イキシアの花言葉1
花屋カフェflowerparc
二度目に訪れたのは、受験に失敗して引きこもった後、心配した姉が荒療治と称して無理やり二度目のオープンキャンパスに誘った日だった。
……行きたくないけど、お姉ちゃんが待ってる。
そう思うと約束をすっぽかすこともできず、それでも前向きにはなれなくて駅から大学までの道を時間稼ぎのようにトボトボと歩いて向かっていて。一年前と同じように、その綺麗な外観にまた目が惹きつけられふらりと中へ入ってしまった。
窓側のテーブル席で、ぼんやりと窓の外を見ていると、大学生っぽい人たちが通り過ぎていく。
私、あんな風になりたかったのかな。わかんない。ただ、高校を卒業して次へ進むなら、お姉ちゃんや悠くんと同じ場所に行きたかった。
そんな不純な動機しかなかった自分が情けなくて、かといって何がしたいのかわからなくてすっかり私は迷子だった。
オーダーしたカフェオレが運ばれてきた時、外を女子高生の集団が賑やかに通り過ぎて、再び窓の外へ視線が向いた。店の中にまで聞こえるくらい元気の良い声だった。
「びっくりした……賑やかですね」
「今日は、この先の大学でオープンキャンパスがあるらしいです。そのせいですね」
私の言葉に、カフェオレを運んでくれた綺麗な男の人が応えてくれて、思えば家族と悠くん以外の人と話をするのは、これが久しぶりだった。
「はい、私も今から行く予定で……ちょっと寄り道しちゃって」
「そうでしたか」
「いいなあ、元気いっぱいに、飛び出す寸前って感じ。大学生になるのが楽しみで仕方ないんだろうなあ」
一年前の私って、あんな感じだった。
すっかり、飛び損ねちゃったけど。
卑屈になっていく私の気持ちが、伝わったのかどうかはわからない。けれど、マスターがくれた言葉が固くなった私の心をほぐしてくれた。
「そうですね、でも。時には立ち止まって道を眺めながら、ゆっくりとお茶を飲む時間を持つのもいいですよ」
私の事情など何も知らないのに、立ち止まってもいいのだと、言ってくれた。それまで誰の言葉にも応えなかった心が、まったく知らない人との会話だったからかマスターの雰囲気がそうさせたのか。
言葉が胸に沁みて、カフェオレを手にもつと手のひらからもじんわりと温もりが伝わって。
気が付いたら、涙が零れてた。
一度その場を離れたマスターが小皿にチョコレートチャンクのクッキーを運んできてくれたのは、多分私が泣いてたからだったんだと思う。帰りがけにアルバイト募集の張り紙を見て後日応募してこうして働き始めた今、そんなサービスはしていないと今ならわかるから。
私はこの日確かにこのお店に救われたのだけど、一瀬さんは全く覚えていないだろうから今はまだ、私しか知らない内緒の話だ。
――――――――――――――――
――――――――
バレンタインから数週間が経ち、あの限定プレートが功を奏してカフェを訪れる人は少しずつ増えていた。今はチョコレートケーキのプレートとベリーのプレートの二種類で展開して、どちらか選べるようになっている。
私の方のブーケも少しでもお客さんに楽しんでもらえるように、主役になる季節の花を数種類の中から選べるようにした。
悠くんやお姉ちゃんはあれからも相変わらずで、未だに時々お店に顔を出したり私の上がり時間にお迎えに来たりするけど「もう子供じゃないんだから」と私から断るようにしてる。
付き合い始めたとかそんな話は聞かない。だけど、私の入る隙間はないって感じることには変わりないから。
片山さんは、なぜだかあれから悠くんが来るとあまりいい顔をしない。私が勝手に失恋しただけだからって言ったんだけど……『いや、あいつ確信犯だろ』とか、意味不明なことを呟いてなぜか一瀬さんに怒られてた。
「これから俺が送るからさ、もっとビシっと断ったら? 昨日も夕方覗きに来てたけど」
ランチの後少しお客様が途絶えて三人で休憩していると、片山さんがまた顔を顰めてそう言った。
「あはは……大丈夫、です。ほんとに、ただ心配してくれてるだけだから」
笑ってそう言っても片山さんは納得した様子は見せてくれなくて、私は仕方なくあの二人が心配性になっている理由を話した。
「私、大学受験失敗した後、ずっと引きこもって心配かけたから。それが急に外に出てフルでバイト入ったりしてるから、ハラハラしてるんだと思います」
「え、綾ちゃん引きこもりだったんだ?」
「引きこもり、っていうか……なんか、先行き見失ったら急に無気力になっちゃって」
結局は自分が子供で甘えてたことが原因だから……そう思うと情けなくて恥ずかしくて顔が熱くなってきた。けど、このままじゃ悠くんやお姉ちゃんがすっかり誤解されてしまう。
「へー、意外……」
と言いながらマジマジと私を見る片山さんの視線に耐えていると、一瀬さんが三人分の珈琲を入れ終えて話に加わった。
「思春期にはよくあるそうですよ」
「そうなんですか?」
「特に周囲から伺い知れる部分では何の原因も見えず、急に不登校になったりすることも。感受性の強い人ほど、陥りやすいそうです」
「そっか……よくあることなんだ……」
一瀬さんの言葉で、まるで拍子抜けしたみたいに気が軽くなったのを感じた。何だか、自分だけが精神的にひ弱で甘えてるのかと、そんな気がしていたから。
その時、カウベルがコロンと鳴って来客を知らせた。慌ててカップを置いて入口に目を向けると、よく見知った人が私に向かってひらひらと手を振った。
「苑ちゃん!」
手を振り返すと、苑ちゃんはカフェスペースには入らずに花の陳列のところで屈んで花を眺め始めた。私は「ちょっと行ってきます」と二人に声をかけて立ち上がる。
「お友達?」
「姉の親友なんです。私もしょっちゅう一緒に遊んでもらってて……高校生の時からお花屋さんでバイトしてるからブーケでも少し相談に乗ってもらったんです」
それだけ言うと、ぺこりと頭を下げて苑ちゃんへと近づいた。
「苑ちゃん! 見に来てくれたの?」
「んー? 咲子と約束があるからさ。どうせなら綾のとこで待ち合わせようってことになって。パンジーのブーケ、水揚げも上手くいったみたいだね」
「うん、ありがと! 苑ちゃんのおかげ!」
水がなければすぐに萎れてしまうパンジーをどうやって花束にするのか……実はネットで調べても母に聞いてもよくわからなくて、花屋でバイトしている苑ちゃんに協力してもらった。フローリストになりたいらしくて、大学以外でも独学でずっと勉強している頑張り屋さんだ。
苑ちゃんはちらりと腕の時計を見ると、少し考えて一つの花を指差した。
入荷したばかりの槍水仙で今店頭で一番のピチピチちゃんだ。
「咲子が来るまでちょっと時間あるし。綾、これでブーケ作ってくれない?」
「うん、いいけど、スイーツプレートとセットにする?」
「珈琲だけもらうからいいや。これは単品で」
頷いて花を数本、花付の良さそうなのを選ぶ。私なんかよりずっと先輩の苑ちゃんにブーケを作るのは、ちょっと緊張してしまう。
「他の花はどうする?」
「全部綾にお任せ」
「えーっ」
お任せって、余計にやりにくい。唇を尖らせて苑ちゃんを見ると、意地悪そうに私を見て笑っていた。
「もー……わかった。やってみる。あっちで珈琲でも飲んで待ってる?」
「ここで見てる」
「えぇぇ……」
またしても情けない声を出した私に、苑ちゃんがけらけらと声を上げて笑った。びくびくしながらも幾つか他の花を手に取り槍水仙と合わせては戻す、を繰り返す。
苑ちゃんの目がついつい気になったけど、それでもなんとか大輪の槍水仙を惹きたてるような小さな花とグリーンを選び、苑ちゃんに確認すると指でOKのサインをもらえた。
ほっとして、作業台で茎の長さを一つ一つ調節する。この作業は好きだから視線は感じてても自然と没頭できていたのに、一気に集中力が霧散する話を振られた。
「咲子が言ってたよ、綾が変な気を回して最近寂しいって」
「ええっ?!」
「バレンタインの日からなんかおかしいってさ」
「え……あっ!」
動揺して、思わず必要だった葉を切り落としてしまった。仕方なくもう一度合わせながらバランスを考え作業を続行するも……どうしても、姉がバレンタインの日のことを苑ちゃんになんて話したのか気にかかる。
……あの日の悠くんに贈ったパンジーの意味を、悟られなかっただろうか……って。
「別に、いつもどおりなのになあ。お姉ちゃん何か言ってた?」
「悠と咲子を二人きりにしようとバレンタインだから気を使ったんじゃないかって」
やっぱり……あの日、お迎えを頼んでおきながら断ったのは不自然だったのかな、と内心で冷や冷やした。それに姉よりずっと鋭く見透かされそうなのが、苑ちゃんだ。
平静平静……と脳内で呟きながら、何より大事な花をこれ以上失敗しないようできるだけ意識をブーケに集中させる。
「そうじゃないのになあ。ほんとに急にミーティングしたりしてたし」
「ふうん?」
「で、でもっ。あの二人いい雰囲気なのにくっつく気配がないんだもん。いい機会だったかなーっとも思ったんだよね、うん!」
なんて。ちょっぴりカマもかけてみる。あの二人がくっついたのかどうか私は聞いてないけど、もしかして進展があったなら苑ちゃんには話してるような気がした。
「まー、いい雰囲気なのは悠先輩のほうだけどね。咲子はとことん鈍いから」
そういった苑ちゃんは少し仏頂面で、私は少しどきりとした。急に不機嫌になった理由が、もしかしたら苑ちゃんも悠くんが好きなのかなって思ったから。
つい手を止めて苑ちゃんを見つめていると、にこりと笑ってさらに心臓に悪い言葉で追及を受けてしまった。
「綾はてっきり悠先輩が好きなんだと思ってた」
「え、やだなあ、なんで?」
もうやだ、冷や汗でそう。っていうか、片山さんだけでなく苑ちゃんにまで見透かされてたなんて……そんなに顔に出てたのなら、なんで悠くんには伝わらなかったんだろう。
悠くんって案外鈍いのかな。
なんてちょっと失礼なことを考えながら、苑ちゃんのぴったり当たってしまってる推測をかわそうとして。
「そんなわけないし、悠くんは……」
お姉ちゃんしか、見えてないんじゃないかなって。つい、口をついて出てしまいそうになって慌てて噤んだ。
だって、私は苑ちゃんも大好きだから。そう思うと悲しくなって、へらって弱弱しい笑顔しか出なくて。
「……だからってわざわざ後押ししなくてもよかったんじゃない? どーせ、そのうちくっつきそうだったんだし」
って苑ちゃんが冗談めかして言ったけど、とても冗談には聞こえなくて、返す言葉が見つからずに、ブーケに集中するフリをするしかなかった。
それきり会話は途切れて私はブーケ作りに没頭する。最後に持ち手の部分に結ぶリボンの色を苑ちゃんに選んでもらうと、彼女はパステルグリーンの細いリボンを指差した。
「はい、出来ました!」
ラウンド型の丸みのある可愛らしい形に仕上がって、これは褒めてもらえるんじゃないかなって、自信たっぷりに苑ちゃんに差し出した。
「ん、まあまあじゃない?」
「ええっ?! 結構自信作なのに!」
「あはは! 嘘だって。すごくいいよ。上手いじゃん、綾」
笑いながら苑ちゃんはブーケを受け取って、槍水仙に顔を近づけて目を閉じる。
「いい香り。私、イキシア大好きなんだよね」
「え、それ槍水仙じゃないの?」
「それは和名。最近はイキシアって呼ぶ方が多いんじゃない?」
苑ちゃんはとても大切そうに花束を抱きしめて、深く息を吸い込んで。
「花言葉は『秘めた恋』だって」
そう言いながら、目を伏せて微笑んだ。
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