#03 ヘルメス

 内部脳が待機状態から覚醒し、閉じた瞼の裏側で、アイ・カメラが駆動する。不気味なモーター音が脳に響く気がした。

 場所はネクロス・タワーの最上階。半球状の大きな天窓は、昼間は青空が、夜には星空が一望できる。内装はシックに纏められており、照明と、床と壁のインテリア・ホログラフィックを切り替えれば、プライベートルームとしても、仕事場としても利用できる部屋だった。

 ドアをノックする音がして、そちらに視線を向けた。

「ヘルメス様、執事のキリサキです。入ってもよろしいでしょうか?」

 聞き覚えのある声だった。

「ああ」

 返答すると「失礼します」といって、燕尾服を着た男が入ってきた。年齢にして、二十代後半から三十代前半。若々しく、男にしては細身ではあるが、頼りない感じはしないのは不思議だった。キリサキと名乗ったこの執事は、ヘルメスの専属の執事である。

 おそらく彼も、この街の議員側の人間に違いない。

「決まりになっていますので、体調の方を確認させてください」

 ヘルメスは、その腫れ物を扱うような言い方に、思わず苦笑したくなった。既に現在の知識のほとんどを外部脳にインプットしているヘルメスは、ここで『体調のチェック』や『体調の検査』と言った言葉を使わずに『体調の方を確認させてください』という言い回しを使ったのが、意図的であると簡単に見抜けた。

 あくまで物ではなく、偶像アイドルとして扱うように――そう、言い聞かされているのだ。

「本日の日付と時間を仰ってください」

「外部脳の電子時計によれば、西暦二一五○年、五月七日、木曜日。午前八時〇〇分」

「結構です。では体調ですが……」

「外部脳も内部脳も、問題なく動いている」

 ヘルメスが降霊した石膏像の身体には、二つの脳がある。

 内部脳は頭部にあり、司るのは降霊された魂と思考、感情といった人間と同じシステムだ。降霊に関しては、ブラック・ボックスになっており、魂に該当するものが宿るとされる。公開されている情報では、死者や神が存在する所から、該当する魂を引っ張って来て、内部脳で繋ぎ止める……となっている。

 対して外部脳は、現代知識、言語、そのほか現在時間など、オンラインや外部記憶装置から取得した情報を記録し、いつでも参照できる。これにより、ディスプレイなどの出力装置を介さずに、自分に直接情報をインプットできる。ヘルメスたちだけでなく、人間にも外部脳は存在し、こちらはハードがシティの中央部にて一括管理されている。人間に埋め込まれているのは外部脳インターフェイスだけで、ヘルメスたちと同様、左手首にデータを入出力するための、近接アダプタが存在する。違いは、ヘルメスたちは身体内の外部脳にデータを落とすが、人間たちは身体外にある自分専用の外部脳にデータを上げるということだ。

 その外部脳に落としたオンラインからの情報によると、ヘルメスたちが降霊する前、ネクロス・シティの情勢は安定していなかったようだ。神の存在と、神に従うことを肯定する肯神派こうしんはと、神の存在を否定し、また神が人に従うことを否定する反神派はんしんはの間で、諍いが勃発していた。

 そしてそれは反神派側の方が有利だった。ネクロス・シティの外には、天上に、神に届こうとしたバベルの塔があったからだ。

 分離の象徴、失敗の象徴、反神派の偶像アイドル。信仰の根拠。

 あの塔を作ろうとして、言語が分断され、人々は散った。収束の象徴として造られた塔は、造られかけて報知されることで、分散の象徴と化した。

あれから何千年と経ったことだろう。文明が発達し、止まらなかった人類同士の闘争を収束させるため、肯神派は誕生し、一つの街を作り上げた。バベルの塔の麓に作られたネクロス・シティは、またも人類を一つにするために作られた。乱された言語を、卓越した人類の技術によって事実上統一したうえで。

 人は成功を求めた。塔ではなく街を用いて。象徴には塔を使わず、神を用いることで。象徴を偶像アイドルにして、この仕組みを、収束を、成立させようと試みた。

 偶像アイドルである彼らが降霊した事で、ネクロス・シティはアイデンティティを見失わずに済み、社会は成立したのだ。流石に反神派も、神が行った所業の痕跡だけでは、本物の偶像アイドルには叶わなかったのだ。

 身体の駆動系の確認が終わると、キリサキはスラスラと読み上げる。

「午後一時からは一時間ほど、議員との会議がございます。それまでは、ご自由にされて結構です」

 ちょっとした用件にメモリやデータ送信を使用しないのは、人間が人間的営みを行う上で必要だった。言葉で済むことなら言葉で済ます。人が機械にならないために、必要な儀式だった。

「それでは失礼します」

 慇懃に頭を下げて、キリサキは部屋から出て行った。

 一人になった部屋で、ヘルメスは首をぐるりと回し、身支度を整える。さて、どこに行こうか。

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