第4話「非日常的な場所の、日常的な景色」
明日の13時に箱根の道の駅に行き、綾菱という人に会う。そのあと質問をしても、それ以上の情報は出てこなかった。一応、社員にも拒否する権利はあるはずだがどうする、と問われたが、きっと無駄なことだと思って受け入れた。もう少し理由なり状況説明なりがあれば何か訴えることもできるがあまりに情報がなさすぎる。そして、本部長ですら何も知らないというのだから、ここで何かを訴えたところで本部長が返り討ちにあってくるだけだろう。なにせ社長の勅命なのだから。嫌なら会社をやめて転職するしか無いし、そうすればいい。そのためにはまず対応してみて、それでダメなら行動に移せばいい。幸い海外ではない。自宅からでも通えないことはないし、生活もそれほど困るわけでもない。
翌朝、僕は車で箱根へ向かった。
薮田や木ノ原部長には結局そのまま何も言わずに出てきてしまった。峯岸本部長にそう指示されたからだ。話は全て自分がつけておくから、何も説明しないで今日はこのまま帰宅してくれと。
箱根までは渋滞もなくスムーズについた。平日の通勤とは逆方向なのだから当然と言えば当然だ。車中、大切なことを聞き漏らしていたことに気づき、それを考えたまま道の駅についてしまった。
大切なのこと。それは、綾菱という人は男なのか、女なのか。
はたまた何歳ぐらいの人なのか。何も情報がない。そもそもこのご時世に携帯の連絡先も知らず当日の服装も知らないのに、どうやって見つけるだろう。相手の服装も容姿もわからなければ声のかけようがないし、それは相手も同じだろう。仮に僕の本名が伝わっていたとしても、外見だけでわかるわけがない。まさか、90年代のドラマのように僕の名前を書いたボードを高々と掲げているわけでもあるまいし。
12時40分。
少し早めに道の駅についた。仕事の商談であればこんなに早くついてしまっては相手の迷惑になるので、カフェでも探して入るところだが、ここにそんなものはない。というより、売店、レストハウスがあるこの道の駅こそむしろそれに一番近い。
僕は売店へ入った。箱根のおみやげが並んでいる。平日なので当然だが、賑わってはいない。とりあえずここでブラブラしながら待つことにしよう。それ以外にすることがないというのが本当のところだけれど。
店内には僕を含めて5人の客がいた。一人はライダースジャケットを来ている30代前後の男性。バイクでの一人旅だろうか。もう一人はウィンドブレーカーを来た中年男性。服装からして近くに住んでいる地元民だろうか。残りの二人は20代のカップルだった。有給をとって二人でドライブデートというところか。
この中に、綾菱という人がいるのだろうか。さすがにカップルは違うだろう。可能性があるとすればライダースジャケットの男性だが、それにしては仕事で訪れているという感じがしない。中年男性は服装からしてそうだが、そういう会社なのだろうか。可能性が無いこともない。いったいどんなシステムを開発するのだろうか。それとも、全く違う仕事をすることになるのか。いきなり言われても僕にはできない事のほうが多いと思うが。
その時、自動ドアが開いた。
濃いグレーのパンツスーツ姿をした20代半ばと思われる女性だ。OL風、と言ってしまった方が早い。顔は童顔であどけなさが残り、つぶらな瞳に150cmギリギリのミニマムなサイズは容姿だけなら新卒の新入社員にも見えるのだが、きびきびとしてこなれた動きがそれを感じさせない。明らかにここには似つかわしくない格好だが、もしかしてこの人だろうか。それを証明するかのように、入るなりきょろきょろしている。こんなところで物ではなく人を探しているとしたら相手は僕ぐらいなものだろう。OL風のその人が気づきやすいように、僕はそのまま視線を動かさずにいた。
すると、彼女がこちらに気づいて近づいてきた。
なぜか、不思議と見ていると落ち着く顔をしている人だ。どこが、ということではないのだが、なんとなく。きっとこれは女性には失礼な表現になるのだろうけど。いや、決して容姿が悪いわけではなく、むしろ美人に該当する人なのだろうが、なぜか落ち着くのだ。
彼女が近づくにつれ、自分の観察ぐせもやれやれと思ったのも一瞬、心がざわめいた。
なぜだ。
なぜ僕はこの人にそんな感情を抱いた。
表情で落ち着いたわけではない。見慣れた風景だった気がしたから落ち着いたのだ。こんな非日常的なところにもかかわらず、知らない人に会うにもかかわらず。なぜか。それがわかったとき、僕は落ち着きを失った。冷静ではいられなかった。
「牧村健さんですね。お待たせいたしました」
冷静でいられるはずがない。
眼の前にいるその人は、毎朝見ていた顔だったのだから。
そう、満員電車の、長い座席の前で。
毎朝、人ごみをさけて中央で立っていたあのOLさん。
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