(6)

 今日、彼は久しぶりに私を自身の部屋に呼んだ。新しく買ったって言っていたゲームでプレーしてみたり、大学での出来事をネタに話をしたり。どちらかの誕生日というわけでもなく、記念日というわけでもなかったので、これといって特別なことをする予定もなかった。少なくとも、私にとっては。

 夜も更けて、そろそろ帰ろうと思っていたところだった。明日は朝が早いから、このままここでのんびりしてもいられない。鞄を手に取り、それじゃあお暇しようかな、を言うタイミングを計っていたところだった。彼が、何の脈絡もなく、あのさ、と切り出した。

 どうしたの、と聞くと、彼は目を泳がせて口を閉じてしまう。そして徐に立ち上がって部屋の隅の引き出しを開け、ジッパー付きのビニール袋に入れられたものを私の前の机にそっと置いた。袋の中には、数本の注射器と、どこの国の言葉か判らない文字のラベルが張られた小瓶が入ってあった。小瓶は透明の液体で半分ほど満たされていた。

 なにこれ。そう呟いていた私にだって、この小瓶が危ない物だっていうことはなんとなく判った。彼は押しつぶされたように黙ったままだ。いや、むしろもう既に何かに押しつぶされて、ひしゃげてしまっていたのではなかろうか。ようやく暖かくなってきたばかりの季節には似合わないくらい、彼の額は汗にぬれていた。青白い蛍光灯が、彼を脳天から照らしている。次第に俯いていく彼の頭は机の上に、机の上の注射器や小瓶の上に影を落とす。

「俺は、弱い人間だ」

絞り出すように話しながら

「こんなものに、頼ってしまうんだ」

彼は左の袖を捲り

「もう痣も、消えないんじゃないか、と、思う」

ゆっくりと顔を上げて

「でも君なら」

私に訴えた。

「受け入れて、守って、くれる、よね」

 寒気が、私の体ににじり寄って蝕んでいく。私の頭から、思考が零れ落ちていくのが判った。目の前には、今にも私に縋ろうとする瞳がある。その人物の左腕には赤黒い痣がある。浅い息の音だけが、部屋中に響き渡る。大きな、私よりも大きな生き物が、真正面から私を見つめていた。

 嫌。

 声に出していただろうか。しかし、私の口は確実にそう動いていた。よろめくように立ち上がった私の腕が捕まれる。叫びながら、その手を振り払う。ドアをこじ開け、私は夜の闇に走り出たのだった。

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