第11話「シュタディオンの洗礼」

目の前が真っ白に光った。


何が光った?まぶしくてよく見えない。ガラスだ。正面の大きなガラスが光っている。


次の瞬間、僕の心は完全に揺さぶられた。なんだ、何が起きた。天地が逆さまになるような、重力があちこちに乱れるような、内蔵が鷲掴みにされるような、なんとも言えない。心じゃない、これは三半規管がおかしいのか。ともかく平衡感覚も重力感覚もめちゃくちゃだ。


・・・気持ち悪い!


僕は乗り物酔いはそこまでひどくないが、これはそんなレベルじゃない。まっすぐ向いていられない。正面のガラスは白い光から青と灰色のまだら模様になっていた。余計に気持ち悪い。なんだっていうんだ、これ以上まわったら吐く!


「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」


呼吸が荒くなってきた。たくさん吸って吐いてをしないと通常の呼吸リズムでは吐いてしまう。気持ち悪い。このままじゃダメだ。気がどうにかしてしまいそうだ。どうする。どうすれば抜け出せる。その時、綾菱優子の声を思い出した。


『冷静で、周囲の観察を怠らない』


どういうことだ、いま何分経った。このまま僕は死ぬのか?


必死に、必死に自我を、意識をたぐり寄せる。


冷静に?周囲を観察?僕に何を期待しているんだ。


この状況に、何か突破口があるというのか。冷静になれば何か見つかる?そんな思考が働くわけがないだろう!


「うわああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」


勝手に声が出る!落ち着け!落ち着け!ともかく、ともかく考えるんだ。いま何ができる。状況はどうなっている。目の前には操縦桿がある。これを動かせばどうにかなるのか?機体をコントロールできるのか?適性ってなんだ。僕に適性があるとしたらそれはどうやったら引き出せる。どこにある!


「うああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」


だめだ、だめだ、冷静にならないと!


考えろ、考えろ、考えろ。自分を保て、自分を取り戻せ、自我は僕自身のものだ。


まだ終わらないのか。


もういい加減限界だ。


意識が飛びそうだ。


―もうだめだ。


そのとき、力がふっ・・・と抜けた。


体力の限界か?いや、違う。むしろ筋肉の強張りがなくなったという感じだ。機体の状況が落ち着いた?いや、そうじゃない。依然として重力感覚はおかしい。しかし、それに違和感がない。感覚が研ぎ澄まされていく。特に、視界から入る情報が増えた気がする。時間が遅く感じる?そうだ、それに近い。不思議な感じだ。気持ち悪かったはずなのに、まるでそれを忘れてしまったかのようだ。操縦桿を握ってみる。反応はしない。しかし、手に馴染む。まるでずっと前から触っていたようだ。身体から熱気が発せられているのがわかる。わかる。いま、僕はこの機体と一つになっている。


ふと気づくと、機体は落ち着いていた。


ふー、ふー、と呼吸が落ち着いていくのが自分でもわかる。


正面のガラスの向こうに、景色が見えていた。荒野?そうだ、荒野だ。ただ、ぼやけている。よく見えない。目をこすってみるが、何度やっても鮮明にならない。・・・いや、これはもともとそういう映像なのだ。ぼやけているんじゃない。解像度が低いんだ。まるで昔のゲーム機みたいな映像だ。


「おめでとうございます」


綾菱優子の声だ。


「牧村さん、あなたにはやはりシュタディオンに対する適性がありました」


「事態が収まったところを見ると、そうなんでしょうね。自分の何が影響したのかわかりませんが」


「それは、私たちにもわかりません。たた、ひとつ言えることは」


"ガーピッ"


スピーカーから、何かを受診したような音が聞こえた。


「そこから先は私が説明しよう」


男の声だ。沢渡?いや、もう少し年配の声だった。


「私は副司令官の岸峰だ」


また新しいキャストの登場か。しかし、沢渡より随分穏やかで接しやすい人のようだ。


「まず、おめでとうと言っておこう」


やはり、この一言が出てくるというのは、相手を気遣う意識のある人という証拠だ。・・・得てして、組織というものはカリスマの脇に人間性の高い参謀がついているものだ。


「ありがとうございます。今ひとつ何が起きてるのかよくわかりませんが」


「本来これは総司令から説明する予定だったものだが、この場で私が説明しよう。まあ、もともとこうなるだろうとは思っていたが・・・。シュタディオンのモデリング機体を見ただろう。あれは紛れもなく我々が開発したものだ。しかし、君が乗っている機体は違う」


「どういうことですか?」


「その機体、というよりはシュタディオンを操縦する"コクピット"は、我々がつくったものではない。正確には我々ピヴォーテが開発したものだが、設計したのは我々ではない」


つまり、この組織ではない誰かが設計した図面か何かをみて開発したということか。


「設計したのは誰なんですか?」


「わからん」


岸峰は少しの沈黙のあとにそう答えた。


もう驚かなくなってきた。これだけ「わからない」を連発されて、そしてこんな謎の機体に乗せられていれば、信じざるを得ないというか、いちいち驚くのも疲れてしまった。


「わからない、のあとはだいたい決まって・・・」


「察し良いな。西暦2000年に政府に図面が送りつけられてきた。ただ、例の未来が書き込まれた手紙とは別のものだ。封筒も、文字も、全てが同一性の無いものだった。なぜなら・・・図面の方には手書きの手紙が入っていた」


手書き?それは確かにかなり趣が違う。もし犯罪者やテロリストならそれだけでもじゅうぶんに手がかりを渡してしまうことになる。


「筆跡鑑定などはしなかったのですか?」


「無論したよ。これまでの犯罪者に照らし合わせても、同じ筆跡の人間はいなかったのだ。少なくとも、過去に犯罪歴のある人間がやったことではないということだ。だいたい、これだけの超技術を持っている人間すら存在しないのだよ。その人間が犯罪者として前科があるという可能性のほうが薄い。なにせ、捕まえられないだろうからな・・・」


確かに、言われてみればそのとおりだ。


「図面の手紙のことを、ここでは"最後の手紙"と呼び、未来の事故が書き込まれていた手紙を"最初の手紙"と呼んでいる。その手紙から数々の事故、襲撃が始まり、それに対応し得る最後の手段を与えたのが図面の手紙だからだ」


岸峰の話は続く。いや、続いてもらわなければ困る。まだまだわからないことだらけだ。


「"最初の手紙"には、終わりにこう書かれていた」


『繁栄の先には、なにがある?』


繁栄の先?なんだろう。


「"最後の手紙"には・・・いや、それはまた今度にしよう。あまり長話をすると総司令がいい顔をしない」


ドラマかよとツッコミを入れてよいだろうか。いや、ダメだろうな。だいいち通用しなさそうだ。


「手短に説明する。君にはシュタディオンに対する適性、いや、耐性がある。いまそこに座って正常でいられることが何よりの証拠だ。それがどういう因果関係で起きているのか我々にもわからない。しかしひとつ言えることは―」


岸峰は、一瞬の間をつくり、もう一度やり直すかのように続けた。


「ひとつ言えることは、何かしらの脳波を切り替えられる人間だということだ」


「脳波?」


「人間が発する脳波については、未だに解明されていない部分が多い。その特定の組み合わせで何かが発せられた時・・・おそらくこれは脳だけではなく精神的な変化も含まれるようなのだが、それらが組み合わさり、何かのスイッチを入れられる人間がシュタディオンのあの"洗礼"に耐えることが出来る」


確かに、僕もそうだった。


徐々に何かが変わったのではなく、突然あの環境に身体が慣れた。苦痛を感じなくなった。あれが"洗礼"と"スイッチ"だとするならそうなのかもしれない。


「僕にも、そのスイッチなのかどうかはわかりませんが、思い当たる節はあります」


「そうだろう。シュタディオンに乗ってきた人間は皆そういう。そして・・・いや、これも後回しだ。今はどうでも良い。さあ、君にはこれからそのまま操縦のトレーニングに入ってもらう。綾菱くん、頼んだぞ」

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