決意 1−7

あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか、無事地下室へと逃げ込んだ俺と海斗は、備わっていた食料と水を飲み、奴らがいなくなるのをただひたすら耐えていた。


「食うか?」

「いらない……」


逃げ込んですぐ、母さんを見捨てた海斗に腹が立ち勢いよく顔面を殴った。しかし、地面に倒れたのは俺のほうだった。


顔が熱い。


どうやら俺が手を出した際、海斗もこちらを殴っていたようだ。

そこからはお互い掴み合いの応酬、体力の続く限り殴りあう。そのため今は気まずい空気から、相手の顔を見ることが出来ない。


まだ痛いな……。


最初に殴られた箇所がまだ熱を持っている。


「なあ、裕太」


海斗がぎこちなく話しかけてきた。


「なんだよ……」


つい無愛想に答えてしまう。


「……ごめん」

「え……」


突然謝る海斗の様子に、素っ頓狂な声を上げてしまった。

それでも海斗はちゃかすことなく、片手にペットボトルを持ったままこちらへやってくる。


「……母さんを見捨ててごめん」


俺の前に立った海斗は、ペットボトルの水を自身にかけながら頭を下げてきたのだ。


「海斗なにを!」

「母さんを見捨てたのは俺だ。怖かったんだよ、死ぬのが……」

「海斗……」


あの冷静な海斗がこんな行動に出るなんて予想外だった。それくらい今、この状況に追い詰められていたのだろう。それを知らずに俺は海斗を殴ってしまったと考えると、顔より胸が痛む。


「もう大丈夫だから」

「大丈夫?」

「ああ、もう俺は逃げない。お前のことも絶対に守ってやる」


「だからもう一度俺と生きていこう」と、海斗は手を差し伸べてくる。

その間も俺を責めることはなく、全てを一人で背負い生きていこうとしていた。


勿論海斗と生きて行くことは賛成だ。だけど……。


俺は海斗の手をとらずに立ち上がる。


「裕太?」

「——海斗は俺が守る」


『二人で生き延びて!』

母さんが最後に残した言葉を思い出す。


「一人で背負っちゃ駄目だ、俺達は家族だろ。家族が困っていたら助ける。違うか?」


その一言で肩の荷がおりたのだろうか、海斗の表情が先ほどより柔らかくなった気がする。


「一緒に頑張ろう」


そう言い直し、海斗は再び手を差し伸べてきた。


「勿論!」


次は差し出された手を拒むことはなく、俺も強く握り返した。二人で生きて行くことを新たに誓うように。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「そろそろ大丈夫かな?」


さすがに何時間も狭くて暗い空間にいるのは精神的にも辛く、少しでも早く外に出たいと思っていた。


「いや、まだ様子をみるべきだ」


しかし、海斗は俺の提案には乗らず、もう少しだけこの地下室に残っているべきだと言い出した。幸い、この地下室には外から酸素が送り込まれる構造になっている。それに水や食料、寝袋のストックも十分。そのため、無闇に外へと飛び出すより地下室にいた方が安全だと海斗は言いたいのだろう。


「大丈夫だよ、奴らの声もしない」


先ほどから海斗の話を聞きながらも、扉に耳を押し当て外の様子を確認しているのだが、奴らの足音や声は聞こえてこない。俺は確実に大丈夫だろうと思っていた。


「……」

「な、海斗も外に出たいだろ?」

「……駄目だ」


それでも我慢の出来なかった俺は、海斗の言葉を無視して外を確認しようと扉に手をかけてしまう。しかし、開けた瞬間俺は後悔した。何故海斗の言うことを聞かなかったのかと、何故もう少しだけ我慢をすることが出来なかったのかと。


「クソッ……!」


俺は外の様子を確認すると、急いで扉を閉じる。


「裕太……?」

「奴らだ、奴らがいたんだよ!」


そう、扉を持ち上げた先に奴らがいたのだ。


「ちょっとどけ!」


海斗は険しい表情で俺の下まで駆け寄り、慎重に外の様子を確認する。


嘘だろ、どうして……。


急いで周りを見渡すもここは地下室。当然、逃げ場は目の前の扉しかない。


「海斗、どうする?」

「落ち着け、あいつらはまだこっちに気がついていない。このままやり過ごせば——」

「おぉ、そっちになにかいたのかー」


奴らは人の言葉を喋ることはない。それは直接奴らを見てきたから間違いない。間違いないはずなのだが……。


「って、こいつらに話かけても無駄か」


奴らの唸り声のなかから人の言葉が聞こえてきたのだ。


「海斗……」

「ああ、間違いない……」


声の主も奴らの仲間。しかも言葉を話せるあたり知能も発達しているのだろう。そんな奴にここを気づかれてしまえば完全に終わり。二人とも殺されてしまう。


やばい、やばい、俺が外の様子を確認しようといったばっかりに……。


当然訪れた絶望的な状況に、俺は頭を抱えてその場にしゃがみ込む。またも脳裏によぎる人々の悲鳴や叫び、無残にも殺されていく姿。自分も同じようになってしまうと考え、パニックを起こす。


殺される! 殺される! 俺の考えが甘かったばかりに……。


「ハァ……ハァ……ハァ……」

「おい、裕太大丈夫か!?」


海斗もしゃがみ込み、俺の背中をさするように声をかけてくれているのだが、全く耳には届かない。


駄目だ、今回ばかりはどうすることも出来ない……。


三年前、奴らに襲われたかけた時はなんとか逃げ切れた。母さんの犠牲でなんとか地下室まで逃げ込むことが出来た。しかし、今回ばかりは退路を断たれ奴らは確実にこちらへと向かってきている。


くそ、ここまでなのか……。


全てを諦めかけたその時、海斗の手が俺の肩に触れる。


「——大丈夫」


海斗は、まるで母さんに拾われた時のような優しく温かい表情をしていた。


「海斗……」

「大丈夫、裕太は俺が守る」


一言、たった一言だけ伝えたあと海斗は立ち上がり、扉を真剣な面持ちで見つめる。

そこで、海斗がこれからやろうとしていることを察してしまった。分かってしまったのだ。


駄目だ、止めないと。


このままでは海斗まで命を落としてしまう。俺を守るために、俺を生かすために。海斗は母さんがやったように奴らの犠牲になろうとしていたのだ。


「か、海斗、駄目だ!」


声が震え、ちゃんと伝えることが出来たのかは分からないが、俺は扉に向かう海斗の手を掴んだ。


「行ったら奴らに……」


殺されてしまう。そう言いたかったのだが、次の言葉が出てくることはなかった。


「大丈夫、俺は死なないよ。奴らの気を引いたら必ず戻ってくる」


今までにないくらい優しい声の海斗に、恐怖さえ覚えてしまう。

どうしてここまで落ち着いていられるのだろうか、どうして人のためにここまで体をはることが出来るのだろうかと。


「……裕太」


心の声が海斗に届いたのだろうか、掴んでいた手をゆっくりと払い、こちらを振り向いた。


「海斗……」


そして迷いのない表情で、

「——家族は守る」

と答えて扉に手をかけてしまう。

まだ間に合う。まだ海斗を止めることが出来る。

そのはずなのに、俺は海斗の背中を眺めていることしか出来なかった。


「——またな」


海斗は奴らを威嚇するように扉の向こうへと飛び出して行った。また戻ってくると約束して。

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