チョコとパンジー2




「ほらね、暇だったっしょー」


 店の窓から、真冬の寒さに身を強張らせながら足早に過ぎていく人たちを幾人も見送った。お店の中は暖かいよ、寄っていってくれないかな、とつい期待を込めて眼で追ってしまう。

 夕暮れ時、天気の良い今日は陽光だけ見ていればとても温かそうだけれど、きっと風は冷たいのだろう。西日が強く日よけにサンシェードを天井から半分ほど下げている。それでも陽射しは暖かく店内に入り込み、店の中も外も同じオレンジ色に染めてしまう。

 透明な光に、徐々に橙色が滲み始めるのをのんびりと見ていられるのは、暇だから故、なのだけど。


「や、でも! お昼時はちゃんとお客さん入ったじゃないですか!」

「そりゃ昼もゼロじゃ話にならないでしょ」


 カウンターに設置されている客用のスツールで片山さんはくるくると周りながらそんな話をする。私達の休憩用のコーヒーを淹れながら無言のマスターが気になって取り繕う言葉を探すけれど、見つからない。


「どうぞ」


 ことん、ことんとカップが二つ、カウンター越しに置かれる。「ありがとうございます」とそのうちの一つを手に取ってマスターを見上げると、片山さんの言葉なんか何も気にした様子でもなく、目を閉じて自分のカップに口を付けていた。

 ほっとすると同時に、少し残念だった。マスターは、この現状をどうにかしようとは考えないのだろうか。

 視線を逸らして、店内を見渡す。コーヒーの香り漂う、静かな店内。素敵な店だけれど、あのオープン前日に目にしたような花に溢れたスペースは、明らかに減っている。

 花は売れなければ処分するしかない。コストがかかることもあり、余りたくさん仕入れることが出来なくなってしまったらしい。


 夕方は、お客さんが入ればある程度の時間までは延長するけれど、ゼロなら十八時で閉店。この辺りは大学やオフィスが多くて、ランチのお客様を逃せば夜は余り客入りは見込めない。

 どうしても、お酒やしっかりした食事の出る店に客足は向いてしまうからだ。壁の時計を見上げれば、ちょうど十八時を指していた。


「あっ。今日もお迎えがきたよお姫様」


 片山さんの言葉に、私はくるんと振り向いて店の外に目を向ける。ガラスの向こうに、背の高いすらりとした立ち姿を見つけて、私は小さく手を振った。


「毎日毎日、過保護な彼氏だよねえ」

「えっ、やだ、違いますよっ! ただの幼馴染ですっ!」


 片山さんにからかわれて慌てて否定するけれど、熱くなっていく顔は止められなかった。カップに残ったコーヒーを慌てて飲み干す。まだ少し熱かったせいで、喉からお腹の中まで熱が通って、ぎゅっと目を閉じて堪えた。

 そんな私はやっぱりからかわれる対象のようで、横からくすくすと笑い声が聞こえる。


「そんなに慌てなくても」

「誰のせいですかっ」


 空になったカップを持ってカウンターの中に逃げたけれど、その間も片山さんの追及は止まらずに、言葉が私を追いかけてくる。


「彼氏未満、一歩手前ってとこ? そうじゃなきゃ、毎日お迎えなんて普通来ないって」

「そんなことないです! 別に毎日二人ってわけじゃなくて、お姉ちゃんとも途中で合流したりしてますし」


 口では否定するし、実際私達は幼馴染以上でも以下でもないのだけど。片山さんの言葉に緩んでしまう口元を見られたくなくて、俯いたままカウンター内の流し台に近づいた。カップを洗おうと、蛇口のハンドルを跳ね上げようと手を出すと、大きな手が横から伸びて私の手からカップを浚って行く。


「洗っておきますから、もう上がってください」


 その声に、咄嗟に緩んだままの顔を上げてしまった。無表情のマスターとばっちり目が合う。

 自分でもわかる。口元はにやついたままで頬も熱い。しまった、と気付いた途端にますます頬が熱をもち、気恥ずかしくて目を逸らしそうになったその時だった。

 マスターの唇の端が、少し持ち上がり眉尻が下がる。ゆったりと穏やかで、優しそうな苦笑い。


「ご友人がお待ちですよ」

「はっ、はいっ!」


 どきんっと音がしそうなくらい、大きく鼓動が跳ねて今度こそ私はマスターから目を逸らし、慌ててカウンター下の棚を覗き込む。私物入れになっているその棚から、自分の鞄の柄を掴むと足早にカウンター内から逃げ出した。


「すみません、それじゃお先に失礼します!」


 出入り口近くで一度振り向いて、勢いをつけて直角のお辞儀をする。顔を上げると、依然揶揄を含んだ表情の片山さんがひらひらと手を振っていて、マスターは既にいつも通りの無表情に戻っていた。


 びっくりしたぁ。

 マスターって、あんな風に笑うんだ。

 

 普段が無表情なのに加えて、多分私よりは十歳程は年上に見える。だから余計に気後れして上手く話すことができないけど、そんなに怖い人ではないのかもしれない。

 扉を押し開けると、コロン、と一つカウベルの音が鳴る。出入り口から少し逸れた軒下で、三つ年上の幼馴染が私を見て笑った。


「おつかれ、綾」

「悠くんっ」


 先ほどから緩みっぱなしの頬が、ふにゃりと蕩ける。きっと、私のそんな表情はわかりやすいのだろう。

 肝心の悠君にはさっぱり伝わってないのは、もうずっと長く一緒に居すぎているからかもしれない。


「咲子が駅で待ってる。一緒に外で食事しようって」

「お姉ちゃんが? あ、そうか。今日……」

「お父さんとお母さんデートみたいだから夕飯ないんだって」

「うん、昨日そんなこと言ってた」


 うちの両親は、未だにすっごく仲が良くて私達が高校生になった頃から月に一度は夜にデートに出かける。そんな日は、姉がご飯を作ってくれたり外に食べに行ったり、そして大抵お隣に住む悠君も一緒。

 悠君の家は両親共に仕事で遅くまで帰って来ないことが多く、子供の頃からよくうちにご飯を食べに来ていた。

 駅に着くと、お姉ちゃんがいち早く私達を見つけて片手を上げる。ふわりと花が咲いたみたいに優しく笑う姉に、私は駆け寄った。


「綾、おつかれ」

「お待たせ、お姉ちゃん!」

「そんなに待ってないわよ」


 言いながら、手の中にあった小説を鞄に仕舞い込むと私から悠君へと視線を流す。悠君は私よりも少し後ろについて来ていた。


「悠君、ありがとう。そんなに毎日迎えに行かなくても、綾も子供じゃないんだし」

「わざわざ、ってわけじゃないよ。大学の帰りに寄ってるだけ」

「毎日こんな遅い訳ないでしょ? 相変わらず綾には甘いんだから」


 肩を竦めるお姉ちゃんを、悠君はバツが悪そうな笑顔を浮かべて見下ろす。そうしたら、お姉ちゃんは『仕方ない』とでも言いたげに、苦笑い。


 ―――あ。


 二人が醸し出す、少し大人びた空気を感じる度に、私は少し疎外感を感じてしまう。だから、二人の間に割り込んで両腕をそれぞれの腕に絡め定位置を陣取った。


「悠君は甘いんじゃなくって心配性なんだよ」

「どっちも大して変わらないわよ」


 しっかりした姉と、更に年上の悠君、そして二人にくっついて回る甘えたの私。幼い頃から変わらない関係図が、この頃少し寂しい。二人が通う大学に、追いかけようとして私だけが落ちて、いつまでも追いつけないのは年の差ばかりでもない気がして。

 私一人置いてけぼりになりそうな気がして、私はまたつい、甘えてしまう。


「何食べる? 私ハンバーグ食べたい」

「出た、綾のお子様メニュー。私は和食がいいな」

「じゃあファミレスだな」


 悠君の言葉が合図で、三人同時に歩き出した。右側に絡んだ悠君の腕が暖かくて、さっきの寂しさが少し癒される。

 いつの頃からか悠君は特別だった。気が付いたら悠君ばっかり目が追いかけて、他の男の子を意識したこともない。

 

 もう、何年越しだろう。

 私は、もうずっと長い事、悠君しか見えてない。


 橙色だった空は少しずつ色味を変えて今は薄い藍色が広がり、その中にポツポツと明度の高い星から順に浮かび始める。

 大通りもいつのまにか街灯が付き、夜の装いへと変わっていた。駅に向かう人や、私達と同じ方向へ向かいながら、飲みに行こうと騒ぐ集団。殆どが、大学生やスーツを着た大人の人。お姉ちゃんと悠君も、もし私が居なかったら、ファミレスじゃなくて、ちょっとおしゃれなお店にお酒を飲みに行ったりするのかな。


「で、バイトはどんな感じなの? ちゃんとやっていけそう?」


 少しの心配の色を隠しながら、私の表情を伺う。私はにこりと笑って、返事をする。


「大丈夫、緊張はするけど二人とも良い人だと思う」


 姉の心配は当然のことで、悠君が私を少し甘やかし気味なのにも実はちょっと理由がある。大学受験を失敗した後、私は随分長い事ふさぎ込んでしまっていた。落ちてすぐはそうでもなかったけれど、四月に入って友人皆が新生活をスタートさせた時、何の目標もない私は予備校に通うでもなく就職を探すでもなく、すっかり出遅れてしまったのだ。


「綾があそこでバイトしたいって言った時は、本当に驚いたけど……安心したわ」

「お姉ちゃんが無理矢理オープンキャンパスに引っ張り出してくれたおかげだよ」

「……本当は、もう一度大学を目指してもらおうと思っての荒療治だったんだけどね?」


 姉の思惑とは別の目的ではあるけど、私はもう一度外に出るきっかけを得てすごく感謝してる。だけど、無気力になってしまってた時期を二人は知ってるから今でも心配が拭えないらしい。だから毎日迎えに来てくれたり、何かと話を聞きだそうとする。

 そんな二人に、少しでも安心して欲しくて私はいつもより更に饒舌にバイト先のことを話した。


「男の人しかいないから最初ちょっと怖かったけど、全然! すごくいい人だよ。すっごく暇だから楽だし」


 事実、片山さんはなんだかすっごく軽そうだけど優しくて、よく気にかけてくれる。マスターの一瀬さんも、寡黙な人で笑わないイメージだったから少し気後れしてたけど……多分、悪い人じゃない。

 ふっと、今日の別れ際の一瀬さんの笑顔が脳裏に浮かび、それを目にした瞬間よりは少し小さく、鼓動が跳ねた。

 そりゃあんな綺麗な男の人に、あんな風に微笑まれたらどきどきもする。しかも、普段殆ど笑わないひとだもの。

 弾む鼓動の理由に、そんな風に納得して私は右側の悠君を見上げた。


「そういや……迎えに行ってもあんまり客入ってるとこ見たことないな」

「あはは、そうでしょ。大丈夫なのかなぁ」

「そんなに暇なのに、なんでバイト募集なんてしてたのかしらね」

「片山さんは厨房スタッフだし、やっぱりホール担当も一人は必要だから……かな? 多分」


 そう答えたものの確かに店は暇で、たまに入るお客さんくらいなら一瀬さんが居れば十分だし、最悪片山さんしかいなくても数時間対処できそうなくらい、暇だ。ホール担当が必要なんじゃないかと思えるのは、精々ランチ時くらいだった。

 店の経営状況って大丈夫なんだろうか、とほんの数日勤めただけの私でも心配になるくらいだ。


 三人でご飯を食べて、家に帰るともう夜九時を回っていた。ベッドに寝転がって壁の模様を見ながら、姉の言葉を思い出してつい考えてしまう。


『なんでバイト募集なんてしてたのかしらね?』


 そういえば面接の連絡をした時、余り歓迎されているような声ではなかった気がする。でも、それは一瀬さんが元々ああいう素っ気ない感じの人だからだと……思っていたけど。

 

 私って本当に必要な人員だったのかな。急にそんな後ろ向きな考えが頭に浮かび、不安を覚える。緊張して余りよく覚えていない面接のときの一瀬さんの表情を、一生懸命思い出そうとしていた。



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