ヘルメスの姦計

指猿キササゲ

#01 ヘルメス

 曇天の闇夜において、最も明るいのは空である。

 非常電灯の赤い光を乱反射した雲は、ぼう、と光っていて、まるで魔物の体内にいるように思わせる。

 内臓に攪拌される食べ物の最後のように、真っ暗な町中は、わんやかんやと騒がしい。なりっぱなしの赤いサイレン、やむ気配のない喧騒は、夜の街には不釣り合い。シュルレアリスムな光景は、まるで終わりの夜のよう。

 赤、赤、赤。間をおいて、間を埋めて、敷き詰めるのは、赤、赤、赤。

 血のような光に照らされて、ぼうと浮かび上がる夜の都市。地上何百メートルという高さの建造物は煌びやかな力を失い、その表面を黒く染めている。普段なら、さまざまな模様、色とりどりの色彩で、行きかう人々を楽しませる風景ビジョンだというのに。

 ネクロス・シティ。建築途中で放棄されたバベルの塔が、この街の外にある。人々は、そのような失態を犯さない、神によって止められないものと、この都市を信じきっていた。自戒としたはずのバベルの塔は、いつの間にか風化して、こうしてラグナレクの如き終末を迎えている。

 彼は、薄く笑った。その挙動は滑らかで、とても皮膚が石膏で出来ているとは思えない。

 ギリシア神話の神だというのに、思いついた単語が北欧神話だというのは、全く笑えない話である。それもこれも、もう一つの脳にインプットされた情報のせいだろう。

 街から放射される光が、身体を照らす。血とは違う、鮮烈で壮麗で純粋な赤色が、体中を染め上げていた。白い皮膚はどこへやら。まるで元々そうだったような、美しい赤色だ。

 まるで美術品のような美しさだ――いや、そう意図して人間が作り上げた寄り代だ。

 偶像アイドルとして、Idolアイドルにして、I dollアイ・ドールとさせるため。

 象徴に相応しいカタチとして用意したのが、この石膏像。だが、ただの像ではない。表面を覆う石膏は、面積にして数マイクロメートルのタイルの集合体。彼の意思に従いスリットに沿って移動することで、人と変わらない――いや、それ以上に滑らかに動ける『石膏の流体』とも言える皮膚。中にある駆動系は、常人と同じように動けるよう組み込まれ、頭蓋と体内には、合計二つの電子の脳が存在する。

 人を奴隷とした神、そのままに死んだ神への反逆として、人間はもっとも愚かな方法を下した。神を蘇らせて、神をシステムの道具とすること。根幹として束縛し、神から自由を奪い、人としての自由を獲得する事。

 果たして、そんな目的のために、盗奪の神を降ろすとは、人間は何を考えているのやら。

 いまや闇と赤い光の二色になった都市を見て、ヘルメスは回想に浸った。

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