第2章 4

 キーボードを叩く音が聞こえる。周囲の人が多くてガヤガヤとうるさいので、さすがに響くというほどのものではないけれど、テーブルひとつ挟んで向かい合っているわたしにとっては、すこし不快に感じる。

 フードコートにに入って、空いている座席がないかどうかを見て回っていたが、一周まわったところで空きがないことがわかった。そのため、空きそうな席がないか虎視眈々と探すつもりだったが、運良く目の前で二人席が空いたので、すばやく身を滑り込ませたところである。椅子に腰を下ろすやいなや、彼はコンパクトサイズのノートパソコンを起動させ、ポケットWi-Fiとよばれる装置の電源もつけた。インターネット環境にない場所で、インターネットに接続するための小型の機械である。

 そうして今に至るわけだが、食事の場でいきなりパソコンを起動させるのは、よろしくなかろう。まあ、いつものことなので、わたしは指摘しないけれど。

彼はいったん顔を上げ、わたしを見据えながら口を開く。

「あ、先にお昼ご飯買ってきていいよ。交代制でいこう、一方がご飯を買いにいったら、一方は荷物を見ておくっていうことで。どうかな?」

「うん、わかった。いいよ、そうしよう」

 わたしがそう答えると、彼はおもむろに財布を取り出す。そうして財布から千円札を抜き出して、わたしに差し出す。

「はい、好きなもの買ってきていいよ」

「いや、わたしだってお小遣い貯めたりして、自分の使う文のお金くらい持ってきてるよ?」

 これもいつも通りのことだが、形だけでも断っておく。たしかに、自分で働くことのできない中学生という身分のわたしにとって、棚ボタのお金ほど嬉しいものはない。しかしながら、それと同時に自らを卑しいと感じる自分もわたしの中に共存している。

 少なくとも、こういうお金をすんなり受け取れるほど図々しい人間にはなりたくない。彼もそれを分かっているのか、毎回ながら同じ言葉を返す。

「俺のこれは自分で稼いだお金だから、好きな人のためにこのお金を使いたいんだ。だから、遠慮なく使って? そっちの方がうれしい」

 そうして彼は微笑む。

 わたしは、例によって例のごとく返答をする。

「うん、わかった。ありがとう」

 これがわたしたちにとってテンプレートな展開。一般的には、マニュアル通りとかテンプレ通りとかっていうのは良くないように思われるかもしれないけれど、一方でこういったものには妙な安心感がある。危ういものも好きだけど、安心感のあるものに身を委ねるのも、わたしは好きだ。

「ところで」

 とわたしは口を開く。

「ん?」

 彼がパソコンに向けていた視線を再びあげる。他愛もない内容で申し訳ないな、と少しだけ思って微笑みながら、わたしは言葉を続ける。

「どうでもいいんだけどさ、アニヲタヒキニートのくせに、なんでそんなにお金あるわけ? どうやって稼いでるの?」

 アニヲタヒキニートとは彼のこと。アニメヲタクで引きこもりでニート。

「ちょっと、いきなり何さ!」

「ふふ。でも、事実でしょ?」

「いやいや。うーん……でもまあ、アニヲタヒキ、までは認めてもいいかな。でも、ニートではない。ニートは俺の目標だよ。昔テレビのインタビューに出てたニートの人が、『働いたら負けだと思ってる』って言ってたの。そのあとネットが荒れに荒れてさ。みんな、かっこいいって言ってた。俺も少し憧れてはいるかな」

「うわー、それって中二病? なんか、そんな変なことがかっこいいとか……。あとさ、えっと、それなら、もうニートでいいじゃん?」

 わたしは、自分の笑顔が少しだけひきつるのを感じた。いやまあ、彼のことが好きなのは変わらないけれど。

 彼は言う。

「現役の中二の子から中二病って言われると、なんだか複雑なんだけどなぁ。ま、いっか。うーん、なんていうのかな、親に迷惑をかけようとは思わないよ。今は、学費と生活費は親に仕送りって形で出してもらってるけど、そのうち、ニートのくせに自力で生活していくってのもいいのかなって。誰にも雇用されてなくって働いてないのに、それでも生きていくことができる人は、ある意味勝ち組だと思うんだよね」

 彼はそう言うと幸せそうに微笑んだ。

「でも実際さ、今だって働いてないならニートじゃないの?」

「ノーノーノー」

 彼は目の前で人差し指を横に振る。その仕草にわたしは少しムッとしたけれど、表情には出さない。わたしのそんな心の動きには気づく素振りも見せずに、彼は続ける。

「ニートっていうのは、ノット、エデュケーション、エンプロイメント、トレーニングの頭文字をとって、NEETなんだ」

 そう言って、手元にある紙の切れ端に、「not in education, employment or training」と書く。

 彼はそのまま続ける。

「これは、簡単に言うと、雇用されていなくて、雇用されるための訓練もしていなくて、雇用されるための教育も受けていない人ってこと。つまり、学生である時点でニートの定義から矛盾してるんだよね」

 そこまで話してから、彼は一息つく。わたしはまだ疑問を口にする。

「でも、雇用されてないなら、お金稼げないから、それで生きていくとか不可能じゃん。今だって、どうやって稼いでるの?」

「なるほどね。そこは、ライトノベルに出てくる、とあるニート探偵さんが言及してるよ。自営業であることとニートであることとは矛盾しないんだって」

「あ、そうなんだ」

 それは知らなかった。まあたしかに、理屈で考えればその通りかもしれない。

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