真田源三郎の休日

神光寺かをり

第1話 宗兵衛殿


「不思議な人だ」

 というのが、第一印象でした。

 初め、その不思議さは主家である織田信長公の影響なのであろうと考えました。ところが、どうもそうではないようです。

 なにしろ、

「それは違う」

 とご当人が仰るのです。それもカラカラと笑いながら。

「そりゃぁ『薫陶くんとう』を受けはしたがね。何しろウチの上様は強烈な方だ。……御主は一度きりのお目見えだが、その一度であっても、十遍もぶん殴られたくらいの衝動を喰らっただろう?」

 宗兵衛そうべえ殿は碁盤を睨み付けたまま仰いました。

 その口振りときたら、どうにも織田様の御家中の内でも一、二を争う大大名様に連なるお血筋の……厳密に申せば、その「大大名」に今一歩の所でなり損ねた……お方とは思えないものでしたので、私はどのような顔をしてどのように答えればよいのか判断に困り果て、宗兵衛殿の顔を覗き込んだものです。

 その顔が、相当におかしなモノであったのでありましょう。宗兵衛殿は太い眉を八の字にして、逆に私の顔をじっとご覧になりました。

「源三郎。御主、儂を変わり者のように言うが、御主こそ相当な変人だぞ。大体、普通の若造は年上目上の人間に『あなたは不思議な人ですね』なぞと言いやせんぞ」

「普通の大人であれば、私のような小童こわっぱに『あなたは不思議な人ですね』と言われれば、碁盤をひっくり返してお怒りになりそうなものですけれども」

 私は思ったままに申し上げました。

 といっても、子供らしい無邪気さのために素直に心根を口に出したのではありません。

 いくら私が愚か者であったとて、父より年上で、――ということは、後々知ったことで、その時にはもっとずっとお若いのだろうと思っていたのですが――上役たる方に、そのような軽口を言えば、私自身どころか私の家そのものに良くない影響を及ぼすであろうことは察しが付きます。

 私はこの方を試したのです。

 田舎者の若輩者の無礼な言葉を、この方はどう切り返すのだろうか、それが知りたかったのです。

 その頃の我が家といえば、大変に微妙な立場に立たされた、危険な状態でした。

 勝頼公が武運潰えて御自害なさり、当家が祖父の代から仕えた武田家は滅亡してしまいました。

 禄を失った侍ほど寄る辺ないものはありません。ちりぢりとなった家中の者達は、各々保身を図らねばならぬのです。

 昨日の敵は今日の友とばかりに、ある者は北条を、ある者は徳川を、そして我が真田家のように織田を頼りました。

 ただ、昨日の敵は、どう足掻いたところでやはり今日も敵なのです。庇護を受けられたとしても、それが表面だけのものであることも、充分に考えられました。

 現に、勝頼公を御自害に追い込んだ、信長公から見ればある種「殊勲者」であるはずの、小山田信茂、武田信光などは、むしろ信長公の不興をかって、磔にされるという無惨な――いえ、武田の遺臣から見れば当然の――最期を遂げました。

 我々も、危うい立場にいます。

 信長公のことですから、我が父が以前から北条氏直殿にも文を送っていたなど、疾うにお見通しでありましょう。

 まさしく、刃の上を歩いているようなものです。何の拍子に奈落へ落ちるか、あるいは刃に身を裂かれるか知れたものではありません。

 慎まねばならないことは、重々承知でした。

 それでもそのことをどうしても試さずにはいられなかったのです。それほどにこの方は不思議な方だったのです。

 宗兵衛殿は、恐らく私の真意を測ろうとなさったのでしょう。私の目玉をじっと、鋭い眼差しでご覧になりました。

 私は脇の辺りからねっとりとした汗が出るのを感じましたが、それを表に出さぬようにと努めました。

 私は宗兵衛殿の目玉を見つめ返しながら、考えました。

『宗兵衛殿が、私を莫迦ばかな若造と思ってくだされば楽なのだが』

 しかし、私は同時に「そんなことはないだろうな」とも思っていました。そんなつまらない人であるはずがないと。

 ガシャガシャという音がしました。

 音は、宗兵衛殿の手元から発しています。

 やがて、パチリという、澄んだ音がしました。

 宗兵衛殿は私の目を見たまま碁笥をまさぐり、黒い石を一つ摘んで、碁盤の上に正確に置かれたのです。

「ほれ、儂の一目勝ちだぞ」

 前田宗兵衛利卓殿は童子のように明るい顔で仰いました。

 私はてっきり宗兵衛殿が何か私の考えつかないような言葉で私を叱るか、あるいは私の知らない含蓄のある言葉で私をさとそうとなさるに違いないとばかり思っておりましたので、少々驚きました。

 驚きのあまり、目に塵の入ったような瞬きをして、欠伸をするように口を開けておりました。

 その呆けた、阿呆のような私の顔を見て、宗兵衛殿はなんとも嬉しそうに、楽しそうにお笑いになりました。

「源三郎、儂は人の思うとおりに動くのが嫌いなのだ。人は『不思議』と言うが、これは生まれ付いての性分だよ」

 お顔の作りといえば、彫りの深い荒削りで豪快な武辺者そのものな宗兵衛殿ですのに、その笑顔ときたら、すこし気恥ずかそうな、乙女さながに柔らかなものでした。

 御蔭で私は、

『だから人が「白の四目勝ち」と思っていれば、それに逆らうのですね』

 と、言い返す気も失って、碁盤の上から白石ばかり拾い上げ、碁笥にしまうより他になかったのです。

 振られ男が狼狽を隠すかのように、もそもそと、です。

 しばらくして、黒い石ばかり残った盤面を、宗兵衛殿の大きな掌がざっぱりと撫でました。

 一度に取り除かれた石共は、コワコワと籠もった音を立てながら、一息に碁笥の中へ落ちてゆきました。

 碁笥の蓋がコパンと閉まったのと殆ど同時に、宗兵衛殿のお顔から笑みが消えました。

「ウチの伯父貴の……滝川一益が、御主の父親を大層気に入ったようだ」

 宗兵衛殿は「」のところに力を入れて仰いました。


 滝川一益様も不思議な方ではあります。

 一益様は織田様配下の中で一二を争う勇将であられました。当家が元仕えていた武田家を追い詰め、勝頼公を御自害に追い込んだのは、一益様の率いる一軍でした。

 すなわち、我が家にとっては「主の仇」である方です。

 もっと古い話をすれば、父の二人の兄、真田信綱と昌輝とが命を失った長篠設楽原ながしのしたらがはらの戦いでも、一益様は先陣を切って戦われたといいます。

 すなわち、この頃は武藤むとう喜兵衛きへえと名乗っていた我が父・真田喜兵衛昌幸とすれば、一益様は兄の敵であると言えなくもないのです。

 もっとも父は、あの戦においては滝川様のお働きよりも、また伯父達の部隊と直接対峙しておいでだった……つまり伯父達の命を奪った当人の仙石秀久殿のお働きよりも、遠く離れた場所に布陣しておいでだった徳川家康様のそれを「重要視」しているようですが。

 それはともかくも。

 仇に等しい滝川左近将監さこんのしょうかん一益様であるのに、父、そして私も、どうにもこの方を恨む気持ちが湧いてきません。

 諏訪で信長公に目通りさせていただいた後のことです。父が一益様の与力とされ、信濃衆をとりまとめる役目を承りましたので、父と私、そして私の弟の源二郎も、上役となる一益様に挨拶をせねばなりませんでした。

 このとき拝見した一益様のお顔は、皺は深いとはいうものの頬などはつやつやと赤く、髪はまだ黒々としておいでで、齢六十に近いとはとても思えませんでした。

 一益様は父の前名が「喜兵衛」であると知っておいでで、

「武田の『重臣』でありながら、のうのうと生き残り、こうして我らの前にいる。御主のような珍妙不思議な強か者が『』であるものか。『かね』だ『鉄兵衛かねへえ』だ」

 と仰って大いに笑い、以後父のことを『鉄兵衛』とお呼びになったのです。

 その後、一益様には関東の地が与えられましたので、我らも当然付き従って関東に戻ることになりました。

 かくて、一益様は武田の本拠地である厩橋うまやばし城にお入りにったのです。

 そして我ら親子と申しませば、元の居城である信州の砥石といしに移ることを強く望んでおったのです。

 我ら親子は、すぐにでも砥石に戻り、さらにそこから親子兄弟一門を各々それぞれを東信濃と甲州に散らして、危うく失いかけていた領土をとりまとめるつもりでした。

 許可は、簡単にはおりませんでした。

 当然です。

 新しく配下になったばかりの、元々は厄介な敵であった者共を、そう易々と遠く目の届かない所へ放つようなことは出来るはずがありません。

 それでも私たちは、何時でも出立できるよう、密かに旅装などを整えておったのです。

 そんな折、突然に一益様から「茶会をするから、厩橋へ来い」とのお招きが来ました。

 私は一益様のご真意が図りかねました。訝しんでおりますと、父が、

山家やまがの田舎侍の不調法を肴に旨い酒でも飲む御算段やも知れぬな」

 大層な大声で言いました。私は慌てて

「まさかにそのようなことは」

 辺りを見回しました。同じ部屋におりました源二郎などは、障子襖の隙から外を窺う素振りまでして見せたのです。

 我々は「滝川様のお城」の中にいるのですから、言動に気を遣う必要があったからです。

 しかし父は恐らく、むしろ滝川のご家中の誰ぞがこの声を聴いてくれればよい、と考えていたのでしょう。

「まあ、あちら様のご期待に沿った振る舞いをする気など、更々ないがな」

 と言った父の頬の上に浮かんだ笑みは、戦を前に策略を考え回している時のそれとよく似ておりました。


 お茶席は大層華やかな物でありました。

 武田の家中でも茶をする者がなかったわけではありません。しかし茶道の中心においでの織田様の旗下の方々が催す茶会には比べようがありませんでした。

 茶器は唐渡りの物が多く、事に茶碗は天目の見事な逸品でした。その茶碗で見事な御作法でお茶をお点てになったのが、目の覚めるような紅の利いた辻が花染の小袖を、厭味なく大柄な体に纏った、前田宗兵衛殿です。

 さて、主賓たる一益様といえば、小心な私が恐々として参加したその茶席で、我が父の顔を見るなり、なんと、

「良く聞けよ、鉄兵衛殿。上様は、大層にずるい御方ぞ」

 と言い放たれたのです。満座の者達の……いえ、一益様ご本人と、宗兵衛殿と、それから我が父を除いた方々の顔が強張りました。

 一益様が仰ったのは、大体次のようなことでした。


 かつて織田信長公は一益様に、

「良き武功あれば、かねがねそなたが欲していた茶入の『珠光小茄子じゅこうなす』を遣ろう」

 と仰せになったそうです。この茶入は信長公の蒐集品の中でも随一といわれる逸品であったので、一益様は大層お励みになりましたが、なかなかにこれを賜ることができませんでした。

 そしてこの度、信長公から、武田家を滅ぼし、関東を平らげたその褒美を遣ろうとの仰せがあり、一益様は、

「此度こそは、漸く『珠光小茄子』が戴けるに違いない」

 と、心浮かれ、踊るようにして御前に出れば、信長公は、

「上野一国と信濃二郡、関東管領かんとうかんりょうの役を与える」

 と仰せになりました。


「長の宿敵を破ったと言うのに、儂が本当に欲している物をくれぬのだぞ。儂はそのために、常に先陣を切り、また殿軍しんがりを守ってきたというのに……。のう鉄兵衛、その方も狡いと思うであろう?」

 一益様は大まじめな顔で仰せになりました。

 上野一国と信濃二郡はともかくとして、「関東管領」はおそらく名前だけで実を伴わないものでしょう。私の記憶に間違いがなければ、彼のお役を正当に拝領なさっていたのは、代々上杉家でありました。そして、先代謙信公が没されてからは、足利将軍家はその役務を誰にも下知してはいないのです。

 とはいえ、信長公が将軍家を「保護」なさっておられるからには、将軍家からのご命令を信長公が代理に下されることもあるいは考えられることやもしれませぬ。

 それでも、件の役職に関しては、上杉謙信公の頃にはもう有名無実な名誉職にに過ぎなかったはずです。裏を返せば、これ以上ない名誉の称号であると言うことです。

 ですから、関東管領はとしましょう。

 上野一国と信濃二郡は、武田が失ったものの殆どです。

 そして、大きな声では申せませんが、出来れば当家が手に入れたいと願ったものです。願ってももままならない大きな代物です。

 我らが羨望し垂涎した「それ」が与えられた、そのことが口惜しいと言われては、私などは一体どのような顔をすればよいというのでしょう。

 一益様は、

「狡い、狡い」

 と、拗ねた子供のように、繰り返し繰り返し仰られました。耳順に近いご高齢の方が、です。

 このとき我が父は、両の手に抱いていた天目の黒い茶碗を一益様の前に戻しつつ、

「上様におかれましては、彦右衛門殿には一層励まれよ、という事でありましょう」

 にこりともせずに申しました。一益様が、

「この六十ジジイがまだ励まねばならぬと言うか? 鉄兵衛は冷たいな」

 唇を尖らせたその横で宗兵衛殿が至極真面目な顔をして、

「そりゃぁ、伯父御が鉄兵衛殿と御命名の御方に御座いますれば、ひやりと冷たいのも道理でありましょう」

 などと仰られたのです。

 口ぶりは何とも軽妙なものでしたが、顔つきは大変に忠実やかでした。

 茶席にあった一益様のご家中の方々は、これを軽口と取られたようです。

 下を向き、あるいは奥歯を咬み、あるいは扇を広げて面を隠すなど、それぞれのなしようで、笑いを堪えておられました。

 それでも宗兵衛殿は、律儀者そのもののような顔をしっかりと上げておいででした。

 御蔭で私には、あれが軽口であったのかそれとも本気であったのか、さっぱりわからなくなってしまったのです。

 その時宗兵衛殿が、涼しげな眼をだけをそっと動かして、なんとそれを私の方にお向けになったのです。

 私は始め、宗兵衛殿は、私が茶席に、そして滝川様の「家臣」として相応しくない不謹慎な態度を取っていないかを確かめておられるのかと考えました。あるいは、そのような態度を取るなと諌めてくださっているのだとも思いました。

 私は身構えて、何事も起きていない普通の茶席に畏まって座っている若造がするような、生真面目な顔をして、宗兵衛殿の眼を見つめ返しました。この場で笑って良いのか悪いのか判断しかねているという不安を、この方に悟られてはならないような気がしたからです。

 すると宗兵衛殿は、口角の片側だけをほんの僅かに持ち上げられたかと思うと、片眼をパチリと瞑られたのです。

 まるで私に「笑っても良い、むしろ笑え」と言っておられるようでした。少なくとも私にはそう思われました。

 しかし笑えと言われたからとて、すぐに笑顔を作れるものではありません。作れないとなれば焦りが生じます。私は内心の焦りを人々に、特に宗兵衛殿に知られないようにと考え、視線を反らすために父の方へ顔を向けました。

 父は笑っていませんでした。真面目くさった顔を一益様に向けて、

「そのために、我らが与力として付けられたので御座いましょう」

 などと申し上げているのです。一益様は尖らせた口で

「それはつまり、御主も上様の家臣として今までよりも一層に励むという意味だな?」

 と仰せになりました。

 このお言葉は、先の宗兵衛殿の軽口とはまるで逆の様相でありました。

 お顔や仕草は子供じみたものでしたのに、声は鋭く重いものだったのです。

 ご一同の肩の揺れがぴたりと止まりました。

 下を向き、あるいは奥歯を咬み、あるいは扇を広げて面を隠すなど、それぞれのなしようのままで、一斉に父の顔に鋭い眼差しを突き立てました。

 私は息を呑みました。父の返答次第で、当家がこの世から消え失せかねないのだということを察したからです。

 源二郎も同じことに気付いた様子でした。その顔を見ずとも、私にはそれと判りました。膝の上に置いていた汗ばんだ拳から、きつく握りしめた「音」が、はっきりと聞こえましたから。

 誰も動かず、誰も物を言いません。

 茶室は静まりかえりました。私に聞こえたのは、シュンシュンと湯の沸く音、私自身の心の臓の音、弟の抑え込んだ息づかいばかりでした。

 実際には、それほど時が過ぎたわけではありませんでしたが、あの場では長い時のように感じられたのです。

 あるいは日も月も止まってしまったのではないかとさえ思われました。

 この静寂を良い意味で破るには、父が何か言う必要がありました。

 一益様への返答です。

 一番簡単なのは、一言「はい」ということでしょう。織田家のため、信長公のために働くという決意を、ご家中に示すことです。皆がそれを待っていました。

 ところが、父は能面のような顔を一益様に向けたまま、何も言いません。

 答えることを拒んでいるかのようでした。拒むことで、信長公を、ご家中の人々を、その力量を試そうとしている……私にはそう思えました。

 田舎者の小豪族が仕掛けるには過ぎた「試験」です。こんな「物の試し」をしては、命も家名も幾つあっても足りません。このような真似はとても私には出来ないことです。真似しようとも思いません。

 私は小心者です。こんな四面楚歌の畳の上などで死にたくはありません。

 いえ、例えその場が戦場であって、目の前にいた方々が槍を構えた敵であったとしても、死にたくありません。

 侍の子らしくないと思われるでしょう。それは仕方のないことです。しかし、私はいついかなる時でも、何とでもして生き延びたいと願っていますし、生き延びようと努めています。

 ですから、この時も、生きて帰るためにはどうしたらよいのか、無い知恵を絞って考えました。

 父は、あえて何もしないことを選んだのです。私などには考えの及ばないところですが、父はこれが一番の妙案と思い……いいえ、この場合は企みと言い表した方が良いかも知れませんし、悪巧みと言っても良いかも知れません……なににせよ、故あって無言を通しているのでしょう。

 思い付いた当人は妙案と信じているから良いのでありましょうが、私は父ほど剛胆ではありませんから、無言のまま針のむしろの上に座り続けることなど、とても出来ませんでした。

 私が生き延びるためには、私自身が何かしら行動する必要がある――。

 私が生き延びられれば、ここにいる父も源二郎も、それから仮住まいの姉妹や幼い弟達、一門、一族、郎党を生き延びさせることもできるはずです。私はそう信じました。

 ですからこの場に充ち満ちている張り詰めた、刺々しい、苦しい気を取り除く方法を、それこそ必死で考えました。

 脳漿の中で巻く考えの渦の中に、私自身が呑み込まれ、おぼれかけていたその時でありました。

 湯気の音の中から、キチリという音がしました。

 金具が動く音に間違いがありません。

 咄嗟とうっさに『鉄砲』を思い浮かべました。

 滝川一益様は鉄砲の名手です。ご自身ばかりでなく、ご一族やご家中にも名人が多いことでしょう。

 茶室にいるお歴々が銃を構えて居られないからと言って安心できるはずがないでしょう。襖一枚、障子一枚の向こうに、名人がいるやもしれません。

 しかし私はすぐに自分の考えを取り消しました。火薬の匂いには人一倍敏感な私の臆病な鼻が、火縄の気配を感じ取らなかったからです。

 キチリ。

 再びあの音がします。

 宗兵衛殿の腰が僅かに浮くのが見えました。懐に手を差し入れておられます。頬に薄い笑みが浮かんでいました。

 宗兵衛殿が何故腰を上げたのか、懐に何をお持ちなのか、その時はまるで知れませんでした。

 私は覚悟を決めました。銃以外の別の武器に対する不安はまだありましたが、迷っている暇はないと確信しました。

 ただ、万一宗兵衛殿を相手に一対一で戦ったなら、間違いなく勝てないという、妙な自信があったものですから、少なくとも宗兵衛殿よりは早く動かねばならないと考えました。

 私も懐に手を差し入れました。

 途端、場の気配が、一層に張り詰めました。

 数名の方の体が僅かに動いたように思われましたが、それに構っている暇はありません。

 私は懐に忍ばせていた物を掴みました。

 同時に、宗兵衛殿の手が懐から引き出されました。

 無骨なお手に握られていたのは、僅かに開かれた一面の扇でした。

 私は安心しませんでした。

 これが武器ではないと、誰が断言できましょうや。

 鉄扇ならば武器に他なりません。あるいは檜扇であっても蝙蝠扇であっても、天下無双の武辺者が手にすれば、短い棍棒のごとき物と変わりありません。

 私は私のするべきことを、早急になさねばならなくなりました。

 宗兵衛殿が扇を懐に戻すか、どうあっても手放さずにはいられないようにするか、あるいは絶対に武器として用いることが出来ない状況に持って行かねばならないのです。

 私は懐の中の細い棒きれを素早く引き出しました。

 幾人かの腰が浮きました。眼差しが幾筋も私の手元に突き刺さりました。

 方々の眼には、一尺強の竹の黒い棒切れが写ったことでしょう。

 私が宗兵衛殿の扇を武器と疑ったように、私が持っている物を武器と思った方がいてもおかしくありません。

 私はその用心深い方々が、私を抑え付け、締め上げ、斬殺するより前に、素早くそれを、口元に宛がいました。

 裏返された女竹の横笛が、甲高い叫び声を上げました。

 その時のご一同の顔を、私は忘れることが出来ません。

 目を見開いて驚愕する方がおられました。覚えず両の耳を手で覆い塞いだ方もおられました。皆様一様に驚いておいででした。あるいは呆気にとられ、あるいは感心しておいでるようにも思われました。

 私は満足していました。

 会心の「」だったからです。

 私が吹き鳴らしたのは、京に住まう母方の祖父から戴いた、由緒ある能管のうかんでした。

 それまでは何度息を吹き込んでも湿った情けない音しか出せませんでした。私は日ごろから、己の技量の無さを恨めしく思っておりました。

 それがこの時、初めて抜けるような美しい高音の「」を出せたのです。

 この音を、実際に音を鳴らさずに伝えるには、一体どのようにしたのならよいでしょう。

 ヒヤウともヒヨウともキイともヒイとも言い表せません。文字にも声にも置き換えられようのない音です。

 これはこの世とあの世を繋ぎ、この世のものならぬものを呼び出す音色だといいます。

 確かに能舞台の上でのことです。為手方してかたが演じる神仏や鬼神、神獣や亡霊が現れるときに「」は鳴らされます。

 しかし私には、現れた演者が人でない事を観る人々に教える合図でも、人手ある演者を舞台上に呼ぶための合図でもない、と、私は考えています。

 耳障りな高音でありながら、心が穏やかになる不思議な音です。本当に人ならぬモノが降りてくる。……私にはそう感じられてなりません。

 私が、己の腹を源にして出されたとは到底思えない妙音に我ながら心を奪われたその時、テン、と膝を叩く音が横から聞こえました。

 音の出た方へ目玉を動かしますと、青白い顔をした源二郎が、掌で腿を叩いているのが見えました。

 小さな音は、確かに拍子になっていました。

 私がこれから奏でようとしていた調べに必要な鼓の音と、そっくり同じ拍子です。紛れもなく、が求めていた音です。

 私と弟とが奏で始めたのは、能楽の「石橋しゃっきょう」でした。

 本当ならば、笛と大鼓小鼓、それに太鼓の四つの楽器が必要な冒頭の「乱序らんじょ」という曲ですが、私たちは能管と鼓代わりの膝頭二つで、どうにかそれらしく奏じました。

 腰を上げかけた人々の半分は、腰を上げたまま私たちの方をじっとご覧になっていました。残りの半分の方は、浮いていた腰をすとんと落とされました。

 前田宗兵衛殿は前者でした。立ったまま、扇を懐に戻されました。

 我々の拙い演奏を「聞いて」下さるお気持ちになったのは、間違いありません。

 私の心配はひとまず消えましたが、同時に別の不安が頭をもたげました。

 私たち兄弟の音の足らない囃子を、宗兵衛殿が「聞く」以上に受け入れて下さるかどうか、です。

 それが杞憂きゆうであったことはすぐに知れました。

「考えていたのとは違うが……まあ、良かろうよ」

 宗兵衛殿はニッと笑われると、両腕を各々小袖こそでの袖に引き入れ、袖口を内側から掴んで、そのまま横に引き開きました。

 上背を直立させた宗兵衛殿の長身は、すぅっと前へ滑り出しました。

 腰から上が微動だにしないその立ち振る舞いと来たら、さながら仏師が精魂せいこん込めた仁王の像を、床の上に滑らせて運んでいるかのようでした。

 私と弟は各々の楽器を奏でるのを止めました。

 途端に、音はなくなりました。

 息の詰まるような静寂の中、ただ衣擦きぬずれの音だけが、宗兵衛殿を座の中心まで運ぶのです。

 部屋の殆ど中央で宗兵衛殿がぴたりと立ち止まるのを合図に、私と弟は再び精魂を込めて己の「楽器」を奏で始めました。

 激しい音が鳴り響くと、宗兵衛殿は……いえ、宗兵衛殿の姿をした一頭の唐獅子からじしは、床を大きく踏み鳴らし、旋回し、跳ね上がり、声無くして吠え、縦横に狂い舞ました。

 豪快で大振りで、そしてしなやかな動きでしたが、私には獅子の舞に見とれている余裕がありませんでした。

 私の心は演奏に九分くぶ入り込んでいます。そして残りの内五厘ごりんを我が父に、もう五厘を滝川一益様に注いでいました。

 一益様の拗ねた小僧のような表情の顔は、音楽が鳴り、舞が舞われる以前から変わらずに、我らの父に向けられたままでした。

 しかし目だけは違いました。ぎょろりと剥かれた目玉が、宗兵衛殿の激しく美しい動きを追いかけいたのです。

 私は目を父の方へ向けました。

 真田昌幸という男もまた、音曲演舞の始まる以前のままに、真面目くさった顔を一益様に向けていました。

 そして一益様と同じように、目玉だけをお相手の顔から反らし、声なく猛り吠える獅子の動きを追っておりました。

『二人の顔を宗兵衛殿に向けさせねばならない』

 彼の二人と、場にいる人々総てが私たちの演奏に心を奪われ、耳を向けてくださったなら、ご一同の目はこの楽に乗って舞われている宗兵衛殿に向けられる筈です。

 そうなれば、我らの「勝ち」です。

 勝てばこの場の不穏な空気は消え、負ければ我らの命が消える。

 私は完全な勝利のための努力を始めました。

 演奏に全力を尽くすことです。

 いささかも邪念があっては、人の心を動かす音色は出せません。

 殊更、見事に舞い踊っておられる宗兵衛殿に私の心の揺れを感じ取られてはなりませんでした。

 そのようなことがあったなら、宗兵衛殿は途端に舞いをお止めになるに違いないと、私は確信しておりました。

 私は瞼を閉じました。薄闇の中に身を置いて、ひたすらに良い音を出すことだけを心がけました。

 曲は終盤に近付きました。

 獅子の「クルヒ」と呼ばれる激しい舞は、やがて終わりを迎えます。

 私の能管、弟の鼓、宗兵衛殿の舞、そこに別の音が加わりました。


「獅子団乱旋とらでんの舞楽のみぎり……」

(「獅子」や「団乱旋」などの舞の音楽が鳴り響くとき)


 この「石橋」という舞の最後を飾るうたいです。

 謡は、二つの声が重なり合っていました。

 一つは大層で、一つは大層上手な声です。

 下手な方は私のよく知った声でした。

 父です。

 真田昌幸は能楽が少々……というか、大変に苦手です。

 若き頃、武田信玄公の元で証人暮らしをしていた父は、幸運にも様々な一流の師匠の元で武士がたしなむべきものを学ぶことができました。

 それはやはり証人暮らしをしていた私も同様ですが……。

 書を読み、詩歌を詠み、棋道を楽しみ、歌舞音曲に親しむ。それが武士の常識です。武芸に励むだけでは、真っ当な武士とは言えません。

 ですから父には謡の知識がありましたことが出来ます。

 ただし、節回しの出来は別です。

 父の外れ調子を聞いた私は、心の中で『一つ、勝ち』と叫んでおりました。無言を通していた父の口を開かせることが出来たのですから。

 そうなると問題はもう一つの声の方です。


「獅子団乱旋の舞楽の砌、牡丹の花房、匂ひ満ち満ち、大筋力の、獅子頭、打てや囃せや」

(こうして「獅子」や「団乱旋」などの舞楽の演じられるこの時は、牡丹の華の匂いが満ち満ちている。力強い獅子頭よ、打ちならし、囃し立てよ)


 幾分粗野そやなところはありましたが、決して野卑やひではありません。艶のある声、しかし年齢を感じるお声でした。

 私は片方のまぶただけを薄く開けました。


「牡丹芳々はうはう、牡丹芳々、黄金のずゐ、あらはれて」

(牡丹の芳い香りが漂い、雄蕊おしべ雌蕊めしべは黄金の様に見える)


 先ほどまで老顔を拗ねた小僧の様にゆがめていた老将の面から、子供じみた色が消えていました。


「花に戯れ、枝にまろび、げにも上なき、獅子王の勢ひ、なびかぬ草木もなき時なれや」

(こうして花に戯れ、枝に臥し転ぶ、獅子王のこの上ない勢いに、靡かない草木などないであろう)


 滝川彦右衛門一益様は、晴れやかで楽しげな、さながら好敵手を前にした猛将のそのものの、若々しい笑みを面に満たしておいででした。

 下手クソな父の謡と、お上手な一益様の謡とが、何故かぴたりと調子を合わせておりました。二つの声は、神仏の降臨を悦ぶ神々しい声となって響いていました。

 力強く、心地よい謡が、座に満ち満ち、中心で舞う逞しい獅子の全身を覆い尽くしました。


「千秋万歳と舞ひ納めて、千秋万歳と、舞ひ納め、獅子の座にこそ、直りけれ」

(千度の秋、万の年月、何時までも栄えよと、舞を納めて、獅子は神仏の座の前に居住まいを正すのだ)


 謡が終わり、曲が終わり、舞が終わりました。

 辺りは再び、シュンシュンと湯の沸く音ばかりが聞こえる、無音の世界となりました。

 「石橋」の獅子の舞は、曲も所作も、総てがすこぶる激しい舞です。

 舞い踊る仕手は元より、曲を奏で、謡を謡う者も、それがどんな名人であったとて、最後には息が上がるものです。

 源二郎は口を大きく開け、小さな体を揺らし、喘ぐように息をしておりました。

 その姿が少々情けないもののように思えましたので、私は息づかいの聞き苦しい音をご一同に聞かせまいと努めることにしました。

 唇をきつく綴じました。そのために鼻で呼吸をする羽目になり、むしろ鼻息で激しい音をたててしまいました。

 私は己の顔が真っ赤に染まってゆくのを感じておりました。紅潮の原因と申しませば、気恥ずかしさ七分の息苦しさ三分、と言ったところでありましょうか。

 眼をそっと動かして、父と一益様の様子を窺いますと、両人は流石に我々のような小童とは違って、苦しむ姿をさらすようなことはありませんでした。それでも、肩は大きく上下に波打ち、額にはうっすらと汗が滲んでおりました。

 そして座の中央、一番激しく動いていた前田宗兵衛殿はと言えば、確かに厚い胸板を大きく膨らませたり萎ませたりなさっておいででしたが、顔つきは涼しげで、汗一つかいておられません。

「全く、人の都合を考えもせずに……」

 宗兵衛殿は私の情けない顔を見てニタリと笑われました。

「勝手な振る舞いを、お許しください」

 私はようやくそれだけを口に出して、その場に倒れるようにして頭を下げました。

「お主の笛が儂に獅子を取り憑かせた。手足が勝手に動き出したぞ。御蔭で最初に何をしようと思って立ち上がったのか、すっかり忘れてしもうた。面白い戯れ歌を思い付いたまでは覚えておるが、さてそれが如何様な歌だったか、どんな振り付けをするつもりだったか、思い出せん。残念なことだ。後世に残る名曲であったかも知れぬのにな」

 畳の上に額をすりつけた私の、後ろ頭の上に、からからとした笑い声が振ってきました。

 初めは宗兵衛殿の声だけでしたが、そのうちに笑いの声の輪がその座にいた人々の間で広がり、やがて部屋中に満ち、柱や床を揺らし、建物の外にまで溢れるほどの大きな笑声へとなりました。

 私は藺草いぐさの青い匂いを鼻先に感じながら、心の内で「勝った」と叫んでおりました。

 座が和んだ、人の心の棘が取れた。余所者よそものである当家に対する疑念の眼差しは無くなった。

 私は私の家を守ったのだ。

 そう思っておりました。その時の顔と言ったら、きっと増長したにやけ顔になっていたことでしょう。

 残念ながら、その時の私は疲れ果て、起き上がる力を失っておりましたので、その醜く弛んだ顔を他人様に見せることが出来ませんでした。

 その顔の真後ろ、つまり後ろ頭に、何かがこつこつと当たりました。

「ところでお主、儂が獅子を舞えなんだら、どうするつもりだった?」

 宗兵衛殿の声でした。突っ伏していた私には宗兵衛殿の顔が見えません。そして何を持って私を叩いておられるのかも、さっぱり判りませんでした。

 私の頭に当たっている物、つまり、私の首根のすぐ側にある硬い物は、一体何なのか。

 先ほど懐にしまわれた扇か? いや、もっと別の物かも知れない。

 武器?

 私の背に冷たい物が走り、尻の穴がギュッと縮みました。

 どんな武器であろうか。懐剣か? もしかして、噂に聞く短筒たんづつという物であろうか?

 おかしな話です。刃物ならばまだしも、鉄砲の類であれば火縄が匂うはずです。大体、つい先ほど、自分の鼻がその匂いの感じ取らなかったことに安堵したではないですか。

 所がその時の私は、そういった真っ当な考えを持てませんでした。

 私はこの場で死ぬかも知れない。

 心底恐怖しました。

 途端、冷や汗が全身からどぅっと噴き出しました。手足の指先がジリジリと痺れ、鼻の穴の奥がぎりぎりと引き連てゆきました。喉と目玉がバリバリと乾いてゆくのを感じました。

 ああ、死ぬな。

 私はその場にうずくまったまま、情けなくも気を失ったのです。


 後々弟から聞いたのですが、宗兵衛殿は握り拳を結んで、手の甲に固く盛り上がった骨の先で、私の頭を軽く小突いておられたのだそうです。

 こう聞かされて、私の尻の穴はまたぎゅっと縮んだものでした。

 拳骨げんこつほど恐ろしいものは無いというのが、私の持論です。

 殴打の武器としても、他のどの道具よりも自分の思うた通りに操れますし、防御の術としても、どのような楯や鎧よりも軽く取り回せます。

 己が痛みを堪えさえすれば、そして、との思いがありさえすれば、これほど扱い易い武具はありません。

 ただ、この時の宗兵衛殿には、拳を武器として使う気は無かったことでしょう。おそらくは、からかい半分に私の頭を小突いていただけです。

 所がそのからかい相手が、

「むぅん」

 と唸ったかと思うと、突然ゴロリと転がって、そこからぴくりともしなくなったとなれば、驚かないはずがありません。

 いえ、何分私は気を失っていたのですから、実際の所は判りかねるのですが、多分驚かれたことでしょう。

 宗兵衛殿ばかりでなく、一益様も、ご一同様も、そして我が父や弟も、皆驚いたはずです。あるいは、私の小心振りに呆れたことでしょう。

 私は気を失ったまま、我らの仮住まいの館へ戻りました。

 無論、我と我が足で歩いた筈はありません。

 私は背負われて帰ったのです……父の背に。

 父は馬にも乗らず、私を負って歩いた、らしいのです。

 らしい、と遠回しに言うには理由が二つあります。

 当の私がそのことにまるきり気が付かなかったからという、情けないものが一つ。もう一つは家中の者が「そのこと」について口を閉ざしているということです。

 茶会の翌朝、私は

「どのように戻ったものでしょう?」

 という、至極当然な疑問を口にしました。

 答えてくれる者は一人としておりませんでした。皆口ごもったり、俯いたり、私と目を会わせないのです。

 ただ源二郎だけは私から目を反らさずに、生真面目くさった顔つきで、

「兄上は父上の『お背な』にぴたりと貼り付くようにして、そふわりふわりと歩いて戻られました」

 と答えてくれました。

 納得の出来ない私は、同じ疑問を幾度も口にしました。しかし何度聞いても、源次郎の口をついて出てくる答えは一緒です。一言一句間違いなく同じ言葉です。まるで子供が論語を諳んじているかのようでした。

 と、なれば、この言葉をそのままに受け止めることができましょうか。

 私は思いめぐらせました。

 確かに私は父の背中にぴたりと付いていたのでしょう。私の体は間違いなくふわふわと揺れていた筈です。しかし歩いたのは私ではない。

 父に違い有りません。

 亡き信玄公から「我が眼」とまで言われた無双の武士である父のことですから、気を失って手足に力のない者を負って歩くことぐらい、造作もないことでありましょう。

 父は小柄な男です。

 私は哀しいかな父に似ず背ばかり高い独活の大木です。

 小柄な父が大男の私の足を地面に引き摺りながら歩いたに違い有りません。

「そうか、私はつま先や足の甲で立って歩いていたか。道理で足袋ばかりか中の足までちりまみれだ」

 私が少々意地悪く申しますと、源二郎は

「はい、兄上は大層器用なお方にございますれば」

 と、臆面もなく申したものでした。

 途端、私の、事の次第を父に確かめたい、という考えは消え失せました。

 元より、訊いたところで本当のことを教えてくれるとは思うておりませんでしたが、答えが出なくても訊くだけ訊きたいという心持ちだけは有ったのです。

 父が何を思うて「莫迦息子」を負って歩いたのか、その胸の内を聞いてみたいとも思っておりました。

 家中の者に口を噤ませたのは、おそらく嫡男の「失態」を恥じてのことでしょう。茶席で失神したなとと、しかもその失神者が親の背に負われて帰ったなどと言うことが広まれば面目が立ちません。

 失神した当人にも黙っている理由は判然としません。あるいは、父に私の口が一番軽いと思われていたのやもしれません。

 私の失態はさておいて。

 茶会が済み、私たち一族は今度こそ砥石の山城へ向かおうと準備を整えておりました。

 ところが、なかなか滝川様から出立のお許しが出ません。

 私どもは数日厩橋の館に留め置かれました。

 暫くして、滝川様からの……厳密に申しますと、前田宗兵衛殿からの……ご使者が見えたのです。

 呼び出されたのは私一人でした。

「一勝負、お付き合いいただきたい」

 と言われて、恐々として宗兵衛殿の御屋敷に参ったところ、挨拶もそこそこに碁盤が運ばれてきたのでした。


 一度盤上を埋めた……絶対に私の四目勝ちの筈の……黒白の石が取り払われ、更地になった「戦場」を前に、宗兵衛殿は

「滝川一益はああ見えて好き嫌いの激しい男でね。趣味の合わぬ者、気の合わぬ者とは口も聞かぬ程の困ったオヤジなんだがね」

 ご自分の血の繋がった伯父であり、上役でもある方のことを、同年配か年下の仲のよい友のように仰いました。

 それが厭味にも増長にも聞こえないから、本当に不思議な方です。

「その伯父御が、お主の父御をたいそう気に入ったんだそうな。なんでも……」

 宗兵衛殿は私の顔をじっと見て、

「特になのがよいそうな」

 と仰り、ニンマリと笑われました。

「はあ、お恥ずかしいことで」

 私は顔から火が出る思いでした。紅潮した顔を伏せようとしますと、ひらひらと手を振って、

れ言、戯れ言。気にするな」

 ひとしきり笑われると、

「出来るだけ自分の近くに置きたいと駄々をこねておるよ。信濃衆の取り纏めのためには、喜兵衛殿は信濃に戻った方が得策なのだがな。全く困った年寄りだ」

 と、何やら楽しげですらある口ぶりで仰せになりました。

 私が返答の言葉を愚図愚図と選んでおりますと、碁盤の中央の天元の星の辺りに、黒い石が一つ落ちました。

 今度は私が白を持って、後手となり、もう一局と云うことか、と、私は慌てて顔を上げると、碁盤の向こうに宗兵衛殿の顔があったのです。片目をつむり、碁盤の一点をにらんでおられます。

 その険しい顔で、宗兵衛殿は黒い碁石を摘み、それを碁盤の端に置き、右の中指と親指とで輪を作られました。直後、中指が勢いよく起き上がり、碁石がぴしりと音を立てます。

 宗兵衛殿は幼い手慰てなぐさみに遊ぶように、碁石を指で弾き飛ばしておいでたのです。

 天元てんげんの碁石めがけ、二つ三つと石を弾きながら、宗兵衛殿は私の顔などまるで見ずに、言葉をお続けになりました。

「何分、信濃者は頑固者がんこもの揃いだ。余所者の言うことなど、さっぱり聞き入れぬから、これも全く困ったものだ」

 まるで思案投首であるかのような言葉ですが、その時の宗兵衛殿はこれっぽっちも困っていないような口ぶりでした。

 むしろ何やら楽しんでおられる風でありました。

 何を楽しんでおいでなのかと言えば、「扱いづらい信濃の武士達を切り崩し籠絡する術を思案すること」か、あるいは「碁石のおはじき」か……。

『やはり、両方、かな』

 碁盤の上を滑る石を眺めながら、私は私自身も何やら笑っているようだと気付きました。

 私は白の碁石を一つ、碁盤の端に置きますと、指でぴしりと弾きました。

 石は余りよく飛びませんでした。碁盤の半分の、そのまた半分のあたりで滑るのを止めたにも関わらず、何時までもゆらゆらと揺れ続けます。

「難しいものですね」

 何が難しいのか、私は申しませんでした。宗兵衛殿も訊ね還すようなことはなさらず、

「ああ、意外に、な」

 鉄砲の撃ち手のように片目を瞑って狙いを定め、黒石をはじき飛ばされました。

 パチリと音がして、揺らいでいた白い石は碁盤の右手の外へ弾き飛ばされました。黒い石は白い石に突き飛ばされ、碁盤の左の隅へ飛んで行きました。

「父も私も、信濃者でございますれば」

 白い石が先ほどの石よりは少しばかり威勢よく碁盤を滑りました。石は天元よりも二目ばかり手前で止まりましたが、やはりゆらゆらと暫く揺れ続けました。

「うむ、頑固だな」

 黒い石がまた揺れる白い石めがけて滑り、白い石を弾き出し、それ自身もまた奇妙な方向へ吹き飛ばされて行きました。

「お恥ずかしいことで」

 それこそ、全くお恥ずかしいことに、私は何度も同じことを言っておりました。己らの田舎者振りが本当に気恥ずかしくてならなかったのですから、仕方がありません。

 私が別の白い石を取ろうとすると、宗兵衛殿が

「お主、何処で生まれた?」

 唐突な問いに思われました。顔を上げると、宗兵衛殿は碁盤でも碁石でもなく、私の顔をしげしげと眺めておいでです。

「甲府……ですが?」

「甲州生まれの、信濃者か?」

 宗兵衛殿の顔の上には、まるで子供が同輩の揚げ足を取るような、少々意地悪な笑顔が浮かんでいました。

 私は中っ腹になって、

「己が何者であるのかは、生まれ在所によってではなく、周りの者達からの影響で決まるのではありませんか? 私は甲府で生まれましたし、今まで甲州から出たことはほとんどないようなものですが、父祖が故郷と呼んで懐かしんでいる所こそが我が故郷と思うております」

 口を尖らせて申しましたが、すぐにその言い振りが、あまりに生意気に過ぎたと感じ、座ったまま後ずさって、

「出過ぎたことを申しました」

 床に額をすりつけました。

 頭の上から、爆ぜるような笑い声が致しました。

 私は頭を伏せたままでおりました。顔を上げずとも、宗兵衛殿が立ち上がり、碁盤をぐるりと避けて私の背中側に回り込む気配は、ひしひしと感じられます。

「全く信濃者は、頑固よな」

 声と一緒に、どすんと重みが両の肩に落ちて参りました。

「その上、お主は面白いと来ている」

 私の体は、両肩を掴む宗兵衛殿の両の腕によって前後に大きく揺すられました。私は声も上げられず、ただ宗兵衛殿のなすがままに揺すぶられておりました。

「伯父貴は親を欲しがっているが、儂はやはりせがれを連れて行った方が良いと思うと、進言することにする」

「宗兵衛殿?」

 私は漸くそれだけの声を出しますと、殆ど必死の思いで首をねじり、どうやら宗兵衛殿のお顔を拝見いたしました。

 宗兵衛殿はニタリと笑い、

「それからだ、源三郎。以後、儂のことは『慶次郎』でよい。これはな、儂が親父殿が儂にくれただ」

 その時から、宗兵衛殿は私がその名でお呼よびすると、酷くお怒りになるようになりました。

 それも口でお叱りになるだけではなく、本気で殴りかかってくるのです。

 拳が風を切って飛んでくる度に寿命が縮む気がいたしますので、私はこの後は慶次郎殿と呼ぶように努めることにしました。

 それでもまだ宗兵衛殿……いえ、慶次郎殿は

「お前は友に対して他人行儀に『殿』付けをするのか」

 などと文句を仰りましたが、どうやら殴られずに済むようにはなりました。

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