱちぱちぱち、なんて拍手をするルームメイトをじろりと睨む。

「あのね、ヒルダなんてこの学校に居たら嫌でも聞く名前でしょう。千年単位で生きてるとか、教え子は万単位で持ってるとか、政府の策略によって教壇から引きずり降ろされたとか」

「え、それほんと?」

 一転して目をパチクリさせている。

「全部噂よ。長生きしてるのは事実だと思うし、教壇から降りたのも事実だけどね。理由はみんな知らないみたい。知ってそうな人は話そうとしないし」

「へえ、謎の妖精さんだね」

「そうでもないわ。ここから居なくなった理由だけが判然としないけれど、それまで彼がここで何をしていたかは図書館にでも行けばすぐに分かるわよ。とんでもない天才だったみたいだから」

「ふーん。そんな天才さんが、なんでテロなんかやったんだろ」

 どこからか紙パックのジュースを取り出し、じゅるじゅると飲みながらエミリーが言った。

「知らないわよ。世を儚んで、とかじゃないの」

「む、どういうこと?」

 話がムツカシイ、と視線で抗議してくるエミリー。

「天才の思考回路なんて知らないけどね。ただ、浮世離れしてるのは確かだから、この世界に愛想が尽きたんじゃないかなって」

 私のテキトーな言葉に、エミリーもテキトーに頷いた。

「なるほどお」

「…………で、今日の実技は発火魔法だけど。エミリー、しくじらないでよね」

「にしし、実技ならおまかせあれ。エルフの本懐を遂げるでござる」

 自信たっぷりに笑うエミリー。

 私とエミリーは、エルフだ。それも、混じりっけナシ、血統書をつけたっていいくらいの純血。

 そして、私達の現代魔法学科は特例として純人種も入学を許可されている。世界中探しても、純人が魔法を学べる学科はここひとつだけである。と言ってもこの西の宮殿ウエストミンスターの他の学科は考古学やら錬金術など、どうも浮世離れした魔窟のような学科しか無い。普通に魔法を学ぼうと思ったら、純人種と混じってこの「現代魔法学科」で学ぶ必要がある。

 純人が魔法を使うなどお笑い種だ。魔法大戦のときですら科学に頼ったヒューマン風情が、何故今更魔法などに手を出すのか理解に苦しむ。あの種族は好奇心が旺盛すぎるのだ。鉄は熱いうちに打てというけれど、奴らは熱しやすく冷めやすい。どうせ後数十年もすれば、この学科から純人は消えているだろう。

 一種のムーブメントというやつだ。奴らが魔法に手を出すのは。

 大体、純人の受け入れを許可するなんて、この時計台もどうかしている。ダブリンのカレッジが魔法学から手を引いたから焦ったのだろうけれど、あそこは元々あってないようなものだった。妖精種の溜まり場で、エルフですら入り込めない秘境の地。消えて無くなるのは当然だろう。

 時計台は昔から、人狼やドワーフも受け入れていた。純人を受け入れたのは彼らの受け入れの延長線上、というのが表面上の理由らしいが、どうせ本音は資金が欲しいのだ。純人の豊富な資金を、あるだけむしりとってやりたいに違いない。

 まあ、そこだけは、大いにやってくれて構わないと思うけれど。




「授業を始めます。先週申し上げたとおり、今日は発火の魔法を実践していただきますね。皆さん、一列に並んでください」

 この授業の講師は女性の妖精だ。名前は……ええと、なんだっけ。

 がたがたと席をたつ音が講義室を満たす。やる気に満ちた顔、不安に満ちた顔など、学生はそれぞれ違う表情を浮かべていた。



「ふぁいやーっ」

 ばふ、と大きな音が講義室に響いた。

「あちち、あちち」

 ほら見たことか。初歩の初歩、発火の魔法如きを暴発させて自分の服を燃やすなんて、純人に魔法など早過ぎるのだ。

「次。アルミリア・ヘルメリウスさん、前へ」

 講師の妖精が私の名を呼んだ。

「はい」

 眼前に居た黒髪の純人が、燃える服をはたきながら教室を出て行く。そいつが立っていた場所に進み、目標を見据える。

―――そもそも。こんな魔法に、詠唱を使う時点でたかが知れている。

 狙いは講義室の端っこに立てられたカカシ。距離は六メートル。そこに、左手の人差し指で狙いを付ける。

 呼吸を整え、中指をぱちんと鳴らすと、カカシは綺麗な青い炎に包まれた。

「良く出来ました。でも、きちんと詠唱するようにね」

「……はあ」

 うるさい。発火の魔法で詠唱するなんて、恥ずかしくて出来るものか。

「次。エミリエ・アインツさん、前へ」

「はーい」

 後ろに居たエミリーが声を上げる。その肩をぽんと叩き、自分の席に戻った。

「では、始めてください」

「はい、いきまーす。ふぉいやー」

 両手を水平に振りかぶり、大袈裟な仕草で、ぱちんと柏手を打つエミリー。キッチリ詠唱しているあたり、やっぱりあの子は真面目だ。

 ちなみに、カカシは私のときよりも激しく燃え上がった。

「むう」

 詠唱があったせいだろう、きっと。

「次。フェアリー・フィフス妖精種五番、前へ」

 発火の演習は続いていく。

 退屈だが、ここからは妖精種の番。見逃すのは惜しい。

 あくびを噛み殺しながら見届けた。





「では、来週も発火の実技を行います。失敗した学生はしっかり練習してきてください。今週成功した学生は、もう少し小さな目標に対して行っていただきますね」

 小さな講師が大きな出席簿に成績をつけながら、来週の内容を話す。毎回毎回、同じようなことの繰り返しだ。半年前は机の上に置いた、丸めたティッシュペーパーを発火させるのが目標で、今月に入ってからやっと遠隔発火に移行した。

「ふう、実技は楽しくていいね、アル」

 隣りに座るエミリーが話しかけてきた。

「……まあ、そうね」

 純人の鼻を明かせるというのは確かに楽しい。

「あのう」

 ふと、後ろから誰かが話しかけてきた。

 振り向くと、そこに居たのは、ついさっき私の眼前で発火魔法を暴発させた、マヌケな純人の男だった。

「……なに?」

「その、君達、とても魔法が上手いだろう? 良ければ教えてくれないかな、と思って」

「ふん、そんなのおこ―――」

「うん、いいよっ。何からやろうか」

「―――とわりしたかったんだけどなー」

 エミリーの元気な二つ返事に、私の拒否はかき消された。

「本当かい、ありがとうっ」

 黒髪の純人も元気に礼を言っている。

 エミリーはこのように即断速攻だ。そのくせ頑固者という厄介な女でもある。今更つっけんどんにはできないだろう。

「……で、貴方、名前は?」

「ああ、ご免よ。アルベルトだ。アルベルト・イェッセル」

「イェッセル……ああ、訛り方と言い、ドイツね。エミリー、同郷じゃない」

「うん、話し方で分かった。あたしはエミリエ・アインツ。エミリーでいいよ。こっちの子は、アルミリア・ヘルメリウスちゃん」

 名前を紹介されてしまったので、一応お辞儀をしておく。

「うん、よろしく、エミリーさん、アルミリアさん」

 にっこり笑うその顔には、邪念というものがまるで無い。ちょっと眩しいので、視線を逸らした。

 隣ではなにやらエミリーがむむむ、と考え込んでいる。

「…………アルとアルで、被っちゃうね」

 エミリーらしい、どうでもいいことだった。

「アルは今までどおりアルでー、うーん、イェッセルって、j、e、s、s、e、l?」

「うん、そうだよ。合ってる」

「じゃあジェシーだねっ」

「…………」

 何が、じゃあ、なのか、てんでわからない。

 ほら、純人だって目を丸く―――

「ジェシーか。うん、そう呼ばれたことはなかったけど、なんだかしっくりくるよ。そう呼んでもらえると嬉しいな」

―――してなかった。いや、目は丸いけど。エミリーのこの突発的かつ意味不明な思いつきに対して全然動じていない。こっちはそれに慣れるのにきっかり三ヶ月かかったというのに。

「それじゃあよろしくね、ジェシー」

「うん、よろしく」

 エミリーは握手までしている。ふたりとも、環境適応能力がずば抜けているらしい。

「アルミリアさんも、よろしく」

 そのまますっと、手を差し出してくる純人。

 払いのけるわけにもいかない。

「…………よろしく」

 指先でちょんちょんと、軽く握手してやった。




 放課後の空き教室。

「手で触っているものなら燃やせるんだけど、さっきの授業みたいな遠隔発火がどうしても出来ないんだ」

「なるほどねえ。うーん、とりあえず、詠唱は英語じゃなくてドイツ語がいいんじゃないかな」

「やっぱり母国語のほうが良いのかい?」

「もっちろん。それから……魔力は足りてるんだろうから、あとはイメージの問題じゃないかな」

 エミリーが勝手に約束を取り付けてしまったので、こうやって純人……ジェシーに、魔法をレクチャーすることになった。

「イメージ……? 具体的には、どんな感じかな」

「そうだねえ、なんていうのかな、届けーっ、みたいな」

 ぐわっと両腕を広げるエミリー。

「……全然具体的じゃないわ、エミリー。例えば、見えない手で目標を掴む感じ、とかかしらね」

 自分も自分で、ついつい口が滑ってしまう。こういう律儀なところは如何ともしがたいらしい。

「なるほど、それは分かりやすいね。ありがとうアルミリアさん、それで一回やってみるよ」

 ジェシーは納得したように立ち上がった。

 机の上には、銀のトレイと、丸めたティッシュペーパーがひとつ。そこから一メートルほど距離を取り、右手をかざすジェシー。

「むむむ……」

 その様子をエミリーは喜々として、私は頬杖をついて眺める。一応、五メートルほど離れた場所から。

「フォイヤーッ」

 ぐわっと目を見開き、ついでに右手も大きく開くジェシー。

 見事、ティッシュペーパーに火が着いた。

「や、やったっ」

「わあ、おめでとうっ」

 ジェシーとエミリーはひどく喜んでいる。

「…………」

 たかが一メートルの遠隔発火なんて、喜ぶようなことでも祝うようなことでもない。火力もマッチ以下だ。ほら、ティッシュペーパーなんていう燃えやすいモノに火をつけたのに、もう消えかかっている。

「ありがとう、アルミリアさん。君のおかげだ」

 にっこり。満面の笑みが私を襲う。

「…………どうも」

 無垢の笑顔。屈託の無い笑み。

 何物にも汚染されぬ、その純真さ。

 それは本来、私達エルフのもののはずだ。

 それなのになぜ、こんな純人が―――

「さすがはアルだね。やっぱ先生になれるんじゃないかなっ」

―――ああ。

 なんだ。

 私が、ねじ曲がっているだけじゃないか。



 一時間程度で、ジェシーの魔法は随分と上達した。

「ふぉいやー」

 ばふん。

 今日の実技の課題、六メートルの遠隔発火まで成功できるようになっている。

 煙を上げるカカシを眺めながらエミリーがはしゃぐ。

「すごいやジェシー。こんなに上手くなるなんて思わなかったよ」

「ううん、二人のおかげだよ。ありがとう」

 汗を流しながら、爽やかに笑うジェシー。

「あたしはなんにも。アルがすごいのかな」

 こっちもこっちで、純真な笑みを向けるエミリー。

「…………ジェシー、が、素直だから。教えやすいのよ、きっと」

「うん、アルミリアさんがそう言ってくれるのなら、きっとそれは本当なんだろうね。ありがとう、嬉しいよ」

 またこの顔だ。これをされると、どうにも落ち着かない。なんだか、地面がぐらぐら揺れているような、体がふわふわ浮かんでいるような感じがする。

「…………礼を言われるようなことじゃないわ」

「そうかな。僕としては、君達に魔法を教えてもらえるなんて、明日死んじゃうんじゃないかなって思うくらい幸運なことなんだけれど」

「あはは、ジェシーおおげさー」

 けらけら笑うエミリーに対して、ジェシーの顔色は少し良くないように見えた。

「…………これくらいにしておいたほうがいいわね、ジェシー。それ以上やると、体を壊すわ」

「え? そうかい?」

「ええ。見て分かるほどに魔力を消耗してる。明日の授業、何があるか知らないけれど―――」

「アールー、明日は土曜日、お休みだよっ」

 私の話を遮り、ひょいっとエミリーが私の前に顔を出した。

「―――まあ、それでなくても、このくらいにしておいたほうがいいわ」

「わかった。これくらいにしておくよ。ふたりとも、今日は本当にありがとう。片付けは僕がやっておくよ」

 そう言って、練習台のカカシに歩み寄るジェシー。その背中に、椅子に座ったまま問いかける。

「ひとつ、聞いても良いかしら、ジェシー?」

「うん? なんだい、改まって」

「どうして貴方、ここで魔法を学ぼうと思ったの? ここはエルフと妖精の学び舎、純人が来るとどんな目に遭うか、知らないわけではなかったでしょう」

「こらアル、そんなこと言っちゃ―――」

「いいんだ、エミリーさん。うん、アルミリアさんの言うとおり、ここは、ちょっとばかり僕みたいな人種には厳しいところだね」

 よっこいせ、とカカシを担ぎあげながらジェシーが続ける。

「僕が魔法を学びたかったのは、純粋な興味だよ。科学では実証できない奇蹟。本来ヒトが関わることの出来ない技術。それに興味を持つのは、当然のことだろう?」

「そうかもね。でも、その興味だけで、貴方はこんな辺獄へ?」

「うん。僕はね、他の純人の友だちとは違って魔力を作ることが出来たんだ。そして、この時計台は純人種の受け入れをはじめていた。条件はすべて整っていて、僕は魔法に興味があった。だから、ここに来たんだ」

「―――」

 純人らしい、好奇心の旺盛さ。彼はそこにほんのちょっとの条件が乗っただけで、こんな魔境に足を踏み入れた。

 それ以上のことは本当に無いのだろう。それは、あの澄んだ黒い瞳が示している。

「呆れた。純人って馬鹿ね」

「うん、僕たちはおおばかだ。だから三度も大戦を起こしてしまった。でもね、僕らは失敗から学ぶことができたんだ。いろんな失敗をして、そしていろんな成功へと繋いでいく。そうやって純人は、科学という魔法を手に入れたんだよ」

「科学、ね。まあ、確かに、これは便利だと思うわ」

 ポケットから携帯端末を取り出す。

 純人の受け入れとともに、この時計台の中で急速に電子機器が取り入れられていった。科学技術はその殆どを魔法で補うことが出来たが、それには多大な労力を必要とした。対してテレビやパソコンは対価さえ払えば確実に簡単に手に入る。

「勿論、科学技術の発展は、エルフやフェアリーの助力があってのものだったけどね」

 がらがらと戸を開けてカカシを仕舞うジェシー。

「いいえ、私達が手を貸さずとも、時間さえかければ貴方達はここまで到達できたはずよ。エルフや妖精が貸したのは技術ではなく単純な演算能力だけだったもの。純人では時間がかかることを短縮しただけのこと。全部、純人の発想力があってこそのものだったわ」

「その時間の短縮こそ、僕ら純人の最大の課題なんだけどね。僕らはほら、長生きが出来ないから」

「―――そういえば、そうだったわね。貴方、今何歳?」

「僕かい? 今年で十七だ」

「な」

 椅子から滑り落ちそうになった。

 たったの、十七? てっきり、同い年くらいだと思っていたのに。

「ああ、そうか。ふたりはエルフだから、僕よりも成長が遅いんだっけ」

「え、ええ。エルフは純人の四倍くらい、寿命があるから」

「四倍か。単純に僕の歳を四倍すると―――」

 天井を見上げ、暗算するジェシー。

「―――うん。今の会話のことは、忘れることにするよ、アルミリアさん、エミリーさん」

「そうね。そのほうがいいわ」

「むふふ、意外とあたし達はオトナなのです」

 ……エミリー。

 ジェシーを基準にすると、私達、「オトナ」程度じゃないわ。




 結局ジェシーとの無駄話、もとい会話は長く続いて、気づけば食堂で一緒に夕食を摂ることになっていた。

「ところで、昼間の事件のこと、ふたりはどう思う?」

 私の向かい側でリゾットを上品に食べながら、ジェシーが話しかけてきた。

「昼間? えーと、ダブリンのことかな」

 隣のエミリーもリゾットを食べながら答える。ちなみに私もリゾットを食べている。この食堂で一番美味しいのは、このマッシュルーム入りクリームリゾットなのだ。

「そう、それ。よくあるゴブリン騒ぎかと思ったら、トリニティ・カレッジが崩落してたろう? 元魔法学校でインターポールまで動いてたっていうのに、どうしてあんなことになったのかなって、ちょっと不思議なんだ」

 なんでも不思議がり興味を持つあたり、ジェシーは確かに純人だ。

「単純に、首謀者が抜け目無かったんでしょう。―――ほら」

 左側の壁に掛けられたテレビを指差す。ヒルダ・ホールリンの顔写真と共に、詳しい来歴が放送されていた。

「ホールリン、か。確か、実技の授業の先生も、ホールリンだったね、アルミリアさん」

「え?」

 そうだったっけ。

「ふふ。アルはね、優等生さんなんだけど、先生の名前を全然覚えてないんだ」

「きょ、興味が無いだけよ。名前くらい、必要があれば幾らでも調べられるんだし」

 視線をリゾットに向け、ぱくぱくとかきこむ。

「ははは、それはちょっと意外だったな。ええと、実技の先生は、ケニー・ホールリンっていうんだ。何か繋がりがあるのかもね」

「へえ、奥さんだったりして」

 エミリーがまたトンデモ発言を炸裂させている。

「うん、それにしてはケニー先生は若いね。妖精の年齢については全然知らないけど、ヒルダって妖精はお爺ちゃんに見えるな」

 そんなのトンデモ発言に対して真っ向から立ち向かう勇者がひとり。

「それだけ影響力のある妖精ってことなんじゃないかしら。ヒルダについて、エミリーは知らなかったみたいだけど、ジェシー、貴方はどう?」

「名前だけはそこかしこで見かけるね。いろんな魔法陣を遺しているから」

「ですって、エミリー」

「むう」

 今度はエミリーがリゾットをぱくぱくし始めた。

「でも、詰めは甘かったみたいね」

 既にヒルダ・ホールリンの死亡は確定しているらしい。インターネット、テレビを問わず、どこのニュースでもヒルダは死亡していると書いてある。

「そうだね。それにしても妖精を仕留めるなんて、一体どうやったんだろう。だって彼らは姿を消せるじゃないか」

「魔眼とか、行動を封じる魔法は幾らでもあるわ。昔から妖精を仕留めるのは妖精の仕事だし、今回もそうだったんでしょう」

「へえ、妖精は妖精が仕留める、か。確かに同族なら弱点も把握できるしね。うん、それはすごく納得がいくよ」

 うんうん、と頷くジェシー。

 テレビは画面が変わり、コメンテーターがICPOの不始末について声高に論じている。

「……亡くなったのは全員警官で、一般人は軽い怪我人が数人、なんだろう? インターポールは良くやったと思うな」

 そのテレビをぽけーっと眺めながらジェシーが呟いた。

「馬鹿ね、元魔法学校で妖精が暴れたってことが何よりの問題なんじゃない。で、その情報を事前に掴んでいたくせに、百人単位で死人が出た。これが無能じゃなくて何なのよ」

 残り少ないリゾットにスプーンを突っ込む。

「うーん、なんて言えばいいかな……そう、 失敗はfailure成功のteachesもとsuccess、かな」

「純人の好きそうな言葉ね。求めよAsK、さand itらばwill be与えらgivenれんto you 、だっけ。でもその失敗は、こういう日の成功のにしないといけないんじゃないかしら」

「はは、アルミリアさんは厳しいな。うん、ごもっともだ。でも、やっぱり、一般人に被害がほとんど無かったのは、褒められていいと思うんだ」

 意外。

 こいつ、頑固だ。

「…………まあ、そうかもね」

 振り返ってみると。

 魔法を教えてくれと、私に話しかけたこと。

 今でこそなんでもないことのように感じているけれど、あれは本当は、とても勇気の要る行動ではなかったか。

 だって、この学校で純人がどんな目で見られているか、こいつは理解していると言った。純人を差別している私達エルフに魔法を教えてくれなんて、余程の勇気か、余程の無謀さが必要だろう。そして彼は無謀に、非常識に私に話しかけてきたのではない。この優しそうな風貌のなかに、確かな勇気を持って私に話しかけてきた。

 ただただ純粋に、魔法を使えるようになりたくて。

「…………先輩に聞いたのだけど。発火の魔法の次は、氷結の魔法だそうよ」

 知らず、口が動いていた。

「え、それ本当かい? 参ったな、僕、氷結系は苦手なんだ」

「ええ、そうでしょうね。今日一日見てたから、それくらい分かるわ」

「…………」

 ぼんやりした顔が、しゅんと暗くなる。

 隣に座るエミリーは何も言わない。

 こいつめ。

 こういうときだけ、場の空気を読むんだから。

「…………その。氷結魔法なんて、練習するまでもないの、私」

「うん、そうだろうね。君の魔法は、とても綺麗だから」

「だから、とても暇なの」

 スプーンを皿へ運ぶ。

 リゾットは、もう無かった。

「―――だから。だから、暇つぶしに、教えてあげても、いい、わよ」

 自らの頬の温度を感じながら、下を向いて、それだけを搾りだした。

「――――」

 息を呑む声が聞こえた。

 顔を見ずとも、なぜか、その表情が見えた気がした。

「うん、ありがとう。そうしてくれるのなら、本当に嬉しいよ」

「…………」


 なんで、こんなこと、言ったんだろう。

 なんで、顔が上げられないんだろう。

 なんで、こんなことが。

 なんで、こんなに、嬉しいんだろう。




 次の日は、丸一日使ってジェシーに氷結魔法を教えこんだ。

 私とエミリーが何度もお手本を見せるものだから、暖かな春だというのに、空き教室は真冬のような寒さになった。

 でも、ジェシーは笑っていた。

「綺麗な氷だね」

 私が創った結晶を手に、彼はそんなことを言っていた。

 私は指先まで冷えきっていたのに。

 その言葉が、とても、とても暖かかった。

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