第2話「本部長メールの恐怖」

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牧村健殿


お疲れ様。

峯岸です。


牧村君。君に至急で異動の辞令が出ています。

私は今日、名古屋出張から夕方頃本社に帰るので、

そこで打ち合わせを頼みます。


よろしくお願いします。

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至急?人事に至急も何もないと思うが、懲戒処分でも受けるのだろうか。いや、心当たりがない。刑事罰に問われるようなことはしていないし、飲酒運転も、もちろん人殺しもした記憶がない。


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峯岸本部長

牧村です。


打ち合わせの件、承知しました。

至急の辞令というのは、私に何か法律違反などの嫌疑がかかっているのでしょうか。


心当たりがありません。

取り急ぎ、16時から会議室をおさえました。


お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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5分待ってみたが、峯岸本部長からの返事は来なかった。ケータイのメールではないのだから5分かそこらで返事が来ることのほうが稀なのだが、どうしても気になって待ってしまったのだ。しかし、もう9時半だ。これ以上は延ばせない。薮田との打ち合わせがある。とにかく切り替えよう。気にしてもしょうがない。心当たりがないのだから堂々としていれば良いのだし、仕事は仕事だ。ここでうろたえて仕事が甘くなればなおのこと立場が危うくなる。僕は悪いことはしていないのだ。今はちゃんと仕事をすることが一番大切なことだ。


「マキさん?」


「ん?あ、ああ、えーと、ごめんなんだっけ」


「いや、だから明日の残り作業の配分ですよ。自分と斎藤と派遣の武田さんではちょっと終わりそうもないと思うんですけど・・・っていう話です」


気がつくと、いつの間にか思考が止まっている。いや、正確には自分に出ている辞令のことを考えてしまって、他が疎かになってしまう。


「ああ、ああ、そうだったね、ごめん」


「らしくないですね、マキさん。大丈夫ですか?」


薮田は、きっと僕のあとを継いでリーダーになる人材だ。頭の回転は悪くないし観察力もある。マネジメントも向いていると思う。上司である僕のこともちゃんと気にかけて動いてくれているのがわかる。まあ、そういうと薮田はだいたい「マキさんを見てきたから」って言うんだけど。


「わかった。多少遅れるのはしょうがないよ。ただ、被害は最低限に食い止めよう。まずこの機能を後まわしにしよう。主要な機能さえテストできればあとは枝葉の機能だから、変わってもあとあと大きく影響することはないから」


「え?マキさんやらないんですか?いつもなら自分もやるといって手を出しちゃうのに。あ、いえ、いまのマキさんの判断に異論があるわけじゃないんですけど」


自分の部下ながら、鋭い。


どうしたものか。まだ辞令が僕のところへ情報として届いているわけではないし、正式に社内でリリースされるのがいつなのかわからない。その場合、筋としてはまだ他言するべきではない。僕は、基本的にそういう決まりは守っていくタイプだ。決まりやルールには意味があり、それはきっと誰かの権利や立場を守っていることが多い。そういうことが守れないひとが良いシステムやサービスをつくれるとは思えないから。


ただ、ルールが全てでないのもまた事実だし、ルールの効用もケースによる。ここで、僕は藪田の信頼を裏切るべきではない。というより、一人の人間として、仕事をする人として部下の信頼を裏切りたくない。もともと、突然の話だ。会社側も正式な手順を踏んで辞令を出しているわけじゃない。だったら、こちらもその事態に臨機応変に対応しても咎められはしないだろう。


「実は、どうやら僕は近々異動になるらしいんだ」


「は?」


案の定、薮田は驚いている。


「いや、ちょっと待ってくださいよ。え?どこに?っていうか今の案件はどうするんですか?!」


少し苛立っているようだった。無理もない、突然チームのトップがいなくなるというのだから、祝福するとかしないとかいう以前の問題だ。何がどうなるのかわからないのだから。


「いや、それが僕にもわからないんだ。さっき突然峯岸本部長からメールが来ててさ、異動の辞令が出てるって。理由も、異動先も、何をさせられるのかもわからない」


薮田は少し黙ったあと、再び口を開いた


「マキさん、なんかやったんですか」


おいおい、と思ったが、自分だってそう思ったんだ。他人ならそう思うのが自然だろう。


「いやいや、何もしてないよ。他人様に叩かれるようなことも警察のお世話になるようなことも」


「じゃあなんで」


「僕にもわからない。とにかく、峯岸さんから突然メールが来ただけなんだよ。それだけしか情報がない」


薮田は少し下を向いて、すぐにその顔を上げる。


「マキさん」


僕の視線を外さずに、まっすぐ見つめながら薮田は言った。


「俺は、マキさんのこと信じてますから。マキさんはそんな悪いことをする人じゃない。会社が何をしようとしているのか知らないですけど、理不尽な異動なら俺は戦います」


少し、泣きそうになったのを堪えた。事態が事態だけに仕方の無いことなんだが、でもやっぱりそれほど歳の離れていない部下の前で泣くのは恥ずかしい。


「うん。ありがとう。でも、大丈夫だよ。もちろん僕は悪いことはしてないし、理不尽な異動なら自分でもじゅうぶん戦える。それに、峯岸さんはそんなにひどい人じゃない」


自分の話でもないのに熱くなっていた薮田は、少し冷静さを取り戻したようだった。


「・・・それもそうですね。峯岸さんにかぎって、社員を捨てるようなことはしないですね」


「マキさん、GOOD LUCKですよ。グッドグッド」


「ああ、ラックラック」


システム開発という仕事は、何かとしんどいことが多い。そういうとき、下を向いていたって始まらない。だから、お互いがお互いをはげます。相手がGOODと言えばこちらはLUCK。逆もまた然り。気休めだが、これがなかなか元気が出る。仲間だ、と思えるからだろうか。

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