第2話 証人
前田慶次郎殿が、織田の大殿様や滝川一益様にどのような進言をなさったのか、正確なところは判りません。
進言の如何も、その進言の可否も、私には判らぬことですが、ただ我が家の人々の行き先について、先方から細かい指示が出されたのは確かなことです。
真田昌幸、即ち我が父と主立った家臣達は、希望通り砥石城へ移ることとなりました。妻子を伴っての帰還が許されたのです。
父は、妻達と子供たち、つまり、まだ元服していない私の下の弟の
私から見て大叔父にあたる矢沢源之助
矢沢の大叔父殿は家中でも一番の武辺者です。滝川様としてはこれを真田の本体から切り離し、且つ、万一の時の
証人は大叔父殿だけではありません。
「国が男であったなら、どれほど頼もしいことか」
と、嫡男である私の前でしみじみと言うような度量の持ち主でしたから、これをただ一人、遠く織田公の元へ送ることに、何の心配もしておりませんでした。
これを不安に思うていたのは、我らの母と、国姉の
ことさら、茂誠は不満顔でありました。新妻と離ればなれになることが、辛かったのでありましょう。
いいえ、茂誠が臆病であるとか意気地がないなどということは、決してありません。
それよりも半月ほど前、高遠の戦で、父親の備中守
しかも備中殿・大学殿を自刃に追い込んだのは、織田の大殿様の嫡男の
自分も共に行く、と言って聞かない義理の息子を、その若さと優秀さから己の手元に置いておきたい父は、説き伏せるのに苦労をしたようでありました。
そして、源二郎信繁は……実のところ、まだこのころにはその名を名乗っておらず、もっぱら弁丸と呼ばれ、また自身もそのように称しておったのですが……これは遠く南の
父は口に出すことはしませんでしたが、源二郎を出すことに反対だったようです。
木曾殿を嫌っていたためです。
木曾殿は元々武田と敵対する勢力でした。
いいえ、木曾殿に限りません。信濃衆は大抵武田勢と敵対していました。
武田信玄公が版図を広げるために信濃へ攻め入ってきたから、というのがその理由です。
木曾殿も当初はこの強大な侵略者と戦っていました。しかし、圧倒的とも言える武力差を見せつけられ、お家存続と所領安堵のためにお降りになったのです。
その後、義昌殿は信玄公の旗下で数々の武勲をお立てになりました。やがて信玄公の姫君を娶られ、ご一族衆に名を連ねるに至ります。
ここまでの経緯は、我が真田家も似たようなものです。……ま、木曾殿の方が元の家勢も後のご身分も上ではありますが、それは置くとして……。
真田の家も曾祖父・
結果として僅かばかりの所領を失い、祖父・
放浪の果てに祖父は信玄公に仕えることを決めました。それが失地回復する最も良い手段と考えてのことです。
祖父の考えは正しかったと言うより他にありません。
信玄公の元で存分に働かせていただいた御蔭で、真田の家は旧領を含む
私の父は一時、信玄公のご母堂の系譜である
信玄公は父を外様ではなく甲斐衆の一員として扱ってくださったのです。
父も存分に働かせていただき、旧領の上に上州の沼田領を得るに至りました。
信玄公がご存命の頃は、木曾殿も他家へ走ろうなどとは
しかし、木曾殿の本領は甲府を遠く離れた木曽谷であり、美濃との国境でした。
目の前に織田の軍勢が見える場所です。
ですから信玄公がお亡くなりになり、まだ年若い勝頼公が家督をお継ぎになられることによって、武田の勢いが弱くなるという不安に取り憑かれたに違いありません。
武田の後ろ盾がなくなれば、織田軍攻めてくる。そうなればまたしても領地を失う。
領地を失った侍ほど哀れな者はありません。我々は自ら耕すことも獲ることもしませんから、領地から得られる収入が無くなれば、飢えて死ぬより他にないからです
勝頼公から無理な城普請を命じられたことも、応じればご自身の国力が削がれるという不安にを大きくさせたことは、想像に難くありません。
木曾殿は勝頼公ご存命の内に、織田様に下られました。
対織田の最前線であった木曾義昌殿が「寝返った」がために武田は滅んだ、と申しても過言ではないでしょう。
ですから、父は義昌殿をあまり好いていないのです。
と言っても、義理の弟でもある主君を売ったという不忠不幸が理由では、恐らくないでしょう。親子兄弟、あるいは主君と家臣が、時に敵対し、騙し合い、あるいは殺し合うことは、哀しいかな「良くあること」です。
父も必要とあれば、親族を出し抜き、主家を陥れ、戦って討ちとることを躊躇しないでしょう。
実際この度の戦が起きる前、父は水面下で織田様や北条家と接触していました。
勝頼公には信濃へ落ち延びるように注進し、その準備を進めながら、同時に、織田様や北条家に文と名馬を贈っています。
それが功を奏して、我々は織田様の旗下で命永らえています。
そんなわけですから、父が道徳的な理由で木曾殿を嫌っていることは考えられぬことです。
勝負をする前に勝負を投げ捨てて逃げたのが気に入らない、というのが本音でありましょう。
ただし、これは私の想像です。
父は何も言ってくれぬので、本当のところは判りません。
判りませんが、私の想像が大きく的を外しているとは思えないのです。
ともかくも、父は源二郎を木曽へ送ることを渋りました。しかし拒否することが出来ないことは判っています。
そこで弁丸は若年故に、と理由を付けて、矢沢頼綱の嫡子で、父の従兄、私から見たなら従伯父である三十郎
三十郎伯父が随行者に選ばれたのは、いざと言うとき、包囲網を突き破って逃げ出すためです。必要とあらば、血路を開くことも厭わず、です。
三十郎伯父は父よりも二歳ばかり年上なのですが、初見でそうと解る人はまずいないでしょう。
この人は恐ろしく若く見えるのです。
私が「少し年の離れた兄」と言ったとして、おそらく誰も疑うことがないに違いありません。
そういえば前田慶次郎殿も「若く見える」方ですが、慶次郎殿の若さはは「若武者のように見える」若さです。
三十郎伯父の「若く見える」は、慶次郎殿のような頑強な若々しさではありません。
幼顔で柔和な相貌、体つきはすらりと細く、物腰も穏やかなものですから、一見すると文人か公家のようです。
若輩の文人風、悪く言えば、末生りの青二才じみたその風貌が、三十郎伯父の強力な武器です。
馬上で三尺三寸五分の野太刀を振るう剛の者であることを覆い隠すことが出来るのですから。
三十郎伯父は家中でも三本の指に入る剛の者で――因みに申しますと、三本指の筆頭は、先にも挙げまたとおりに、頼綱大叔父でありますが、三十郎伯父はその器量の御陰で「筆頭」の陰に霞んでいます。
ええそうです。わざと霞ませているのです。「敵対者」の警戒からは真っ先に外れるようにするためです。
思惑通り、織田様のご家中からも、三十郎伯父はさほど警戒されませんでした。むしろ当主の血縁者である人質が二人に増えるのですから、先方からは反対意見が出ませんでした。
そしてもう一人、厩橋城の滝川一益様の元で人質暮らしをすることになった者がいます。
私の末の妹の「菊」です。
私の身代わりでした。
「全く、お前の父親は酷い父親だ」
宗兵衛殿……いえ、慶次郎殿は、私共がそれぞれに出立するというその早朝に、私を御屋敷に呼び出して、茶をお立てになりながら、そう仰いました。
私はというと、旅装のまま慶次郎殿の真正面にちんまりと座らされておりました。
「猿公ン所の
慶次郎殿が猿公と言ったのは羽柴秀吉殿のこと、佐吉と呼んだのは石田三成殿のことです。
私は身震いしました。
真田家が、武田に仕えている身で、宿敵とも言える織田の家臣と縁を結ぼうとしていた、その我が家ながら卑怯、
秘密の、極内密な縁談だったのです。出来れば話が完全にまとまるまでは誰にも……特に甲州や上州、して信濃の人々には……知られたくないことでした。
私は慌てて否定しました。
「石田様の
……正式に婚礼をしたのではない、と申し上げようとしたのですが、慶次郎殿は一睨みで私の口を噤ませて、
「同じ様なものだ」
と不機嫌そうに仰せになりました。そして、大振りな茶碗を放るようにしてどすりと置かれたのです。
茶碗の中で緑色の泡がぶつぶつと音を立てておりました。
「親の都合で出したり戻したり。挙げ句、証人にまで出すとは、あまりに不憫ではないか。幼子が可哀相だと思わぬのか? 下の男の子が年端も行かぬ、だと? なんの、幼くても男子を出せばいい。全く、つくづく酷い男だ。儂ならば娘だけは出さぬぞ。あんな可愛い生き物は他にない。嫁にだって出すものか」
初めは虎のようなお顔で怒っておいでだった慶次郎殿ですが、最後の方になるとまるで猫のような顔になっておられました。
この時私は、慶次郎殿に娘御がおられるらしい、と理解しました。その娘御が余程に可愛いくてならないのたど言うこともまた、判った気がしました。
というのも、この時の慶次郎殿の素振りというのが、我が父が菊の事になったときのそれ……例えば、良縁が決まったというのにいつまで経っても婚家へ送り届けたがらないとか、証人に出すことが決まっているのに自分の居城に連れて帰ろうとしているとか、あういう所が殆ど同じであったからです。
私は可笑しくなりました。そこで、顔が崩れるのを堪えようと、ものも言わず、畏まって茶碗にそっと手を伸ばしました。
慶次郎殿は、またお顔を虎のようになさいました。
「お前の酷い父親は、可愛い娘を差し出してまで、不肖の倅を砥石へ連れて行きたいと見ゆる」
「いえ、私は父とは別の所……
岩櫃城は、上野国と信濃との境にある岩櫃山の、
私は手の内に茶碗を抱いて、じっとそれを見ました。始めは慶次郎殿のお顔を見ぬようにするためではありましたが、暫く眺める内に、この茶碗が何とも美しく思え、目がはなせなくなっておりました。
「ほう……」
慶次郎殿が不思議そうに息を吐いたのを耳にし、私はちらりと目を上げました。慶次郎殿は腕組みして天井の隅に目を向けておいででした。
「岩櫃というは、信濃か? それとも
その問いに素直に、そして正確に答えるとするならば、
「岩櫃は上州であり、関東に御座候」
と言えば事済みます。
しかし、そのような当たり前の事を、仮にも関東管領・滝川一益様ご一門である慶次郎殿がご存じないわけがありません。
私は茶碗を抱えたまま、慶次郎殿が見ているのと反対側の天井の隅を見上げました。
岩櫃は、万一事あらば、関東の軍勢を信濃に入れぬ為の要害です。そして、機会あれば、信濃から関東へ討ち出るための最前線であります。信濃の玄関口ではありますが、同時に上野の裏口でもある場所です。
「さて、沼田の支城とみれば上野に属するといえましょうが、砥石の支城とみれば信濃に属するといえなくもありません」
「なんだ、はっきりせぬなぁ」
慶次郎殿は視線を天井から私へ落され、落胆なされたような、それでいて楽しげな口ぶりで仰いました。
私も視線を天井から外して、
「そう仰せになられても、私はあそこが信濃なのか上野なのかなどと、考えたことはありませんでしたので」
私は正直に申しました。腹の内が妙にもやもやしておりました。
慶次郎殿は太い眉毛を片側だけ持ち上げて、
「考えたことがない?」
本心不思議そうにお訊ねになります。
「はい。……ですからあえて申しますと……そう、真田の城、と」
そう言った途端、私は自分がなんとも大胆なことを言っていると気づき、驚きました。
「真田の城だと?」
慶次郎殿が、私をギロリと睨み付けになられました。眉間に縦皺が一本、深い谷を作っています。
私はその皺の一番深い一点を見つめ、申したのです。
「はい、我らの城です」
そう言った途端、腹の中のもやもやがすとんと霽れました。
沼田も、岩櫃も、砥石も、小県の土地も、みな我らのもの。我らが手放してはならぬもの。
私は自分の言葉が自分自身をたぎらせるのを感じました。
同時に、自分の首根に薄ら寒いものを感じました。
私の言い様は、聞き方に寄れば、
『真田は誰にも従属しない』
といった意味にも取れるものです。
武田にも、上杉にも、北条にも、そして織田にも従わず、自立し、己等の土地を守る。
そう宣言したととられても仕方のない言い振りでした。
迂闊なことです。
私は二心有りの
父が苦心して、八方に手を打って、ようやっと織田様の旗下に収まることができ、どうにか所領を安堵出来たというのに、私の一言で総てが水泡に帰すことになりかねない。
大失言です。
私の首根が寒くなったのは「失言」そのことそのものよりも、その後に起こりうる「悲劇」のためでした。
しかし、私は確かに、自らの意思で、本心から、宣言したのです。
私は肺腑の中に重く溜まっていたモノを総て吐き出し、手の内の茶碗と、鮮やかな緑の液体をじっくりと見つめました。
これらが、あるいはこの世で最後に見る「美しい物」であるかも知れません。
抹茶の緑は、萌え出た春の木の芽のように、眩しく輝いておりました。
寒い冬を乗り越えた、小県の、故郷の山が、茶碗の中にある。そんな気がいたしました。
茶碗の中で、緑色の泡がぷつりと弾けました。私は不意に、総ての泡が消えてなくなる前に、それを飲まねばならないという気持ちになり、まるで酒か毒杯でも煽るような勢いで、一息に、茶を飲み干しました。
「結構な、お手前で」
私は空になった茶碗を置き、首を投げ出すようにして、深々頭を下げました。
このときの私の心持ちと来たら、全く不思議な物でした。どうやらこの首っ玉の上に、慶次郎殿が大脇差を振り下ろしてくれることを期待し、待ち望んでいた、としか思えないのです。
伏せた頭の上で、衣擦れの音がしました。慶次郎殿がお動きになった気配はあります。
しかし、私の首は何時までも私の胴体にしがみついたままでした。
私がそっと頭を上げますと、
「全く、困った高慢ちきめが」
慶次郎殿は両の手を突き上げて背伸びをしておられました。それから大きな欠伸を一つして、
「朝駆けでもないのに早起きをするもンじゃないと、お主も思わぬか? 寝惚けた友が言わんでも良い『寝言』を言うし、その『寝言』を聞かなかったことにせねばならなくなる」
そう仰せになると、
どうやら私の命も、真田の家の命運も、この場で尽きるということは無くなったようでした。
私はすっかり安堵して、
「全く、その通りのようです」
と苦笑うて頭を
すると慶次郎殿は、急に険しいお顔をなさって、
「だが、忘れぬぞ」
酷く重い言葉でした。私は
己の顔の色が失せてゆくのが判りました。慶次郎殿は私の紙のように真っ白な顔をじっとご覧になり、仰せになりました。
「聞かなかったのだから他の誰にも言うことはない。だが、儂の胸の内には刻んでおく。お主がどれ程に故郷を愛して居るのか……。儂は忘れぬぞ」
そう仰ると、前田慶次郎殿はすっくと立ち上がり、また
「源三郎。その茶碗はな、儂が焼いた物だ。
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