第5話「変な人」
「え?いや、えっと・・・え?あなたが綾菱さんですか?」
「はい。綾菱優子と申します。いつも、通勤の電車でお会いしていますね」
ふふ、といった感じで少し笑いながらその人は答えた。
「アヤビシユウコ・・・さん。えっと、あなたは今日は通勤は・・・」
「あはは(笑)いまそこが大事ですか?やっぱり牧村さんは面白い人ですね。私の今日の業務はあなたを迎えに来ることです。つまり、いま、ここに通勤しました」
何を言ってるんだこの人は・・・。いや、そう言われてみれば確かに僕の質問はおかしかったが、そういう問題じゃない。・・・やっぱり?やっぱりって言った。何がやっぱりなんだ。僕はこの人と話したことはないはずだ。
「いや、あの、」
「細かいことは行きながら説明します。とりあえず私の車に乗って一緒に来てください」
彼女は僕の言葉を遮りながら言った。
「え、いや、でも僕も車で来ているので・・・」
「牧村さんの車は別の者が運転して同行します。組織の人間でなければ入れないので。ですから、鍵を貸していただけますか?」
「え?あ、あ、はい・・・」
もう何が何だかわからない。どこに連れて行かれるんだ。僕は部外者という扱いで、部外者単独では入れないところということか。どれだけ機密漏洩に厳しいところなんだ。
彼女と一緒に売店を出ると、スーツ姿の男が立っていた。年の頃は30代半ばぐらいか。
「お疲れ様です。綾菱中佐」
直立不動の姿勢から、その男は彼女に一礼した。
「牧村さんの車はどれですか?」
彼女のその問いに対し、僕は指を指して「あれです」と答えた。
「よろしく」
彼女は僕の鍵をその男に渡し、男は僕の車に向かっていった。
「では、私たちも参りましょう」
彼女は、おそらく彼女が乗ってきた車があるであろう方向に歩き出した。どこへ連れてかれるのだろう?いや、ちょっと待て。
・・・中佐?
およそ一般企業の役職名じゃない。一般的にいえば、その呼び名は軍隊に属している人間のものだろう。この国では軍隊は存在しないことになっているが、実質的にその機能を果たしている自衛隊ぐらいしか思い浮かばない。
彼女は車の運転席側にまわってドアを開けようとしていた。
「いや、ちょ、ちょっと待って下さい」
彼女がサッとこちらに顔を向ける。
いちいち動きが機敏で無駄がない。
「いったいどこに連れて行かれるんですか?僕にもそれぐらいの知る権利はあっても良いと思います。僕は一人のエンジニアとして、職人として、自分がどんな仕事をするのかわからないままで行動したくはありません」
「あなたらしいですね。ご心配なさらず。あやしい者ではありませんし、きちんと説明もします。そして最終的にはあなたに選択権のあることです。ですから・・・悪いようにはしませんからとりあえず乗ってください」
現時点でじゅうぶんあやしいというか、あやしくない点を探すほうが苦労するだろ・・・とツッコミたいぐらいだが、言っても始まらない。聞く限り真面目に言っているようだし、とりあえずは従うしかなさそうだ。渋々、僕は助手席に乗った。
「良い天気ですね」
走りだした車のなかで綾菱優子という人は言った。
「ええ、そうですね。ドライブ日和」
いや、そんなことを言いたいわけではないしもちろん聞きたいわけでもない。ないのに、ついその場その場で会話に対応してしまう。自分の悲しい性というかなんというか・・・。
「いつも、通勤の電車でお会いしていましたよね」
ハンドルを握り視線を前方に向けたまま、ほんのり笑みを浮かべて綾菱は言った。
「え、あ、はい。そうですね、はい・・・」
どうしても相手のペースになってしまう。これではいけない。このままじゃ相手の思うつぼだ。思うつぼ?いや、僕をはめようとしているようには見えないから、それはおかしいか。錯乱が止まらない。思考を整理できない自分が情けない。ともかく、冷静になろう。
「いや、あの、あやび」
「私は政府の人間です」
僕の質問を予測していたかのように、遮って答えた。
「政府??」
「はい。正確には政府ではなく、政府から出資されて誕生した独立した組織ですが。名前を"ピヴォーテ"と言います。ぴー・ぶい・おー・てぃー・いーで"ピヴォーテ"です」
ピヴォーテ。どこかで聞いた名前だ。たしか・・・そうだ。
「スペイン語?たしか旋回軸という意味の・・・」
「はい、そうです。中心を司るという意味を込めてつけられた名前です。さすが、よくご存知。サッカーファンは伊達じゃないですね」
「え、はぁ」
そう、確か日本でいうところの「ボランチ」のポジションや役割のことをスペイン語でピヴォーテという。古くはバルセロナの象徴的選手がその代名詞だと言われたポジションだ。
いや・・・ちょっと待て。
なぜだ。おかしい。僕はこの女性と会話をしたことはない。お互いに面識があることは認める。両者が意識していれば、毎日会っていたのだから顔を覚えるのは自然なことだ。しかし、それにしては僕の情報が多すぎる。
なぜ、僕がサッカーファンだということを知っているんだ。
いったいどこから切り崩せば良いのか、入り口さえ見つからない。しかし、この女性が言うことが本当ならば命を奪われるようなことは無いだろう。ともかく冷静になろう。ともかく、ともかく。ひとつひとつ聞いていくしかあるまい。
「えーと、その"ピヴォーテ"という組織はなんのための組織なんですか?」
綾菱は少し黙り、何かを少し考えたような仕草をしてから返答をくれた。
「そうですね。それは、着いてからご説明します。おそらくそれの方が理解しやすいと思うので」
「そうですか。謎ばかりで困惑しています」
ぷっと笑い出した。
「あははっ。牧村さんて本当に面白い人ですよね。そんなことを正直に言っちゃうなんて」
「え・・・そうですか?率直に述べただけなんですけど・・・」
「普通、そういう感情的なことは胸の中にしまっておく人がほとんどだと思いますよ。良くも、悪くも」
まだ笑っている。僕のことがそんなに面白いのだろうか。
車は高速道路の料金所に入っていった。山道の高速道路はいつでも空いているが、とくに平日は閑散としている。ここからもっと山奥に行くのか、県境を超えて静岡県に行くのか。それすらわからない。
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