第2話 はじまりの朝
私立エリシオン学院。
日本にいくつかある異能力者専用の教育機関であり、まだ創設されてから5年しか経ていないながらも広大な敷地面積と、揃っていない物はないと言われるほどの充実した設備を保有している高等学校だ。
あの世界を分けた【運命の雨】が降った二〇二六年六月二日。あの日から大きく世界は変わった。世界各地の人間が異能力を宿したあの日から。
もう今年で実に16年が立とうとしている。本日四月三日入学式。私も無事、この学院の新入生として迎えられることとなった。
最新設備が目立つ教室1年1組の指定された席に着いてみたものの、まだ入学式開始時刻より結構早いせいもあって他に新入生は誰も来てない。
窓にぽつぽつ当たる雨を見て、思わずため息が漏れる。
私は雨が苦手だ。服は濡れるし体は冷えるし……なにより………。
脳裏に人影が浮かびかけた瞬間、ウィーンという自動ドアが開く音が聞こえ、思考はいったん断ち切られた。
入ってきたのは、ややこげ茶色のショートカットが良く似合う、女子である私から見ても非常に可愛らしい女の子だった。
前のホワイトボードから自分の席の場所を確認したらしいその子は、なんの偶然か、どうやら私のすぐ後ろの席のようだ。
「……雨、今日は止みそうに無いですね…」
その声に振り返ると、少女は笑みを携えながら窓の外を眺めている。どうやら話すきっかけを作ってくれたらしい。ありがたく頂戴するとしよう。
「ま、どんな雨もいずれは止むよ。あなたは雨が好きか?」
「えーと……どっちかといえば、苦手、です…」
「奇遇だな。私もだ」
互いの視線が交差し、何故だか可笑しくなって軽く笑いあう。世間では女子の会話にはオチが無いとよく言われるが、実際は、女子は時としてオチの無い会話も時に面白く感じたりすることもあるだけなのだ。
「あの、私、
「私は優衣。
差し出された手を握り返すと、真加は外の雨など一切吹き飛ばしてしまうような、眩しいほどの満面の笑みを浮かべた。
そこでふと、真加の視線が私の横にずれ、驚いたように目を見開いた。
「あれ? もしかして優衣ちゃん、一年生でもう
「な、何故それを!?…って、あぁ、刀を見てたのか。そうだ。私は英雄開拓祭で優勝するためにこの学院に入学したんだ」
英雄開拓祭出場者は、予め学校に武器携帯申請書を提出しておけば、携帯許可証が届き、それを所持することで大会で使用する武器を学校内に持ち込むことができる。許可証があれば、訓練場や体育館を自由時間などに優先して予約できたり、欠席可能回数が多くなったり、他にも様々な特典が付く。もちろん訓練場などの特定の場所以外での武器の使用が発覚した場合には、それ相応の厳しい処分が待っているし、携帯許可証を持っていない状態で武器を使用した場合は最悪、退学も十分にあり得るらしい。
私はもちろん入学書類と同時に申請書を出していたので一昨日には許可証が届いていたのだ。
「そっか~、この学院は日本のなかで一番、世界大会に出場率が高いからね~。といっても、ここの先輩達でも優勝はしてないし、去年世界大会にこの学院から出たペアも一回戦敗退だったけどね。
あ、でもでも全国大会ではあのペア、どんな相手にも圧勝だったよね!もう本当に手も足も出させないほどの強さっぷりで、かの有名な聖秀学園のペア相手に攻撃するタイミングすら掴ませなかったぐらいだったし!」
確か聖秀学園も、ここの学院と並んで全国大会決勝常連校だったはず。よもや昨年はそこに圧勝だったとは…。今更ながら、試合をきちんと見ておけば良かったと後悔する。
「というか…真加は英雄開拓祭には結構詳しいのか?」
「あはは…多分ひーくんの影響かなー……もちろん私も英雄開拓祭はいつも家族で見てるけどね…」
「ひーくん?」
私が首をかしげるのと同時に、再び自動ドアが開く音がする。ぼさぼさ頭で欠伸を噛み殺しながら入ってきたその少年は、真加と私を交互に確認すると手を軽く振った。
すると、正面の真加も「ひーくん、おはよう!」と手を振り返す。どうやら彼が噂の『ひーくん』らしい。
「相変わらずお前は朝っぱらからハイテンションだなオイ……こっちは眠すぎて死にそうなんだけど…あとひーくん言うな」
彼は私の隣の席に着くと、そのままダラッと体を突っ伏してしまった。朝には相当弱そうだ。
「ひーくんこそ朝弱すぎるんだよ! 今日だって起こしに行かなかったら絶対遅刻する気だったでしょ!」
真加が説教じみたことを始めると、ひーくん言われる少年は「うっせぇなぁ」と呟きながら視線をこちらに向けた。
「先に自己紹介しておく。俺は
「私は
「檜山でいいよ。ひーくん以外なら何でもいい。そしてお休み」
再び顔を下に向けて突っ伏してしまった檜山に対し、真加が「もうっ!」と少しだけ怒り気味に頬を膨らませた。
「私の説明適当すぎるよ!あと、せっかく優衣さんが英雄開拓祭出場者なんだから! 話を聞いてよひーくん!」
真加がそういった瞬間、突如隣の席から壮大な音が響き、檜山がこちらを凝視してきていた。しばらくパクパクと口を酸素不足の魚のように開閉していたが、やがて震えるような口調でこちらを指さした。
「あ、あの…その…え?……マジ?」
「えーと、まぁ…うん。私は大会に出るけど…」
私は答えながら念のため刀を前に出して檜山に見せると、彼はさらに目を驚愕で見開きながら後ろに尻もちをついた。
「えぁ!? おぁ!? ぉ……ま、マジかぁ……こりゃあたまげたなぁ」
むぅ。まさか出場するといっただけで、こんなに驚かれるとは思わなかったな。もしもクラスの皆の反応がこんなのばっかりだと少しばかり疲れそうだ。
檜山は「すまんすまん」と頭を掻きながら席に戻る。が、その瞳には明らかに先ほどの眠そうなものは打って変わるほどの熱を帯びていた。
「ねぇ、空霧さんは何で英雄開拓祭に出ようと思ったの? 叶えたい夢があるから? それとも、単純に力比べ?」
「っ!…そ、それは………」
檜山が全くの興味本位で放ったであろう質問に、私は言葉を詰まらせる。言えない。それだけは彼らには聞かせられない。
何故なら、私の叶えたい願いは――――――
「………すまない。人には言いたくない事なんだ」
私は他の答えが思いつかず、逃げるように頭を下げることしかできなかった。
「ちょっ!? 何も謝んなくてもいいって! もう聞かないから頭上げてくれ!」
こちらが頭を上げると、檜山はほっとしたようにため息をついて、椅子にもたれ掛かる。
「しっかしまぁ、一年生から出場するとは恐れ入るなぁ…俺の能力はバトル向けじゃないからそもそも出る気なんて起きないけど……」
自分の右手を閉じたり広げたりしながら呟くと、すかさず真加が胸を手で隠すようにしながら檜山をジト目で睨む。その顔はわずかに赤くなっていた。
「ひーくんの能力は一生使えなくてもいいと思う…」
「………ちゃうねん……昔のアレは事故やねん……」
「ジトー」
「………………その節は申し訳ありませんでした…」
「うむ!よろしい!」
真加は満足そうに頷くと弾けるように笑い出す。対するひーく…じゃなかった、檜山も頭を掻きながら苦笑している。
良かった。どうやらこのクラスでは上手くやっていけそうだ。
しばらく日常的な会話をしていると、次々と他の生徒も教室に入ってきた。
さらに時間が数十分経ち、入学式会場の体育館に向かうために廊下に並ばされる。
隣からちょいちょいと肩をつつかれ、顔を向けると檜山が「ちょっと質問いいか? 」と話しかけてきた。
前方が歩き始めたので、後についていきながら私は頷く。
「あのさ、もう空霧さんは大会のペア決まってるの?」
「あぁ、一年生は大会申請を事前に送っておくと相手を自動で選んでくれるらしいからな。確か相手の名前は……」
ん? これは個人情報の漏えいだろうか? ……まぁ、どうせ大会始まったら分かることだし、檜山には後で口止めしておけば問題ないだろう。
「相手は……植野…そう、
「あー…なるほどー。植野選手かー………………………え?」
ピタリと隣の少年の足が止まり、その後ろでは何人もの男子生徒が次々と追突事故が発生する。が、そんなことはお構いなしに檜山は硬直したまま、ただただ口をパクパクと動かすだけだった。
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