世紀の大誤審しちまったんだが俺はもうだめかもしれない

 あれは昭和50年ぐらいの、うだるほど熱い夏の日の話だ。高校野球が今よりも酷く神格化されていた時代の話だ。

 夏の風物詩といえる甲子園出場を決める地方予選でそれは起きた。いいや、違う。私が起こしてしまったのだ。

 北高と南高との試合。互いに0点のまま迎えた5回裏、南高の打線が火を吹き、ワンナウト一塁、チャンスが巡ってきた。

 南高吹奏楽部が演奏するジョックロックがスタンド全体を揺らす。試合の流れは完全に北高に傾いていた。

 打者は下位打線ながらも本日二本のヒットを出している田中くん。2ストライク、2ボールと追い込まれ、アウト気味の玉に手を出してしまう。

 ボテボテのピッチャーゴロ。ピッチャーが捕球したのを確認して、守備や走塁の邪魔にならないように一歩下がる。

 これでゲッツーを取ってチェンジかと思ったが、ピッチャーからの送球が少し逸れる。俊足の走者が二塁目掛けて滑り込む。セカンドが体を伸ばし、どうにか捕球し、走者にタッチ。

 アウトのタイミングであったため、高らかにアウトを宣言した。

 ゲッツーは取れなかったが、まだチャンスはあるから頑張れと内心南高の応援をしていたが明らかに空気がおかしいことに気づく。

 走者が、北高が、北高スタンドがおかしいと声をあげていたのだ。普段は温厚で有名な北高監督までもがベンチから飛び出していた。

 ここで私は、何かやらかしたことに気づいた。

 気づいた私は慌てて一塁球審に助けを求め、他の審判団とも協議を始めた。

「実はセーフだったりします?」

 選手や観客の熱の帯び方が尋常ではなかったため、当時はあまりしなかった宣言の撤回も視野にいれていた。そこで一番頼りになるのは見えていたはずの一塁審だ。彼はこのプレーがどう見えていたのだろうか。

 それに先んじて「なんか捕球失敗した状態でのタッチだったらしいですよ。多分、二塁審からは選手が影になって見えなかったと思います。かくいう自分も見えなかったですけど。一塁からは見えました?」と三塁審が先に伝える。

「あー実はチェンジだと思ってプレーちゃんと見てなかったのですよ」

「ええ、どうするんですか。明らかに間違ってるって状況ですよ」

「しかし、我々が確認できないことで宣言を覆すわけにはいかないでしょう」

 ビデオ判定は現在もないが、当時はビデオ撮っておいてすぐに確認ということもできなかった。

「アウトでいいんじゃないですか?」

 そんな気楽なことを言う三塁審。

「ではアウトで」

 それに乗る一塁審。

 協議を解散し、私は申し訳なく右手を掲げる。

 スタンドか揺れる。怒号に包み込まれる。主に私への批判で包み込まれる。観客席からは物が投げ込まれ、危険だからやめなさいとアナウンスする始末だ。

 そんね中、アウトになった走者はベンチに帰ろうとしない。私への抗議だ。どうにか帰ってもらうように説得はした。だが説得すればするほど走者は意固地になり、二塁の上からどこうとしない。それは当然で、今にして思えばアレは説得ではなく命令だった。私には審判が絶対という権威主義があった。だから私がこんなに説明してあげているのに、どうしてそれを受け入れないんだという気持ちがあった。

 それが間違いだったと気づいたのは今になってからだったが、判断を間違えたと思うのはそのすぐ後のことだった。

 私は二塁から降りない選手を背中を押して無理矢理どかせた。その時、バランスを崩して選手が片膝をつく。その瞬間、スタンドからキレた十数人の観客が押し寄せてきた。たった十数人と侮ることなから、昭和の、荒事に慣れたキレた男どもだ。ションベンがチビリ上がるぐらいには恐ろしい。

 審判辞めろや死んじまえなどの罵詈雑言は当たり前、囲まれて外から見えないところでみぞおちを殴ることもあった。しかも倒れないように、しれっと体を支えられるのだ。

 これは怒った北高の監督もベンチから出て、観客を引き離してくれた。助かったとお礼を言おうとしたが、ベンチへの帰り際ひと睨みされて縮み上がりそれは叶わなかった。

 この騒ぎのあと、北高監督が選手を説得し、ベンチへと帰してくれた。

 これでやっとプレイが再開できると、安心したのもつかの間、その安心はすぐに消え去ることになる。

 報復があったのだ。

 北高から南高へのラフプレー。その結果、一人欠場。

 それに対する南高から北高への報復。乱闘騒ぎの結果、三人欠場。

 その全てがセカンド周りで発生し、私も全てに巻き込まれた。当て擦られた。

 その度に体に傷が増え、次はいつラフプレーが飛んでくるのかといえ不安感で胃が痛かった。

 試合はそのまま流れを断たれた北高が得点できずに、南高の勝利に終わった。私は全身打撲と擦り傷だらけだった。球児よりも酷い有様だった。

 試合が終わったことによる安堵感でいっぱいであり、早く帰りたかった。この場から離れたかった。試合終了後、いそいそと帰り支度をまとめ、帰路につこうとした時、北高、南高、両方の観客に拉致され、一週間暴力をふるわれ帰ることを許されなかった。開放後、警察に相談したがあ北高卒業生だった警察官から軽くあしらわれ相手にすらされなかった。

 私はあの日を境に審判を辞めた。

「これがあの時受けたことの全てです」

 私は目の前の記者にそう告げた。

「なるほど。あの時に受けた暴力から二度と同じことは起こさないと誓ったため、高校野球にカメラ判定を導入するためご尽力なされたのですね」

「それは言い過ぎですよ。でもそうですね、あるとするならアレですね」

「アレとは?」

「今でものうのうと暮らしてる一塁審への嫌がらせです」

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突発性妄想症候群 宮比岩斗 @miyabi_iwato

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