(1-2)

2.

「報告しなくていいのか? こんな大発見」

「もう少し遊んでみよう。それからでも遅くない」

 崎島はこのリングを「ドア」と命名した。

 成果を独り占めにしたい功名心から、崎島はドアを持ち出すことにした。と

はいえ、どんな些細なものでも米軍は見逃さない。今は他に注意が逸らされて

いるが、大水害の原因がいつまでも発見されないとなれば、倉庫の物品も再調

査の対象となるだろう。公式の手続きで堂々と持ち出そうとしては、なんの変

哲もないはずのリングに「なにかある」と気づいたことを告げるようなもの

だ。こっそり持ち出すしかない。

 そこで崎島はドアを使った。充電方法は思考インターフェイスを通してわか

っていた。原理は不明だが、電源を近づけるだけでいいらしい。そこでシード

ッグのセルを一つ引き抜き、倉庫内へ持ち運ぶ。数時間で充電が完了し、崎島

はドアを起動する。空間を繋ぐと出口側にドアが生じ、出口から操作すると繋

いだ先へドアを移動させることができる(正確には、ドアごと空間が接続さ

れ、見かけ上半分に分割された状態になる。ドアはあくまで一つだ)。この原

理を用いて、ドアを倉庫の外に繋げ、そのまま運び出すのだ。

 崎島の勤める大学は車で数時間の距離にある。荷台にドアを載せ、助手席に

クリスを乗せた。今度はクリスが崎島についていく形になる。クリスもまた好

奇心に負け、この逸脱行為を見逃し乗り気になっていた。新しい玩具を手に入

れた友達の家に遊びに行く感覚だ。

 大学に着き、崎島はドアを持って自分の研究室に向かった。

「あ、教授。お疲れ様です」

「おつかれ」

 研究室の学生とすれ違い、崎島は挨拶を交わした。少々怪しまれながらも研

究室にドアを運び込むことに成功した。

「おい、聞いてないぞ。いつの間に教授になったんだ」

「准教授だよ。それに、辺鄙な地方の大学だしね」

「それでも、なかなか広い部屋を持ってるじゃないか」

 まずは乱雑に散らかっている書物や書類を整理する。そしてテーブルを片付

け棚を移動して空間を作り、そこにドアを立てて固定する。問題となるのは動

力源だ。バッテリーの規格を調べる必要がある。調べてみると、バッテリーそ

のものもかなり高性能なものであることがわかった。このあたりはクリスの専

門になるが、ずいぶんと首を捻っていた。ただ、ドアの思考インターフェイス

によればわざわざ規格を合わせなくとも電圧や電流などは自動で調整されるの

で問題ないとのことだった。

「まったく、なにもかもデタラメだな。できすぎてる」

「そうでもないさ。意外と動くもんだよ。たとえば、PCの電源も一般に一一

五~二五〇Vまで対応してる。それも単なる目安で、日本の一〇〇V電源でも

ちゃんと動くだろ?」

 バッテリーへの充電でもいいが、直接繋いだ方が効率はいい。電力消費をモ

ニターしながらいくつか実験をしてみることにした。だが、その前にやるべき

ことがある。

 まず二人は、バッテリー切れで中断されたフロリダ旅行に再挑戦した。ドア

を起動すると、気圧差で研究室の扉が勢いよく音を立てて閉まった。心臓が止

まる思いがした。次こそは気をつけよう。

 そうして一日中エヴァーグレース国立公園を気の向くまま歩き回り、疲れ果

てドアを通して研究室に戻る。ディズニーワールドにも行ってみたかったが、

さすがにきりがない。その気になれば世界一周だってできるのだ。そのうえ正

式な入国審査を経ていないのだから、いわばこれは密入国だ。ドアを通して野

生生物が移動すれば生物多様性条約等に抵触するおそれもある。つい先までそ

の発想に至らなかったが、ドアには危険な部分も多い。消費電力も馬鹿になら

なかった。まずはドアの危険性の評価とその対処法について学ばなければなら

ない。

「なあ、アキラ。実験をするんなら、気になっていたことがあるんだが……」

「わかってる。あのときバッテリーが切れて動作が停止していたらどうなって

いたか、だな」

 つまり、なんらかの物体が空間接続を跨いでいる状態で、ドアの接続を切

る。そのとき、物体はどうなるのか。ドアを通る途中で電源が落ちるような事

態になった場合、彼の身になにが起こるのか。

「なにか棒状のものは……」

「これでいいんじゃないか?」

 クリスが手に取っているのは研究室で唯一のモップであり、当研究室きって

の清掃器具だ。これを失うわけにはいかない。末路はおおよそ予想できるので

却下する。悩んだ挙げ句、新聞紙を筒状に丸めて使用することにした。ドアを

起動し、出口を研究室内に設定。新聞紙の筒を入口に突っ込むと、出口から先

端が顔を出す。この状態で空間接続を切るようインターフェイスに指示をす

る。

「注意を喚起された。固体物体が空間を跨いでいますが接続を切断します

か?」

「してみよう。実験だからな」

「ドアが壊れなければいいが……」

 結果、新聞紙は両断された。予想どおりの結果ではあったが、その見事な切

り口はため息ものだった。次に、この現象が物体の材質と関係するのか、他の

物体でも試す。定規、木の枝、バール、紐、段ボール、みかん……結果は同じ

だ。硬かろうが柔らかろうが、どれも見事に切断された。きっと、人体でも同

じことが起こるだろう。

 楽しくてつい夢中になってしまい、研究室は両断された様々な物体で散乱し

た。モップは切断しなくてよかった。

【実験報告①】

 二点の空間を物体が跨いだ状態で接続を切ると、その物体は両断される。物

体の材質は無関係であり、いかなる物体でも同じ結果になる。非常に危険であ

るため注意が必要である。逆にこの原理を利用すれば、高硬度物質のカッティ

ングへの応用も考えられる。


「えっと、思考インターフェイスだっけか? ドアに素手で触れるだけでいい

のか?」

「ああ。やってみれば簡単にわかるはずだ」

 クリスがドアを操作したがっていたので、崎島は触らせてみることにした。

なにか思いついたことがあるらしい。

「おお。なんという親切設計だ。これだけでもオーバーテクノロジーだぞ。米

軍も似たようなシステムを開発しているが、それを遙かに超えてる……」

 感嘆をこぼしながら、空間の接続と切断を何度か繰り返す。まずは、同じく

目に見える研究室内に。次は人気のない山奥に。最後に、クリスが日本で宿泊

しているホテルの部屋を目指す。ドア内蔵の地図情報からおおよその位置を特

定。少し上空にドアを開いて建物を視認。フィードバックを繰り返し、部屋の

中にドアを繋ぐことに成功した。

「すごいな。皮膚から神経の電気信号を読み取っているのか? 利用者への負

担が一切ない。操作方法を覚えるのに一分もかからない。まさに理想的なイン

ターフェイスだ」

 ドアの奇蹟を何度も目の当たりにしたクリスだが、このドアにはまだまだ驚

くべき点が隠されていると感じた。しかし、不満がないわけではない。

「だが、内蔵されている地図の解像度が低いな。地形もちょっとおかしい。全

体的に、実際よりわずかに低いように感じる。このへんはあとで補正したい

な」

 操作方法を一通り覚えたクリスは、ようやく本題に移る。

「OK。まあ簡単なことだ。出口を自分の真後ろに設定する。そうすると…

…」

 クリスの目の前に、彼自身の後ろ姿が現れた。さらにドアの入口も見え、そ

の奥にドアを覗き込むクリスの後ろ姿が見える。合わせ鏡のように無限ループ

していた。

「やっぱりな。しかし、なかなか違和感があるな。自分の後ろ姿なんてそうそ

う見るものじゃない」

「なるほど。合わせ鏡と違って背しか見えないのか」崎島も間に入って感想を

漏らす。

 クリスはドアを通して自分の背に腕を伸ばした。肩に触れる。振り返ると、

そこには後ろから伸びてきた自分の腕があった。

「なんてことだ。肩たたきが楽になるな」

「たしかに面白いが、どういう使い方ができるかな。いや、いろいろ考えられ

るとは思うんだが」

「あるぞ。素晴らしいことが可能になる。たとえば、自分の背を追ってこの入

口をくぐれば、後ろの出口から出てくる。さらに入口に入れば、また後ろか

ら。延々とマラソンを続けることができるってわけだ。ドアをくぐるには屈む

必要があるとはいえ、まさにトレッドミル要らずだな!」

「うん。トレッドミルでいいな」

【実験報告②】

 出口を真後ろに設定すると、自分の背が見られるという貴重な体験ができ

た。応用としては美容師が自分の髪をセットできる、くらいなものだろうか?


 クリスが無限ループドアのトレッドミルで遊んでいるのを傍から眺めていた

崎島には、またさらに一つ新たな疑問が生じていた。

「これ、裏側からくぐるとどうなると思う?」

 ドアは、入口として機能している面の裏側に回ってみると、そこには完全な

黒がある。不気味なことに、真っ黒な円がただそこにあるのだ。

「クリス、ちょっとくぐってみてくれ」

「冗談だろ? 先にみかんを投げさせてもらうよ」

 リングをくぐるものと予想されたみかんは、実際に放ってみると壁にぶつか

ったのと同じ挙動で面に弾かれてしまった。

「どういうことだ?」

 少し予想外の結果だった。表からくぐれば裏の面にぶつかる前に出口に至る

ことになるのだから特に矛盾はしないのだが、どこか納得がいかなかった。

「なんか面白くないな」

 クリスはぼやく。つまりはそこに尽きる。もっと面白いなにかが起こると期

待していた。そのうえドアの裏側が壁になっている原理もわからない。とはい

え、この結果以外になにが起こりうるのだろう?

 直接聞いてみるのが早い。崎島はドアのインターフェイスを起動し、裏側の

面について質問してみることにした。

「どうやら、ドアの裏には安全装置としてフィールドが張られているらしい」

「なんだって? そりゃまたSFな……いや、ドアの技術があればそのくらい

可能か」

「こちらから操作すれば解除することもできるらしい。どうする?」

「やってみよう。本当だったらなにが起こるか知りたい」

「……かなり厳重に警告してくるな。レベル5まで段階が設定されている。ま

ずは一段階だけ解除しよう」

 ばちばち、と耳障りな音が響いた。ドアの入口からだ。二人は思わず身構え

た。そして破裂音は鳴り止むことがない。

「なんの音だ? フィールドを解除した瞬間にこれだ」

「さあな。だが、わざわざ壁をつくってたってことは、本来なら裏側は通過で

きるってことだよな。とにかくみかんを投げてみよう」

「待て。警告が妙に厳重だった。まずは仮説を立てよう。それから、この音の

正体についても考える必要がある。予想もなしにやみくもに実験しても無意味

だし、危険だ」

 フィールドを再度もとの設定に戻すと、破裂音は止んだ。

「慎重だな」

「慎重にもなる。カッティング実験を思い出せ。人体だろうがダイアモンドだ

ろうが、あの原理を使えばすべての物体は真っ二つになる。警告があった以

上、似たようなことが起こるんじゃないかと思うんだ」

「それなら、せいぜいみかんが帰らぬ人になるだけだろう?」

「それで済めばいいが、少なくとも両断されるだけとは思えない。あのフィー

ルドにもいくらか電力を消費しているはずだ。しかも五段階も設定されてい

る。そこまでしなければならないなにかだ」

「ただ通過する、ってことはさすがになさそうだな」

「しかし、もとより通過できないのならわざわざフィールドを張る必要はない

……」

 そこまでつぶやくと、崎島はなにかを閃いたのか紙とペンを取り出した。何

枚か乱暴に図を書き殴ると、クリスを手招きして説明をはじめた。

「いいか、クリス。たとえば、裏側からみかんを投げ入れたと仮定しよう。フ

ィールドが張ってあれば弾かれるが、張ってなければ裏側を抜ける。すると、

みかんはどこに行き着く?」

「ドアをくぐるんじゃないのか?」

「たしかにドアをくぐることにはなる。だが、先に表面に触れる。つまりは入

口だ」

「すると出口に……?」

「そうだ。しかし、運動方向は変わらないために即座に入口へ向かうことにな

る。これを順次繰り返す」

「つまり無限スライスか」

「そういうことだ」

「たしかにそれは危険だな。警告されるわけだ。よし、実際にやってみよう」

「待て待て。自分でいった意味をもう一度考えろ。無限スライスだぞ? その

厚さはどれだけだ?」

「面……二次元の面に切られるわけだから、つまり分子レベル、いや、素粒子

レベル――物質の最小単位まで切り刻まれることに……?」

「そうだ。そうするとなにが起こる? フィールドを一段階解除したときの音

を思い出してみろ」

「そうか! あの音は、ドアの裏側を通過した空気分子が……」

「核分裂。あるいはそれ以上のなにか、だ」

 そんなものに突っ込めといわれていたのかと思い、クリスはぞっとした。

「裏側が真っ黒だったのは表の入口が光をも吸収してしまうからか。なんにせ

よ、この実験は危険だ。残念ながら中止した方がいいだろう」

「これはもはや兵器だ。空間断裂装甲だ」

「フィールドを解除したら自滅だ。装甲利用なら普通に表側を使った方がいい

んじゃないか?」

「出口は敵の司令部か。笑えないな」

 ドアの脅威を、改めて思い知った。

【実験報告③】

 ドアの裏側には常時フィールドが張られている。解除することもできるが、

一段階解除するだけで断続的な破裂音が響いた。原因はドアの裏側を通過した

空気分子の核分裂と思われる。ここに固体物体を放った場合、みかんですら大

惨事を引き起こす危険性が高い。よって、当実験はやむを得ず中止した。


「次々と疑問が湧き上がってくるな。ドアで物体を挟み込んだらどうなる?」

「というと?」

 崎島はドアの間に立ち、両腕を広げでジェスチャーしながら説明した。

「起動中のドアを移動させて、入口と出口でサンドイッチにするんだ」

「なるほど。そういえば、そもそも起動中にドアを動かしてみたこともなかっ

たな」きっと、それはイレギュラーな使用法なのだろう。先の実験の中止を思

い出し、生唾を飲み込む。「なにが起こるかわからないから、慎重にな」

 ドアの配置はクリスのトレッドミル実験と同じだ。少し距離をおいて眺める

と出入口両方のドアが視界に入ることになるが、そこでクリスはおかしなこと

に気づく。

「なあ、アキラ。ドアの入口は、俺たちが用意した土台で立てて固定してある

が、もう一方、出口の方は固定してないよな。なんで倒れないんだ?」

 出口側は土台まで再現されていない。リングが不自然にも自立している形に

なる。

「そういうことか」

 察しついた崎島は、予想を検証するために入口側のドアを掴んで、出口側に

近づけようと動かす。だが、そうすると出口がそれに連動して遠ざかってしま

った。

「お、逃げるのか。だがその先は壁だ。アキラ、追い詰めろ!」

 遠ざかっていた出口が、ついに壁にぶつかる。すると、今度は入口側が動か

なくなる。壁につっかかっているのだ。

 さらに、同じ実験を研究室の外、山奥にドアを開いた状態で行う。出口をク

リスが引っ張り、崎島が入口を引っ張るとちょうど綱引きの関係になる。そし

て、片方をどれだけ移動させてももう片方が連動するため、両者の距離は決し

て変わることがない。

「少し考えればわかったことだ。ニュートンの絶対時空じゃあるまいしな。ド

アの出口が地球の自転・公転に置いていかれない理由もこういうわけだ。便宜

上、入口・出口と呼んではいるが、この呼び方も相対的なものにすぎない、と」

【実験報告④】

 ドアはその稼働中、入口と出口では相対的な位置関係が保持される。入口を

移動させれば、それに連動して出口のドアも引きずられるように動く。逆もま

たしかり。また、一方を固定させると、もう一方も固定されることになる。


「アキラ、ちょっと試したいことがあるんだが、いいか?」

「よしきた。いろいろ思いついてくれ」

 今回のためにクリスはいろいろ準備をしてきたらしい。もったいぶって、な

にやら機材が風呂敷に包まれている。

「ここにバケツに入った一〇リットルの水がある。さて、なにをするかわかる

か?」

「いや……まだわからないな」

「次にドアを地面に置く。そして出口の設定をこの真上にする」

「よし、わかった。もうわかった」

「このバケツの水を、ドアに流し込むと……」

 水は真上の出口から落ちてくることになる。その水はさらに下のドアへ入

り、無限落下する滝が完成する。そうして、水の落下は終端速度まで加速し

た。

「よし! 思った通りだ」

「あーあー、研究室が水浸しに……」崎島は眼鏡に付着した水滴を拭き取っ

た。

「おっと、順序が逆になったな。分散防止にチューブを被せて、ここに即席で

つくった水力発電機を挿入する」

 水車が回り出す。ランプが点灯し、発電が成功したことを示した。

「やったぞ! エネルギー革命だ!」クリスはガッツポーズを決めたが、モニ

ターを眺めていた崎島の反応は違う。

「クリス。残念だが、ドアの消費電力の方が大きい」

 その後もめげずに水車を回し続けたが、エネルギー収支は赤字のままだっ

た。このままドアを切れば研究室の床が水浸しになると崎島は苦言を呈した

が、蒸発するまで続ける価値もないのでモップの出番となった。

「そう上手くはいかないか。だが、どうも納得がいかないな。ドアの消費電力

が発電量より大きいのは、偶然なのか必然なのか。ドアを通過する物体の運動

エネルギーは消費電力に影響しないよな?」

「距離と維持時間には関わるな。さっきの発電は水車というより火の車だっ

た」

「やはり理屈に合わない。発電量と消費量に相関があるわけじゃないんだから

な。空気中に水、というのが低効率すぎたのかもしれない」

「しかし、かといって真空チューブでこれをやったら大変なことになるんじゃ

ないのか? 空気抵抗もなく、無限距離を一Gで加速し続けるわけだから…

…」

「それこそ永久機関だ!」

「原理的にはスイングバイだな。地球の公転エネルギーを奪うことになる。そ

う考えれば、厳密には永久機関ではないものの、求めているものはつくれる」

「地球が太陽に落ちるまでは、か」

「だが、かなり危険だぞ」

「微々たる影響だろう」

「そうじゃなくて。加速した物体をどうやって停止する? ドアを解除したら

床を突き抜けることになるぞ」

「発電の抵抗で速度は制限できる。というより、加速しすぎてはタービンが壊

れてしまう。加圧と減圧を管理すれば問題ないさ。最悪、止めたければチュー

ブに穴を開ければいい。そうすれば自然に加圧されて空気抵抗でさっきと同じ

状態になる」

「だが、常識的に考えて永久機関など実現できるとは思えない。たしかに、厳

密にいえば永久機関ではないのだが……」

「やるだけやってみよう。もしかしたらできるかも知れないじゃないか。常識

は打ち破るのが発明の秘訣だ」

 危険は予想されたが、やってみないわけにはいかない。できないという理由

も見つからないからだ。二人は急いで実験用機材を掻き集めた。足りないぶん

は取り寄せだ。届くまでには数日かかる。はやる気持ちを抑えられなかった。

 まずはガラス製の円筒を用意する。フラフープ大のドアを収めるだけの径、

高さは二mほど。内部には発電用タービンが設置される。そして、入口を地面

に設置し、出口を真上に設定したドアの出入り口を筒で覆い被せる。蓋をして

密閉、真空ポンプで気体分子を吸い出し、低圧状態をつくる(真空ではないが、

これで十分だ)。その中に今度は水を送り込み、二〇リットルの水がタービン

を回す。底まで落ちると入口を通って上部の出口から再び落下する。空気抵抗

のほとんどない状態で、水はどこまでも加速した。タービンの故障を懸念し、

減速のためにいくらか加圧する。微調整を繰り返し、安定状態を確保。発電装

置は完成を見た。

 結論をいえば、設備の問題で永久機関の実現は断念せざるを得なかった。今

回の手の込んだ実験でも、発電量がドアの消費電力を超えることはなかった。

これ以上効率を上げるためには、大質量の水、大型のタービン、蓄電施設、十

分な高度設定とそのためのチューブが必要になるが、いずれも個人レベルでは

用意できない。だが、空気中での水による実験より遙かに効率は上がった。ド

アの存在を公表し、大規模な設備を建造できれば永久機関も夢ではない手応え

を感じた。

【実験報告⑤】

 ドアは第一種永久機関の可能性を持っているが、個人レベルでの実現はむず

かしい。どうしても消費電力が発電量を上回ってしまうのだ。とはいえ、理論

的に不可能である証拠はない。専用の設備を用意した上で再度実験を試みた

い。


 夜も更け、外の天候は雲行きが怪しくなってきた。空腹を覚え、二人は近く

のコンビニで簡単な夕食を購入してきた。崎島はからあげ弁当、クリスはサン

ドイッチだ。

 食事を終えると、二人の関心はドアの理論的側面に移っていた。崎島は物理

学者であり、クリスは工学者だ。当然、疑問として生じてくる。既知の理論で

説明できないことだけはたしかだ。ストーブの前で暖をとりながら議論を交わ

した。

「今さらながら、こいつはいったいどういう仕組みになってるんだ。物理学者

としてはどう思う?」

「アインシュタイン-ローゼンの橋――いわゆるワームホールを連想するが、

実際に空間に穴を開けようとすれば莫大なエネルギーが必要になる。ドアの

消費電力でそれが可能になるとは思えないな」

「アインシュタインといえば、相対論とは矛盾しないのか? 情報伝達速度が

光速を超えてるぞ」

「二点の空間を繋ぎ、最短経路を通っているだけだ。相対論とは矛盾しない。

宇宙の膨張速度が超光速でも相対論と矛盾しないのと同じだ」

「どこかで聞いた理屈だな。『スタートレック』でいえば、転送装置よりもワ

ープ航法が近いわけか」

「厳密にはワープでもない。空間を歪ませている、というよりはハサミで切り

取っているかのようだ。しかし、驚嘆すべきはこの消費電力の少なさだ。電気

製品としてはかなりの大飯喰らいだが、こんな研究室で十分賄えるレベルでし

かない。空間接続という大業にしてこれはあまりに不可解だ。いずれにせよ、

疑問を明らかにするには情報が足りないな。今のところ電力消費についてわか

っているのは、まず空間接続の初動に大きなエネルギーを消費すること。そし

て、その維持時間、さらに距離が関わってくる。今度はこのあたりを厳密に統

計分析してみよう」

 維持時間についてはすでにデータはとってある。次に調べるのは距離と電力

消費の相関だ。やろうと思えば、ドアの出口はフロリダにまで繋ぐことができ

る。このときはかなりの電力を消費した。その限界距離も知りたいところだ

が、消費電力も膨大なものになるだろう。先に一kmごとに記録をとり、さら

に維持時間と距離に相関があるかを調べる。

「だいたい予測どおりの数値か。さて、次は三km先だ」

「街中だとどこに繋げていいか悩むな。人気のない場所でないと。三kmな

ら、たしかそこそこ広い空き地があったはずだ。地図上だとこのへんだな」

 大学周辺の地理は当然崎島が詳しい。ドアの操作は崎島が行い、数値のモニ

ターはクリスが担当する。崎島はインターフェイスを起動し、目標の空き地に

ドアを繋げる。

「ん? なんだここは」

 ドアを覗き込む。空き地ではない。建物の中だ。照明はついているが薄暗

い。確認のため身を乗り出す。湯気と熱気、眼鏡が曇る。反響した水の音と人

の声が聞こえる。地面がない。ドアは宙に浮いているようだ。移動先を間違え

たのか。どこに通じたのだろう?

 落雷。研究室からだ。崎島は思わずビクつく。直後、うしろから尻を蹴ら

れ、そのまま転げ落ちてしまう。

 その先はお湯だ。起き上がってみればお風呂だ。眼鏡の位置を直して、目を

凝らすと見えるのは「きゃー」先に聞こえたのは悲鳴だ。

 ここは女湯だ! 声の主は太った中年女性だ!

「も、申し訳ございません!」

 振り返ると、ドアが消えていた。前を見ると年齢・体型さまざまな、タオル

一枚ないし一糸纏わぬ濡れた肢体の女性の皆様。目の泳ぐ崎島に、視線が突き

刺さる。状況を解すると血の気が引き、慌てて浴場から跳ねる。そのまま一直

線に、身体を洗う方々の間をすり抜け更衣室へ駆け込む。慌てていたので幾た

びも女体の柔らかな素肌に接触。そのたびに泥沼のパニック。タオルで足を滑

らせ転げると、後頭部を打ちながらもそれに見合う眼福を得た。そんな場合で

はない。びしょ濡れのまま路上に飛び出す。

 そのあからさまに不自然な姿には、やはり衆目が集まった。右へ左へぐるり

とあたりを見渡す。背後からのぞき魔への怒声。ともかくも、この場にはいら

れない。好奇の目を避けるように逃げ回り、震える手でポケットから携帯を取

り出す。クリスへ電話をかけ、助けを求める。ドアを通って逃げるのだ。なに

があったのかを尋ねる必要もある。陰に隠れて携帯を操作する。が、携帯は起

動しない。電源ボタンを長押ししても画面は暗いままだ。何度繰り返しても同

じだ。携帯は水に浸かって壊れていた。

 追っ手の声。騒ぎはますます大きくなっているように思う。足を止めてはい

られない。携帯をポケットに戻し、できるだけ遠くへ逃げる。警察のサイレン

が聞こえるのも時間の問題だ。このまま研究室に帰るとして、交通路はバスか

電車か。このあたりの駅やバス停の場所はよく知らないが、そう遠くはないは

ずだ。財布はある。だがこの姿。先に服を着替え――どうやって? 素直に警

察のお世話になるべきなのか。しかし、その侵入経路について、いったいなん

と供述する?

「アキラ、こっちだ!」

 路地裏に招かれ、危機一髪で研究室へ帰還した。

 寒空に濡れたまま出たので冷える。がたがた震えながらタオルで身体を拭

き、着替え、崎島はストーブの前で沈み込んでいた。

「まさかこんなことになるなんて。警察に行った方がいいのだろうか……」

「アキラ、ドアを使って女湯とは考えたな!」

「……クリス。なぜドアの接続を切ったんだ。悪ふざけにもほどがあるぞ」

「それは誤解だ。停電のせいで電源が不安定になってな。復帰するまで助けに

もいけなかった。騒ぎになってたおかげでなんとか位置を割り出せたよ」

「そうか、それはすまない。しかし停電か。少し注意が足りなかったな。いや

待て、ドアが消える直前、誰かにケツを蹴られた気がしたんだが」

「ドアの安全装置が働いたんだ。バッファに残ったバッテリーでドアから警告

表示があってな。危うく真っ二つになるところだったぞ」

「蹴らなくても、引きずり出してくれればよかったんだよ」

「一刻を争う事態だったんだ。いや、言われてみればUPSに切り替わってか

らもしばらく余裕があったな……」

「まあ、助けてくれたことには感謝するよ」

「それにしても、女湯にドアを通すというアイデアは見事だった」

「それも事故だ。あの場所に銭湯ができたのを知らなかったんだ」

「今度は計画的に行こう」

「女湯に繋げてしまうような事故が起こらないようにな」

 ドアで女湯を覗くというのはコミックではありふれたアイデアだ。計画的に

その犯行を試みるならあるいは楽しめるものかも知れない。が、実際の女湯は

年齢も体型も多様だ。見て楽しいものばかりではない。大変失礼ながら崎島は

そんなことを考えた。

【実験報告⑥】

 ドアの電源管理は正確にしたい。もしもの事故があれば、大惨事に繋がりか

ねない。また、目的地に直接繋ぐのも予期せぬ事故を招く。事前に確認を怠ら

ないこと。また、ドアの維持時間と距離はそれぞれ電力消費と単純な比例関数

であることがわかった。


 ドアを手に入れて一週間が経った。

 寝食も忘れるような昂奮に突き動かされて一通りの実験を試したあと、崎島

はようやく冷静さを取り戻していた。ホットコーヒーを片手に新聞を読みなが

ら、眉間に皺を寄せていた。一面には写真付きで、さらには特集も組まれ、新

聞の紙面の多くが「福岡大水害」の記事によって占められていた。どこからと

もなく現れた大量の海水、そして謎の汚染。死亡者数と行方不明者数。さら

に、それに伴う社会的影響。株価・為替変動、支援を表明した国々、政府の対

応の遅さへの批判。広告欄には関連書籍がずらりと並ぶ。改めて災害規模の大

きさを噛み締め、新聞を畳む。視線の先にはドアがあった。

「ずっと考えていたことがある」コーヒーを机に置く。「大水害の原因だ」

「わかっている」クリスは顔を伏せたまま答える。「ドア……だろうな」

「ああ。ドアならあの水害の原因を説明できる」

「たとえば、どっかの馬鹿がドアを深海に繋げてしまった。水圧差で向こうの

海水が一気に流れ込んでくる。その結果があの災害だ」

「だが、海水の汚染はどう説明する? この地球上の、まだ知らぬ深海には、

人類でも検出できない有害な物質が溢れていると?」

「わからん。海洋学については専門外だからなんともいえないが、深海につい

てはまだ謎が多いと聞く。このあたりはまだ調査が必要な部分だな」

「人為的なテロだった可能性は?」

「人災ではあるかも知れないが、おそらく事故だ。人為的な事件ならドアとい

う最大の証拠物品を置き忘れるはずがない。同じ水害を起こすにしても他に方

法はあったはずだ」

「実はドアは複数あって、こいつは使い捨てだった……さすがにないか。こん

なものを使い捨てなんてな」

「それに使い捨てなら壊れてなきゃおかしい。事故だと思うけどな」

「事故だとしたら、持ち主も一緒に沈んでしまった可能性が高いな。いずれに

せよ、海水が増え続けている間はドアは起動しっぱなしだったわけだから、維

持時間も相当なものになる。バッテリー切れの原因はこれか」

「だが、やはりわからない。たしかにドアとあの災害の関係についてはいろい

ろ説明はつく。だが、ドアの出所が説明できない」

「青タヌキの忘れ物だったのかもな」

 ここから先は、両者の持つ知識ではいくら議論しても答えは出ない。互いに

意見を出し尽くし、沈黙が訪れる。各々しばらく考え込んでいたが、同じこと

だった。仕方ないので崎島は話題を変えることにした。

「クリス、読んだか。今朝の新聞」

「いや。日本語は漢字がちょっと読めなくてね」

「どうやら、救援物資が被害者に届いていないらしいんだ。避難場所から一〇

kmも離れた倉庫に全国から多くの支援物質が集められてはいるが、だれも避

難場所までは届けられないでいるんだと。避難の過程で多くの車が道路に放置

されて、交通網が麻痺しているせいだ」

「なんてこった。ヘリでは輸送できないのか?」

「それについては米軍が提案しているが、ちょっと揉めてるみたいだ。それか

ら、感染が恐れられているのもあるらしい」

「感染? どういうことだ、例の汚染水か? 感染は起こらないとすでに実証

したじゃないか」

「まったく未知の、得体の知れない病みたいなものだからな。実際、衛生状態

の悪さのせいで汚染水とは別に病気も流行っている。感染などありうるはずも

ない放射線障害ですら似たようなデマはあったんだ。無理もない」

「どうする、アキラ」

「どうするって?」

「いわせるなよ。俺たちにはドアがあるじゃないか」

「そうか、ドアを使えば避難所に補給物資が送れる!」

「ああ。俺らでヒーローになろうぜ!」

 それがドアを持つものとしての責任だと二人は感じた。

 さっそく倉庫と避難所の正確な位置を調べる。避難所は複数あるが、多くは

小学校の体育館が利用されている。物資を運ぶ先はその運動場がちょうどいい

だろう。皆が寝静まった夜なら誰かに見られる可能性も低い。念のためにドア

を開く場所はできるだけ体育館から死角を選んだ。ミスのないよう、それぞれ

一度ずつドアを繋げてみる。たしかに繋がったことを確認すると、それぞれ座

標を保存する。準備はできた。バッテリーの充電を済ませ、夜を待つ。みなが

寝静まったら行動開始だ。


 深夜〇時。二人は倉庫に忍び込んだ。

「いくらドアを使っても、一晩ですべてを運び出すのはむずかしそうだな」

 食糧、毛布、衣料、電灯、乾電池、トイレットペーパー。様々な多量の救援

物資が全国から集められ、それぞれ段ボールにラベリングされ積み上げられて

いる。人々の善意には驚かされるが、避難所に届かなければ意味はない。

「まずは消費期限のある食糧からだな。腐らせるのはあまりにもったいない」

 ライトで照らしながら、ラベルと位置を確認する。試しに持ってみて重さを

確かめたりもした。そのなかで、段ボールではなくゴミ袋に詰められた物資の

存在に、クリスは首を傾げた。

「これはたしか、折り紙というやつだったな。日本の伝統文化だ。なんでこん

なところに紛れ込んでいるんだ?」

「災害現場によく現れる妖怪の一種だ。意思を持って動き回ることもあるから

気をつけろ。海外での目撃例もあるほど活動範囲は広い」

「……ニンジャの末裔は侮れないな」

 下調べは終わった。距離は無視できるが、一つ一つ段ボール箱を持ち上げて

ドアを通すだけでもかなりの労働だった。


 後日、避難所に一晩のうちに届けられた大量の救援物資は、一躍大ニュース

となる。

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