#02 ヘルメス プロローグ

 石膏像がアイドルになるのはふさわしい。


 アイドルには偶像という意味がある。浄土真宗の信仰者であれば、偶像は、御本尊という言葉が分かりやすい表現かもしれない。神仏の具現化であり、具体化した像である。

 石膏の像とて同じだ。それそのものが偶像として――信仰としての対象――の意味を持つ。

 だが、仮にその石膏像に『人格』が宿る事があれば、役目は変わらずとも、彼らには主体性が発生する。

 ただ信者に信仰されるのではなく、

 あるいは、信ずる者に尽くすため。

 あるいは、より名声を得て活躍するため。

 あるいは、コスタンツァモナ・リザの美貌の喧伝のため。

 この日、歪んだことわりに取り付かれた聖人と軍神と政治家は、互いに違いはあれど、偶像としての役割を持って誕生した。

 だが、何事にも例外は存在する。たとえば泥棒の神、ヘルメスである。

 この神、生まれてまもなく兄のアポロンの牝牛を、五十頭も盗んでいる。疑われれば「私はやってない。生まれたばかりの私は、嘘の付き方も知らない」と天性の才能を発揮し、言い逃れようとしたほどだ。

 盗みと嘘。この二つを司る神が、現代の石膏像に降霊し、初めて抱いた感情は何か?

 驚き?

 楽しみ?

 それとも神話の時代と違う世への落胆?

 否。どれも違う。彼は最高神によって生み出された、嘘と盗奪、取引――あるいは駆け引きの神だ。新たに生まれでたこの世界で、最初に行ったのは、自分が持ちうるアドバンテージを正確に把握する事だった。把握し終えた彼は、こう思った。


 屈辱だ。


 アポロンから竪琴で取引して手に入れたケリュケイオンは、一本の杖に二匹の蛇が絡み合った形で描かれる、ヘルメスの象徴的道具アトリビュートである。人を眠らせ、あるいは目覚めさせる魔法の杖だ。

 石膏像に降りた、 、 、 今、彼に持ち得る道具は何に一つない。着の身着のままの姿だ。ケリュケイオンなど持っていなかった。

 そして人間によって降ろされたらしいという事態。あるいはこの影響で人格が歪んだのかもしれないが、伝令の神が、よりにもよって人間ごときに呼ばれたという皮肉には、恥辱にも似た感情を抑えきれなかった。それだけではない。降ろされた依り代は人間が管理する道具である。自分の肉体だというのに、これでは首輪でつながれた犬のようなものだ。

 さらにパトロンであるゼウスがいないこと。だがこれは、捉えようによってはメリットでもある。ヘルメスを嘘の神になるよう生み出したのはゼウスであり、ヘルメスの嘘を見抜けるのも、またゼウスだけなのだから。

 ヘルメスは思った。

 なぜ彼らは、我々を偶像アイドルに祭り上げたのか?

 どうして我々に、偶像アイドルを強要するのか?

 知れば何かが変わるかもしれない。共感であれ、反感であれ。


 そうして、盗奪の神の復讐劇は幕を開けた。

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