(4)

 しばらくすると、彼女がおぼんを持って階段を上がってきた。俺の目の前にビスコッティと思われる洋菓子と、ホットミルクの入ったマグカップを置いた。え、ミルク?

「すみません、俺、ドリンクは注文していないです」

「ビスコッティをご注文のお客様にはホットミルクを一緒に提供させていただいております。メニューにはミルクの分も含んだ値段を表記しておりますので、お値段は変わりません」

な、なるほど。

「本品をミルクに一度浸してから、お召し上がりください」

「……はい」

「お菓子には、似合いの飲み物が必要ですから。では、ごゆっくり」

それだけ言って、彼女は下へ降りてしまった。

 テーブルの上を眺めてみる。白いお皿の上に、フランスパンを輪切りにしたようなものが、4切れほど、盛り付けられている。切り口からは、たぶんチョコチップ、がいくつか顔をのぞかせている。俺、オレオも何も工夫せずに口に放り込む派なんだけどなぁ。一切れつまんでかぶりついてみる。


 ごり。


 え、「ごり」? いま「ごり」って言った? 固っ!


ばきばきばき


 あ、噛み切れた。でもなんか生地が口ん中の皮膚と喧嘩する。痛っ、え、痛っ?! 味はいいけどなんかでも、え、うん、え。

 脳内大混乱。手の中の一切れの齧り口にはくっきりと俺の歯の跡が残っている。口の中でふやけたそれを飲み込んだ。なるほど、ミルクは要りそうだ。

 少し溜め息をついて、マグカップを引き寄せる。ミルクは薄く膜を張っていて、マグの取っ手にもじんわりと温かさが伝わってくる。さっきの一切れを入れてみる。ゆっくりとミルクの膜がちぎれる。そのちぎれた隙間から湯気が、かすかに立ち昇る。その湯気がつれてくる、やわらかな香り。

 そっと、手の中の一切れを持ち上げる。ホットミルクのしずくがポタポタと落ちきるのを待って、口へはこぶ。

「……ん……」

 ふわり。ミルクの温度が広がる。やわらかくなった生地を噛めば、ざくっ、内側のかたい生地が顔を出す。ミルクのなめらかさと、ビスコッティの甘さ。ときたま現れるチョコチップのアクセント。ミルクの温度は、焼き菓子特有の香りと、チョコのかすかな香りを連れ立って、鼻先までくすぐってくる。のど仏が上下して、味が、香りが、腹の中まで落ちていく。そのときになってようやく、一日中バイクで走り倒した疲れが雪崩のように押し寄せてきた。

 あ、俺、疲れてたんだ。ほう、と息をつく。椅子の背もたれに身を任せると「あーっ」と声が漏れた。自分の知らない街まで、何をするでもなくマシンを飛ばしまくっていた。学校も休みで、めずらしくバイトもオフをもらえた土曜日、こんな日、今日以外にめったにこないわけだし、やりたいことをしようと思ったんだった。布団の中で過ごしていたって、先輩のことを思い出すだけだし。

 窓から外を見やると、少し離れたところに、さっきまで走っていた大通りを照らす街灯が等間隔に並んで見える。そういえば先輩、今頃、何してんのかな。そろそろ寝てっかな。

 俺はおもむろに手を伸ばし、ビスコッティをもうひとつ、取りあげた。

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