(3)

 “Clivia”と書かれていた看板と同じように、扉も深い色の木で出来ていた。そっとノブに手をかける。ギギギ… …と重たい音を立てて押し開かれたその隙間から、ふわり、甘い香りと共にオレンジの光が漏れ出てきた。頭だけ部屋にひょっこり入れて、中を見渡してみる。間接照明のはだか電球の光は外で見たほど強いものではなく、夜の中をバイクで飛ばしていた俺の目にも刺激をあたえることなく周りを包んでいた。

「いらっしゃいませ」

 俺から見て左、お菓子の並んだガラスのカウンターの向こう側から声がした。見ると、ストレートの黒髪をポニーテールにしてサロンエプロンを身に付けた女の人がいた。

「え、あ、ども… …」

 常々、初対面の人と話すのが苦手すぎて、こういうお店の人ともうまく言葉を交わせない。殊に、女の人ともなれば… …。

 店に入るか、諦めて扉を閉めるか、ちょっと悩んでしまった。そうして一人でおたおたしているうちに、女の人は何もなかったかのように店の奥の螺旋階段を上って行ってしまった。

 誰もいなくなった部屋。はだか電球の優しい光。ガラスの向こうの洋菓子たち。ドアから少し離れたところの椅子に、ちょこん、と座るテディ・ベア。気がつくと俺は、本当に自然に、部屋の中へ足を踏み入れていた。

 あ、天井が低い。数歩すすんで気がついた。特別低いいうほどでもないんだけれど、少なくとも俺ん家よりかは低い。さっきの扉の鴨居(開き戸のときでもあの部分は鴨居っていえるのかな?)に頭をぶつけそうになったし。

部屋は入り口から奥にかけて縦長になっており、その一番奥にはさっき見た螺旋階段がある。階段の手すりに手をかけてみる。濃い色をして、指に吸い付くような木目のくぼみをなぞる。

 上へあがると、さっきの手すりよりも明るい色の丸テーブルが並んでいた。2人席もあれば、4人席もある。なんか、さっきよりもちょっと照明が明るい… …。壁につけるように設置された蛍光灯は、やはりあたたかい光を注いでいる。

「お決まりでしたら、お呼び下さい」

 はっとして振り返ると、さっきの女の人がいた。え、あ、はい。口元から溢れるように返事をして、近くにあった2人席に座る。テーブルの上には、メモスタンドで立てられた小さなメニュー表が4枚。3枚には洋菓子の名前が手書きで並んでいて、最後の1枚はドリンクメニューだった。

 お菓子に疎い俺にはさっぱりわからないものから、親しいものまで、様々だ。フロランタン、ザッハトルテ、ブルー・ド・ネージュ、クッサン・ド・リヨン、うん、なんだそりゃ。クレーム・ブリュレ、聞いたことはあるんだけれど。シュー・ア・ラ・クレーム、あ、これ、シュークリームかな。バウムクーヘン、ガトーショコラ、プリン・ア・ラ・モード、タルトタタン、ここら辺はわかる。

ひとつ、目を引いたものがあった。


ビスコッティ


 最初はビスケットのことかと思った。しかし、少し離れたところにビスケットの欄もある。ってことは、ビスケットとビスコッティは別物?

 メニューから目をあげると、例の女の人は階段近くのテーブルを拭いていた。

「あ、すみません」

彼女は顔を上げた。

「あの、ビスコッティ、お願いします」

「かしこまりました」

軽くお辞儀をして静かに、彼女は階段を降りていった。

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