チョコとパンジー5
程なくして片山さんが出勤して、ケーキの番重から冷蔵のガラスケースにケーキを移す。その間に私と一瀬さんは開店準備を整えて、オープンまでに少しの時間を作った。
「折角の花屋カフェですから。それを活かした何かを作れないかと思いまして、ずっと考えていたんです」
一瀬さんと片山さん、私とカウンターを中心にそれぞれ思う場所にいる。私と片山さんはカウンター内の丸椅子に腰かけて、一瀬さんは作業台に腰を凭せ掛けていた。
一瀬さんが私にお願いしたいことというのは、スィーツのプレートとセットにして出せるくらいの、極々小さなブーケの製作だった。
「スィーツのプレートとセットですから、ミニブーケには殆ど予算はとれないんですが……」
「えっ、じゃあ今朝みたいに処分する切り花からってことですか?」
「いえ、売り物なんですからそれはしません。ですが、とても小さなものでお願いしてブーケの方からは採算は期待しません」
「ってか、ただボケーッとしてるだけかと思ってたけど。ちゃんと考えてたんだ」
それまで黙って聞いていた片山さんの突っ込みに、私と一瀬さんの視線が集中する。一瀬さんは特に表情を変えることもなく。
「当然です。これでもマスターですから」
と言い、私は可笑しくて口元を抑えて笑った。片山さんは何かと一瀬さんに突っかかる物言いをするけれど、どうやらそれが二人のスタンスらしくて、少しずつ私もその雰囲気に慣れてきた。
「伸也くんには、ブーケとセットで目を引くようなプレートを考えて欲しいのですが」
「それはいいけど、新しいこと始めても客が来なけりゃ意味ないよ」
「勿論宣伝はするつもりです」
「宣伝するにもインパクトが必要だろ。ちょうどいいイベントがすぐ目の前にある」
そう言って片山さんは壁に視線を移し、釣られるように私もそちらへ目をやった。壁に貼られたカレンダーは、今はまだ一月。残ってる一月のイベントで思いつくのは成人式くらいだけど……私はすぐにピンと来て思わず「あっ」と声を上げた。
「バレンタインデー?」
「そう。まずはイベント限定プレートから始めたら目を引きやすいんじゃないかと思って。フォンダンショコラとラズベリーソースとかありきたりだけど可愛いから女の子は喜ぶよな」
「この通りって大学生がよく通るし、いいと思います。姉に頼んだら宣伝とか協力してくれるかも!」
片山さんの案に私は手を叩いて賛同する。けれど、一瀬さんは少し首を傾げて少し思案していた。
「ですが、チョコレートは女性から男性にプレゼントするものです。客層が限定されそうではないですか?」
「カップル限定になるってことか? 問題ないだろ、男がいる女はデートに使うこともできるし女同士でも来る」
「友チョコとか、自分チョコとかみんないろいろですよ。バレンタインに乗っかって可愛いスィーツを食べたい女の子ってたくさんいます」
私もつい、力が入って口を出してしまう。だって、バレンタイン限定のスイーツプレートなんて考えただけでわくわくするし、それに合わせてブーケを作るなんて、緊張するけど挑戦してみたくて身体も心も、うずうずした。
「元エリートの堅物さんには理解できないかもしれないけどねー。女の子は兎に角イベント大好きなの。バレンタインが近いってだけで友達同士で盛り上がれちゃうもんなんだよ」
「私だってバレンタインくらい理解してます」
「それは当然だっつの。女の子にとっての重要度を絶対わかってない。イベントごと総無視して彼女に愛想つかされたりしそうなタイプ」
言い合いに釣られて二人に交互に視線を移しながら、結論を待つ。というか、なんだか気になることを聞いちゃった。元エリートって……このカフェをオープンする前のことかな。
カフェがオープンしたのは一年前なんだから、一瀬さんの年齢を考えれば当然それまでどこかで働いていたんだろうけど。
……うわ、似合いそう。
ネクタイをきっちり締めて無表情の一瀬さんは、難なく想像することが出来て思わず含み笑いが漏れたのを、一瀬さんに見つかってしまった。
「何笑ってるんですか、三森さん」
「わっ、いえ! なんでもないです!」
じと、と拗ねたような表情で睨まれて肩を窄めて小さくなった。
そんな、怒らなくても。スーツ姿を想像して、似合うなあと思っただけなのに。……想像の中のマスターがやっぱり無表情だったことに、うっかり笑っちゃっただけで。
「俺に図星刺されて綾ちゃんに笑われたからって八つ当たりしなくてもいいだろ。ねー綾ちゃん?」
「え? 八つ当たり?」
「違います。話を逸らさないで、バレンタインプレートの試作、早めにお願いしますね」
そう言って一瀬さんは会話を締めくくり、そんな様子を片山さんは「逸らしてんのはどっちだか」と肩を揺らして笑った。
一瀬さんの言葉がゴーサインとなって、ミニブーケとスイーツのセットメニューはバレンタイン限定プレートからスタートすることに決まり。
「それじゃ、オープンしてきます」
今日も一日が始まる。壁の時計を見ればもう開店時刻になっていて、私は扉を開けて外のプレートをひっくり返した。冷たい風に首を竦めながらすぐに店内に戻り、カウンター下の収納内を覗く。消耗品のチェックをしながら頭の中はすっかりお花畑だ。
一瀬さんから聞かされてすぐは、緊張でいっぱいいっぱいだったけど、今は頭の中では記憶に残る花が次々と並べられて組み合わされている。
どんな花がいいだろう。スイーツのプレートもどんなのができるのか先に見てみたいな。
「幼馴染に食いに来てもらってさ、告白したら?」
「へっ?!」
想像をめぐらせていたら後ろから声がして、振り向くと厨房との境目のカウンターで片山さんが肘をついて此方を覗いていた。
告白っ? 悠くんに……?
今まさに自分が想像の中で作っていたブーケと一緒に、悠くんと私の姿が頭に浮かぶ。ぼんっ、と音がしたような錯覚に陥るくらい、顔の熱が急上昇した。
そんな私を見て片山さんが、にやぁと楽しそうに唇を歪める。
「客の中にも、ここで告白してカップルが生まれることもあるかもね。綾ちゃんもやってみたら?」
「いえっ、だって! バレンタイン当日は私だってここで働いてるわけだしっ?」
慌てて否定した。
だって、仕事中にそんなことできないし!
だけど、頭に浮かんだ想像図が、消えてくれない。イベントのプレートを御馳走して、帰り道に改めて告白するなら、問題はないはず。例え良い返事はもらえなくても、少しは私を意識してもらえるかもしれない。
ブーケに集中しなくてはいけないはずなのに、その日一日私はブーケのことを考えれば考えるほど、悠くんと私の並んだ姿が頭に浮かんでその度に私は頭の中で悶絶することになり。
もーっ、片山さんが変に意識させるから!と、内心で少し八つ当たり。
だけど、片山さんのお陰で決心がついたのも確かだ。
ずっと好きだった、幼馴染。その気持ちを、言葉にすることを考えたこともなかったけど……気付いてもらえないなら、声に出すしかないんだ。
この頃は私がバイト先で上手くいっている様子なのに安心したのか、悠君のお迎えは毎日ではなくなっていた。けれど今日、数日ぶりに悠くんが迎えにきてくれて、決心をしたその日に会えるなんて神様にも背中を押されている気がした。
悠くんと二人、駅から家までの道を歩く。少し高台にある住宅地からは、下を見下ろせる展望台のようなスペースがあった。
真冬の空はまだ早い時間からもうすっかり闇色で、空にも地上にも人工と天然のキラキラが散りばめられている。
小さい頃から、ずっと一緒に見てきた景色を目の前に、私は不思議と緊張しなかった。
「あのね、悠君。二月十四日、時間ある?」
「バレンタイン当日?」
「そう! あのね、お店でバレンタイン限定プレートを出すことになって」
今は誰とも付き合ってない、と確信はあったけど。もしも悠くんに気になる人や仲の良い人がいたら、という可能性を私は少しも意識してなくて、当然空いてるものだと思っていた。
「それでね。バレンタインプレート、悠くんにも食べて欲しくて」
「もしかして御馳走してくれるってこと?」
「そう!」
悠くんは、すぐに「いいよ」と頷いてくれるものと思ってた。けど、ほんの少しの間が生まれて私は首を傾げる。
「悠くん?」
「ん? ああ、大丈夫。わかったよ」
不自然な間は一瞬で悠くんの笑顔でかき消されて、私はすぐに忘れてしまった。
「じゃあ、その日は閉店より少し早めに迎えに行くよ」
「うん、来て来て!」
多分悠くんには、毎年あげてる義理チョコと同じ程度にしか伝わってない。でも、今はそれでいい、ちゃんと告白するのはその夜なんだから。
良い返事が欲しいだとか、悠くんと付き合ったら、だとか。不思議とそういう考えは余りなくて、それは多分今までがずっと妹みたいな扱いだったから。まずはそこからの脱却が必要だって、自分でも十分わかってたからだと思う。
悠くんとバレンタイン当日の約束をすることが出来て、私は改めてブーケ作りに関して母に相談した。売り物にするんだから、やっぱりちゃんと長持ちするようにしてあげないといけないし、案外細かいところが人に指摘されるまで気が付かなかったりする。
「確かにスイーツとブーケ、並んでたら可愛いし写真に収めても見栄えするからいいとは思うけど、ブーケは持って帰るんでしょ?」
リビングのテーブルで、コーヒーカップを目の前に母が腕組みをして少し難しい顔をした。
「そりゃ、勿論……」
「持ち帰りのこととかも考えないと、下手したらクレーム来るわよ」
意味がわかってない私に、母が呆れたように溜息をついた。最初は花の組み合わせや色、水揚げなど保持のことを聞いていたのだけど話せば話すほど考えなければいけないことはたくさんあった。
「せっかくの可愛いブーケ、持って帰るのにビニール袋じゃ、ねえ? そのまま帰るかデートに行くか食事に行くか……ショップバッグとかはあるの?」
「明日マスターに聞いてみる」
切り花をいれる用の細長いビニールや、クラフトペーパーが素材のショップバッグは見たことあった。けど、今回作るブーケはかなり小さい。余り大きなショップバッグじゃ中でブーケが泳いでしまうし、何よりそれではあまりに不格好だ。
ノートに色々と書きだしながらぶつぶつと呟いていると、視線を感じて顔を上げた。
「なに? じろじろ見て」
「ううん。楽しそうなお店みたいで安心しただけ」
母が私を見る目が少しくすぐったくて、拗ねたように唇を尖らせて再びノートに視線を落とす。たかが大学入試に失敗したくらいで、無気力になって随分心配させたとちゃんと反省はしてる。今思えば、何も言わずにいてくれた両親に私は甘えていた。
「うん、すごく楽しくなってきた。マスターも厨房のスタッフさんも良い人だし」
「向いてるのかもね、あんたは」
「そう?」
「うん、ちっさい頃から、私が花生けてる時必ず隣に座りに来たもんね。お姉ちゃんはまったく無関心だったのに」
そう言われてみれば、と小さい頃の記憶を辿る。お姉ちゃんは、ご飯のお手伝いとかはよくしてたけど、生け花を近くで見てるのはいつも私だけだった気がする。
「なんでもいいわよ、あんたが一生懸命になれるものなら。大学にこだわる必要ないんだからね」
「……うん。ありがと」
くるくると、ボールペンのカラーインクで円を描いて気恥ずかしさを紛らわせながら、頷いた。大学に落ちたのは確かにショックだったけど、こだわってたわけじゃない。寧ろこだわりがなかったから、お姉ちゃんや悠くんと同じあの大学だったんだ。
勿論、誰だって明確なビジョンを持って大学に行くわけじゃないと思う。でも、私は落ちたことで少なくとも一年、考える時間を神様がくれたんだと思うことにした。
だって、こんなに心配してくれる家族に恵まれてるのにただなんとなく大学に行くなんて、申し訳ない。決して安くはないんだから。
くるくるくる。インクを変えて無意識に書き続けたいくつもの円は、まるで子供が落書き帳に残したブーケのよう。
不格好で、わくわくするくらい色取り取りだった。
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