第4話 巡り逢い【彼らの謎】

月曜日、待ちに待ったみんな大好き昼休みの時間である。ある生徒は授業終了と同時に開幕購買ダッシュをし、ある生徒は自販機の飲み物が売り切れる前に猛ダッシュし、またある生徒はどちらにも属さず悠々と弁当箱を開き既に食事を始める。

そんなのどかな月曜の昼休みの事だった。

「……は?」

孝介たちいつものメンバーは同時にアホみたいな声を漏らした。

「敦史お前今……なんつった?」

利人はなにか聞き間違いでもしたかのように敦史に尋ね返す。

「いや……風紀委員に入ろうと思ってて、さっき委員長と話をしてきたんだ」

「「………………」」

敦史のその答えに和明、孝介、利人は思わず無言になり数分とも言える長い長い時間が過ぎた。まるでそれは時が止まったかのように硬直する3人。しかしその隣で優也は「うまー」と幸せそうな顔で購買のカツ丼を頬張っていた。そのアホ面した優也の頭をぽかっと利人は殴った。いたっ、と大して痛くもない反応でそういうと何の話をしていたのか聞いていなかったのか敦史と和明たち3人を交互に見る。そこでまた1発利人はぽかっと殴った。

「お前、なんでまた風紀委員なんぞに!」

「そうだぞ?!あのスパルタ女、暴君女の傍でこき使われるんだぞっ!」

机を強く叩きずいっと敦史に顔を近づける和明と孝介。顔の近さに思わず敦史はたじろぐ。

「いや、まぁ……先生に委員会なにか入っとけって言われたから……そんなに厳しいものなのか?」

顔を近づける2人を押し戻して尋ねる。和明と孝介は互いの顔を見てため息を吐くと和明が説明しだした。

「元々、うちの学校は風紀委員なんてないって話をしたろ?」

その問いに敦史は頷く。

「うちの学校も去年まで……俺達が入学当初からあいつは入学と同時に風紀委員を作ったのも話したよな? っていうのも、うちの学校も結構有名校でバカから天才まで揃ってるわけで稀にその中に本物のバカ、所謂不良連中も混ざってるわけだ。 元々そいつら更生させるために風紀委員立ち上げ、それが去年の副会長……今年の会長殿にとても好評でな、他校の校長たちも大絶賛。それからというもの本来教師たちがやるべきである服装検査や持ち物検査は風紀委員に一任されたってわけよ」

ここまで聞くと大して厳しさは感じない。けれどこの後の和明の説明に敦史は身震いを覚えることになる。

「で、だ。こいつらの服装検査や持ち物検査がえげつないほど厳しくてな……例えばスカート丈が規定より1センチ短くても見逃しちゃくれねぇ。そこの綾瀬がいい例だ」

名を呼ばれたのが聞こえたのか奏依は和明たちの方を向いて笑顔で手を振った。おそらく本人はなんの内容か分かってない。絶対。

「出されたのは、反省文原稿用紙10枚。それが出来なきゃ苦手科目の課題を2倍だ。 更に服装違反やら繰り返せば3倍、4倍と増えてく」

その説明に笑顔で聞いていた敦史も次第に血の気が引いていき青ざめていった。そして敦史だけでなく周りでかすかに聞いていた生徒たちも青ざめていく。どうやら、彼女の徹底した厳しさにはほとんどの生徒が参ってるようだ。

「ちなみに俺はこれまで感想文を50枚以上は書かされた」

真顔で和明が言い放つ。その顔はもはやなにか悟りを開いてるように見えるほど清々しい真顔だ。

「俺は感想文10枚と家庭科の課題2倍」

「俺は……遅刻とか、服装検査引っかかって感想文15枚かな。遅刻だと5枚書かされるんだよね……」

「俺は一週間部室の掃除で許してもらったぜ」

孝介、利人、優也が口々に己の経験を語る。どうやらそれぞれが経験してるようだが、なぜ優也は一週間部室掃除なのか敦史は首をかしげる。

「お前ずりぃだろそれは!なんでてめぇだけ部室掃除で済まされてんだ、簡単だろうがそっちの方が!」

途端和明がギャンギャン喚き始める。そうだろう、誰よりも風紀委員の罰に経験のある和明からしたら一週間の部室掃除など簡単にも程があるのだから。

「えー、部室掃除の方がめんどくさいぜ?」

「感想文で時間潰すより掃除のほうが何億倍もマシだっつーの!!なんでお前だけ!?」

「しょうがないだろうな、なんせ優也は得意科目なし、全ての科目が苦手であの風紀委員長ですら頭を抱えるんだからよ」

まるで優也のことを代弁するように孝介が野菜ジュース飲み干しながら言う。本来なら怒るところだがこの優也本人は否定することなく笑顔で親指立てる始末。自他ともに認める和明に匹敵するほどの馬鹿である。

「でも感想文50枚書かされるほど俺和明より馬鹿じゃないと思う」

「言ったなこの野郎!」

「あ、てめっ!」

立ち上がると和明は箸をとり優也のカツ丼のカツを1つとり、突然のことに対応の間に合わなかった優也の抵抗虚しくカツさ一気に和明の口の中へと放り込まれる。旨そうに頬張る和明を見て優也はこっそり和明の弁当からだし巻き玉子を奪いそれを食す。

「あっ、俺のだし巻き玉子!」

「お前さっき俺のカツ食ったろ!」

「お前はカツ何個もあるやん!俺のだし巻き玉子は1個だ!」

突如としておかずの取り合いで喧嘩する高校生2人。普通のひとからすれば子供の喧嘩としか見えないが、このクラスではこの2人の大声の喧嘩がとてつもなく微笑ましく見える。クラスの誰もが仲裁しようとはせずただ笑ってみていた。

「おーい、和明ー」

「んあ?!」

おかずを取り合っていた挙句互いの頬を子どものように引っ張っている和明は声をかけられ途端に変な声を上げた。

「機械科の生徒がお前に用だとよ」

クラスメイトの1人がそういうと誰だと首をかしげる和明に見えるように身体をずらす。教室の入り口に立っていたのは背の低い、そろそろ夏を迎えるというのにマフラーを巻いている白い髪の生徒。

「お、シロじゃん。どしたよ」

「……届け物、今朝、渡し忘れた」

男2人が取っ組みあってる姿をみたシロはジト目で和明に目をやった。慌てて離れる和明と優也。和明は服装整えるとシロの所へと急いだ。

「本……」

「あ、これね。あ、そうだシロ今週末さ……」

和明はシロと話すために廊下へと出る。一方の優也は今度は和明の弁当の唐揚げを1つ取って、再び食事を始めた。

「ま、風紀委員やるならいいんじゃねぇの」

ふと孝介が言う。

「実際、この学校の風紀委員は地域からも警察からも信頼が厚いしな。理名が警視総監の娘っていうのも関係してるし、あの正義感。実質風紀委員入ると教師たちからの評価も格段に上がる」

早々に弁当を食べ終えて片付ける孝介。「けどな……」と言葉を切るとカバンに弁当を仕舞った後、机に頬杖ついて静かに言い放つ。

「お前が風紀委員になるっていうなら……そのうち俺達の敵になる」

「……それは、どういう……」

今まで感じたことのない孝介の鋭い視線に敦史は思わず身を一歩引く。

「……あの……」

「ん?どしたの由佳」

遠くで彼らを見ていた奏衣と由佳たち女子グループは既に食事を終え、クッキーを食べていた由佳は奏衣に尋ねた。

「市川君が言ってることって……」

「あー……あれね。ま、そのうちわかるわよ由佳にも、ね。今日あたりわかるんじゃないかしら」

「…………?」

ぽんぽんっと彼女の頭からハテナマークが浮かび上がる。

(もうやだこの子かわいっ!)

小動物のようにクッキー食べながら小首傾げるその姿に脳内歓喜する奏衣であった。

「ま、あれだ。風紀委員やるなら頑張れよ」

「……お、おう…………」

孝介の言葉に訳の分からないまま敦史は残りの弁当に手をつける。しばらくして和明は1冊の本を抱えて戻ってきた。

「何その本」

古ぼけた汚い本に利人が視線をやる。表紙は英語で書かれており読めない。

「ブラム・ストーカーのドラキュラ。シロに貸してた、あいつこういう本好きだし」

「へー……って、お前そんな本持ってたのかよ」

意外な和明の趣味に利人が驚く。出会って初めて読書趣味があることを知ったのだ。

「失礼だなお前?!俺だって本は読むわ!」

「本は本でも漫画本かと思ってたな俺も」

しれっと真横で失礼なことを言う孝介。孝介の発言に少し腹が立ったのか手に持つ本の角で孝介の頭を叩く。がふっ、とその本の角を受けると机の上に蹲った。その様子に再びクラス中が笑いに包まれる。そんな中、敦史だけは孝介の言葉だけが頭から離れられずにいた。

(…………このクラス、なにか裏がある)


────16時を過ぎた頃の放課後。誰もが部活動へと勤しんでいた。

本校舎近く、この学園の中心とも言える噴水で理名は腰に手を当てて郁を待っていた。しばらくすると校舎の方から郁が隣に転校生の敦史を連れて歩いてきた。軽く会釈すると理名は敦史を見る。

「昼休みの時に言ったとおり今日は部活案内も含めて風紀委員として月1である部活動点検をするわ」

「了解です」

「どうせ同い歳なのだから敬語は要らないわよ。郁、どこから見に行った方がいいかしら」

敦史の返答を聞く間もなく郁へと視線を移す。郁は走る女子陸上部員を横目に「外の運動部から」と視線を理名に送った。そうすると理名は背を向けて歩き出しその後ろを郁と敦史はついて行った。

まず3人が見たのはテニス部。テニスコートまで歩いていくと理名は部長らしき3年生の女子へと声をかけた。

「あ、こんにちは委員長さん。部活点検?」

「こんにちは部長。ええそうなんです。なにか、問題や予算のこととかはありますか?」

敬語を使う理名に少し敦史は驚いた。しかし、当然だろう。委員長といえど同じ同学年。基本委員長ならば3年生が務めるものだが、彼女ばかりは例外らしい。先輩に敬語を使うのはさほどおかしなことではない。

「そうだねぇ……テニスボールとか新しいラケットを注文するから予算が足りるかどうか……。もうここで使ってるラケットたちは使えるんだけど練習にならなくてさ」

「わかりました、それでは少しだけ今月分の予算をテニス部はあげておきますね。少々確認をしても?」

「ん、いいよ」

テニス部部長はそういうと3人を連れてテニスコート近くにある専用部室へと移動する。その中で彼女はテニスラケットの状態や部室の綺麗さ状態を確認し、郁は手に持つボードに理名の指示通り予算上げなどの事柄を記入して行った。

「それではこれで、他にも回るところがありますので。今年の最後の大会、頑張って下さい」

深くお辞儀して理名はそういうと照れたようにテニス部部長の女子は頭を掻く。

「ありがと。今年も全国行けるように頑張るよ。君も風紀委員長頑張ってね」

それを言い残して部活動へと女子生徒は戻っていった。それを見送り郁の書いた事を確認すると、すぐに次へと向かう。


「あ?ンだよお前か……」

理名の顔を見た途端孝介は溜息を吐いた。その反応に理名は不満なのか睨みつけるが孝介は見てないふりして手元の部活用の水筒からスポーツドリンクを飲む。

「で、お前がいるってことは……月末だしあれか、部活点検か。なんで敦史がいるんだよ」

「部活案内も兼ねてよ。珍しく部活してるわね市川君」

腕を組み見下すように顔を微かに上にあげて孝介を見ると孝介は軽く舌打ちをする。

「俺だってたまにしかサボらねぇよ、週一か、週二でな」

「まず部活をサボるというのが論外よ。顧問の安村先生に頼んで反省文書かせようかしら?」

「感想文や課題程度なら簡単だ。学年1位舐めんなよ」

そう言って理名に向けて親指を立てる。理名はその野蛮さに鼻で笑うと腕を組む姿勢を解いた。

「部長さんは?」

「先輩たちは安村先生たちと一緒にセントラルシティのトレーニングジムだぞ。今日はぎりぎりまで帰ってこないとさ」

靴紐を結び直しそういうと垂れてくる汗をタオルで拭う。

「よお、郁。元気か」

立ち上がり挨拶する。

「そこそこだよ、相変わらず元気そうだね孝介は」

「まぁな」

「……なにか、サッカー部内でのトラブルや予算のこととかはあるかしら、副部長」

呼び方を改め、孝介に尋ねる。彼は二年生でこのサッカー部のエースであり既に副部長を任されている。3年生たちがいない今は彼が今日の部活を束ねてるようだ。

「トラブル……つっても、あれだな。昨日から練習用のサッカースパイクをなくした奴がいたな。マネージャーに聞いても見てないっていうから誰かどっかに持ってたか……そこらだろ」

「場所は?」

ボードに書き込みながら郁が尋ねる。

「西側のサッカーゴール近くのベンチ、だったはずらしい。本人も疲れてたあまり曖昧らしくてよ」

「ん、了解」

「それは先生に報告して風紀委員たちで朝のHR(ホームルーム)で呼びかけてみるわ。他にはなにかない?予算のこととか、購入予定でなにか予算あげてほしいとか」

「いや、特にはない。トレーニングジムの使用料も安村コーチの自腹だしな」

あらかた孝介は説明すると時間を見る。すると孝介は、またなといって足早に練習に戻っていった。

「部室のチェックはまた明日にしましょ、部長が居ないようだし」

その後も野球部、陸上部、馬術部、生物研究部と様々な所を回った。

「あとは何が残ってるんだ?」

敦史が尋ねる。

「あと二つね。ここは……結構乱暴な奴が何人かいるから注意しなさい」

歩きながら理名がそう促す。

「残り二つは同じ場所で部活をしてるんだ。農業学科棟から少し歩いた所に馬術部の馬やファームクラブの山羊、豚がいる近くに何も無い平原があるんだけど……」

「……ああ、あのなんか無駄にスペースがある広い野原か」

ふとパンフレットや転校してくる際にみた航空写真のを思い出す。農業関係のスペースで無駄に広いところが二箇所あり、一つは馬術部の練習場であり山羊や豚が、牛を放牧するためのスペースがある。そしてもう一箇所、なにに使うかわからない場所があった。

「その部活って?」

歩きながら答える郁からは意外な名前が出てきた。


「クレー射撃とアーチェリーだよ」


「……発射」

ライフルを構えた少年の掛け声と共に遠くの方で円盤が発射される。数秒後、円盤がいい高さまで飛ぶとシロはそれ目掛けて発砲。見事命中すると円盤は砕け落ちる。

「ここがクレー射撃部ね。本来なかなかクレー射撃のある学園は存在しないけどここフラレシア学園理事長の趣味がクレー射撃で、数年前に導入されたの」

「へー……すげぇ」

「ん?興味あるのかい?」

今まで何処の部活を見ても大して大きな反応を見せなかった敦史がここで初めて歓喜にも似た声を上げると郁はそっと尋ねた。

「え、まぁ……少し」

「ふーん、でもやっぱり男だから銃に憧れるよね。俺もやりたかったけど金がなくて……ははは」

笑いながら郁がそう言った直後、太陽が隠れたように大きなもので郁が日陰となってしまう。

「えっ?」

びっくりして敦史が声をあげる。彼を太陽から覆い隠すほどの大きな巨躯の男性が郁の後ろに立っていた。するとその巨躯は動きだしがっしりとした筋肉モリモリの腕が郁を抱きしめる。

「ん〜〜っ!!マッスル!!」

「ぐへっ!!」

その巨躯から野太いバリトンボイスが辺り一帯に響き渡る。

「神崎くん、言ったじゃないかね。やりたければ先生がいくらでも支援をするとッ!!」

「ぐがっ!」

頬をひくつかせその筋肉の巨人を見上げる。既に郁はこの威圧感に驚き足ががくがくしていた。

「ラルゴ教諭、もうそのへんに……」

「ん?おや、これはこれは風紀委員長の成城くんじゃないかね。君がいて郁くんが居るということは……おお!」

今日が部活点検だという事に気づいたように納得する。しかしその衝撃で彼は腕に力を込めてしまう。

「ふぐっ!? …………」

ついに郁は本当に気絶してしまった。それはそうだ、それは死ぬ。絶対。敦史は少し距離を離すよう一歩後ろに下がった。

「なるほど部活点検だな。わざわざご苦労様だ。本来なら教師がやるような事を君たち風紀委員にやらせてしまって済まない」

「いえ、このぐらい構いませんよ。それより……郁が……」

少し困ったような顔をしてラルゴ教諭という筋肉モリモリの巨人の腕を指さす。「おおっとすまないすまない」と言って郁を離すと気絶してる郁の耳元で猫だましのようにパン!!と手を鳴らせばその大きな音に驚いたのかハッと郁が目を覚ます。

「……起きたかね? 郁くん」

にっこりと満面のスマイルで手を差し出すながら問いかけ郁は苦笑い浮かべながら返事をして彼の手を取り立ち上がる。

「ところで、こちらの青年は?」

目をぱちくりさせて郁にこれまた太い人差し指で指さす。

「この生徒は先週転入してきたばかりの……」

「えと……宮崎敦史です。先週このフラレシア学園に転入してきました」

礼儀正しく敦史は深く頭を下げて挨拶する。だがその顔は目の前の巨人に驚いているということが理名には視線で読み取れた。

「こちらは、ラルゴ・ボスコノヴィッチ教諭よ。この学園の体育教諭の1人であり普通科では英語の教師、私の所属する文化学科ではビジネス学とドイツ語を教えてるの」

紹介されるとラルゴはぬうっと距離を取った敦史のすぐ目の前へと近づいた。しばらく見つめ合い

「こんにちは宮崎君。御紹介に預かった、クレー射撃部とアーチェリー部の顧問でもあるラルゴ・ボスコノヴィッチだ。ラルゴ教諭と呼びたまえ」

彼は教師らしい面構えを取り手を差し出し握手を求めた。手を伸ばすとその大きな手を握り返してよろしくお願いいたしますと一言添えて握手する。

(凄いな……俺の両手を片手で包み込んでる……ゴリラか……)

「ところで」

「はい?」

「君はクレー射撃に興味はあるかね」

ずいっと厳しいラルゴの顔が一気に目の前まで近寄ってくる。

「え、あ、はい……まぁ……」

おどおどしながらも本心を伝える。その途端ラルゴの顔は満面の笑みへと変わる。

「そうか、そうか興味があるか!はっはっは!」

そんなに嬉しいのかラルゴは無意識か意識かぎゅっと握手していた敦史の手を強く握る。

(い、いてぇ……)

痛みに耐え笑顔を保つ敦史。

「ラルゴ教諭、本題に入りたいのですが……」

「おお、そうだったそうだった。すまないね、成城くん。先月は至ってトラブルも無い、ただ少しばかり予算の方を上げて欲しくてね」

敦史の手をぱっと離せば敦史はヒリヒリする自分の右手を摩った。

「新しい散弾銃の購入ですか?」

「というよりライフルの購入だ、以前使っていた奴を知人に買い取ってもらったが新しいのを1丁買うのに少し予算が足りんのだ」

「わかりました、明日書類を持ってきますのでその時に細かいところをいつものように記入して生徒会に提出ください。弾薬の方は?」

「うむ、弾薬は今月分は不要。先月大量に購入したばかりでね」

仁王立ちしながら口髭をびょいーんと引っ張っていうラルゴ。この様子を見てた敦史は益々この先生が分からなくなってきた。

「アーチェリーの方は大丈夫ですか?」

「うむ、そちらはなにも問題はないから予算上げも矢の発注も不要だ」

「あーーー!!ちくしょうっ!!」

「ん?」

突如、クレー射撃部の方から怒りにも似た叫び声が響いてくる。見れば部員の1人がとなりの部員に怒鳴りつけていた。それを見ていたラルゴは何事かと思い歩いていく。その後ろを理名と郁が付いていくため敦史もついて行った。

「一体どおしたのかね、香織くん。そんなに喚き散らして……」

「どーしたもこーしたもシロの奴に勝てないんだよっ!」

教師相手に一切敬語を使わないその女子生徒は地団駄を踏んでギャンギャン叫び出した。

「香織は……集中力が、足りない……だから、ライフルは、向いてない……」

シロはヘッドホンを外してライフルにセーフティを掛ければ銃床を地面に置きそう呟いた。よ、と挨拶する郁にシロは手を軽く上げて返事をする。

「げっ、成城!」

「……私が居るとなにか不都合でもあるのかしら、香織さん」

「けっ、なんでもねーよ風紀委員長殿」

彼女は理名の顔を見るなり先程の孝介と同じような反応をして視線を外す。

「スカート、短いんじゃないかしら。明日までに直して来なさい、でなければ反省文10枚を……」

「うるせぇ、どんな風に着ようがあたしの自由だろうが」

再びそのつり上がった目を理名に向ければ睨みつける理名を香織は睨み返した。

耳打ちして敦史は郁にこの2人は仲が悪いのかと尋ねる。

「あはは……まぁ、ね……」

「香織は……制服違反、課題未提出、授業中の居眠りとか……いろいろやってる……厳格な、理名とは……反りが合わない」

ゆったりまったりとした口調でそういうと近くにあるテーブルまで歩きライフルからマガジンを引き抜けば弾薬を込め始める。

「全く……これこれ2人とも、喧嘩するほど仲が良いというがそう睨み合うんじゃない。レディならばもう少し穏便に話をだね」

このままでは喧嘩しそうな勢いを察したラルゴはその巨躯で2人の間に割って入り落ち着かせる。

「喧嘩するつもりはありませんよ、ラルゴ教諭。私はこれでも冷静です、そこの口より先に手が出る彼女とは全く違います」

「ンだとてめぇっ!!」

「……はぁ……」

仲の悪い2人を見てラルゴはつい溜息を吐く。そんな中、喧嘩するふたりを横目に敦史の視線はシロの手元のライフルばかりを見ていた。その視線に気づいたのかシロがおっとりとした表情で首を傾げる。

「君は……和明のとこの……転入生、名前は……えっと……………………なんだっけ」

ずこっと、つい敦史はコケる。そのおっとりとした彼に敦史は自己紹介をする。思えば名前や存在は知っていても実際会って話をするのは初めてで名前を忘れるのも無理はない。互いに自己紹介を終えると敦史はまた手元のライフルを見た。

「……これ、おもちゃ……ちがうよ……?」

きょとんと無邪気な子どものような表情で言うシロ。

「いや、知ってるよ……レミントンのM700、だよな?」

ライフルを見て名前を尋ねてみる。それにシロはこくこくと頷いた。

「持ってみるかね?」

後ろからラルゴが敦史に言う。更にその後ろの方ではまだ女子2人は睨み合い郁はなんとか2人を仲裁していた。

「名前がわかるとは、銃に興味が?」

「ええ、少しだけ……」

ライフルを手渡されると敦史は特に慌てる様子もなく落ち着いたようにそれを持ち、その様子にラルゴは驚きシロはじーっと見ていた。

「ん……スチールバレルですか……どうりで軽い訳ですね」

「ほう、わかるか。シロくんは背も低いからステンレスバレルだと重すぎて持てないんだ。本人はそれでいいと言うのだが安定性に欠けるし心配でね」

ラルゴの説明に少し不満ながらもこくこくと頷くシロ。

「どれ、クレー射撃を体験してみるかね?」

「え、いいんですか?」

「もちろんだとも。文月くん」

ラルゴは近くにいた男子部員に声をかけた。

「準備してあげてくれたまえ」

「了解っす」

「シロくん、少し扱い方を教えてあげなさい」

こくりと頷くと彼は敦史の真横に行き使い方を教え始める。

「ここはボルト……ここを引いて、装填する……撃つ時左手はここを持って……」

途中、いきなりシロは説明をやめた。敦史はどうかしたのか首を傾げシロを見た。シロは少し離れると彼の全体を視界に捉えるように見つめはじめる。

「君……経験者?」

ふとそう尋ねられる。いいや、と首を横に振る敦史。

「なら……サバゲーマーでしょ。……クレー射撃、経験ないのに、持ち方がまるで本職……指も、トリガーにかけてないし……まるで、手馴れてる……」

おっとりとしながらも冷静なその観察眼に敦史は図星突かれた顔をする。当たったことに気づいたシロは更に続ける。

「君が……興味、持ったのは……クレー射撃、じゃなく……銃が好きだから……電動ガンやガスガン触ってきて、本物に憧れた……」

「…………」

「安心、して……僕も、サバゲーマー……サバゲー、大好きなん、だ……」

途端シロの表情は和らぎ口元はマフラーで隠れていて見えなかったものの目は同じ趣味に出会えた喜びで笑っていた。

「先生ー!用意できましたー!」

クレーの発射台近くから先程の生徒が叫ぶ。敦史はラルゴを見るとラルゴはレーンへと案内し、立たせる。レーンからは他の生徒たちは立ち退いて敦史は1人レーンに立つ。理名たちやラルゴ、他の部員たちの視線が一気に彼に集まった。

「装弾数は6発!今から発射されるクレーを狙い確実に撃ち落とせ!準備が良ければ合図を!」

真剣な視線と態度で敦史の数歩後ろに立つラルゴはまっすぐに立ち、相変わらずのバリトンボイスを大きく張り上げる。

「…………はい」

レバーを引き、薬莢を装填する。一息つき、合図を送る。

(なんということだ……初めてのクレー射撃だというのにこんなに落ち着いてるとは……まるであの少年のようだ……)

顔は真剣だが心の中では驚きを隠せず、つい敦史の合図を遅れて聞いたラルゴは発射台へと視線を向けて手を上げる。

シュッ

クレーが発射され敦史のレーンに重なった瞬間、発砲。

「…………」

見事命中。

「……次!」

次のは外れ、クレーは地面へと落ちる。その後立て続けに3枚が命中せず落下した。装弾数は6発、残り2発だ。

「…………」

発砲。再び見事命中し敦史は即座に装填をする。その手際の速さにはラルゴも、他の生徒達も驚いていた。

その後最後の1発も命中し、結果は五分五分と言ったところだ。

理名と郁は用事を終え、敦史は貴重な体験を終えて次は野外の部活を見に行くことにした。

理名たち3人が立ち去り、シロと香織は3人の後ろ姿を見送った。

「……あいつ、射撃の腕があるとはな」

ふと香織は言葉を零した。一部始終を見ていたがあの腕前は凄いと彼女自身も驚いている。

「悪い人じゃ、無い……けど……風紀委員に、入ったから……油断、できない……」

「そうかもな……」

「ふむ……彼はもしかすると素質があるのではなく訓練したのかもしれん」

後ろからドスドスと歩いてくるラルゴ。その表情こそは落ち着いているが未だに驚きを隠せずにいた。

「訓練ねぇ……どこで訓練したのやら……」

相変わらず敬語を使わず、興味なさげに香織は欠伸を漏らすと散弾銃担いで再びレーンの所へと戻っていった。

「……先生、彼のプロファイルは……」

「うむ。1度目を通したが、彼の祖父は軍人だ。両親は普通の何処にでもいる親だが恐らく祖父の遺伝か、はたまた訓練されたかだな」

顎に手を当て彼ら3人が去っても尚その方向を見つめるラルゴ。

「……少し、詳しく調べて、見ます……それと、今夜……」

途端シロのおっとりとした顔は険しくなり、いつもより暗い気配を帯び初め声が小さくなる。

「ああ、彼から聞いている。指示通りあの3人を連れて行くといい。確か場所は……」

「タイムビッグブリッジ付近、海岸近くの……25番倉庫駐車場……」

「よかろう、今日は早めに帰りなさい。彼も行くのだろう?」

「うん……だから、アレを……」

「わかった。後で君はあの部活に顔を出すだろう、ならついでに鍵を彼に後で届けてあげたまえ」

ポケットからキーケースを取り出すとそのうちの中から一つ抜きシロに手渡す。受け取るとシロは胸ポケットへとしまった。

「トラックは後でいつもの場所に配置しておく。それと、報告だ。彼らがこの街に今夜来る、常に注意をしなさい」

「了解、です……」

口元をマフラーで隠れるように首を埋め込めばライフルを担ぎ、ラルゴに肩をぽんと叩かれれば部活へと戻っていった。それを見送ったラルゴは今度はアーチェリー部の所へとドスドスと歩いていった。さながらゴリラのように。


次に3人がやって来たのは、本校舎。

「ほんとなら農業棟と体育館から行きたかったのだけど……生憎近いのは本校舎だから。さっき電話して他の風紀委員たちに代わりに工業棟と農業棟、体育館、講堂には彼らに頼んでおいたわ。この後私も委員長会議が6時からあるし、ね」

少し先程よりも足早に理名は廊下を歩きその後ろを2人も追いかけていく。

「あら、理名。いらっしゃい」

茶道室と書かれた教室のドアをノックし、出てきたのは艶やかな桃色の着物を着て髪には赤い真紅の簪を刺した大人の雰囲気を醸し出す美しい女子生徒がお淑やかな笑顔で出迎えてくれた。

「こんにちは、優香。部活点検に来たの」

慣れ親しんだ口調と珍しく見せる笑顔で理名が言う。

「ええ、わかってるわ。貴女が郁くんと一緒に来てるのは大抵それが理由ですものね。お客様来てるけど……どうぞ、入って」

優香は3人を招き入れると自分は座敷へとそっと足音立てずにあがった。

茶道室の中はとても美しく和風な彩り。ドアをくぐれば御丁寧に下駄箱が近くに配置されており床は少し高く座敷になっていて部屋の奥には窓、壁には掛け軸が綺麗に飾ってあった。

思わず見とれている途中奥を見ればそこには優香が言ったとおり既に先約がいた。その2人もまた着物を着用して片方は灰色の着物を、もう片方は黒い着物を纏っている。

「おや……これは、成城さん」

「はーい、理名ちゃん。お久しぶりね」

奥に座る美形な顔立ちをした2人が笑顔で理名の名を呼ぶと郁と敦史にもその笑顔を向けた。灰色の着物を着用した男子生徒は手に三味線を持っており、その隣で座る男子だというのに女のような美しさを持ち、女言葉の生徒は逆になにも持たずそこに座っていた。

「どうぞ、ゆっくりしていって下さいませ」

3人の方へ座布団を敷くとそこへ座るように促す。それに3人は従い右から理名、郁、敦史の順で座った。理名と郁が正座で座るためそれに釣られて敦史も正座の姿勢をとる。

「珍しいわね、3人揃ってお茶をしてるなんて。他の部員たちは?」

「ほかの人達はもう一つの部室でお茶を楽しんでるわ。もう少しで戻ってくると思うけど……私たちが揃ってるところ見られたらうるさくなりそうね」

お茶を静かにてながら静かに微笑み返事をする優香。

「そう、なら早めに退散する事にしましょう……紹介するわ、彼女は八代優香。農業科造園部の生徒で、ここの茶道部の部長。私の幼馴染みなの」

「八凪優香です、宜しくね宮崎敦史くん。名前は聞いてるわ、興味があるなら是非とも茶道部へ」

茶を点てる手を一旦止め頭を下げて挨拶をする優香。優雅なその挨拶につい敦史とテレテレしながらお辞儀をした。

「そこの三味線をもつ彼は神村雅かみむらみやび。茶道部兼、和楽器部。農業科食品科学部に所属する2年生」

「よろしくお願い致します、敦史くん。どうぞ、雅と気軽に呼んでくださいませ」

三味線抱えながら軽く頭を下げ、それに返事するように敦史もまた頭を下げる。

「その隣は、鮫島さめしまシエラ。雅と同じ食品科学部に所属してて、日本人とアメリカ人のハーフよ。そして見てわかるように、オネェなの」

「どーもー。あたしの事はシエラって呼んでね、敦史ちゃん」

「…………」

彼ら3人のなんともフレンドリーな笑顔か。その笑顔になんだか敦史は自然と恥ずかしい気分になってくる。

既にこの3人は自分の事を知ってるようで、自己紹介は不要かと思ったが自分も深くお辞儀して再度自己紹介をした。

「礼儀正しい御方です、そうかしこまらず普通に接してください」

「そうよ、雅ちゃんのこの敬語はデフォルトなのよ。誰にでもこんな畏まってるんだから」

「そういうシエラは皆にフレンドリーよね、先輩にも」

「当たり前じゃないの。皆仲良しがアタシのポリシーよ。まぁ、仲良くなれそうにない子にはそんなにフレンドリーじゃないんだけどね」

「シエラも優香もいろんな御方に人気ではないですか。シエラはフレンドリーですし、優香は誰にでもお姉様気質。みんな違ってみんないい、ですよ」

3人はそんな世間話をしていると互いにクスクスと笑いあいそれを見ていた理名は微笑みながら溜息吐いた。

「相変わらず仲が良いのね、貴女たち3人は。見ていて和んでしまうわね……さて、和んでも仕方なし、話の本題だけど……」

微笑んでいた理名はその笑顔を消して再びいつも通りの厳しい厳格な顔へと戻る。なんとも仕事とプライベートの切り替えが上手いのか。テンションの切り替えが激しい和明とは大違いだ。

「特に茶道部は問題はない。予算の方も少し不安なところはあるけどまだ様子見なの」

話しながらしばらくして3人分のお茶の用意が出来ればそれぞれに差し出し、お茶菓子は切らしてるけど……と言葉を添えた。

「なにか……あったのかしら?」

「実はね、6月か再来月の7月あたりに雅の和楽器部と茶道部とでお茶会を開きたいの。農業棟東側にあるあの大きな御神木の下でね」

「なるほどね。するとしたら七夕あたりが望ましいかしら……」

話を静かに聞きながら敦史と郁は邪魔にならないよう茶を音立てずに飲み、ゆっくりと座敷の上に置く。

「理名の言う通りその日あたり、やりたいの。費用や色んなものの用意は私たち3人でやりくりするから……そして開催するか否か、今日の会議で聞いて欲しいというわけ。委員長会議には重要職員たちも集まるでしょう」

「そうね。じゃあ……分かったわ。今日の会議で聞いてあげる」

理名は了承した胸を伝えると茶に手を伸ばして両手で持ち上げれば左手の上に置き3回回せばそれを飲み、しばらくして、ふぅと一息ついた。

「結構なお手前で……」

そう呟き更にもう一度それを飲む。

「お粗末さまです……」

なんとも優雅な様だろうか。この2人にはついつい見とれてしまう。理名にも茶道の心得があったことにも驚いたが彼女たち2人が揃った瞬間のこの美しさ。

「びっくりした?」

郁はふと敦史に尋ねる。

「まぁ、それなりに……綺麗だな」

「わかるよ、その気持ち。俺も初見は驚いたさ」

郁も当初はとても驚いた。入学当時この2人はとても仲が良く、理名が風紀委員を立ち上げたいという願いを後押ししたのは優香であった。去年にも何回かこの2人が揃ってお茶をする所を見たことがあるが何度見ても美しい。

「……そろそろ行かなきゃ」

茶を置くと理名はゆっくりと立ち上がった。

「あら、もう行っちゃうのかしら?つまらないわねぇ……もう少しゆっくりして行きなさいな」

他の所へ部活点検へ行こうとする彼女をシエラが呼び止める。

「ごめんなさい、シエラ。ゆっくりするのはまた今度のときに。他の所にも行かないと……」

「全く。理名ちゃん、そんな急ぐことないでしょ。ココ最近貴女働きすぎよ。今朝も服装点検で朝から来て、郁から聞いたけど昨日の夜あんな事があったらしいじゃない」

あんな事、とは理名がクライマー達に遭遇し結局は掴まれられずじまいだった昨夜のあの事件である。

「それに部活点検は今週中だし、なにも今日明日で終わらせることは無いでしょ。今日はここでゆっくりして行きなさい。出来ないなら、アタシはあんたとは話さないわよ」

「う、っ……」

その言葉に途端、理名の顔は困った表情になる。彼女にとってこの学園で理解してくれる10人にも満たない友人の1人。それを失うのは彼女にとっても苦しい事なのだろう。

「……わ、わかったわよ……」

シエラの強い視線と言葉に抗うことはできず仕方なしに理名は観念してもう一度先程の座布団へと座った。

「それでよし。会議の時間までここでのんびりして行きなさい。まだ一時間もあるんだから」

シエラはそういうと茶を飲み、無くなったのかそっとその茶碗を優香へと渡した。

「優香、あの子たち3人のお茶も無くなったみたいだしお代わりお願い出来るかしら?あとアタシと雅にも」

シエラにそう頼まれると優香は了承したように低くお辞儀をする。

「雅、せっかくだし1曲……お願いしていい?」

「ええ、構いませんよ。いつでも」

雅は笑顔で頷くと近くに置いてある銀杏型の撥を手に取り三味線下部を支えながらもう片方の三味線の上部をもつ片手で器用に音を調整していきしばらくすると用意が出来たのか姿勢正しく座り直して三味線を持つ。

そして、空気も止み音が静かになった瞬間から雅は三味線を引き始めた。


静かな三味線の音色がこの部屋全体を包み込んだ。シエラは袖から江戸時代の演奏家のようにすっと篠笛取り出すと歌口に当て三味線を奏でる雅の音色に合わせ吹き始めた。

美しい三味線と篠笛が奏でる風のようなその音色はとても美しく軽快だった。まるで大昔、江戸時代……いやそれを更に遡り鎌倉時代……その時代の貴族たちが集まり、和風な屋敷で、庭で楽器を奏で楽しんでいるような気分に次第に理名や、敦史、郁は包まれていく。

やがて茶を点て終えたのか再び3人にお茶をゆっくりと優香は差し出した。その仕草もまた様になっている。理名たち3人は茶を受け取ると作法に従いそれを一口、飲む。

すると、入り口の方で着物を着た女子生徒が1人チラリチラリと覗いている。他の部員たちが戻ってきたのだ。それに気づいた優香はその扉に向かって微笑み、ちょいちょいと手招きをする。手招きされた茶道部員たちは足音ひとつ立てること無く部屋に入り理名たち3人の後ろに正座で座っていく。

敦史は振り向くといつの間にか居た部員たちに驚くも軽くお辞儀をして挨拶し再び前に向き直った。振り向いた時にわかったが、茶道部の人には男も混ざっていて更には全員礼儀正しく、作法もしっかりして静かに耳をすませて雅とシエラの演奏を聞いている事だ。全員が聞き入る中、敦史もまたキョロキョロするのを辞めて演奏へと耳を傾ける。

彼らの音色は外にまで響く。去年から数回ほどこの部屋で何度かそんな事をしたが誰もがこれを聞くとついつい部屋を覗きに来る。この美しい風のような音色に惹かれて──。

優香は音色を聞きながら壁の上部分にある開いた窓の外へ視線を移す。

空は蒼く、美しい。太陽に向かって鳥が羽ばたいていく……。そんな事を想いながら時間はまるで遅く感じるというのに刻一刻と、流れていった。


「それじゃあ、私たちはこれで失礼するわ」

2度目のお代わりで飲んだ茶を理名は飲み干して茶碗をそっと置く。

時間は5時54分。あれからずっと雅とシエラの演奏を聞いていたのだが時間はあっという間に過ぎ、つい長居をしてしまった。いつもの厳格な顔に戻る理名の顔も心なしか疲れが取れたように郁には見える。彼も彼なりに理名を心配していたのかも知れない。

「さっきの話は今日の会議で話を通しておくから結果が決まったらまた教える。完全下校の時間まで……ここにいるのかしら?」

「ふふ、理名が怒るから居ないわ。大丈夫、もう少しだけお茶をしたら7時半迄には下校するから」

優香は言いながらそっと静かに茶碗を片付けていった。それを敦史は手伝おうとするも、茶道部の生徒に止められる。

「片付けをお客様にやらせる訳には行きませんので」

笑顔でそう言われれば敦史は拒むこともなく片付けを任せその場に郁と共に立つ。既に理名はドアに立ちふたりを待っていた。あまり待たせるわけにも行かず2人は足早に彼女の所へと駆ける。

「では、これで失礼するわ」

先に男子2人を外に出して最後に理名は廊下に出る。

「また、3人でも1人ででも遊びに来てね。部活中でも大歓迎するから」

手を振りながら手を振ると敦史と郁は笑顔で了承したようにぺこりと頭を下げる。一方の理名は、気が向けばね、と言ってドアをしめてしまう。

「全く……早めに見回りを今日中に終わらせようと思ったんだけど……」

「たまにはいいじゃないか、理名は根を詰めすぎだから最近。部活点検といい、服装検査といい、ね?」

「……はぁ、そうね。なにか焦りすぎてたのかも知れないわ……」

こめかみに手を当ててため息を漏らす理名。ようやく理解したかのような顔だ。少なからず彼女自身は自覚はあったのかもしれないが、それにしては気づくのが遅すぎである。

「倒れないように、程々にね」

「わかってるわよ、余計な心配は要らないわ。時間も押してるし私は会議に行ってくるから、2人はもう帰りなさい。寄り道はあまりしないこと」

彼女はそういうと時計に目をやり郁の持つ部活点検のことを記入したボードを受け取り会議室へと小走りで向かっていく。その後ろ姿を郁は手を振って見送れば踵を返した。

「えーっと……俺は?」

完全に忘れ去られた感のある敦史は郁に声をかける。

「彼女の言う通りにするさ、でもまだ帰らないけどね。流石にバス来るまでバス停で時間潰すことも無いし教室に行こうと思って」

「なら、俺も行くよ。教室にカバンあるし」

2人は並んで教室へと向かった。その途中で郁は敦史に今日の部活見学はどうだったか尋ね、敦史はまだ全てを見てないのでなんとも言えないと答える。

「でも、茶道部のあの3人は凄かったな……」

「はは、まぁこの学園有名人たちの1人だからね」

「そうなのか?」

「まぁね。この学園内で学力も優秀だし理名含めたあの4人はかなりの金持ちなんだ。何より優香は資産家の娘、雅の家は昔から由緒ある料亭の一人息子、シエラはセントラルシティプラザのファッション会社社長を両親に持ってるし。貧乏人の俺達とは大違いの次元の連中さ。理名だって、警視総監の娘だよ?」

「あ……お、おう……なんでそんな金持ち多いのここ……」

「さぁね、なんでこの学校選んだのかは俺も分からない。多分大体の親はキャリアのためにこの学校に来させるけど……彼女たちはどうなんだろ」

歩く途中、郁は敦史を止めトイレへと入り敦史もまた丁度いいと思ったのか自分もトイレへと入った。

「特にあの4人はこの学園の大和撫子四天王だよ。綺麗だし、美形だし、金持ちの坊ちゃんとお嬢様だしね。おまけに競争率が高い」

用を終えて郁は手を洗い胸ポケットからハンカチ取り出し手を拭いた。

「競争率?それってつまり……」

敦史も用を済ませれば自分も手を洗い始める。郁の言う競争率とは、恐らくは恋人死亡という事なのだろう。そんな風に思ってると郁は正解と言わんばかりに肩を竦めて苦笑しながらため息を漏らした。

「そういうこと、雅は気配りも出来るしなにより紳士。シエラもあんなオネェだけど男女問わず人気があって誰にでも優しいしフレンドリーなんだ。シエラになら抱かれてもいいとかいう男もいるくらいにね」

それを聞きながら敦史はゾッと背筋震わせる。ほんとにそんな男がいるのか、と。だがしかしシエラのあの優しさはまるで母親のようで理名でさえ信頼を置くのだからそういうことを思う男が居てもおかしくはない。

「理名は他人には厳しいし、なによりガードが固いからあまり誰も告白はしないけど人気は高い、特にMな男女たちに」

(だろうな……)

「それに比べて優香は真逆で、シエラみたいに誰それ構わず優しい。去年のバレンタインなんか学年の男子や女子たちにチョコやクッキー配ってたんだよ」

「全員!?」

トイレから出ると驚きのあまり大声をあげてしまう敦史。2年生の生徒数は男子だけでも700人をくだらないというのに全員分の菓子類を用意するだなんて大したものだ。流石にこればかりは敦史には想像がつかない。

驚くその敦史を笑うと驚くのも無理はないと告げる。

2人は階段を上がり更に郁が続ける。

「とにかくあの4人は才色兼備、スポーツ万能、料理の腕も抜群ときた」

「へぇ……それで知り合うのも当然か。この学校にいれば同じ人は惹かれ合うっていうしな」

「そういうこと。あの4人はそれぞれ忙しくてなかなか揃って会うことはないんだ。ギャラリーがたくさん集まるし、なかなかあんなお茶会はしない。今日はラッキーだったね」

確かにあの4人が揃いお茶会をしていた今日のあの風景を見ていてとても美しかった。あの美しさに見惚れないのはいないだろう。あれにギャラリーが沢山集まればほかの人も見ることも出来なければあの4人もまったり出来ない。

「だから、理名はなかなかあの3人とお茶会したがらない。ギャラリーがうるさいしのんびりできない」

人と接するのが下手なのかは分からないが、あまり他人との交流をしなさそうなイメージが確かに理名にはある。郁が言うには他人と交流するのが好きでない割には学校生徒全員の名前や所属など覚えてるようで、それはそれで凄い。

やがて2人は目的の階に着くと郁は2-E教室前に立ち止まる。

「どうせなら一緒に帰る?」

郁は教室のドアを途中まで開けて敦史に尋ねた。敦史はそれにOKと答えると自分の教室である2-Cへと急いで荷物を取りに行く。

「……ん?」

入ろうとした時、教室のドアの窓が何かで覆われてるように見えた。普通なら教室の中がガラス越しに見えるのだがまるで黒い布か何かで遮られていて見えない。鍵もかかっている。

(おかしいな……完全下校時刻までは鍵は空いてるって聞いたんだけど……)

手元の腕時計を見ればまだ6時を過ぎて少ししか経っていない。まだあと1時間程はあるはずなのだが、と思いながらドアをノックする。返事はない。

「……職員室で鍵借りてくるか」

そう思って踵を返そうとしたその瞬間、カチッとドアの鍵が開く音がする。

(全く、中にやっぱり誰かいたのか……こんな悪戯……)

「んぐっ!!」

入った途端に誰かに腕を引っ張られ口元を手で塞がれ地面に押さえつけられる。手を振りほどこうとするも何人もの手が敦史を抑えているせいで不可能だ。しかし外も既に暗くカーテンで閉じられ電気もついていないせいで何人いるかは把握できない。

(なんだ、これ……!)

「ごめんね〜宮崎くんっ」

夜目に目が慣れてきたとき、自分の口元抑えているのが誰かわかった。 奏衣が彼の口元を抑えていたのだ。

「声をあげられると困るから、ねっ……」

しーっと言われると敦史は暴れるのをやめて大人しくする。なにかされるかわかったものじゃない。

「あ〜あ……来ちまったな敦史」

地面に押さえつけられた敦史が上を向けばそこに立っていたのは和明だった。それを見ると敦史はなにか言おうとして再び暴れだす。ぱっ、と奏衣は彼の口から手を離した。

「お前これなんのつもりだ……」

「なんのつもり?さぁな。風紀委員の野郎に言うことはない」

「ふざけるな、こんな所でなにしてんだ……」

口元は開放されたものの体は複数の手に掴まれたまま敦史は和明を見上げ睨みつけた。

「……知りたいか?俺達が放課後のこの教室で何をしているのか……」

和明は敦史の前で片膝ついて同じ目線の位置になり、見ればその手には縄が握られていた。すると奏衣は敦史の両手を掴んで無理矢理前に突き出させると和明はそれを縛っていく。

「…………」

「立てよ」

和明の目はとてもいつもより穏やかさは無かった。額から汗を流すとそっと立ち上がり、抵抗しないのがわかったのか彼を押さえ込んでいた手は離れていく。

「まずは見せてやるよ。お前の反応と意見を……敵になるかどうかはその後で決めてやる……」

逆に睨みをきかせてくる和明を睨み返すと、彼は目を逸らし「つけてくれ」と誰かに声をかけた。

「うっ…………」

暗闇をずっと見ていたせいか電気がついた一瞬視界が眩み、ふらりとする。

「……は……えっ…………?」

敦史は驚愕した。目の前の光景に。自分の想像とは違う目の前の光景。

教室内の数十の机は2箇所に集められ、大きな卓と小さな卓でわけられていた。大きな卓にはカジノにでもあるようなルーレットが大きく机いっぱいに展開されてあり、もう一つの小さな卓ではポーカーが行われていた。

「ようこそ、敦史くん。夢の国へ」

悪戯のような、してやったりのような顔をして和明は言った。そこには恐らく部活がまだ終わっていないのであろう他の生徒達以外、ほぼこの2-Cに在席する生徒達がそこにはいた。

「え、おま…………え?」

未だ動揺が消えない敦史のその反応にここにいるほとんどが笑う。これは自分へのドッキリだったのか、と言わんばかりの動揺加減だ。

「これが、このクラスの秘密さ。放課後、たまにこうして俺達はギャンブルをする」

「でもこれは……」

「そう、校則違反だ。けど安心しな、俺たちが賭けてるのは金じゃねぇ。それぞれが持ってきたお菓子や物ばかりさ」

親指でくいくいっと後ろの個人ロッカー示せばそこには大量の菓子類や飲み物が置いてあった。

クラスぐるみでこんな事をやってる所に何よりも敦史は仰天していた。一体どうやってここに持ち込んだのかとても気になる。クラス見渡せば優也と利人の姿、そして同じ転入生である由佳までもがそこにいた。

「俺たちがお前が風紀委員になる事に少し抵抗があったのは、こういう事」

つまりはこういう事だった。途中で割って入ってきた奏衣の説明によれば彼らは去年からこの放課後のゲーム(彼女たち曰く賭博ではないらしい)をやっていて、最初はちょっとしたお遊び感覚で少人数でやっていたものがいつの間にかクラス全員巻き込むまでに広がりやめるに止められなくなったとの事だ。だからせっかくの慣れ親しんだ楽しみが、こんな事をしている彼らにとって天敵である風紀委員の耳に入るのが嫌だったらしい。

「さて、ここで質問だ敦史」

目の前に和明がたち、目を見つめる。

「ここでもしお前が見逃してくれるのなら……喜んでこの遊び仲間に入れるし手を出さない。だが……」

がしっと敦史の両脇を男子2人が掴む。途端和明はブレザーの胸ポケットから小さな注射器を取り出した。

「これでお前の記憶を消す」

「!?」

これで驚きがまた1つ増えた。なんと、あの温厚で優しいフレンドリーな和明が脅迫、もとい脅しをした来たのだ。それを誰も止めることがなくその目はとても真剣である。

(ま、マジかよ……)

このまま悩みながら答えず無言を貫いていると彼の手にもつ注射器が徐々に徐々に敦史の首に近づいてきた。本気だ、彼のしていることも彼らのやっていることも全て本気だ。

やがて、首の数ミリ手前まで注射器の針が近づくと敦史はため息を吐いた。そして近づく針が停止する。

「わかった……内緒にする……俺の負けだよ」

そうして、敦史は観念すると和明は注射器をしまい敦史の手を縛る縄を奏衣は解いていった。

「よく言った、敦史っ!」

ばしっと優也が敦史の背中を叩く。痛い、流石馬鹿力。手加減を知らない。

「だーから言ったろ、俺たちの敵になるって。ま、今は違うか」

「孝介……」

後ろを向くと、ドアからなんと郁と一緒に孝介が入ってきた。髪は濡れ、シャンプーの香りが漂うと言うことは恐らくはシャワーを浴びてきたのだろうかそんな雰囲気漂わせ和明と目線が合うと拳同士をぶつけあう。そして気になったのは孝介の後ろについてくる郁。お前も?と目線で尋ねると郁は肩を竦めて返事する。言わずともわかる、恐らくは自分と同じ方法で引き込まれたのだろう。

「さて、転入生2人揃った所で……」

「そうね、はじめよっか」

「っしゃー!ゲームさいかーい!!」

「YEAH────!!!」

和明と奏衣の開始の合図に合わせて優也と利人がひゃっほうと叫んで飛び上がる。そうして、全員各々で遊び始めた。それぞれの菓子や飲み物手に取ればそれを賭けていく。

「んじゃ俺はこのコーラを、黒の25。1目賭けだ」

「あたしは……」

「俺は……」

「ディーラーは俺だな、ノー・モア・ベット」

クラスメイト達はルーレットの方で大盛り上がりだ、その中には利人と優也、おどおどする由佳の姿がある。

一方小さなテーブルの方では和明、孝介、郁、敦史が4方向に奏衣を前にするように半円形を作り座っている。

「敦史、ポーカー得意なんだって?」

奏衣がカードを1枚1枚丁寧に配ってる中、和明が尋ねた。

「もちろん、前に住んでたところじゃポーカーの敦史って呼ばれてたんだぜ」

へっへっへと鼻を鳴らしながら自慢するように言う敦史。そんな彼なりの挑発に和明がにやりと笑う。

「和明も、このクラスじゃ凄腕のギャンブラーだよ。誰よりも稼いでるんじゃないかな?」

郁がちらりと配られている手札を見ながら言う。

「へぇ……それは楽しみだ。所で……イカサマは……?」

「……バレなければよしっ!」

「乗った」

和明と敦史が嬉しそうに睨み合う。そんな中、2人を嘲笑うように孝介がふんぞり返る。

「おいおい、俺がいるのを忘れるなよ。俺だってポーカーは大得意だぜ」

「俺もね。得意という程ではないけど、勝率の方が高いんだこれでも」

孝介と郁もノリノリである。男ってほんと勝負事になると単純なんだから、と嬉しそうにため息吐けば完全にカードを配り終えた。

そして、男同士の熾烈を極める戦いが始まる────。

「「OPEN GAME」」


「……了解、すぐに伝える……」

フラレシア学園裏門付近にて。シロの首に纏うマフラーが風に靡く。5月になり本来ならば徐々に寒さが無くなっていく季節、そろそろこのマフラーともお別れでタンスの奥にしまうものだが、シロは一年中このマフラーを巻いている。カラーバリエーション、そして柄も豊富なのを彼は沢山所持している。

(マフラー……ある、と……おちつく……)

裏門の道路脇で愛車であるバイク、Ninja(ニンジャ)に跨り風にあたっているとシロはつい首元のマフラーにほっこりとする。ほっこりしながらも手元の端末弄れば忘れないうちに電話をかけ始めた。

「──こちらmouth。……予定通り……トカゲは……ゲージへ、荷物は部屋に……保管中。繰り返す、予定通り、トカゲは……籠へ、荷物は保管中。 これより、予定ポイントに……向か、う……オーバー……」

端末の画面を閉じれば、先程着ていた学生服ではなくいつ着替えたのか、或いは所持していたのか分からないロングコートの内ポケットへと端末を入れあ。そして足元に置いてあった長く大きなギターケース程の大きさの荷物を軽々と片手で持てばそれを担ぎベルトで固定する。更にバイクミラーに掛けてあったフルフェイスヘルメットを深く被って一気にバイクにエンジンをかけ、流れるように大通りへと走り去って行った。


──18時35分、本校舎から少し離れた場所にある講堂内の集会用会議室にて。

「──それでは、茶道部と和楽器部主催であるこのお茶会に関しては満場一致の可決という事で宜しいですね?」

特に反対意見も出ず各委員会の会長と学園重要職員たち全員が大きく拍手をしこの話は可決となる。

ここ、広い集会用会議室では優香の提示した内容に関する審議が行われ理名は黒板の前に姿勢正しく立ち、会議室後ろ中央で自分の顎髭を弄る穏やかな顔の老人を見た。するとその老人は、うむと首を縦に動かす。

この威厳あるのか無いのかよく分からない淡い灰色のスーツを着用し白髪オールバックな高齢の老人こそ、ここフラレシア学園第28代理事長兼校長の岩動元丈いするぎげんじょうである。御年78歳。来年定年退職予定。

「それでは、本日の会議を終了致します。完全下校時刻まではまだありますが用が無ければ長居はしないように。それでは解散です。気をつけ、礼……」

しっかり挨拶を終えると全員お辞儀ししばらくして委員長や職員たちは配られた資料などを持ち各々会議室を後にした。理名もまたほかの人たち同様に会議室を出ようとした時、理事長に声をかけられる。

「今回も会議での進行役ご苦労様じゃな、ほっほっほっ」

「ごめんなさいね、風紀委員長の貴女にまかせてしまって……」

元丈の隣に立つ、白髪混じりの茶髪で黒いスーツを纏ったこの年老いた女性はこの学園の教頭である、岩動叶子いするぎかなこ。御年70歳、この理事長の妻である。

「いえ、このぐらいいつでもやりますよ」

「ほっ、それはなにより。それで今日から服装検査が始まったがどうかね?」

「はい、数名ほど服装違反の生徒が居たのでもちろん罰を。それに……ただ仲が良いという事で見逃してしまう風紀委員も何名かは居たので彼らにも同様の罰を与えました。去年よりかは服装違反者は減ったもののやはりまだ変えようとしない生徒もちらほらと……」

「ほっほっほ、少しくらいは大目に見てあげることも大事だよ成城くん」

高らかに笑いながら元丈は理名の肩をポンポンと叩いた。

「あまり無理はしないように、校則を取り締まるのはいいけど貴女や貴女たち委員会がそこまで気負う必要もないわ。いざとなれば他の委員会の生徒達が手伝ってくれるっていうし、職員たちもいるから」

叶子もまたそういうと理名にほほえみかける。その2人の優しさに彼女はまた少し心が安らぐ。

「わかっています。ですが風紀委員全員とは言わずとも私や他の風紀委員たちは卒業までにこの学園に貢献したいので……」

理名のその真剣な揺るがない言葉と視線に叶子は口元緩ませ、元丈は高らかに笑った。この理名の心意気に感心したのだ。そうともなれば嬉しさのあまり笑顔が零れてしまうのも必然だ。

「この街の悪党退治にも精をだしてくれてるようだし……私たちは貴女のような正義感の強い生徒を持てて学校側としても鼻が高いわ」

「うむ、君はよく頑張ってくれている。その調子で精進していきたまえ、君のその精神は我々も見習いたい。お父様とも近々会食がしたいので御両親によろしくと、伝えておいてくれ」

「はい、分かりました。伝えておきます」

その後なんてことは無い世間話を楽しみ、しばらくして時間も時間なので理名はさよならと挨拶をすればその場を去っていった。


理名は靴を履き替え、鞄を取りに行くために本校舎にある文化学科の教室へと向かった。道中これから帰宅する生徒やこれから部活終わりの生徒たちに出逢えば軽く会釈や知り合いのクラスメイトにすれ違えば軽く挨拶を交わしていく。

(気負いすぎ、か……)

今日はその言葉を何度も聞いた。郁、シエラ、優香、おまけに教頭や理事長にまで言われてしまっている。

(……卒業まで3年、3年しかないのだからこのぐらいどうってことないわ。私は、やらなくてはいけない。世界は無理でも、この街から犯罪を消さなければ……)

『7時になりました。部活動をしている生徒は部活動を終了して帰宅準備をしてください。4月から9月までの完全下校時刻は19時30分です……7時になりました……』

部活動終了のチャイムと共に放送部のアナウンスが流れる。それを聞いた付近を歩いていた陸上部は走るのをやめて歩きながら部室へと戻っていった。

(今日は時間の進みが遅かったわね……やっぱり、久しぶりにお茶会をしたからかしら……)

そんなことを思いながら月明かりに照らされて輝く噴水を見る。噴水周りに縁取られたたくさんの戯れるギリシャ調のマーメイドの彫刻たちは今にも動き出しそうな雰囲気だ。

「…………!?」

その噴水を美しく照らす月明かりの元を見上げたその途端の出来事であった。

この噴水は学園の中心に位置しているものの本校舎からは100メートル程離れ、更に正面にあるため時計が見上げることができる。そして今夜の満月は丁度その屋上と重なる場所にあった。

そこを見上げた途端、そこにはこの学園とは異なる存在がそこに立っていた。黒のロングコートを身に纏いその顔は遠くからはっきりとわかる程丸く、月明かりの影になっているとはいえ理名には髑髏のマスクを被って居るのが見える。そう、鮮明に。

──そこにはクライマーが1人……嘲笑うように、見下すように立っていた。


「クライマー……ッ!!」


──本校舎3階、2-C教室。

ピピピッ。

風紀委員専用小型無線に通信が入るり途端に騒いでいた和明たち全員は沈黙する。ボタンを軽く押して郁と敦史は通信をONにした。

『緊急事態発生よ、クライマーが学校内に現れたわ!繰り返す、学校内にクライマーが現れた。場所は本校舎屋上、校舎内で待機してる風紀委員は逃げられないように屋上を封鎖、本校舎の出入口も封鎖よ!』

郁と敦史は顔を見合わせるとプレイ中のポーカーを中断して廊下へと飛び出せば屋上へと向かって走り出した。

「まずいな……」

「どしたの和明」

猛スピードで出ていく2人をみて和明が唸り出す。

「学校内にクライマーが出たってことは……真っ先に理名はこの時間まで校舎内に残っている奴らを疑うだろうな……」

「げっ、それやばくない?」

「……全員急いで片付けよう、ルーレットは幸いにも収納出来るしそれをほとぼり覚めるまでその掃除用ロッカーの後ろに隠すんだ」

「了解っ」

奏衣が反応するより早く他のクラスメイトたちが早めに片付け始めた。更に和明は菓子類を片付けるように指示し、即座にゴミ箱へと菓子の包み紙やらを捨てていく。

「いいか、全員口裏合わせろよ?何か聞かれれば放課後暇だったからトランプをしていた。それなりの罰はだされるかもしれないけど仕方がない」

そう言ってポーカーで使っていたトランプ三つ分を机の上にばらまいた。トランプで遊んでいたと見せかけるためだ。

「…………」

片付けなどを手早くすましていくのを眺めながら孝介は立ち上がった。そしてしばらく背伸びすると廊下へと出る。

「ん?どこ行くんだ孝介」

たまたまそれを見ていた優也に声をかけられると孝介は背を向けたまま「トイレ」と素っ気なく答え、優也は納得する。

「…………」

廊下に出るとゆっくりと静かな足取りで孝介はトイレへと向かう。トイレは階段のすぐ近くにあり目と鼻の先だ。トイレの前に到着するとすぐに用をたせるようにスラックスのベルトを緩め、入ってゆく。その瞬間、猛スピードで階段を駆け上がる音が耳に入る。入っていく間際に黒髪がたなびくのが見えた。恐らくあれは理名だろう。

「……物騒な事になりそうだなぁ……めんどくせ……」


「一体、何でこんなところにクライマーが……!」

屋上に向かう途中走りながら敦史は隣の郁に尋ねる。走りながら「わからない」と答える郁。

「けど、この学校にいるってことはここの生徒か或いは他の誰かだ!これであいつらの正体が少し絞れた……!」

屋上へと続く4階の最後の階段をあがり2人は屋上のドアへと辿りついた。息を切らしながら一息つくと、アイコンタクトをとって互いに頷けば既に解錠されているドア蹴破り屋上へと突入した。

「どこだ……!」

「いた!」

郁が指さしたのはこの本校舎の頂上で学園のシンボルマークが描かれた屋上よりも少し高い所にクライマーは立っていた。

「そこを動くな、クライマー!」

「…………」

髑髏のマスクを被ったソレは声を発することも無く沈黙したままそこに立っている。

直後、息を切らして理名が屋上へと上がってきた。そしてクライマーの立つ場所の真後ろへと腰から3段式の警棒取り出して逆手に構える。数秒後、幾つもの階段を駆け上がる音が聞こえれば3人の風紀委員腕章を付けた生徒達が理名たち3人と合流する。クライマーが何処にいるのかを探し理名たちの視線の先に目をやれば驚き隠せないように噂通りのその顔のクライマーを見上げた。

「…………」

すると髑髏マスクのソレは体の向きを変えて風紀委員たちの方へと向けば見下ろすようにして彼らを見る。

「何故ここに居て何をしに来たのかは後でゆっくり聞いてあげるわ。正体を明かしてもらうついでにね……」

「…………」

沈黙。クライマーは何も答えない。昨夜のクライマーは随分とおしゃべりだったが、また別のクライマーなのだろうか、はたまた語ることは何も無いのか。そんな疑問が理名の頭をよぎる。

「諦めなさい。そこから降りればここには私たちがいるし無事に突破出来ても、本校舎の玄関は既に封鎖。そしてここは屋上……姿を現す場所を間違えたわねクライマー!」

睨みつけ大事を張り上げた次の瞬間、理名は腰からチェーンと連結させた手錠をクライマーの顔に向かって投げる。それを防ぐため、クライマーは瞬時に対応して腕でガードする。

(残念ね、その手錠は特別製よ……)

理名のその手錠はこの学園の優秀な機械学部の生徒に特別に作ってもらった手錠だった。手首や足首に向かって投げればセンサーが感知して拘束する。

(顔に投げれば腕でガードをする、ガードせず無闇にそこからかわしたら下に真っ逆さまに落ちる。ならば自然とガードするしか方法はない)

「甘すぎだな」

「?!」

ようやく発せられた声は明らかに加工された声。その声が発せられた直後、飛んできた手錠をクライマーは受け止めるどころかそれを掴んだのだ。

「ぐっ……」

予想外の展開に汗を流す理名。しかし、この程度で彼女が諦める筈も無くむしろ彼女は冷静さを取り戻し脳内の考えを巡らせる。そして理名のとった行動は……

「なら……これはどうかしら!」

左手にはまだクライマーに握られたチェーン型手錠を自分の左手だけでがっちりと離さないように掴みながら空いてる右手でまたもう一つの手錠を投げつける。そしてクライマーは再びそれを難なく左手で受け止めた。それこそ、彼女の狙いである。

「……なるほど。この私と綱引きでもしようというのか」

「お生憎様、私も力には自信があるの。貴方よりもね」

クライマーは見下ろす、理名はクライマーを見上げる。2人の間には共に握られたチェーン。

「ふん……逃げないように私を留めておくわけか、だが私がこれを離せば……」

「離せば今の貴方が踏ん張るのに使っている力の反動で後ろに下がってそのまま地面に真っ逆さま……そのまま空に飛んじゃうわよ。それに……」

途端、一発の拳がクライマーに真横から襲いかかった。反射神経なのか、それとも条件反射なのかクライマーはそれを見事に躱す。

「私に気を取られ過ぎたわね……」

左を見れば、そこにはいつの間にか接近していた郁がそこにいた。

理名は、クライマーの意識を己だけに集中させその間に郁に接近させた。と言っても指示を出した訳ではない、郁が彼女の意図を自動的に察知して動いたのだ。

(気付かないうちに接近されるとは……)

「ちっ……なんつー反射神経だよ……」

「郁、遠慮なく殴りなさい。許可する、気絶させても構わないわ」

「了解……っ!」

瞬間、一気に拳の連撃がクライマーを襲う。その連撃の速さはとてつもなく、普段の物腰柔らかな優男のような郁の姿からは想像出来ない程の攻撃だ。

しかし、一発として当たらずそれどころか動きの全てを知ってるかのように躱されてしまう。郁の突きの速さも相当なものだがクライマーの回避はそれを上回るものだ。そんな苦戦する郁を見て回避出来ないよう動きを留めるために理名はクライマーも互いの両手に持つチェーンを理名は引く。

狙い通りクライマーの体勢は前のめりに倒れそのスキを逃さないように郁は足を高く上げてカカト落としを決める。

だが、それを逆手に取られた。理名がチェーンを引き体勢崩した直後、クライマーはパッと両手のチェーンを離せば前のめりに倒れなんとそこで前転して手でその場所から跳躍する。そして風紀委員たちのすぐ真後ろに立てば、その勢いでフェンスまで行き飛び越える。

「甘いんだよ、お前は」

パッとフェンスを掴む手を離してクライマーは屋上から降りていった。

「此処は5階だぞ!」

「嘘だろ……!」

口々に驚く風紀委員たち。理名が慌ててクライマーを見る。そこにあったのは1本のワイヤーと引っ掛け器具。つまり、初めからこうやって逃げるつもりだったのだ。してやられた、そんな顔をする理名は休む間もなくフェンスの柵に先程の手錠を付け、長いチェーンで下へと特殊部隊のように降りていく。

「みんな、急いで階段から追いかけるんだ」

郁の素早い指示に風紀委員たちが階段を降りていく。郁とその場の高台から降りて階段を下っていった。

(……どうなってやがる……)

敦史はいまの状況を飲み込めずにいた。なぜ屋上にクライマーが居て、わざわざ理名含めた風紀委員を屋上に集めて逃げていったのか。その場から一切動かず敦史は考えを巡らせる。途端、敦史はなにかを思い浮かべたのか屋上から出ていった。


「…………」

理名より一足先に地面に着地しラベリングロープを瞬時に畳んで校舎と校舎の間にある駐輪場へと入れば建物の陰へと逃走する。

「……こちらCloak、ポイントB到達。荷台にエンジンかけろ」

『こちらトラック野郎、了解。オーバー』

「止まれ、クライマー!」

建物の陰、無事隠れたと思ったがどうやら他の風紀委員たちが潜んでいたらしい。

(ちっ……情報ミスだな……ここなら安全って聞いたのによ)

「動くんじゃない、手を上げろクライマー。でないと撃つ」

「……おいおい、まじかよ……」

風紀委員の手元を見てCloakという名前のクライマーは両手を上げた。なんと、風紀委員たち数名の手にはテイザーガンが握られていたのだ。

風紀委員と睨み合い、手を上げながら後ろへ後ろへと後退するCloak。やがて陰から出れば月明かり照らす駐輪場へと出た。数秒後、後ろで理名が拳構えてこれ以上下がらないように立ちふさがる。

「これでもう逃げられないわよ、クライマー……広翼展開!」

合図とともに数名の風紀委員がCloakを囲む。完全に逃げ道は絶たれた。

「……こちらCloak、トラック野郎応答しろ」

囲まれてるにも関わらずCloakはマスクに内蔵されている無線機を使った。

『こちらトラック野郎、どうした』

「囲まれた、少し遅れる」

『了解、時間設定を』

「…………」

マスクの中から自分の囲みながら徐々に迫ってくる風紀委員たち。人数はおよそ10、そのうちテイザーガンを所持しているのは2名、そして真正面には交戦する気満々の理名がいる。

「1分だ。1分よこせ」

『わかった、1分オーバーしたら出発するからな』

通信が切れる。そしてCloakの言った言葉を聞いていたのか聞いていなかったのか理名はより一層近づいてきた。

「1分ってことは……これから仲間と合流する気ね。させないわよ」

「残念だな、1分は合流するまでの時間じゃあない」

途端理名が足を止める。

「……なんですって?」

「馬鹿が、ここまで近づいたのが間違いだったな」

「!?」

バサッとCloakはコートを開いた。そしてなにかのピンが飛び2つの金属音が地面に落ち転がる。

『ナイトビジョン起動』

その転がる際理名はそれに書かれた文字を見る。そこには「smoke」と書かれ咄嗟に理名はバックステップで下がり目と鼻を閉じた。

「伏せなさい!!」

「遅い」

瞬間、辺り一体に大量の煙が広がり理名を除くその場にいた風紀委員全員を覆い隠した。

「げほっ、げほっ……!」

「うわっ……!」

煙の中では何が起きているのか分からなかった。咳き込む音が聞こえればそれに続いて殴る音や倒れる音が混ざる。そしてしばらくの沈黙、理名は煙が晴れるまで動けない。中の状況が全く把握できないのだから当然のこと。

(まさかこれを狙って……)

突如、地響きにも似た爆音がこだまする。その音は理名にも聞き覚えのある爆音。そして煙が晴れかけたとき、建物の陰からアメリカンバイクが現れ華麗にドリフトして理名の後ろを走り去った。

「ちっ……クライマーが包囲網を突破、正門と裏門を封鎖して!」

『了解です!』

無線で連絡すると自分は晴れた煙まで向かい倒れる数名の風紀委員を助け起こす。足元に転がるテイザーガンも拾い、所持していた生徒へと渡した。もはやクライマーを追うことは出来ない、相手はバイクでこちらは追いかける足がないのだ。

(どうなってるの……一体どうやってあんな所にバイクを……あそこの裏は工業科が使うトラックがあって……)

「おーい!」

「ん?」

反対側の校舎の向こうから明らかに風紀委員でも教師でもない、普通の制服を着た金髪、褐色の女子生徒が驚いたように走ってくる。顔立ちからするに外国人な気がするがこれまで見たことのない顔だ。

「なんやねん、今のバイク!この学校どないなってんの!?」

顔立ちは明らかに外国人だというのに日本語が流暢だ。ハーフなのだろうか。ついつい理名は彼女の顔を見つめてしまう。

「な、なに見てんの……?うちの顔なんか付いてる?……って、うわっ!なんやのこれ、怪我人ばかりやん!?」

理名の後ろでまだ尚気絶している生徒や殴られ怪我をした生徒を見て金髪の女子生徒は驚いて飛び上がる。そして気絶している近くの男子生徒起き上がらせれば「おきや、はよおきや」と頬を叩く。

「一体なにやったらこないなことになんねん……ヤンキーのかち込みか?」

「…………貴女、見たことのない生徒なのだけど……誰?」

真新しい女子制服とネクタイ、流暢な日本語、この学校の事を全く知らない様子から察して──。

「ウチ?ウチはキアラ。キアラ・ガルシア、日本名は早乙女キアラや」

自己紹介していると、自分の抱き抱えてる男子生徒が目を覚ました。キアラと名乗る女子生徒はそれを見ると安堵した顔をみせ近くの柱に背を預けさせる。

ふぅと息漏らせば立ち上がり自分の制服の埃をはたく。

「まさか入学する以前に、入学手続きの日にこんなことになるなんてなぁ……電車間違えるし、この学校くる途中にお巡りさんに4回も道尋ねるし、無事学校着いたおもたらハンコ忘れるし、おまけに帰ろうとしたら変なバイクに引かれかけるし、ほんでここで人がぎょうさん倒れとるしなんやねんもう……厄日か、うち今日厄日なんか!?」

涙目でブツブツぼやきながら最後の一言を駐輪場に響くほど大声で言って理名にずいっと顔近づければ思わず理名は頬を引き攣らせる。お前がなんなんだと言いたげな顔である。

「……ん、少しごめんなさい」

キアラから数歩離れると彼女に背を向けて小型無線に耳を傾ける。

『申し訳ありません、委員長……裏門に現れたクライマーに、突破されました……』

その報告に驚きを隠せない理名。それで、と静かにあくまでも冷静に尋ね返す。

『裏門を突破どころか、ありえないんですけど……その……と、飛び越えたんです……バイクで……』

「……そう。仕方が無いわ、ありがとう報告をわざわざ。怪我人は?」

『いえ、幸い1人も……』

「ならいいわ、貴女たちはもう帰りなさい。正門の風紀委員たちにもそう伝えて、私たちは怪我人の介抱するから」

『わかりました』

無線を切り眉間を抑える理名。バイクで裏門飛び越えるという無茶をやるクライマーに対してようやく彼らに対する過小評価を自分の心の中で認めた。そんな、自分で自分に呆れていた時腰に付けていたまた別の無線が入る。

『こちらF13、タイムビッグブリッジ付近港倉庫に暴走族の集団が集まっているという通報を受け現場に到着。今のところ目立った以上はありません、本部からの指示を求めます』

『こちら本部、しばらく経過観察して逐一状況報告を。抗争が始まる様子あるならば付近に応援を送ります』

暴走族程度か、と溜息を吐く。クライマーが学園に侵入し怪我人もいる。もはや今はその程度は相手できないと判断し無線機を切ろうとしたその時だった。

『本部、こちらF13暴走族の所に黒ずくめの3人が近づいていきます……あれは……?』

「こちら成城理名、F13聞こえる?」

無線を切ろうとした手を止めすぐさま口元に無線近づけて尋ねる。黒ずくめという単語に理名は確かめたいことがあったのだ。

「その黒ずくめの3人組の顔はわかる?」

少しした間があき、すぐに返事が帰ってくる。

『いえ、分かりません。フードで顔を深く隠してるので……なにか、話をしてるようですけど……あっ!』

「なに、どうしたの?」

再び無線の向こうが沈黙。風のだけがしばらく聞こえてきて数秒後、再び見張りの警官の声が返ってきた。

『いえ……今は特になにも問題はありません……もう少し様子見をしてなにかあり次第連絡します』

「わかったわ、常に回線をオンにしておくからいの一番に私に報告して」

『了解です』

ぷつりと無線を切り理名は顎に手を当てて考え込む。不自然に学校に現れたクライマーの1人、そしてたいした事もせず逃走。更には港の倉庫で現れたクライマーらしき黒ずくめの3人組。

(まさかこれは……いや、そんなことは無いはず……陽動作戦……?この私を?)

わからない。何一つ分からなかった。現れた黒ずくめ3人がクライマーならなぜ陽動する必要があるのか、なぜ自分が会議を終えたあのタイミングで現れたのか。自分の周りで「ねぇねぇ」と連続して声をかけてくるキアラを横目に無視しながら理名は考え続けた。


──タイムビッグブリッジ付近、高台にて。

「ごめん、ね……」

高台にはパトカーが一台、そしてバイクが一台駐車してありパトカーの中では警官が1人手足拘束され口元封じられながら後部座席に放り込まれていた。外には背の低いクライマーの1人が立ち、しばらく一息つくと髑髏のマスクを脱いだ。

「やっぱり……マスク……暑い……」

白に近い特徴的な銀に近い髪を整えパタパタと手で顔を仰ぐと背に担ぐ長方形の大きなケースを下ろしてその場に置いた。

「ポイント、は……ここかな……」

辺りを見回し港付近の倉庫を遠目で見ればこくこくと自分で納得して先程背負っていたケースを開く。その中からは自分の背よりも大きなライフルが姿を現した。んしょ、んしょと担げば慣れた手つきでライフルスコープを取り付けてその高台で堂々と構える。幸いこの高台は人通りが少なく、見られる心配もない。

「……こちら、mouth……脅威排除。目標ポイントに到着」

ライフルのグリップを握りスコープを覗くと見えるのは25と書かれた倉庫。少し見るところを変えるとその倉庫の前で黒ずくめの3人と暴走族の頭領らしき男が2人の側近らしき男を連れて睨み合っていた。それを見るとマガジンをライフルにリロードする。

「……交渉、開始」


「こちら、Striker(ストライカー)。了解、交渉開始する」

黒ずくめの内の真ん中に立つ1人が返す。その声はまだ若く聞こえなんと女の声だ。しかし声が野ざらしということ、つまりは今はマスクをしていないようなのか本来の声が丸晒しだ。

「てめぇらか、俺達を呼びつけたのは」

暴走族の頭領である男が仁王立ちしながら黒ずくめたちに尋ねる。その中で先程Strikerと名乗っていた女の声の持ち主が、そうだと返す。

「仲間30人も目の前にして3人とはいい度胸だな。俺達がこの街一番の……」

「うるせぇ、めんどくさい前置きはナシだ。単刀直入に言うぞ、お前らはとあるマフィアの麻薬密売を手助けして運び屋も請け負ってるな?」

「……なんのことだ、俺達がヤクなんざするわけねぇだろ。いいか、俺達はそんなことは」

「とぼけんな」

Strikerはドスをきかせた声で一歩その男に近づきフードの奥から睨みつける。今夜の月明かりは明るくStrikerの顔が微かに見え、紅い髪の毛が見え隠れする。

「調べてるからわかってるんだよ、おまけに情報もある。昨日の夜に行われた取引現場の映像も抑えたし、今朝お前がトラック業者の仲間の1人に麻薬積んだトラック運転させて明日の取引で使うためこの25番倉庫に入ってることは知ってる。忠告だ、この倉庫のキーを渡して手を引け。お前たちの存在を邪魔に思う奴らがいる、近いうちお前たちは殺されるぞ」

「…………」

その声も、その月明かりで微かに覗く声も本気だった。彼女の言うことも全て本当のこと。取引はしているし、この倉庫に荷物もある。この仕事を始めた頃に雇い主からは「死ぬかもしれない」と言われた。だが守ってくれるとも言われている。雇い主は大きなマフィア組織の1つである幹部だ。殺される心配はない、男はそう思い強気に出る。

「はっ、俺達を殺すことは出来ねぇ。バックにはデケェマフィアが」

「うるせぇ、海外のマフィアどもがお前らみたいな街のクズを助けると思うなよ。お前らはただの捨て駒に過ぎない、そのうち捨てられるぞスッパリと。死にたくないならあたしらに従え、安全な場所で保護してほとぼり冷めるまで面倒を見る」

「……断れば?」

「その命を頂きます」

Strikerの右に立つ、これもまた女性のだ。しかしStrikerのようにギスギスはしておらず冷静で、声もお淑やか。

「ふ、ふふ、はははははは!! おい、聞いたかお前ら!こいつら、こんなガキどもが俺達を殺すだってよ!!はははははは!!」

男は高らかに笑い出すと後ろでバイクに乗る暴走族の仲間たちの方を向く。それに釣られ彼れも馬鹿にするように笑い出した。

「……はぁ、flower……こいつらもう片付けていいか?」

「待ちなさいStriker、もう少し話をしないと……」

Strikerとその隣に立つflowerという女2人がそう言い合ってるとその後から2人よりも背の高いフードの黒ずくめの1人が肩を叩いて、割ってはいる。

「まーまー、2人とも落ち着きなさいな。Strikerも、あと1度だけ話をしてみなさい。それでダメなら……片付けましょう」

その声は男でありながら女のような妖艶さを持ち合わせ物腰柔らかだ。

『queen(クイーン)の言う通り……僕も……それがいいと、思う……』

「はぁ……1度だけだぜ……」

呆れたように言うとフードを深く被り男に声をかける。

「おい、もう一度言うぞ。最後の警告だ。この倉庫のキーを寄越せ、それだけだ。それさえ出せば安全は保障する、五体満足でな。ただし従わないなら……殺す、一人残らずな」

また、ドスをきかせた声で言う。本気だ、嘘なんかではない。だが、こんな自分たちより若いガキどもがどうやって殺すつもりなのか。

(どうせガキだろ、俺らほど修羅場をくぐってねぇ……俺達は殺せねぇ……つまりは、ハッタリだ)

「断る。俺らにはちゃんとメンツってのがある、殺せるもんなら殺してみろ糞ガキ。大人を舐めんなよ」

「ここまで言ってわからないのかしら、貴方たちは」

Strikerとflowerの間からqueenが前に出る。どうやら、彼(?)はなんとしても引かせるつもりらしいのか、queenは男の目の前に立てばフードの中からじっと見つめる。

「いい加減そのお馬鹿な頭で考えなさい、アンタたちを殺すように命じたアタシたちの雇い主。そして助ける手段を提示してるのもアタシたちの雇い主だっていうことよ」

「貴方たちは踏み越えてはいけない領域を超えた、この街で麻薬を売り捌く。その時点で私たちの雇い主を怒らせました、それで助けてくれるというのはなかなかありませんよ。大人しくその鍵を渡してくれれば手荒な真似はしません」

queenの後ろからflowerが横に並ぶように前に出る。

「……けっ、しつけぇ……俺達にも俺達のメンツってモンがある。そう簡単には……」

「交渉決裂だ」

Strikerの言葉の後、銃声が2回響く。数秒後、男は両膝をついてその場に崩れ落ちた。男は何が起きたかわからない、後ろの声が終わるよりも銃声が響き男の両膝は赤く染まっていく。ようやく自分の両脚をStrikerというフードを被った女により撃たれたことを認識すれば辺り一帯に響き渡るほど夜の港倉庫に悲鳴があがる。その悲鳴は遠くの高台から見ているmouth(シロ)にも認識できた。

『Striker……手が、早い……』

「しゃーねぇだろ、交渉は決裂だ」

ぺっ、と唾を吐き持っていた拳銃を男の後ろ両側に立つ仲間2人に向ける。それを見たその2人は両手を上げれば頭領であるその場で喚く男を担いで後ろに下がる。

「ち、く、しょぉ〜……!!!」

男は担がれながらジタバタ暴れると更に喚き始めた。

「もう……Striker……」

「はぁ……仕方ないわよ、あの子考えないんだから……」

flowerとStrikerが呆れたように言う。

「なんだよ。ちゃんと考えたし言ったろ、あれが最後の警告だって……ッ!!」

突如Strikerは身を翻した。なんと後ろからいつの間にか迫られており、気づいた頃にはすぐ後ろで鉄パイプを構え振り下ろす直前で回避が間に合わずつい拳銃でガードをする。

「ッぐ……!」

拳銃に当たたった衝撃は拳銃を持っていたStrikerの手にも即座に伝わり痛みのあまり拳銃を手放し地面に落ちたそれは破壊される。

「よくもッ!アタシの銃を……ッ!」

振り下ろされた鉄パイプを上にあげられないようにStrikerは素早くそれを左脚で踏んだ。そして鉄パイプを持った男はしまったという表情受けStrikerから遠ざかろうとしたその瞬間、流れるように鉄パイプの上で左脚を軸にして回転しその勢いであげた右脚を使い男の顔を蹴り飛ばす。バキッと鈍い音がすれば男の頭は蹴りのあまりの威力に耐えれなかったのか180度回転し体と頭の向きが真逆となりその場に転がる。

Strikerはなんとやはり威力と回転が強すぎたのかフードがその反動で脱げてしまった。

「げっ……!?」

月明かりに照らされたその顔は真紅のように紅い髪と後ろから長く垂れる束ねられたポニーテール、そして特徴的な切れ長の目はフラレシア学園に通うシロとともにクレー射撃部に所属していた、黒澤香織(くろさわかおり)という女子生徒だった。

「ちッ……」

正体がその場の全員に知れ渡り、暴走族のメンバーの1人は途端に携帯をとり撮影しだした。その瞬間、撮影をしようとしていた暴走族のその1人は頭が跡形もなく吹き飛ばされる。頭を失った体はその場に血を大量に撒き散らして倒れその血は近くにいた暴走族の服に飛び散る。付近の暴走族たちは悲鳴をあげ腰を抜かした。それは高台から様子を見ていたシロからの狙撃。


「正体……バレた、セカンドプランに移行……」

リロードし薬莢が隣に置いてあったガンケースへと上手く入る。そして静かにもう一度引き金を引き発砲する。


「にししっ、了解ッ!!」

シロからプラン移行のメッセージを聞くとStriker、もとい香織はどことなく嬉しそうに着ていたフード付きのマントを脱ぎ去る。

「もう、ほんっとにしょうがないわねっ!!」

「正体知られたら……仕方が無いわっ!」

それに続きqueenとflowerが同様にそのマントを脱ぎ去った。そこに姿を現したのは、美形なモデルのような男とお嬢様のような雰囲気ある女性。

そこにいたのは、茶道室で楽しくお茶を飲み雑談していたうちの2人……シエラと優香だった。シエラの手には黒い鞭が握られ、優香の両手には見るからに弱そうなヨーヨーがクルクルと回っている。

「ひぃ、に、逃げ……」

「逃がさないわよ」

逃げようとしたメンバーの一人の首をシエラの手に持つ1本の黒い鞭が襲いかかりその首をしめた。そしてそのまま頭を地面へと叩きつける。叩きつけられた場所には脳髄や脳漿が飛び散り頭の半分が砕けた。

「こ、この化け物……!」

「あら、失礼ね……」

瞬間、右腕のヨーヨーが男の顔にぶち当てられる。普通のヨーヨーよりも硬く重いヨーヨーは打ち付けられよろめくその男の頭の上に左手に持つヨーヨーが物凄い威力で叩きつけられ頭蓋骨の砕ける音が響いた。そしてヨーヨーは優香の手の中へとへとまるで生き物のように素早く戻っていく。

『死体処理屋にはもう連絡した、警官やその付近半径2キロから3キロの通信系統はハッキングしてあるからせいぜい時間を稼げても10分』

「もう、香織ちゃんが撃たなければこんなことにはならなかったのにっ」

バシッと空中で鞭の音を鳴らしながらシエラが困ったようにいう。本来ならば何度か説得して穏便にすませるつもりだったのだがStriker(香織)が撃ってしまったために交渉は失敗となった。

「まぁ、いいじゃない。今はこいつらを片付けましょう。久々に楽しくなりそうだわ」

ふふっとそれこそお嬢様のように笑うとヨーヨーを上下させて遊び出す。

「手ぇ出すなよ、シロ……」

スカートのポケットに両手を入れるとすぐに手を出し、その両手にはメリケンサックががっちりと握りられていた。それをナイフやフォークを打ち合わせて遊ぶように両手のメリケンサック同士をぶつけ合い金属と金属のぶつかる音を響かせる。

『全ての単車のエンジン部分は破壊した……あとはその場から走ってでも逃げるなら……撃つ』

また1人逃げようとした暴走族の頭を3人の見てる前で吹き飛ばし無線越しにリロードする。

「もう……もう一度降伏するか聞いてみる?」

「よせよ、シエラ。掟はわかってるだろ。こいつらにはもうあたし達の正体はバレた、一人残らず消すんだよ」

「そうね……仕方ないわ、シエラ。この子たちに運は無かった、とだけ」

「…………はぁ」

呆れため息を漏らすシエラ。なんとか生きてる者達だけでも助けられないかと思案するが、周りの惨状をみてすぐにそれも諦める。辺り一帯所々血塗れで、もはや助けるも何も無いし話をする余地も無さそうだ。既にほとんどの暴走族が抵抗するようにバットやパイプ、中には木刀を構える奴もいる始末。

そして開き直ったように自傷する笑み浮かべれば近くに転がる頭のない死体の背中を鞭でひと叩きする。すぐさま白の特攻服の上から血が多量に滲み出してきた。

「なら、早く片付けましょう……」

「よっしゃっ!んじゃまぁ……」

「楽しませて頂戴……」

「あっ!あたしのセリフっ!」

「ふふ、言ったもの勝ちよ香織」


何度見ても悲惨なものだ。シロは高台からその一部始終をスコープから覗いていたが、3人の元へと自暴自棄になったものや殺された親しい友の復讐のためにその3人を逆に殺そうとする者もいた。しかしそんなもの、あの3匹の獣はものともせずに無慈悲に殺していく。

優香はお嬢様のような優しい笑顔とは裏腹にその顔は狂気に満ちていた。ヨーヨーを男の両手にそれぞれ巻き付け、一気にヨーヨーを引けば男の両腕が綺麗に切断され、腕のみならず脚や首をも笑顔で切断していった。まるでそれは一輪の美しい華に獲物を誘い込み食す、食虫植物のように。

優香同様に香織も笑っていたが、優香と違うのはそのはっきりとした狂気に満ちた笑顔。優香のように裏のある笑顔とは違い香織のそれは直球的な狂気の笑みだ。そんな笑み浮かべながら彼女は容赦なしに自分よりも背の高く、筋肉量の凄い男でさえ沈めていく。鳩尾を何発も素早く殴り更には倒れた所で馬乗りになれば顔面を原型残さずに殴っていき相手がもう動かないと見るやターゲットを変えて同じように殺していった。その手際はまるで貧弱な子鹿を叩き潰し殺していくように。

逆にシエラの方は笑顔がなくとても真剣な表情をしていた。真剣、とはいえど無表情。無表情ながら鞭で脚に巻き付けたり腕に巻き付けたりして地面に叩き付けて骨を折ったり吹き飛ばし。そして時には初撃同様首に巻き付け叩き付けたりすればそのまま窒息死させたりと、軽やかに鞭を扱うその姿やその動きはまるで演奏者、或いは指揮者の如く美しい。


そして、mouth(シロ)もまた彼女たちと似ていた。彼は常にマフラーで口元を隠しているため笑っているかはよく分からない。しかし、あの3人と周りを監視しながら逃げるものの頭を狙撃しているとき、それもヘッドショットに成功した時時折彼の口から子守唄にも似たようなものが聞こえてくる。

「……ding-dong……ドアを開けて………ここは、ど、こ〜……なーにも知らない〜……貴方はどこいくの……そーらはしれ……遠くまでー……」

(シロのやつ、また歌ってるな……)

「あらあら……」

(今夜はシロちゃん上機嫌ね〜……)

本人は無意識のつもりなのだろうか無線をオンにしている彼らには筒抜けである。しかし、3人は呆れることなく彼の口ずさむ歌にむしろのせられていた。そして3人もまた彼のことを「狂っている」と一言心の中で呟く。


────そして、暴走族の頭領を抜かした最後の1人である男の頭を優香がワイヤーヨーヨーで絞め、首を切断する。

終わる頃には3人とも私服が返り血塗れとなっていた。残された頭領は両膝を正確に撃ち抜かれているせいで一歩もその場から動けず、ただただ仲間が一人一人殺されていくのを見ていくしか無かった。その顔は怒りと悲しみが織り交ざり、復讐心とその場から逃げさりたいという感情が一杯で、「あ……あ……」としか声を出せずにいた。

香織はその膝立ちの彼の目の前まで行くともはや放心状態に近い顔を見ながら胸ポケットや特攻服のポケット等を漁っていく。探してる途中、彼の後ろに回り込んだ優香は左右のヨーヨーを彼の両腕に巻き付けた。

「別に、襲ってはこねーよ」

「あら、さっきそれで油断してたのは貴女でしょ?」

「けっ、そーですよ。ったく、まーた新しいの頼まなきゃならねーからDeathにどやされちまうよ……お、あった」

ちょっとした雑談をしながら彼のズボンの後ろポケットから見つけ出せばそれを自分のポケットにしまい、優香は拘束を解いた。

間もなくして2台のトラックが駐輪場の数メートル手前で停車する。トラックのサイドには「冷凍食品運搬用車」とでかでかと書かれてはいるものの、運転席とトラックの荷台の中からでてくる上下の青い作業着を着用した複数人の男女たちはなんとも怪しく胡散臭い。

你好ニーハオ、今日は君たち3人なんだね」

深く被ったキャップを少し上にあげ、返り血塗れの香織たち3人に親しそうに狐目の中国人らしき男性が声をかける。

「相変わらず予定よりお早い到着だな、cleaner(掃除屋)」

「こんばんは、香織ちゃん。顧客は待たせないのが僕のモットーでね……あーあ、こんなに汚しちゃってもう。派手にやったなんてシロちゃんから聞いたけど……まさかここまでとはね。おーい、こっちの方を手早くおねがーい」

中国人の男は荷台付近に待機する部下か仕事仲間に手を振ってそう言えば片付けを開始させる。

この男の名は、王飛暗オウ・フェイアン。cleaner《クリーナー》と呼ばれる死体専門の掃除屋である。本人曰く永遠の20歳(でいたい)らしく、どうやら香織たちとこうして親しく話すということはかなりの付き合いがあるようだ。元中国マフィアの親玉として君臨していたが今では解散しその当時のファミリーでこの街のセントラルシティにある中華街で中華料理店を経営しているとのこと。死体専門の掃除屋といえどただの副業であり決してこれを料理に混ぜることはしない。恐らく彼に従い今作業している部下のような彼らもファミリーの一員なのだろう。

「こんばんは、シエラちゃんと優香ちゃん。今夜も綺麗じゃないか、真っ赤な血がとても良いアクセントを醸し出してるよ。もちろん香織ちゃんも、ね」

飛暗は本気なのか冗談なのかわからないそんな読み取れない表情でそういうと2人に小さく手を振る。シエラと優香はありがとうと返事するも香織はぺっ、と唾を吐き捨ててまだ生きてる暴走族の男を見た。

「こいつ、どーするよ」

『それ、は……掃除屋、に……引き渡す。Deathが、そうしてくれ、って……』

「あ〜らら〜……」

飛暗は彼の目の前に近づいて目線を合わせるためにその場に屈むと彼の目の前で手を左右に振って意識を確認する。その目は遅いながらも彼の手をゆっくりゆっくりと追いかけた。

「こりゃだめだ、警察に引き渡せばいいとこ精神病院で長年メンタルケアする事になるかサイアク自殺だね」

立ち上がればお手上げと言ったように右手をヒラヒラさせてまだ尚放心状態に近い彼から離れる。

「だから、Deathがあんたにそいつはやるってさ。まぁ……あたしが両膝撃っちまったけど」

「ほんとかい?それは嬉しいね、新鮮な内臓とか目玉とか手に入って高く売れるし本国のお客さんも喜ぶね、謝々」

そういうと懐からペンと1冊小さなノート取り出せばビリッと1枚取り、そこにサッサっと何かを書き込んでいく。

「え〜っと、ハンコ、ハンコは……っと……これでいいや」

地面に流れる大量の血を親指の腹をにほんのちょっと浸すとその親指を紙に押し付ける。

「はいこれ請求書。新鮮な内臓とか提供してくれたし今回の死体掃除は半額でサービスね、ふふん」

嬉しげに請求書差し出せば優香は丁重にそれを受け取り畳んで胸ポケットへと仕舞う。

やがて時間も時間でありながらシロの催促もあり3人はその場から去ることにした。「彼にもよろしく伝えといてね〜」と飛暗に言われシエラと優香は小さく手を振って別れを告げれば香織はそれを無視して疲れた顔をしながらバイクへと跨った。

「こちらStriker、そろそろ行くぜ」

『わかっ、た……13号線で、合流……する……』

「了解」

「さて、と行きましょうか」

言いながら先程使った鞭を腰のホルダーにシエラは納め、優香はヨーヨーをジャケットのポケットへと仕舞ってバイクへと跨る。

「優香、あたし腹減った」

「あら、定期報告しないと彼やほかの人たちが待ちくたびれて怒るわよ?」

「だぁーってめんどくせーんだもーん……優香の家で飯食っていこーぜ……」

バイクのハンドル部分にぐったり項垂れる香織の頭をシエラは優しくそっと撫でる。その温もりについ香織は「うー……」と、嬉しいのか嬉しくないのかわからない声を上げた。

「はぁ……仕方ないわね。定期報告終えて、この請求書と倉庫のキーを渡してから……私の家で食事しましょ?」

「なら、ついでに優香ちゃんの家でお泊まりしましょうか?シロちゃんも呼んで4人で今日の打ち上げみたいな感じで」

香織の頭をまだ撫でながらふと提案するシエラ。その提案に優香はそれもアリかも、というように考え込む。

「いつでもお泊まり歓迎でしょ、優香ちゃんは。アタシもいいかしら?」

「ええ、もちろんよ。お友達だもの、使用人たちに伝えておけば問題ないわ」

「決まりね。香織ちゃん、アンタはどうするの?」

「………………………………うん、いく」

撫でられ、答える余裕がないのか単に迷っていたのかそれでも香織はイエスと答えた。その可愛らしい答え方についつい両脇に位置を置く2人は香織を挟みながら笑ってしまう。

「だー!もうっ!うるせぇ、いくぞ!!とっとと報告して、とっととメシ!!」

がーっと喚き出せばミラー部分に掛けてあるフルフェイスのヘルメットを取り深く被った。その照れている可愛らしい一挙一動にまたも2人は微笑んで自分たちも深くフルフェイスヘルメットを被る。そして、3人同時にバイクのエンジンをかければ以前のような爆音は出さずに香織が先頭を走りその後ろを残りの2人がついて行った。

月明かりの下、残されたのは2台のトラックと大量に転がる死体と幾つも壊された改造バイク……そしてほんの数名の掃除屋とたった1人の精神異常者だけが取り残された。


────数日後、新聞の一面を「街最大の暴走族全員行方知れず」と書かれた記事が発表され警察も市民も、時津市街全体謎の脅威に怯えることとなっていった。

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