#04 ヘルメス

 ヘルメスはネクロス・タワーから外に出た。

 外に出ると、いろんな物が目に付く。

 地上何百メートルという高さの建造物が乱立しているが、圧迫感は無い。表面に色とりどりの色彩と模様の幻像ムービーや、迷彩のように青空を映し出し、行きかう人々を楽しませ、和ませる。

 歩道の脇には街路樹。葉は青々と茂り、葉の隙間から漏れる木漏れ日が美しい。

 行きかう人々は、ヘルメスに気づくとお辞儀する。ヘルメスも目を伏せる。街の住人たちは一部を除き偽り無く、ヘルメスら偶像アイドルを称える。偶像としての彼らを。

 あえて少し大きく作られた掃除ロボットが歩道を磨く。視覚的、聴覚的不快感を与えないよう、本体は『街迷彩』とでもいうべき色で彩られ、静穏設計でありつつ、マスキング効果のあるリラックス音楽を流すことで、完全に騒音を消していた。

 道路を駆け巡るオート・カーの群れの中に、白いボディ、水色の窓のクリーン・カーが点在している。彼らは目的地があるわけではなく、そうして日中道路を巡る事で、道路そのものを掃除している。

 そんなクリーンな街を歩くヘルメスも、また美しかった。面積にして数マイクロメートルの石膏タイルたちは、駆動系の邪魔をせず、なめらかに滑り動く。美しき石膏の皮膚に包まれた純白の身体には、その随処の凹凸に陰影をつけており、それだけで美術的価値を包含ほうがんしている。

 偶像アイドルとしての威厳、美しさを維持しつつ、しっかりと実用性を兼ね備えた体躯。無駄なく、不備なく、どこまでも理想的。

 だが短所が全く無いわけではない。たとえばであること。肉の身体より比重が重いので、海の中で泳げない。そして体躯を動かすエネルギーだ。こちらも補給しないと停止する。

 が、この二つは、この社会にいれば、何の問題も無い。海岸線には数多の警報システムと防災設備が完備され、街が津波に襲われる心配はない。ありえない不測の事態を除けば、身体が沈むほどの水場は無い。エネルギーについても、どこででも補給を受けられる。存在する欠点は、街に組み込まれることでカバーされる。

 このネクロス・シティは、現在、四体の偶像アイドルによって管理されている。

 ローマ神話の軍神マルスは、軍事を司る。担当地域はネクロスシティ唯一の海岸線を含む北側だ。

 生粋のキリシタンである聖ジョルジョは、警察と農業を司る。南を該当地域として、前述の北地域と密接な関係がある。時に軍事補佐として動く事もある。

 ジュリアーノ・デ・メディチは、芸術と財政を司り、担当は西側地域。

 そして彼、ギリシア神話のヘルメスは、経済・商業を司る。担当は東地域。

 街の偶像アイドルは、各方面における文化や技術を彼らからの賜物として、偶像アイドルである彼らを信仰する。

 偶像アイドルたちの住処であるネクロス・タワーは、ネクロス・シティの中央にある。ネクロス・タワーを通れば、どこの都市にでも速やかに移動できるだけでなく、彼らが業務上……各方面のサポートなどのため集合する際、近くにいた方が利便性が高いという理由がある。

まるで分担政治テトラルキアだ。ローマの帝国皇帝のディオクレティアヌスが行ったとされる政治である。四分割して、各都市の帝が分担して政治をするのだ。

 ちなみにディオクレティアヌスは、キリシタンであるゲオルギウス――聖ジョルジョ殺した人間だったりする。実に皮肉な巡り会わせだ。

 ローマ神話の主神・ユピテルの子を名乗ったディオクレティアヌスに殺された聖ジョルジョからすれば、ローマ神話で主神並みと言われたマルスへの心証は複雑なものだろう。ネクロス・シティにおいては、司る軍事もマルスに奪われ、警察を割り当てられたのだから。


 ただ街を歩いているだけでは味気ない。ヘルメスは目についた店に入ってみた。

「いらっしゃいませ」

 ガラス張りの店舗はコンビニだ。一世紀ほど前と、そう変わっていない。雑誌から文房具、飲み物や食べ物などが、一通り揃っている。

「これはこれはヘルメス様……どのような御用で御座いましょう?」

 店員が寄ってくる。事前に調べていた情報では、コンビニで店員が客に接待をするなど聞いていなかった。

「いや、ちょっと寄ってみただけなんだ。構わないかい?」

「もちろんでございます」

 ヘルメスが来たという宣伝文句が使えれば、ただのコンビニでも繁盛すると踏んでいるのかもしれない。

 まぁ、なんでもいい。ヘルメスは店内を散策する。

 店員がついてくる。むやみに突っぱねて、反感を買うのはよくない。やんわりと遠慮してもらうよう促す。

「別に、ついてこなくて構わないんだが……」

 いえいえ、と店員は首を横に振る。

「ヘルメス様はばかりで、詳しい事は御存じないでしょうから、不躾ながら私めが説明させていただきます」

 あまりの積極さに、ヘルメスは困惑した。

 彼にとっては、ヘルメスが店に来たことが光栄なのかもしれない。だからこそ、こうしてでしゃばってしまう。

 それが偶像アイドル。誰もの視線を集め、視野を狭窄させ、盲目にしてしまう光。

 惣菜パンのコーナーで、店員は流暢に説明する。

「こちらは当社のブランドをオススメの商品です。値段も手ごろですが、なにより味が……」

 聞いても仕方がないないようだった。ヘルメスの身体は石膏のタイルと駆動系、そして魂が宿っているとはいえ、二つの人工脳だけだ。動力は電気であり、胃袋は無い。

「すまない……食べ物を買いに来たわけじゃないんだ」

「これは失礼しました……なにか、興味のあるものは御座いますか?」

「ほっといてくれ」とすら言いたくなったが、好意を裏切るようなことも、言いにくかった。

「ん?」

 他のコーナーだった。電子コンテンツのデータカードのようだ。詳細をオンラインで調べてもいいが、せっかくなので訊いてみる。

「これはなんだい?」

 聞かれた店員は、水を得た魚のように、目を輝かせる。

「環境データになってます。データはオンラインから落としてくるのが一般的ですが、データ容量が多い物は、このように媒体を実際に購入することもあります。他にも、映画などの映像データもありますよ」

「しかし環境データというだけで、それほど容量があるのかい?」

「ええ。バーチャルと違い、リアルの室内……環境データ再現用の部屋があるんですけれども、そこで使用するんです。環境データ再現用の部屋は、ご自宅に無ければ、公共ブースなどが利用できますよ。バーチャルと違い、仮想的な環境の中で、リアルの作業ができるのが特徴です」

 ふむ。ヘルメスはデータカードを見ていく。草原、海岸、夜空……色々なデータがある。

 一つ、気になるものがあった。題名は――。

「そうだな。コレを貰おうかな」

「かしこまりました」

 レジに行き支払いを済ませる。レジテーブルの上にあるスキャナに、手首の近接アダプタをかざす。それだけで支払い作業が終わり、電子的通貨の交換は完了した。昔は一般消費者の間でも現金通貨が流通していたため、支払いのときに手間が掛かったらしいが、今では無関係だ。

「ありがとうございました」

 店員が恭しく一礼するのを見届けて、ヘルメスは店外に出た。


昼までには、まだ時間がある。ヘルメスはネクロス・タワーから離れすぎない範囲で、散策にふけっていた。

 道行く人々は、ずいぶんと落ち着いている。オンラインで見た数年前の映像では、肯神派と反神派の表立った対立のせいか、街の空気も殺伐とした感じがあった。だが、偶像アイドルが生まれた事で、それも沈静化している。

 偶像アイドルが、偶像アイドル足りえる仕事をしているからだろう、とヘルメスは分析していた。彼らが生まれてから、まだ二週間ほどしか経っていないが、それでも街は目まぐるしく変わっていった。

 軍神マルスが軍の最高指令になってから、隣国の度重なる領海・領空侵犯が鳴りを潜めた。

 聖ジョルジョが台頭してから、目に見えて犯罪が減少した。

 メディチが芸術の象徴になってから、オンラインでの芸術活動は目まぐるしく活発化した。

 ヘルメスが商業区の頂点に立ってから、小売店の売り上げは平均一・五割増した

 彼らは、ただ座に着いたに過ぎない。彼らは手を下していない。だというのに、人々の意識は変わった。降霊した者ネクロスを欲した街で、いよいよ神が偶像アイドルとなった。それだけの意識で。

 まるで、やっと頭脳を得たような、やっと本来の形を取り戻したような、やっと褒美を貰ったような、を感じる。

 反神派からしてみれば、ヘルメスたちの存在に対して反抗したいところだろうに、なぜ大人しくしているのだろうか?

 疑問を投げかけるように、ヘルメスは道行く人々に視線を向ける。まるで統制の取れた群体だ。歩く人々は服や背丈に違いはあれど、一律してほぼ同様の動きを保っている。

 なぜ神がいるのか? なぜ偶像アイドルが必要なのか?

 もしかすると、それは――。

 ふと、横断歩道の前で脚を止める。向かいのビルの壁――ディスプレイ――に、自分と似たような動く石膏像が映っていた。

『……今日のゲストは、偶像アイドルのメディチ様です』

 キャスターに紹介され、ジュリアーノ・デ・メディチが軽快に挨拶した。その動きは石膏のそれとは思えないほど、有機的で、生物的で、そして何より人間的だ。

『メディチ様、失礼ですが、本日、お仕事の方は……?』

 メディチは笑った。笑うことで顔面に浮かぶ皺すらも陰影となり、そういう芸術のように見える。

『私なんて、装飾品のようなものですよ。石膏像だけにね』

 さしものキャスターも苦笑いである。

『お話によりますと、モナ・リザはメディチ様には、深い関わりがあると』

『そうです。モナ・リザは、私がダウィンチに依頼して描いてもらいました。モデルは私の愛人である、コスタンツァ・ダヴァロスで……』

 コスタンツァ・ダヴァロス……その名前に、妙な引っ掛かりを覚えた。

 横断歩道の信号が青になる。ヘルメスはタワーではなく、公共ブースに向かった。

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