チョコとパンジー4

 このカフェで、私が特別役に立てる可能性といえばやっぱり花しかないとは思う。けれども売り物にするような物を作った経験は無いのだから、自信など当然なくて何も行動はできないままだった。

 花鋏を鞄に忍ばせて早数週間。一月の早朝、凍てつく風に頬がぴりぴり痛み、ぐるぐるに巻いたマフラーに顔半分埋めながら小走りで店に着く。

 今朝は少し早く目が覚めて、いつもより一本早い電車だった。


「おはようございます、マスター」


 扉を開けるとすぐマスターの姿があり、屈んで何か作業をしているようで、私はその手にあるものを凝視してしまう。


「おはようございます、三森さん」


 マスターの手にはゴミ袋があり、傷んで萎びたもう売り物にはならない花が集められていた。


「それ……捨てちゃうんですか?」

「ええ、もう傷んでしまっているので」


 淡々とした口調に、少し胸がずきりと痛む。それでも「手伝います」と言って隣に屈んだ。手に取った花は、確かに売り物にはならないだろう、萎びて変色しはじめている花びらが目立つ。

 

 ……可哀想。


 ゴミ袋に透けて見える花達を見て、ついて出そうになった言葉を飲み込んだ時、一瀬さんがぽつりと呟いた。


「可哀想なことをしました」


 驚いて、隣の横顔を見る。


「せっかく綺麗に咲いてくれているのに、誰の手にも渡らずに」


 私と全く同じ言葉を声に出してくれた、その横顔は相変わらず無表情ではあるけれど、ほんの少し哀しそうに見えたことが、私は嬉しかった。


「あのっ……良かったら、私に任せてくれませんか」


 そんな横顔を見ていたら、思わずそう声に出してしまった。不思議そうに私を見る一瀬さんに新聞紙を広げてもらうように頼み、私は肩にかけた鞄から花鋏を取り出す。

 ずっと、出番を待ってた花鋏。一番最初の仕事がこれでは哀しいけれど、これも仕事だ。

 私は、ゴミ袋に入った花をもう一度新聞紙の上に出し、切り花の姿を保ったままだった花を長さ五センチ程に寸断していく。ぱちん、ぱちんと躊躇うこともなく鋏を使う私に、一瀬さんが眉を顰めた。


「三森さん、何を?」

「花に対する、せめてもの礼儀です。綺麗に見てもらうために切り花にされた花だから、最後の姿は人目につかないようにって……生け花をしている母に教わったんです」


 本来、咲いて実を付けて種となって、翌年またたくさんの花を咲かせ命を繋げる。その流れを、切り花として断ち切られてしまった花たち。切り花としての役目を終えたなら、せめて可哀そうな姿は隠してあげなくちゃ。

 それは、私が母から教わったことで、母はお師匠さんから。生け花をする人全てが、そうしているわけではないと思うけど、その考え方がすごく好きだったから私もそれに倣っている。


「……手伝います」


 一瀬さんが、作業台から花鋏を取って隣に座り込んだ。そして私と同じように、ぱちんと鋏を鳴らす。


「あっ……すみません。私、もしかして仕事を増やしてしまったかも……」


 考えてみれば、家で生け花をしているのとはわけが違う。店舗なんだから、売れなければ処分しなければいけない花の量は半端じゃない。


「いえ、とても良いと思います。私には考えも及びませんでした」

「すみません……」


 花を全部切り終わって、新聞紙でくるくるまるめてゴミ袋に入れる。

 こうすることで、嵩張らないしね!と母が言ってたのは、多分照れ隠し。こういう考え方を主張するのは、誰だって少し恥ずかしいものだと思うけど、一瀬さんは馬鹿にせずに手伝ってくれた。


「あ……もしかして」

「どうかしましたか?」


 大きなゴミ袋にひとまとめになったものを、一瀬さんが口を縛って持ち上げる。


「もしかして、こういうの。私が来るまでに全部済ませてくれてたんですね」


 一瀬さんが店に降りてくるのは、いつも開店十分前くらい。だけど、私や片山さんが店に来る頃には、もう鍵は開いていたしお花の置いてあるスペースはいつも綺麗に片付いていた。

 私の質問に、一瀬さんは少しバツの悪そうな顔をして目を逸らした。それは、この間の不意打ちの笑顔に続いて二度目の、感情が見える表情で。


「花が好きだと言っていたので。こんな仕事をさせるのは、どうかと」


 その言葉と一緒に、胸が暖かくなってつい呆けたように一瀬さんの横顔を見つめてしまう。一目ぼれしたこのカフェのマスターが、本当は冷たい人だったりしたらと思うと少し悲しかったけど、もしかしたらそれは私の一方的な思い込みだったのかもしれない。


 ……この人、ちょっとわかりにくいだけで、ほんとはすごく、優しいんじゃないかな。


 そんな期待を込めてあんまり強く見つめすぎてしまったのかもしれない。一瀬さんは、次の瞬間にはすっといつもの無表情に戻って、にこりともせず床を指差した。


「ところで、これは?」

「あっ」


 一瀬さんが指差した先には、私が切り花から切って避けて置いた花が幾つか置いてある。売り物にはならないけれど、まだ傷んでいない花だけを綺麗なまま落として別の新聞紙に分けて置いたのだ。

 私はそれを拾い上げて見せながら、マスターに尋ねた。


「マスター、これで、テーブルを飾ったらダメですか?」


 新聞紙の上、小さく落とされた花はまだ綺麗に咲いていて、水揚げさえ上手く行けばまだもう少し楽しませてくれるはずだ。


「一輪挿しに、少しずつ挿して。ほら、ガラス窓に近いテーブル席に一つずつ置くんです。きっと表通りからよく見えると思うんですよね」


 捨てられてしまう前に。

 私が、この店に一目ぼれした時のように。

 少しでも、だれかの目に留まってほしい。

 この店に、このまま寂れて欲しくない。


 そんな想いからだった。出過ぎたことを言ったんじゃないかと少し後悔しながら一瀬さんの反応を待っていたけれど、彼はあっさりと了承してくれた。


「花の扱いについては、君に任せます」

「えっ? あ、ありがとうございます!」


 まさか任せるなんて言ってもらえるとは思っていなかったから、不意のことで背筋が伸びる。やっと花で役に立てそうな予感がして、嬉しい反面少し緊張も抱える私に。


「それと、三森さん。ブーケなんかは作れますか?」


 一瀬さんは、更に緊張するようなことを、言い出した。


「趣味の範囲でならありますけど……売り物にするようなものは」

「お願いしたいことがあるんです」


 売り物にしたことは、ないんだけどなー……。という、私の主張は、綺麗に流されてしまったみたい。



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