(1-3)

3.

 理論的なドアの省力には驚嘆するばかりだが、電気製品としてはかなりの消

費電力になる。崎島は研究室の電気代が気になり始め、しばらくは使用を控え

ることにした。

 データは揃った。そろそろ次のステップに進む頃合いだ。崎島は論文の執筆

に当たることにした。しかし、困ったことになにから手をつけていいのかまる

でわからなかった。単にオモチャで遊んだ記録では意味がないのだ。理論物理

学者として、動作原理を明らかにしなければならない。だが、いくら頭を捻っ

てもアイデアは出てこない。関連しそうな過去の論文を読み漁るも、答えなど

見つかるはずもない。そもそもどこを出発点にすればよいのか。相対論、空

間、重力――さまざまな検索ワードで調べるも、関連性の低さに集中力の持続

すら困難だった。いかなるアプローチからも光明は見えてこない。

 この苦悩は、ドアの実験と違って孤独なものだった。クリスも相談にこそ応

じるものの、理論物理学は専門ではない。試しに論文を読ませてみたが、さっ

ぱりといった顔つきだった。

 一向に埒があかないまま、眠気を感じたクリスはドアを通して部屋に戻り、

崎島は一人研究室に籠もった。まったく新しい仮説を考え出す必要があるのか

も知れない。集中力を回復させるためにホットコーヒーを飲み干す。もう一度

収集した関連論文の精読(本当に関連しているのか?)、そして今度は普段な

らとても相手にしないような珍説・奇説の類までも読み漁る。定説を覆して注

目を浴びようという学者は毎年いる。ほとんどはただそれだけのものでしかな

い。なにかアイデアでも得られるかも知れないというわずかな期待を抱いてい

たが、一笑に付すのではなく真面目なものとして読み通す試みは予想以上に脳

がカロリーを消耗した。果てはSFにまで手を伸ばしたが、学者視点で考証す

ると粗ばかりが気になった。専門の友人に相談をしたくなったが、ドアのこと

をどう説明するのか。クリスとはもう議論はし尽くした。これ以上進展が見込

めないようならば、冗談という設定でも部外者へ相談することも手段として考

慮に入れるほかないだろう。

 あれこれ頭を悩ますうちに、連想ゲームのように崎島はなにかに閃いた自分

に気づいた。手を止め、雲を掴むような気持ちで思いついたなにかを探り当て

る。カフェインを遙かに凌駕する覚醒作用に脳は目覚めた。ばっちりと開いた

瞳孔で、崎島は論文データベースの中から埋もれていた宝を掘り出した。


「クリス、見つかったぞ!」

 朝になると、わざわざドアでクリスの部屋まで押しかけた崎島が、興奮気味

にクリスを起こした。クリスはデジャビュを感じながら目をこすった。

「ふと思い当たる節があったんで、昨晩もあいかわらず先行研究の論文を読み

漁っていたんだ。そしたら見つかったんだよ。六年前にドイツで発表された論

文だが、内容が突飛すぎるのと実証手段がないということで学会でもほとんど

相手にされていなかった。当時、僕も仲間内で笑いの種にしていたよ。だが、

ドアの存在を知った上で読むとこれしかない。たしかに推論的な部分も多い

が、理論の骨子だけならすでに発見されていたんだ。この共同論文によると、

要するにバークレー粒子とコクレーン場の相互作用によりブロッコリー曲線が

描かれ……」

「OK、OK。要点だけ聞かせてくれ」クリスは早口で捲し立てる崎島を落ち

着かせる。

「つまり量産できるんだよ! 理論さえわかれば、そして完成品をリバースエ

ンジニアリングすれば、量産だって夢じゃないんだ!」

「そいつはたまげたな」ここでようやくクリスにも熱がうつった。

「まずは理論の実証だ。なにせ現物が目の前にあるんだからな」

 洗顔、朝食、着替えを済ませてクリスは崎島の助手として研究室に出頭させ

られた。ドアの発見からもうかなり経つ。理論の発見に崎島の昂奮は再燃して

いたが、内容が理解できないこともありクリスは冷静さを保っていた。だから

こそ見えることもある。

 崎島は担当している授業を休講にしてまで夢中で実験を続けた。ドアを手に

してこれで三度目になる。学生や他の教授らからも怪しまれるようになった

が、ドアの重大性に比べれば大したことではない。電気代も気にならなくなっ

た。大学の設備では精度に少々不安は残るものの、具体的な実験による理論の

検証に手応えを得て、崎島の昂奮はますます加速していた。

「すごいぞ、ここまで来ればドアを一からつくることだって夢じゃない。時間

と予算はかかるが、それだけの価値はある。もし量産が可能になれば歴史的な

革命が起きるぞ。蒸気機関やインターネットなんて目じゃない。交通・運送・

エネルギー……あらゆる生活の概念が一転する!」

「軍事もだ」冷ややかな口調でクリスが付け足す。「ドアの存在は公表するの

か?」

 そこまで言われ、崎島も気づく。もともとドアは米軍の発見物であったはず

のものだ。ドアの存在と入手先を公表すれば米軍が所有権を主張するのは必然

だし、崎島は功労者どころか犯罪者だ。そして、問題はそれだけには留まらな

い。

「少し想像力を働かせればドアの軍事利用なんていくらでも思いつく。偵察、

スパイはお手の物。さらには敵基地の破壊工作、要人の暗殺、兵站も楽々だ」

 平和利用に徹するかぎりドアは夢の機械だ。しかし、軍事利用となれば悪夢

でしかない。ドアに対しては防御する手立てがないからだ。矛と盾の関係を根

本から崩す攻性の新兵器の登場は、大規模な戦争を引き起こす可能性だって考

えられる。馬鹿げた空想のようにも思えたが、ドアの存在は現実だ。冷戦時代

ではリアルな恐怖の対象であった核戦争は実際には起こらなかったが、ドアは

兵器としては核より遙かに使い勝手がいい。

「公表はできない。少なくとも今は」その結論に両者とも異論はない。「しか

し、我々だけの専有物、オモチャのままにしておくわけにもいかない」

「そこがむずかしいところだな」

 その点に関する想いも同じだ。ドアの持つ可能性を腐らせることもできな

い。両者とも唸るように考え込んだが、議論は進展しなかった。

「とりあえず、論文だけは形にしておこう」

 崎島としても、この機会を逃がすわけにはいかない。歴史に名を残すチャン

スなのだ。

 またしても崎島は徹夜で論文執筆に当たっていた。ただし、今夜は昨晩とは

違いコクレーン-バークレー効果という起爆剤を得て面白いほどに筆が進ん

だ。ドイツの共同論文を基にドアの実験データから理論をより具体的に、実証

レベルに高める。うまくすれば実現方法までもが記述できる。疲れも忘れて、

気づけば五十ページに及ぶ論文を一気に書き上げてしまっていた。

「完璧だ」

 ところどころで文章の校正を加えながら書き上げた論文を読み直し、我なが

らほれぼれする仕上がりだとため息をつく。

 だが、完璧すぎる。たしかにドアの存在は伏せてはあるが、これほどの論文

は現物のドアを入手しないかぎり書けるものではない。第三者視点で冷静に読

み直すと、ドアの存在は容易に推論できる。これではドアの存在を感づかれ、

現物を奪われて論文発表者はお払い箱ではないか。理論の具体性を十分に興味

を惹くレベルまで高めつつも書きすぎず、研究予算をつぎ込めばさらなる発展

が期待できる将来性を匂わせる。予算を獲得したら、新たな実験で明らかにな

った、という体裁で小出しに論文を発表していく。完全な形の論文執筆より難

易度も上がり、後ろめたい気持ちもあったが、崎島はクリスの言葉を思い出し

た。軍事利用だけは避けなければならない。民間レベルで研究を進め、平和利

用へ誘導する。自分にはその重大な使命があるのだと崎島は言い聞かせた。


「細かい部分はわからないが、この形での発表が最適だろうな」

 崎島が発表用に縮小した論文を読んで、クリスはそう感想を漏らした。

「これが最初に書いた完成形だ。だが、読めばわかるがとてもドアの実物なし

には書けない内容だ。これをそのまま発表するわけにはいかないから、七分割

して小出しにするわけだ。そして、これが論文の発表に必要な実験計画にな

る。この方程式を導くにはこんな実験が必要なはず、といった形で逆算してあ

る。まあ、このあたりは実際にどの程度の予算が得られるかによって臨機応変

に変更することになるだろう」

 奇妙な一覧を見せられてクリスも戸惑ったが、ドアの存在を秘匿にしつつド

アの量産を可能にするにはこうするほかないように思える。

「少し時間をくれ。専門外なりに、じっくり読んでみるよ」

 疲れ果てた崎島はソファで横になりすやすやと眠りに落ちていた。

 クリスも理論物理学の素養がないわけではない。一般向けの科学解説書なら

何冊か読んだこともあるし、大学では講義を受けたこともある。自らの専門と

積集合で重なっている部分もある。本腰を入れれば、苦労は要するが読めなく

はない。つまずいた部分ではそのつど意味を調べながら、数式も一つ一つ吟味

する。参考文献として列挙されている論文にも目を通した。そうして次第に理

解が深まる一方で、言いようのない不安も大きくなっていた。たしかに、完成

論文よりはぐっとレベルを落としてある。だが、それでもなお美しすぎる。こ

の論文だけでも、勘のいいものならオリジナルドアの存在に気づいてしまうの

ではないか。ましてや、米軍の注意深さは軽視できない。崎島の経歴を尻の毛

穴まで調べ上げ、不自然さに気づくだろう。大水害と結びつけられる可能性も

ある。かといって、これ以上論文のレベルを落とすことも難しい。

 崎島が目覚めたときに備え、クリスはかけるべき言葉を模索していた。

「論文の発表をやめろだって?」

 まだ眠気の覚めない崎島だったが、頭をゴツンと殴りつけられた気分だっ

た。

「冷静になって考え直すんだ。気づかれないはずがない」

「考えすぎだ。ドアを実際に目の前にした僕らでさえ夢見心地だ。そうでなけ

れば単なる空想の産物だよ。そんなものにどうやって気づく?」

「論文が実際に発表されれば単なる空想ではなくなる。現実的な解釈のために

あるべきなにかの存在を疑うのは必然だ」

「ドアの存在と発見が現実的な解釈とは思えないな。それともなんだ、米軍っ

てのはパラダイムシフトが起こるたびにタイムマシンや宇宙人の存在を疑うの

か? それにこの論文は僕の完全オリジナルじゃない。もとがあったから書け

たんだ。それでも画期的なのは間違いないが、そんなに不自然か?」

「十分に不自然だ。君の過去の研究テーマから見てもね。なぜ突然コクレーン

-バークレー効果に興味を抱いたのか。どこから着想を得たのか。なにか筋の

通ったシナリオを捏造できる自信はあるか?」

「そこまで伏線を張ることもないだろう。歴史上でもよくあることだ。まるで

神の啓示でも授かったかのようにアイデアが降りてくる、なんてことはね。ド

アの実在を信じるなんて、神の実在を信じるようなものだ」

「疑いはするだろう。神でも宇宙人でも、冗談交じりにあるいは本気に。そし

て、特に秘密がなければ『天才とはいるものだ』で片付けられる。だが、我々

には秘密がある」

「たしかに、完成論文がそのまま発表されたら僕だって現物を手に入れたんじ

ゃないかと疑うだろう。だが、これはあくまで理論のアウトラインとその実証

方法が書かれてあるだけだ。なんにせよ証拠がない」

「証拠はある。状況証拠に過ぎないとはいえ、俺たちはドアを使ってしまって

いる」クリスは自らの頭を打つ。「つい浮かれていた。救援物資が突然なにも

のかによって避難所に届けられた事件は大きなニュースになってる。ドアがあ

れば説明できると気づいてしまったのなら、追及は免れない」

 その件を指摘され、さすがに崎島も息を飲んだ。

「だが、ドアの技術を眠らせたままにしておいていいのか? たしかにリスク

はある。だが、そのために得られる多大なリターンを手放すほどじゃないはず

だ」

「……わかった。とにかく、もうしばらく頭を冷やそう。まだ結論は出せな

い。本当に問題がないかどうか、じっくり考えるんだ」

 頭など冷えなかった。崎島は論文の体裁を整えると権威ある学術誌にさっそ

く論文を投稿した。

 最初の内は、論文の反響は崎島が予想したほどではなかった。物理学者の仲

間にも尋ねてみたが、「これが本当ならすごいことだが……」と疑問符を浮か

べていた。一流の科学者集団、NASAでもCERNでも初歩的なミスによる

勇み足はよくあることだ。しかも崎島は単なる一個人の研究者。その疑いを拭

い切れていない様子だった。

 この論文の真価は読んだだけではわからない。崎島も承知の上だ。そわそわ

しながら待っていたが、ついにそのときが来た。話題はじょじょに沸騰し、有

名な研究機関が追試を行ったことで、崎島の名は爆発的に広がった。そしてそ

の実験の成功は、論文にも記されているよう、「ドア」というまったく新しい

技術の可能性を示唆していた。


「例の論文ですが、拝読させて頂きました。いやはや、大変興味深い。思わず

夢中になって何度も読み返しましたよ。ドア、でしたかな。私としては理論の

詳しいところはわかりませんが、大変な発見であることは理解できます。そし

て、十分に実用可能なものであることも。いかかでしょう、当社に来て頂けれ

ば、潤沢な研究資金と研究資材を惜しみなく――」

 研究室を訪れた二人の男性を崎島は丁重にもてなした。クリスは助手のふり

をして置物のように崎島の隣にじっと座っていた。小一時間ほどの話を終え、

「返事をお待ちしています」と言い残して二人は席を立った。これもまた丁重

に外の駐車場まで送った。

「すごいぞクリス! 四菱電機だ。しかも社長が直々に見えるなんてな」

 四菱電機は、日本を代表する企業連合である「四菱グループ」の一角を担う

国内最大規模の企業だ。その社長がわざわざ向こうから訪れたのだ。もう一人

は崎島の専門に通じている同企業開発部門の研究者だった。話を聞くに、崎島

論文を目にしてその重大さを社長に直訴した張本人だという。いくらか専門的

な議論を交わし、崎島の自尊心は大いに満たされた。思わず未発表の内容につ

いて口が滑りそうになったが、そこはぐっと堪え、未検証の仮説もまだいくら

か持っていることを仄めかすに留めた。

 さらに四菱電機のみならず、企業からのオファーは実に三件にも及んだ。ど

れも有名な大企業だ。地方大学の准教授という立場から考えられない出世に、

崎島は高ぶりを隠せないでいた。

「四菱電機か……たしか兵器開発もしてるな。政府とのつながりも強い」

 あいかわわず冷や水を浴びせてくるクリスに、崎島は少しむっとした。

「それがメインってわけじゃない。警戒しすぎだよ。ここは日本だ」

「どうだろうな。気をつけろよ。軍部はもう気づいている可能性が高い。い

や、気づかないはずがない。ドアは、軍事的に非常に有用であると」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る