30代からはじめる”リアルロボット操縦士”

清永啓司

第1話「ありふれた通勤電車と職場の見慣れない出来事」

――どうしてそんなことになったのか、今でもわからない。僕が、あんな大きなものを操縦することになるなんて。平和であることは確かに大事な事だけど・・・。


「ちっ」


今日もまた、だ。


この人は毎朝毎朝飽きもせずに周囲とちょっとぶつかるだけで不機嫌な顔をする。そして小さく声を出す。そんなことをしても自分も含め誰も幸せにはならないだろうに。


だいたい満員電車なのだからお互い様だ。嫌なら重役にでもなって出勤時間を変えるか、家でも仕事ができる物書きにでもなるか、あとは働かないかぐらいしかない。まあ、そんなこと絶対に言葉にはしないが。ドア脇にはこれまたいつもの、ヘッドホン青年がいる。そばかす頬にヘッドホン。夏は紺の襟付きシャツを第二ボタンまで開け、下はジーンズ。冬だと、これにダウンジャケットがつくぐらい。毎日違う格好はしているが、たぶん他の誰に聞いても同じような格好と言うにちがいない。たぶん大学生だが、顔はそんなに悪くないのだから、もっとそれなりの服を着れば良いのに。もちろん、そんなことも言葉にはしない。


静岡方面から東京に出るその電車は、毎朝毎晩混んでいる。


もうちょっとなんとかならないかとは思うが、たぶんどうしようもない。今でさえすでに数分間隔でダイヤが組まれている。これ以上増やしたら、もうその時間に走っている全部の電車を連結させることになる。それじゃあ、結局乗客は電車の中を歩くだけだ。国道1号を歩き続けるのと変わらない。昔の人じゃあるまいし。ただ・・・面白い。電車の中は毎日面白い。毎日同じ光景だから面白いし、毎日違う光景だから楽しい。いろんな人や景色を観察すればその人の向こうには自分と同じスケールのドラマがある。32歳の僕よりもう少し歳が上であろう不機嫌な彼も、家では奥さんに頭が上がらないのかもしれないし、逆に家でもあんな不機嫌な顔をしているのかもしれない。


この東海道線という電車は、静岡から神奈川を通り東京へつなぐ"東京の大型ベッドタウン総なめルート"を通る電車だ。よせばいいものをそんなに遠くから通うもんだから、ともかく乗車時間が長い。その往復だけでじゅうぶんにひと仕事できるだろうに。遠くから来ている電車だからなのか、3割程度はいつも同じ顔が同じ場所にいる。きっと彼らはかなりの遠方から、まだ満員になる前のその電車に乗って通勤通学をしているのだろう。ほら、今日もまたドア脇の青年、車両の一番奥の角にいる中年の他に、座席の一番端っこに座っている高校生、反対端に座っている中年の女性。この人はだいぶ化粧臭くて、座席の真ん中よりちょっと離れた側に立っている僕まで臭ってくる。あの人のためだけに消臭剤を置いて欲しいぐらいだ。そしてどうしてなのかわからないが、この長い座席の前に陣取る若いOLさんがいる。だいたい場所が決まっている人は、座っている以外はドア脇だったり車両の隅っこだったりと"人気の立ちスポット"にいるのだが、この女性はいつも中央にいる。確かに、ドア付近に比べると車両の中央当たりは実は空いていることが多いので、それを狙っているのだろうと思う。中央を陣取れるということは割と空いている時間ということになるが、それならもう少し早く家を出れば、おそらく座席はあいている。そこまでするほどには座席に執着がないのかもしれない(というより、ベッドが恋しいタイプなのだと思うが)。


僕はこうやって周囲を観察するのが好きだ。


たまには本も読むが、基本的に立っているので(というより座れないので)本は読めない。スマートフォンでネットを楽しむか、それ以外はこの観察。いろいろなことがわかるし、ITエンジニアとして、ユーザーに向けたシステムやプログラムを設計する時の糧になる。いろんな人の人生を見るというのは、そういう時に役に立つ。ただ、あんまりキョロキョロしていると時折目があってしまって気まずくなるのだけど。僕の視線に気づいてしまうのだろう。自分では意識してないがついつい、楽しくて凝視してしまうことがあるのかもしれない。


そうこうしているうちに東京駅に到着する。ここでどっと疲れが出るのだが、僕の勤める会社は神田にあるので、ここからまた乗り換えてもう一駅ある。"よせばいいのにそんな遠いところから"は、間違いなく僕にも言えることだ。ただ、慣れてしまえばどうってことはない。たぶん、あの電車に乗っているひとみんながそうだろうが、通勤というのはそういうものだと思ってしまうと、ある程度は気にならなくなる。神奈川、いや湘南は住みやすいことこの上ないというのもあるが。


「おはようございまーす!」


僕は、必ず大きな声で朝の挨拶をすることにしている。人間というものは、複雑な思考をする割に、結構甘い勘定で相手を見たりするものだ。自分にとって損得があるか、快楽があるか、そんな程度のことでかなり左右される。挨拶も大きな声でしておくことで評価が結構良い方に傾く。バカにするつもりはないけれど、割と単純なもんなんだという意識は持っておくべきだと、僕は思うのだ。何より、"それなりに大きい声"という少ない労力にしてはリターンが大きいからこそ、抑えておきたいと思う。もちろん、実は自分が一番気持ちよかったりするので、たぶんそういう僕が一番単純なんだろうけど。


「牧村さん」


新卒二年目の斎藤雅紀(サイトウマサキ)。僕の部下だが、だいたい彼が僕に声をかけると・・・。


「お前なぁ、だからまず俺に声をかけろって言ってんだろ」


そう、だいたい6年目の薮田太輔(ヤブタタイスケ)が口を挟む。いつもこの調子で、二人でコントのようなやり取りを繰り広げる。


「斎藤さぁ、一応きみの上司は僕なんだけど、基本的には先輩の指示に従いなさいね」


へへ、すみません、と彼はニコニコしながら少し頭を下げる。この屈託の無い笑顔がこのチームで愛される所以だろうなと思う。


「マキさん、これから今日明日の作業を整理したので報告させてもらってもいいですか?」


僕は、この会社で"リーダー"というよくわからない役職をつけられている。やっていることは、数人のグループをまとめてプログラムを組んだりWebサービスを構築したりするという、いわゆるマネージャーに近い。


「うん、いいよ。ちょっとメール対応する時間があるから9時半からにしよう」


「わかりました。会議室おさえておきます」


「よろしく」


朝からPCを立ち上げてメールチェックをしていると、そのままPCを閉じて帰りたくなる気分になる。メールが多すぎるのだ。IT企業とはいえ2000人近い大所帯の会社だ。とにもかくにもメールが多い。これは読んでおいてね、これは読まないでいいよ、と書いて欲しいぐらい。そんなことするぐらいならきっと読まなくて良いメールは送らないのだろうけど、ちょっと本気でそう思ってしまうほどに多い。


そんなメールの山の中に一通、不思議なメールが来ていた。上司からだ。


ネットワークサービス系の部署が「サービス本部」としてたち、その下に僕が所属する「Webシステムサービス部」があるわけだが、部長を飛び越して本部長からじきじきにメールが来ている。上司からメールが来ることはもちろん不思議なことではないのだが、本部長からのメールというのはそうそうあることではないし、そしてCCに誰も入っていない僕宛てのメールというのは入社して10年、一度もない。自分の名前、「牧村健(マキムラタケル)」に「殿」がついた書き出しから始まるそのメールにはこう書いてあった。

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