某は犬である
吾輩は猫である。名前はまだない。
これはとある有名な作家の書き出しであるらしい。
猫がモチーフなのはわかる。猫は世界中で大人気だ。しかし、ならば、当然、犬にもそういうものがあってよいのではないだろうか。いや、あるに決まっているのだ。問題なのはそれが世界に広まっていないことだ。名文扱いされていないのだ。
それが犬の私には許容できない。
ならば私が代わりに書くしかあるまい。
某は犬である。名前はキャン太郎。
明るく広い天井のある家でボール遊びしていたことはよく記憶している。というより大人になった今でも遊んでいる。某はここで人間というものを初めて見た。漫画家という毎週の締切に追われている畜生の中では悲壮な種族であったそうだ。この漫画家というのは時々我々をスマホなるもので撮ってSNSにあげて見世物にするという話である。しかし、その当時は何という考えもなかったから別段恐ろしいとも思わなかった。ただボールを追いかけてわちゃわちゃしたり、漫画家の手に自らの手のひらを乗せると何ともいえない達成感があったばかりである。スマホごしに漫画家の顔を見たのが見始めであった。この奇妙なものだと思った感じが今でも残っている。毛で舗装すべき顔の表面がツルツルしている。顔のみならず頭までツルツルなので、まるでボールだ。その後、他の漫画家という種族にもだいぶ逢ったがこんなハゲには一度も出くわしたことがない。のみならず息がくさい。ハアハアとわざとらしく某の鼻先で息を吐く。どうも咽ぽくて時に弱った。これが人間の飲むストロングゼロという劇物であることはようやくこの頃知った。
ううむ、と首を捻る。
これでは禿げたアルコール依存症の漫画家が某を写真に収めているだけではないか。
第一、書生というものは言葉の響きからして格好良いのに、漫画家とはどこかコミカルタッチ過ぎやしないか。
これでは名文扱いは厳しそうだろう。
そう思ったところで飼い主に呼ばれる。
ストロングゼロをキメた飼い主を介護しなければいつ便所に頭突っ込んで死ぬかもわからぬ。
酔ってカメの中に落ちて死んだ猫とは違うのだ、某は。
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