チョコとパンジー7


 バレンタイン限定プレートは、二月一日から始まった。それまでにお姉ちゃんが大学のお友達同士で広告を回してくれたりと宣伝に協力してくれて、初日から盛況、とまではいかなくてもいつもよりもずっと来客数は増えている。

 予測通り、女性客が殆どだったけど。私は初めて売り物の為のブーケを作り、最初は緊張したけれどいくつもこなすうちに間違いなく私の自信に繋がった。

 注文を受けてから、プレートが出来上がるまでに私はブーケを作り、一緒にテーブルに届ける。こういうのは演出が大事だから、と、必ず同時に届けるよう指示したのは一瀬さん。


「きゃあ、可愛い!」


 届けた時の女性客の笑顔には何度も気分が高揚させられ、私もその都度唇が綻んでしまう。


「今はチョコレートのプレートだけですが、その後はケーキを選べるようにするのもいいですね」


「あ、じゃあ。お花も選べるようにするのもいいかもしれません。 生花のブーケだとお客様のその後の予定によっては邪魔になることもあると思うんですよね。ドライフラワーを入れたフラワーボックスもいいかな、と思ってて……」


「ま、イベント時以外は厳しいかもしれないね」


 お店とマスターには手厳しい、冷静な片山さんの意見にはがっくりくるけれど。ブーケ作りは、このカフェに私の居場所ができたような、そんな実感も与えてくれる。

 

 そして、バレンタイン当日。それまでブーケに専念していた気持ちも、さすがに今日は朝から緊張して落ち着かなかった。片山さんが仕事の合間に意味ありげに私を見て口元をにやつかせその度に恥ずかしくなる。


「告白は?」

「か……帰り道に! ここではしませんよ!」

「なーんだ、残念。真っ赤な顔の綾ちゃん見たかったのに。今も赤いけど」


 すっかり見透かされてそうなので正直に答えたら、一頻りからかわれてとにかく恥ずかしい。だけど夕方が待ち遠しくて、いい返事なんかそんなに期待してないのに気持は逸る。今までの関係を一歩先に進められると、信じて疑っていなかった。


 夕方、女性客が二人テーブルについていて、二人そろってブーケとのセットをテーブルに運びまた小さな歓声に励まされてカウンターの中に戻ってきた時だった。


「……あいつ」


 いつもはちゃらけた片山さんの表情が消えて、店内ではなく外の大通りに視線は向けられている。首を傾げて同じ方向へ目を向けようとした時、カウベルが鳴って来客を知らせた。


 いらっしゃいませ、と唇が動きかけたのに声が出なかった。入ってきた二人は何の罪の意識もなく、私を見つけて柔らかく笑って手を振る。


「悠くん、お姉ちゃん……」


 迎えに来てくれる時はいつも一人だったのに。初めて私から誘った今日に限って、悠くんは一人じゃなかった。空いたテーブルに向かって歩いていく姉が、不思議そうに私を見て首を傾げる。そのことに気が付いて、私は鉛みたいに重たくなった足を動かす。

 行かなくちゃ、接客しなくちゃ。どうして二人は一緒に来たんだろう。悠くんが誘ったのか、それとも。嫌な予測ばかり次々浮かんでぐちゃぐちゃの頭の中を隠して、私は無理やり笑顔を載せた。


「いらっしゃいませ」


 隠さなきゃ。さっきまで浮かれた反動で、今にも震えそうな声をお腹に力を入れて絞り出す。水のグラスをトレーに二つ乗せて、二人が向い合せに座ったテーブルに近づいた。


「悠くん、お姉ちゃんも誘ってくれたの?」


 思ってもない言葉は、以外にもするする出るものなんだなって初めて知った。だって、姉が嫌なわけじゃない。ただ、今日だけは悠くんひとりで来てほしかった。


「綾も、咲子にも食べて欲しいだろうと思って誘ったんだ」

「私は宣伝に協力したお礼にって、初日にマスターにごちそうになったんだけどね」


「あれ、そうだったんだ」

「そうなの。その時にね、いただいた紅茶が美味しくて……」


 どれだったかな、と姉がメニューを真ん中に広げると、悠くんも前かがみになって覗き込む。嬉しそうに微笑む姉の横顔はとても綺麗で、二人は前髪が触れ合うくらいにとても近くて。

 そうだ、いつも。こんな空気が生まれるたびに、私は二人の間に割り込んだ。

 メニューに目を落として俯いたままの姉を、一瞬悠くんが顔を上げて見つめる。その瞬間、私は全部、わかった気がした。


「初日に出した紅茶なら、マスターに聞けばきっとわかるよ、二人ともそれでいい?」


 私は笑って二人の顔を交互に見る。悠くんが姉と視線を合わせて確認しあい、私の方を向いて頷いた。


「今日は私が二人にご馳走する。たくさん心配かけてるお詫びとお礼!」


 そう言って、遠慮するに決まってる二人の返事は聞かずにくるりと背中を向けた。カウンターに戻って、マスターに紅茶を、片山さんにはプレートを二つ。私が今日告白するつもりだったことを二人は知ってるから、顔を上げるのが怖くて情けなくて俯いたまま、私はブーケの準備をする。


 ひとつひとつ、花を手に取り束ねながら、泣くな泣くなと、必死で涙腺に指令を送る。


 告白の意味を込めて贈るつもりだった、フリルパンジーの花束。もう、贈る意味なんてないかもしれないけれど。

 ブーケを二つ作り終えて、顔を上げて少し遠目に二人の姿を見た。ずっとずっと、感じていた疎外感の理由にやっと気が付いた。二人はとてもお似合いで、微笑みあう横顔がとても綺麗で……悠くんが姉を見る横顔が、私は大好きで寂しかった。


 悠くんは、お姉ちゃんが、好きなんだ。


「私が届けましょうか」


 不意に声がして、作業台からブーケが二つ消えた。見上げると一瀬さんが私とは目を合わさずに二種類のブーケを手に「どちらを、どなたに渡せばいいですか?」と尋ねる。


「いいです、私が届けます」


 見上げながら笑ってみせると、一瀬さんの瞳が少し揺れた気がした。かっこ悪いなあ、と少し自分が恥ずかしくなる。こんな綺麗な男の人の目の前で私は失恋しちゃうんだ。片山さんにも、もうバレバレだろうし。

 ブーケを一瀬さんの手から取り戻して、カウンターに戻るともうスイーツのプレートは出来上がっていた。恥ずかしいし情けないけど……ブーケを悠くんに手渡すのだけは譲りたくなかった。


 初めての恋。あんなに気づいてほしいと願って告白しようと決めたのに、今は違った。


 だって、かなうはずない。

 愛しげに、幸せそうな悠くんの横顔が目に焼き付いて少しも消えてくれないの。

 だから、お願い気づかないで。悠くんが姉を連れてきたのは、今年のチョコレートにいつも以上の意味はないと、そう思ったからだよね? 


 気づいたからじゃないよね?


「プレート、持ちますよ」


 一瀬さんの声がして、私は顔を上げた。結局一人では持ちきれなくて、一瀬さんがスイーツプレートを運んでくれる。

 「お待たせしました」と一瀬さんが恭しく綺麗な一礼を見せ、プレートを置くと一歩下がる。次に私がブーケをそれぞれのプレートの横に並べると。


「これで二度目だけど、やっぱり可愛い! あれ、ブーケ、二種類あるのね」


 姉が目を輝かせながらブーケを手に取った。スプレーマムの中に、一輪だけの白バラを主役にした花束が姉の手に触れてかさりと音を立てる。私は少し身体を屈めて、離れた場所にいる他のお客さんには聞こえないよう声を潜めた。


「うん、お姉ちゃんは二度目だし、特別。悠くんはパンジーだけどごめんね」

「全然。すごく可愛い……って、男が花束もらって喜ぶのも変か」

「そんなことないよ」


 へへ、と私は愛想笑いをして、誤魔化した。


 ヨーロッパではね、バレンタインにパンジーの花を贈るんだって。だから全然、おかしくない、本当に特別なのは悠くんの手にある花束だけだよ。

 私はそれを花束にだけ込めて、声にはしないと決めた。


「ところで、ごめんね。今日、お迎え頼んだの私なのに、ちょっと遅くなりそうだから二人で帰って?」

「いいわよ、待ってるから。一緒に帰ればいいじゃない」

「何時になるかわからないし……ほら! バレンタイン最終日だから、ミーティングとか……」


 本当はそんな予定なんにもないのに、適当な言葉で誤魔化してしまった。だけど、一瀬さんならもうカウンターに戻っただろうから聞かれていないと思ってたのに。


「だったら、遅くなるだろ。後からでも迎えに」

「私が責任を持って送ります。遅くまで申し訳ありません」


 断り文句を探す私の背後から声がして驚いて振り向くと、すぐ後ろに営業スマイルで立っている一瀬さんがいた。




 最後の客が帰って、ようやく扉のプレートをクローズにひっくり返す。すっかり暗くなってキラキラ電飾の明りに飾られた街路樹はロマンチックで、きっとカップルで歩くことを想定して作られたんだなんて僻み根性が顔を出す。

 今頃、悠くんとお姉ちゃんは二人で食事にでも行ってるんだろうか。テーブルから皿を引き上げてカウンター内まで運んでため息を零すと、一瀬さんが声をかけてくれた。


「疲れたでしょう、少し休んでてください。片付けたら送ります」

「あっ、すみません! 大丈夫です、手伝います」

「いいから」


 有無を言わさず丸椅子を勧められて、私はいろんな意味を込めて「すみません」と呟いた。何にも聞かずに話を合わせてくれて、「送る」なんて言わせてしまって。

 それ以上は、何も聞かずに居てくれたことが、とてもありがたかった。


 暫くして甘い匂いが漂い顔を上げた。目の前にカップが差し出され何気に受け取ると、手のひらにカップの温かさがじわりと沁みた。


「これ……」


 見上げると一瀬さんがどうぞと頷いてくれ、カップで手を温めながら口をつけた。口の中に、カカオのほろ苦さと絶妙な甘さが広がっていく。

洋酒が鼻孔を擽って、少し大人の香りがして……気づいたら、泣きながらホットチョコをちびちびと飲んでいた。

 気づいてもらうこともなく終わりを告げた私の初恋は、ただただ甘いだけの、悠くんの横顔を見ただけで怖気づいてしまう程度の、余りにも幼い恋心だったと、私が知るのはもう少し後のこと。


 この時はただ、一瀬さんがくれたホットチョコの温もりと甘さにぼろぼろと涙が零れた。ざあざあと水の流れる音とかちゃかちゃと食器が触れ合う音をぼんやりと聞きながら。


 ―――やっぱり、マスターは優しい人だった。


 私の泣き顔を見ないフリをしてくれているのだと気付いたら、ほんの少しだけ涙が引っ込んだ。


「泣くのを見られるの、二度目です」

「何か、おっしゃいましたか?」


 きゅっと蛇口をひねる音がして、水が止まった。一瀬さんが、ちらりと私を一瞥して問い掛ける。


「いいえ、なんでも」


 きっと、覚えてなんていないと思う。あの日はまだ、私はただのお客でしかなかったから。


「ああっ?! ホットチョコなんか飲んでる!」

「えっ? あ、すみませんマスターが入れてくださって」


 厨房から出てきた片山さんの声に、泣き顔を見られたくなくて慌てて拭うと顔を上げた。てっきり後片付けをサボってホットチョコを飲んでることを怒られたのかと思ったら、片山さんの手にはバレンタインプレートが乗っていて、私は目をぱちぱちと瞬いた。


「綾ちゃん用に残しといたやつ、持ってきたのに」

「えっ、嬉しい! いただきます、いただいていいんですか?」


「いいけど……口ん中、甘ったるそう」

「では、入れなおしましょうか。紅茶でも……」


「大丈夫です!」


 片山さんは、もしかしたら私に告白を嗾けたことに責任を感じてくれてたんだろうか。そう思うとなんだか申し訳ない。両手を差し出してプレートを受け取ると、少しわざとらしいくらいに燥いで見せた。


「チョコレート大好きです。まさかお二人から逆チョコもらえるなんて」

「綾ちゃんが好きなら毎日作ってあげるのに」

「や、毎日はさすがに太ります」


 チョコレートを頬張る私を見て、二人がほんの少し安心したような表情を浮かべてくれる。そんな優しさに触れたら、折角堪えられていたものも堪えきれなくなってしまった。

 ぽろ、と一粒涙の気配。もうだめだ、と思ったらすぐに嗚咽が口から零れた。


「……ふえっ」

「うわっ、泣くなって! よく我慢したよな」

「うえええぇぇん」


 わしわしと片山さんに頭を撫でられながら、結局二人の目の前でぼろぼろ涙を零しながら綺麗にプレートもホットチョコも平らげて。


 ほろ苦い、私の初恋とバレンタインは終わった。




『チョコとパンジー』END


次話『イキシアの花言葉』

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