[3]現代百鬼夜行 暗闇のランナー
世の中には、不思議な現象がたくさんある。
曰く。
深夜にタクシーに乗ってきた女が、墓地まで連れて行ってほしいと言ってきた。
墓地に着くと、不思議なことに女は消えていて、シートがぐっしょり濡れていた。
曰く。
小学校から下校する最中、赤いレインコートとマスクを身につけた女に声をかけられた。
女は言う。
「あたし、きれい?」
女が顔をマスクを取ると、口が耳まで裂けていた。
曰く。
ある道路をバイクで走っていると、背後から別のバイクが追いかけてくる。
そのバイクのライダーには首がなかった。
そのライダーは、なくした自分の首を探して夜な夜なツーリングを繰り返しているという。
どれもこれも、くだらない。
そう、他愛もない作り話だ。
そんな嘘で怖がるのは、せいぜい幼稚園児か小学生くらいだろう。
世の中には、くだらない
だから、俺がこれからくだらない話をしても、きっと許されると思う。
俺がこれからするのは、本当に、本当にくだらない話だ。
でも、こいつは作り話なんかじゃない。
俺が体験した、本当の、本当の話だ。
くだらない怪談話が嫌いなやつは、さっさと引き返してくれ。
人生は有限だ。
俺のおしゃべりに付き合うなんざ、時間の無駄ってもんさ。
くだらない話が大好きで、暇を持て余しているボンクラ野郎だけ、ここに残るんだ。
………。
………よし、お利口さんどもは自分の巣に帰ったな?
んじゃ、始めるぜ。
ついてこいよ、ボンクラども。
*************
あれは俺が大学一年生のころ。
俺は北関東の辺鄙な場所に位置する、ある大学に通っていた。
ここでは仮にT大学としておこう。
俺の実家はT大からはずっと離れた場所にあった。
実家はそんなに裕福じゃなかったんだが、T大には家賃の安い寮があり、俺はそこに入ってたんだ。
寮の生活はそれなりに楽しかったよ。
仲のいいボンクラ友達の部屋に押しかけて、夜遅くまでゴミみたいな映画を見たり、クソみたいなゲームで遊んだり。
時間と自由を持て余した連中が集まってるんだから、連日バカ騒ぎだよ。
人生の夏ってやつだ。腐臭ただよう灼熱の季節だよ。
事件が起きたのは、8月上旬、文字通り真夏の日のことだった。
金がなくて実家に帰省できない俺は、似たような境遇の友人や先輩たちと、相変わらずバカやってたわけ。
事件のきっかけは、一本の映画だった。
くだらねえ話のきっかけなんざ、たいてい心の底からくだらねえモンだ。
その日、俺の部屋にはボンクラを煮詰めたような先輩が一人、同級の友人が二人遊びに来てた。
で、全員が全員、すでにアルコールが入ってて妙なテンションになってたんだ。
そこで「映画でも見ようぜ」って話になったんだよ。
狭い部屋に酒の入ったバカが四人も集まってんだから、まともな映画なんか見るわけねえよな。
先輩が自室から意気揚々と持ってきた作品は、世にいうB級映画ってやつだった。
作品の舞台は近未来。
いまは本国で政治家をやっているらしい筋肉ムキムキの俳優が、犯罪者の汚名を着せられ、あるテレビ番組に出演させられるってのが、映画の導入部分だ。
実はそのテレビ番組ってのが殺人ショーで、主人公は番組が放った追っ手から逃げて逃げて逃げまくる。
追っ手に捕まったら殺されるんだよ。
どうだい、頭悪そうな映画だろ?
俺の部屋に集まった連中は、もう大喜びだよ。
脳がアルコールに侵食されていい感じに仕上がったバカども(俺たちのことだ)は、だんだん盛り上がってきちゃて、画面の中のムキムキ俳優に声援を送り始めた。
「キャー! ランニングマン、逃げて〜!」
「頑張れ! ランニングマン! お前なら出来る!」
「ランニングマン! ランニングマン!」
そのときだった。
隣の部屋から、バタバタと人が走るような大きな物音が立ったのは。
俺が酔いの回った頭で「あれ、隣の部屋のヤツって、実家に帰ってるんじゃなかったっけ?」と考えていると--。
“やつ”が寮の壁から姿を現したんだ。
“やつ”の体は、くだらない怪談話に出てくる幽霊のように、半透明だった。
姿は普通の人間とそう変わらない。
年の頃は20代前半だろうか、俺たちとそう変わらないように見える。
よく日焼けしていて、健康的な肌。短く刈った頭髪に、顔はスポーツマンタイプの爽やか系。
T大の名が記されたゼッケンのついたタンクトップに、スポーツ用の短パンといういでたちだった。
幽霊みたいに半透明なくせに、無駄に健康的なルックスだ。
“やつ”は大きな足音を立てながら、俺の部屋を駆け抜けて、反対側の壁の中へと消えていった。
ドタバタというラップ音が遠ざかっていくのを聞きながら、俺たちは呆然とした表情で顔を見合わせた。
「おい、あれってさ……」
「うん、あれだよな」
“幽霊”——。
互いが、喉元まで出かかったその言葉を飲み下した。部屋が気まずい沈黙に包まれる。
点けっぱなしのテレビだけが、洋画吹き替え特有の、野太い声優の声を垂れ流していた。
「信じられん……。あ……あれは、まさか……、あの……」
思わせぶりな言葉で沈黙を破ったのは、先輩の一人、
「知っているのか雷電!?——もとい門田」
気まずさに耐え切れず、俺たちは全力でフリに乗っかる。
「あれはもしや、我がT大に伝わる七不思議の一つ、ランニング幽霊!」
先輩もノリノリである。眉間にシワを寄せ、悩ましい表情で解説を始めた。
ほほう、この大学に七不思議なんてものがあったとはな。
「馬鹿な、信じられん……。あの伝説が本当だったとは……」
役に入りきる先輩に、俺の友人である
瀬尾はペンの蓋を取ると、鹿爪らしい表情を取る門田さんの額に、ためらいなく「大往生」と落書きした。
門田さんの顔が朱色に染まった。普通なら怒るところだが、怒っているのではない。笑うのを堪えているのである。なぜなら瀬尾も門田さんもバカだからだ。
「で、三面拳ごっこはどうでもいいとして、門田さん、ランニング幽霊って何なんです?」
このままでは話が進みそうにないのを見かねて、俺たちのグループでは良識派なほうである志村が声をあげた。
「え、そこで素になる? もしかして俺、書かれ損? まぁいっか。ランニング幽霊ってのは、マラソンの最中に突然死した学生の霊だと言われてる。ゴールテープを切れなかったのが思い残りで、夜な夜な寮内を駆け回るっていう迷惑なヤツ……らしい」
「七不思議言うたら、やっぱ撃退する方法とか決まってるんでっしゃろか?」
その疑問を口にしたのは、関西出身の米島だった。ちなみに関西出身というが、ときどき怪しい言葉が混じるので、俺はキャラ付けのネタなんじゃないかと疑っている。
「うむ。その昔、中国の武将・
「先輩そのネタもういいです」
志村の鋭いツッコミが入り、門田さんがコホンと咳払いする。
「うん。聞いた話なんだけど、以前にランニング幽霊が出たとき、やっぱりみんな迷惑したんだと。そのとき、学生の一人がゴールテープを用意して、幽霊の進路に張っておいたらしい。ゴールテープに触れた瞬間、ランニング幽霊は満足げな表情を浮かべて消え去り、二度と現れることはなかったという」
「なるほどなぁ。でも、成仏したはずのランニング幽霊がなんでいまんなって復活したんでっしゃろ?」
門田さんと米島が顔を見合わせて首をひねった。
そのとき、俺と志村の目は、B級映画を垂れ流し続けているテレビの画面に向いていた。
ポンコツのブラウン管の中では、バイクに乗ったチェーンソー男が、主人公のマッチョマンを追い回していた。
「もしかして、あれが原因かな……」
「そうだとしたらバカバカしいけど、その可能性は高そうだね。自分が応援されていると勘違いして、この世に舞い戻ってきたって感じじゃないの? 知らないけど」
ついさっきまで上げていたバカバカしい声援を思い出して、俺と志村は脱力する。
「誰だよ、あれ見ようって言ったやつ」
「門田さんだね」
俺たちの冷たい視線を浴びて、門田さんはきょとんとした表情を浮かべた。
そうだったな、こいつが元凶だったな。
額の「大往生」の文字がメッチャ腹立つわ、ホント。
「どうしたの、君たち。そんな疲れ果てた顔して。まだ夜は長いよ〜」
この期に及んでまだ飲む気かよ、と突っ込もうとした瞬間、再び隣の部屋からドタバタとけたたましい足音が聞こえてきた。
「ひょえ〜、戻ってきた!」
米島が悲鳴とも歓声ともつかぬ大声をあげる。
「先輩、テープ、なんかゴールテップぽいやつないでっか?」
一応、米島はヤツなりに問題の解決を目指しているらしい。
俺たちは一緒になって、ゴールテープの代わりになりそうなものを探すが、そんなものすぐに見つかるわけはない。
そうこうしているうちに、部屋の壁からランニング幽霊がにゅっと姿を現した。幽霊はバタバタとけたたましいラップ音を立てて、反対側の壁に消えた。
「よし、お前ら! 次にヤツが来るまでに、ゴールテープを用意するんだ!」
「おおう!」
「おい、ちょっと待てよ!」
俺の制止も聞かず、ボンクラどもは俺の机の引き出しや戸棚を開けて、中身を引っ掻き回し始めた。
「やめろ!」
「隊長、机の奥からエロゲーを発見しました! おっと、これは少々マニアックなやつですね!」
「おおっと、ここで米島隊員、ワンポイントリードです!」
「や・め・ろ! ……と言ってるだろうが! というか何の競技だよ、探すならテープを探せよ!」
調子に乗った米島にチキンウィングフェイスロックを食らわす。
もちろん、こういうときは手加減せずに本気で締めあげるのだ。
米島がたまらず俺の腕をタップした。
「ギブギブ! ご……ごめんなさい」
まったく、幽霊よりもよっぽど傍迷惑な連中だな……。
俺たちが馬鹿騒ぎしている間に、また幽霊の足音が迫ってきた。
「そうだ!」
志村が何かを思いついたように立ち上がり、門田さんに何かを手渡した。
「門田さん、そこに立って、これを持っててください」
門田さんはコクコク頷いて、指示に従う。
志村は門田さんの向かい側に立ち、手を掲げた。手の位置は目線よりもやや下あたり。何か持っているようだが、よく見えない。
「あ、君らは危ないから、そこに座っててね。ああ、門田さん。もう少しだけ下げてください。そうそう、そのへん」
そうしているうちに、ラップ音が激しくなり、幽霊が壁から勢い良く現れた。
幽霊はこのあたりをぐるぐる周回しているらしい。
うーん、周回だけにラップ音ってねやかましいわ。
そのときである。蛍光灯の光が、何かに反射した。
「あ、ピアノ線……」
志村が取り出したものの正体が分かった。あれは極細の鋼線だ。
志村と門田さんの間の空間は、ランニング幽霊の進路上。そして彼らの手が掲げられている高さは……首の位置だ!
幽霊は鋼線の存在に気がつかず、一心不乱に手足を振り上げ、疾走する。
「おい、相手が幽霊でもそれはまずいだろ!」
スパッ。
そんな音が聞こえたような気がした。
「ドッポォ!」
「ああ?」
「ひいっ!」
米島の奇声と、門田さんの間の抜けた声、そして俺の短い悲鳴が部屋に響き渡った。
「うひぇぇ〜〜〜!?」
幽霊の首が、飛んだ。
鋼線によって切り飛ばされた首が、俺の足元に転がる。目はカッと見開かれ、憤怒の表情を浮かべている。
俺は尻餅をつき、ただただ驚愕の悲鳴を漏らすしかない。
震えながら幽霊の体をほうを見やると、首のない体が、戸惑ったようなそぶりを見せていた。
どうやら首を探しているようだ。
その必死そうな姿は、率直に言うと間抜けだった。
「うしろうしろー」
志村が気の抜けるような声を幽霊の体に投げかける。
幽霊の体はよたよたと俺のほうに歩み寄り、首を拾い上げた。
切り落とされた頭を無造作に首につけると、それは何事もなかったかのように引っ付いた。
「バッドステータス:首なし」から回復した幽霊は、周囲をぐるりと見回すと、志村にビシリと指を突きつけた。
その目は怒りに燃え、唇は捲れ上がっていたが、志村は何食わぬ顔だ。こいつは普段は良識派のクセに、酔っていると突拍子もないことをするんだよな……。しかも、酔っているのかどうか側から見ても分からないのが始末におえない。
「ごめんごめん、悪気はなかったんだよ」
幽霊は、反省する気ゼロの志村に何度か人差し指を突きつける。幽霊は無言だったが、「もう二度とこういうことをやるんじゃないぞ」と説教しているように見えた。
「うんうん、分かったってば」
幽霊はしばし釈然としない顔をしていたが、やがて自分の本分を思いだしたらしく、またやかましい足音を立てて壁に消えていった。
「いやぁ、シャレが通じる相手で良かったよ」
悪びれたところが1ミリもない志村に、
「というかね、相手が幽霊で良かったよ。お前あれ人間相手にやるんじゃないぞ」
と力ない声をかけ、俺はふらふらと立ち上がる。
「さて、どうしたもんかね……」
「そうだ、ランニング幽霊が絶対追いつけないものがあればいいじゃね? 自分より早いやつがいたら諦めるでしょ?」
俺のつぶやきに答えたのは門田さんだった。
何かしらリアクションしてくれるのはいいんだが、まったくもって意味のない提案だった。
「あいつが絶対に追い抜けないものだよ! “何人たりとも、俺の前は走らせねえ!”みたいなやつを呼ぶんだ!」
訳のわからないことを叫ぶ門田さん。
その瞬間、部屋の壁から「ブロロロロロロ!」と車のエンジン音が響いた。
そして……
「え?」
俺は我が目を疑った。
壁から、トラクターが飛び出してきた。
トラクター。
よく知られた農業機械だ。田んぼで見かけるやつ。
それが猛スピードで、しかも超やかましいエンジン音を奏でながら壁から飛び出してきたのだ。車体は半透明だった。
『何人たりともぉーー! 俺の前は走らせねえーーーーーーーッ!!』
けたたましいエンジン音に紛れて、トラクターからそんな声が聞こえた。
「おい、あれって……」
志村の肩を叩く。
「あれだな」
志村は呆然。うん、あれは、あれだよな。
「カクヨムの規約的に大丈夫かな……二次創作リストに入ってないでしょ?」
「入ってないけど、作品名出さなきゃ大丈夫……って、そういう問題じゃねえだろ!」
なんで漫画のキャラの幽霊が出てくるんだよ! おかしだろ!
幽霊ってそんなもんじゃないだろ!
「まぁ、出ちゃったもんはしょうがないよねえ」
瀬尾が諦めたように言う。
「それよりどうする? 余計うるさくなっただけみたいだけど」
ランニング幽霊が、レーシングマシンのエンジンを積んだトラクターの出現にびびった気配はない。仲良くバタバタ、ブロロロロと騒音をまき散らしている。
「あはは、面目ねえ……」
門田さんを見る俺たちの目は冷たい。
「とりあえず対策を考えよう。あの漫画、最後はどうなったんだっけ?」
瀬尾が志村に尋ねた。
「レース中にクラッシュして海に突っ込んで、その後引退したとか、そんな感じじゃなかったっけ?」
「うーん、海か。海を用意すればいいのか。海、海っと……」
瀬尾が訳のわからないことを口走りながら、部屋の中をうろうろし始めた。
だめだ。一見まともそうに見えるが、こいつも酒で頭がやられてやがる。
「海、海……と言っても、ここは山の中だしねえ。どうしようかな」
わかってんならさっさとその発想を諦めろ。
しかし、俺の思いに反して瀬尾は明暗を思いついたかのように、拳を手のひらに打ち付けた。
「そうだ! ねえ、よく“女は海”って言うじゃん。女だよ、女! 女に突っ込ませよう!」
物騒なこと言うな。
「でも、この寮に女なんかいねえぜ?」
残念そうな声で、志村。
「いや、本物の女である必要はあらへんで。手はある!」
得意そうな顔で宣言したのは米島だった。
志村と瀬尾が顔を見合わせ、何か得心したような顔をする。
「そうだ、戸棚の中にある、きもちマニアックなエロゲー!」
「おい、やめろ!」
俺の制止を聞かずに、米島が勝手に戸棚を開けて、さきほど仕舞いこまれた俺のコレクションの一つ——SM調教モノのエロゲーの箱を取り出す。
「いや、君がこんなエグい性癖持ってるなんて、ドン引きやわ……」
「たとえそうでも、俺たちはきみの友だちだよ」
瀬尾がしたり顔でそう言って、俺の肩を叩いた。
ぶっ殺すぞ、この野郎!
そうこう言っているうちに、ふたたびブロロロとエンジン音が迫ってきた。
「よし、いけ! 米島!」
「ウッス!」
米島がトラクターの前に飛び出した。
重そうな車体がやつの眼前に迫る! おい、本当に大丈夫なのか!
俺は思わず目を閉ざしそうになったが、なんとかこらえた。
「米島!」
すると驚いたことに、まるで炊飯器に封印される大魔王のように、トラクターがエロゲーのパッケージに吸い込まれていく!
「おおおおおおおおおお!」
室内で歓声が上がった。
「封印成功やーーーーー!」
「嘘だろ……」
そんなこじつけが通るかよと思ったが、トラクターの幽霊はエロゲーのパッケージに封印された。
「ふふ、とりあえず一体は片付けたな……」
門田さん、あんたは何もしてませんけどね。
「先輩、もういらんこと言わんといてくださいよ」
「何が出るかわかんないですからね、ホント」
米島と瀬尾が釘をさす。
「最初の幽霊を倒す方法考えましょ」
米島に言われて、俺たちは頭を突き合わす。
「そういえば、ランニング幽霊をモデルにしたプロレスラーがいなかった? 運動帽かぶって、不気味な白いマスクかぶったやつ」
瀬尾が何やらおかしなことを言い始めた。
「いたいた。ランニングじゃなくてリレーだけどね。運動会のときに流れる曲に乗って入場するんだ。てててー、てててー、てててて。てってれてって、てってってー」
「そうそう、それそれ。てーれ、てーれ、てーれ、てれれ」
「てってれてって、てってってー、ててててててててってれれ!」
いつの間にやら『クシコス・ポスト』の合唱が始まった。
「おい、やめろ!」
不吉な予感を覚えて、俺はみんなを制止する。
「なんだよー、いいじゃんか」
「曲の引用はカクヨムの規約的にはオッケーだぞ?」
「クラシックだからJASRACは来ぉへんで?」
口々に意味不明な反論が返ってきた。
「違う! そんな歌ってたら、また何か変なことが起こるぞ」
俺が唾を飛ばしたそのとき。
……てててー、てててー、てててて。
どこからともなく、『クシコス・ポスト』のメロディが聞こえてきた。
俺は全員の顔を順に見渡す。
門田(もう「さん」はつけない)、米島、瀬尾、志村……全員が口を開けてぽかんとしている。
つまり、いま『クシコス・ポスト』を歌っているやつはいない。
……てってれてって、てってってー
……てーれ、てーれ、てーれ、てれれ
「まさか」「もしかして」「まじで?」
俺たちは恐る恐る、部屋の壁に目を向ける。
……てってれてって、てってってー、ててててててててってれれ
「やっぱり壁だぁ!」
五人の声が重なった。
それと同時に、壁から半透明のガタイのいい男が飛び出してきた!
その頭には、小学生が被るような黄色い運動帽。
顔はマスクで覆われており、口の部分は不気味に笑うような形の、三日月型の赤い布で覆われている。右手には、リレーで使うバトンが握られていた。
「うおおおおお、幽霊出ちまった!」
門田の声が裏返っていた。
「ちょっと待て。この覆面レスラーの中の人まだ生きてるよな。幽霊?」
瀬尾が首をかしげる中、運動帽のマスクマンがドタドタと部屋を駆け抜けていく。
「さっきは漫画の登場人物の幽霊が出たんだから、もうなんでもありだよ」
「そうかなぁ……」
投げやりな志村に、瀬尾はぼんやりと返事を返す。
「あはは。また増えたね」
門田はどこまでも無責任だ。
「増えましたね」
「どないします?」
「また封印するしかないだろうな」
「でも、どうやって?」
「お祓いかな? 拝み渡りで消えるかも?」
「念仏大師を呼び出すか」
俺は、頭を付き合わせてバカ話を始める連中の間に割って入る。
その間にも、周回してきた最初のランニング幽霊が、部屋の中を駆け抜ける。
もう何周もしているというのに、元気イッパイダゼという感じだ。
「また変なのがでてきたら、余計話がややこしくなる。やめるんだ」
「念仏大師を変なの呼ばわりするな!」
「そこかよ!」
斜め上の反応を見せる瀬尾を逆水平チョップで黙らせると、俺は志村と米島に顔を向ける。
「あいつ、どうやって倒す?」
「どうやって……て言うてもなぁ」
困り顔の米島。そのとき、志村が明案を思いついたとでも言いたげに膝を叩いた。
「そうだ、バトンだよ! 呪いのバトン!」
「あのバトン、受け取ったら呪われるんじゃなかったっけ? たしか、あれを持ってる間はずっと走り続けないといけないんだ」
「あったあった。そんな設定。だからあのレスラー、試合中せずにずっと観客席の周りを走ってたんだ」
そうこうしているうちに、マスクマンの幽霊が迫ってくる足音が聞こえてきた。
「よし、今度は俺が行く!」
志村が立ち上がった。
「観客の皆様、あれは呪いのバトンです! 受け取らないでください! 絶対に受け取らないでください! 呪われます!」
リングアナの真似をして声を張り上げる志村。
そこに「ヤツ」が飛び込んできた。志村は素早く駆け寄ると、バトンを強引に取り上げる。
「………………!」
バトンを奪われたヤツは、無言でその場に立ち尽くすと、がっくりとうなだれた。
そして、空気に溶けるように消えていく。
「よっしゃ! 正しい除霊法だったみたいだぞ、わははは!」
というか、そもそもあれは本当に霊なのか。
くどいようだが、中の人はまだ元気に生きてるぞ。
ともあれ、俺は少しホッとした。束の間の静寂が部屋を包む。
「そういえば、リレーの中の人、T.M.Revolutionのパロディっぽいキャラでも売り出してたよね。入場曲がかかると、台車に乗って出てくるの」
その静寂を打ち破ったのは志村だった。
なんでそういうどうでもいい話を知ってんだよ!
「あったあった。ムチとかロウソクとか持って出てくるんだ。TMじゃなくてSM」
「SMといえば……」
全員の目が俺を向いた。
「その話題から離れろ!」
俺は机の上にあった長定規を手に取ると、そのへんの椅子の背をピシャリと叩いた。
「手慣れてる感じがするな……」
「さすがですわ……」
まだ何か言おうとする門田と米島をひと睨みして黙らせた。
「まぁ、性癖の話は置いといてだな。さっきの覆面レスラーには1号と2号がいて……ムガガ!」
また何か要らないことを言おうとした門田を、志村が押さえつけた。
「しっ! 2号まで出てきたらどうするんですか!」
「お、おう……。すまん。呼ぶつもりはなかったんだ」
暴れて無駄にホコリ撒き散らす二人を尻目に、瀬尾が俺に問いかけてきた。
「さて、問題はランニング幽霊だな……どうやって追い払う?」
「言い伝えによれば、あいつはゴールテープを切ったら満足するんだろう? もしかしてゴールテープではなくても、ゴールにたどり着いたと錯覚させるものであれば大丈夫なんじゃないか?」
ヤケクソ気味にそう答えると、瀬尾は「うーん」と難しい顔で唸る。
そうこうしているうちに、再びランニング幽霊の足音が迫ってきた。
「これで何周目だよ……」
ふと視線を巡らせると、テレビが目に付いた。
例のバカ映画はすでにラストシーンを迎えていた。
テレビ局に突入したマッチョマンが、諸悪の根源である殺人番組の司会者に銃を突きつけていた。
「結局、この映画ちゃんと見れなかったな」
さして残念でもなさそうな口調で志村が言った。
「ちゃんと見んでもええやろ、この映画は。原作読めよ。そっちのがおもろいで」
映画が終わり、エンドロールが流れ始めた。
キャストの字幕が流れるのに合わせて、ランニング幽霊の足音が近づいてくる。
「はぁ……」
誰かのついたため息と同時に、幽霊が壁から現れた。
「あれ……?」
しかし、あのけたたましい足音は聞こえない。
幽霊に目をやると、ヤツは部屋の中央に立ち尽くしたまま、じっとテレビ画面を見つめている。
その目には、涙が光っていた。
「え?」
「まじで?」
「どういうことや」
「なんと」
俺たちの見ている前で、幽霊の姿がどんどん薄くなっていく!
「もしかして……」
「映画のラストシーンが、ゴールの代わりになったのか……?」
んなアホな!
「ランニングマンのゴールがランニング幽霊のゴールって、どういう仕組みだよ!」
「んなこと言うても、本人は満足しとるようやで?」
幽霊に目をやると、すでに下半身はほぼ消えかけている。
驚いたことに、幽霊は俺たちのほうを向くと、にっこりと会心の笑顔を作った。
そして、その唇が、何かを言おうとするように動く。
『あ……、……あ……』
これまで頑なに喋らなかった幽霊の口から、何か言葉が発せられた!
「なんて言ってるんだ!」
「し! 静かに!」
しん……と静まり返った部屋の中で。
『あ……、……あい……』
「なんて言おうとしてる? 『あい』? 『愛してる』かな?」
「『ありがとう』と言おうとして、舌が回ってないだけかも」
幽霊の声を遮らないよう、志村と瀬尾がヒソヒソ話す。
『あ……あ……あい………』
目の錯覚かもしれないが、幽霊の喉に力がこもった気がした。
俺たちは固唾を飲んで、幽霊の様子を見守る。
部屋の緊張が最高潮に達したとき、幽霊がついに、意味のある言葉を発した。
『I'll Be back!(また会おうぜ)』
それは、映画の中で走り回っていたマッチョ俳優のあまりにも有名な決め台詞、持ちネタの一つだった!
「「「「「帰ってくんじゃねえ!」」」」」
俺たちの心と声とが一つになった。
[了]
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