(5)
それにしても、どうしてあのバレンタインの日に、彼は自分の下宿先の部屋へ案内したんだろう。そして、どうしてその不思議が、あの日の私の頭の中を掠めなかったのだろう。
あの日…私たちは多分、普通の恋人たちだった。特別どこかのバレンタインイベントに行っていたわけではないけれど、ロマンチックなことをしていたわけでもないけれど、普通に彼の部屋で、二人でのんびり、二人のペースで過ごす恋人同士であったはずだ。
あの日…私は彼から薄桃色のビーズでつくられたブレスレットを貰った。そして彼は私から少し焦げた、それでも気持ちだけは精一杯のレモンクッキーを受け取った。掛かった金額に差はあったかもしれないが、込めた気持ちの上では、等価交換出会ったはずなのだ。
あの日…プレゼントを交換した私たちはレンタルDVDショップで借りてきた映画を見つつ、夕食を食べた。二人で何か作ろうかなんて話にもなったけれど、二人とも料理が下手だから、結局はピザをたのんだ。
そしてあの日…私は彼の部屋に泊まった。でも何も起こらなかった。彼のベッドで二人で“普通に”寝て、“普通に”朝を迎えた。
しかしあの朝、確かに彼は晴れやかな顔をしていた。
何もかも、どうしてなのかは解らなかった。あの日以降も、彼はずっと私に優しかった。季節の変わり目に体調を崩した私のことを多分本気で心配してくれた。私が大学で男友達と仲良くしていることを仄めかすと、少し苦い顔をしながらそれでも柔和さを保ったまま私の話を聞いてくれた。デートでは食事ともども奢ってくれたし、無理に体を求めてきたりもしなかった。と、いうより、彼は私と体の関係を持つことを避けていたように思えてならなかった。
そして実際、そうだったのだ。彼は、あえて私と一線を越えることを避けていたのだ。
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