決意 1−3
今から三年前。気がつくと見知らぬ女の人に手を引かれながら俺は走っていた。
ここが何処なのか、自分が誰なのか、全く分からない。前の記憶が全くなかったのだ。
ただ俺は、引かれるままに走り続ける。
「ここどこ……」
「……」
俺の手を引く女の人に声をかけるも返事はない。
「ねえ、ここ……」
「今は走るのよ!」
もう一度尋ねようとした俺の言葉を遮り、女の人は話を続ける。
「今は走って、走って、奴らが追ってこない場所まで逃げるの!!」
「奴ら……?」
そこで初めて周囲が悲惨な状態になっていることに気がついた。
建物や家は倒壊、無造作に乗り捨てられた車、あちこちから炎と黒煙が上がり、空は見たこともない絶望的な色に変わり果てていた。そして一番は——、
「きゃあああああああ!」
「助けてくれええええ!」
「誰か! 誰かあああ!」
周囲から聞こえてくる人間達の苦痛な叫び。
「ねえ、あれ……」
目に入ってきたものを指差し女の人に声をかける。
指をさした先には頭から血を流し、瓦礫の下敷きとなっている女性の姿が。
「た、助けて!」
こちらにに気がついたのか、女性は必死に助けを求めている。
他にも炎の中に取り残された家族や、車の中で倒れている男性など、全ての人間がこちらを見て助けを求めていた。
「ねえってば」
「見ちゃ駄目よ! 今は自分が生き残ることだけを考えなさい!」
「…………うん。分かった」
助けを求めてきた女性の言葉に目を瞑り、俺は言われた通りに走り続ける。
生き残るために走り続けた。
「行かないで!」
「誰かあああ!」
それでも助けを求める人間達の声は止まず、その悲鳴は耳を通り、体の奥底に深くに刻まれていく。
それを無視し、「ごめんなさい、ごめんなさい」と目を閉じながら、多くの人間達を見捨てて走り続けた。
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「ここで少し待っていて」
あれからどれ位走り続けたのだろうか、俺は女の人と共に誰もいない建物へとやってきた。
「いい、絶対ここから動いては駄目よ」
「分かった……」
すぐに戻ってくるからと約束し、女の人は足早に建物の外、地獄へと駆けて行ってしまう。
一人取り残された俺は、怯えるように部屋の片隅に腰をおろし、体育座りの状態で帰りを待つことに。すると、あれだけ走り回ったせいか、座った途端に強烈な疲れと睡魔が襲いかかる。
俺は十分と経たないうちに眠りにつき、次に目を覚ましたのは誰かの足音が聞こえた時だった。
「帰ってきたの?」
先ほどの女の人が帰ってきたものだと思い、俺は急いで飛び起き足音のする方へと向かう。
足音の方もゆっくりとだが確実にこちらへと向かっていた。
これで一安心。
あの人が誰だか分からないが、今の俺にとっては誰かといることが唯一の支えとなっていた。
「俺はここだよ」
女の人に聞こえるように大声を出しながら足跡の方へと近づく。しかし、俺はこの時点で考えるべきだった。どうして、こちらが声を出して呼んでいるのに向こうから返事がないのかと、聞こえてくる足音が妙に遅いのかと。
「俺はここ———」
声を出しながら角を曲がった瞬間、
——————奴はそこにいた。
「……」
その光景を目の当たりにし、無言のまま一歩二歩と後ずさりしてしまう。
「……」
体の至る箇所が黒色に変色し、左腕や右足が通常ではありえない方向に曲がっている。それに目は真っ赤に染まり、開いた口から流れる唾液。
「…………」
目の前のそれを、俺は決して人間とは呼べなかった。
——ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
突然叫び出す化物。
「う、うわあああああ!」
いきなり叫び出した化物に驚き、思わずその場で腰を抜かしてしまう。
「くるな! くるな!」
体を引きずりながらも化物との距離をとろうとする。だが、奴もこちらに迫ってきているので確実に距離が縮まっていた。
——ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
そして、ついには追い詰められ化物が俺に噛みつこうとしたその時、何故だか分からないが奴の動きが一瞬止まった。
「……え? ……っ!」
その隙をついて開いたスペースを駆けた。
幸い、奴は足を負傷していたのでこちらに追いつくことはない。俺は駆けた勢いで近くに置いてあった観葉植物を倒し、奴の進路を妨害しつつ外へと避難する。
「……そ、そんな……」
外は先ほどと状態は変わらず、火災、崩落、悲鳴や叫び声と、この世の終わりを思わせるような光景。その終わりを加速させるように奴らが。
今にも人間を襲おうとしているもの、獲物を探すように辺りをさまようもの、俺に襲いかかってきたような化物で街は溢れかえっていた。
そこで全てを理解する。
——これは奴らの仕業だと。この火災も、この崩落も全て。奴らは人間を喰らうためにやってきた悪魔だ。
理解した瞬間怖くなり、俺は急いで今いた建物へと引き返そうとする。だが、ビルのロビーには先ほどの化物が。正面には奴らの群れ。
「助けてええええ!」
近くでは、こちらに助けを求める男性。
当然、俺にはどうすることも出来ず、男性は化物の群れに襲われてしまう。奴らが重なり合うように男性に群がり、助けを求めて伸ばしていた右腕が見るみるうちに力なく崩れ落ちる。
「いや! こないで!」
「くるなあああああ!」
また人が殺された。簡単に、呆気なく。
腕を噛まれ、首を噛まれ、俺みたいな子供に助けを求めながら奴らに殺された。
目を閉じると今まで聞こえていた人達の悲鳴や叫びが、大きな雪崩となり押し寄せる。
「…………うあああああああ!」
気がつくと、女の人との約束を無視して駆け出していた。
その間も、至るところで奴らを見つけた。奴らに殺される人間を見つけた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
俺は大量の涙と、大声を出しながらただがむしゃらに走り続ける。奴らがいない場所へと。
しかし、心の何処かでは分かっていた。そんな場所はもうこの日本にはないことを。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ハァ……ハァ……ハァ……」
あれからひたすら走り続け、気がつく頃には朝日が昇っていた。
走り続けたせいで足は全く上がらず、先ほどから天を眺めるように大の字で倒れ込んでいる。今奴らに襲われたら確実に殺されてしまうだろう。
既に覚悟は出来ていたのだが、奴らが襲ってくることはなかった。それどころか、朝日が昇る頃には聞こえた悲鳴や叫び声が落ち着き、奴らの姿も消えていた。
俺は運良く助かったのだ。
と言っても自分の名前、住んでいる場所、家族の顔すら思い出せない状態。
そんな状態を果たして生きていると言えるのだろうか。
「俺は一体何者なんだよ……」
自分の正体を問うように天へと語りかける。
「……」
当然答えが返ってくることはない。
聞こえてくるのは助けを求める人の声と、行き交う消防、救急車などの音ばかり。
「……一人は嫌だよ」
今の一言は声に出していたのだろうか、それとも心の叫びなのだろうか、もう俺には分からない。ただ、もしこの声が誰かに届いているのなら、助けてほしいと俺は強く願った。
「どこ行ってたの!?」
どこからか人の声が。
しかし、今の俺を助けてくれるような人は誰もいない。
どうせ別の人へと向けられたものだと思っていたが、
「——なんでじっとしていなかった!?」
視界に入り混んだのは、夜に俺を助けてくれた女の人だった。
「あなたは……」
「探したんだから!」
言いながら、倒れている俺を起こして強く抱きしめる。
「じっとしていなさいって言ったじゃない!」
「ごめんんさい……」
「怪我はない!?」
「うん……」
無事を確認すると、女の人はもう一度俺を強く抱きしめてきた。
「もう大丈夫! 大丈夫だから!」
女の人は、俺を抱きしめながら涙を流している。
先ほどよりも強い抱擁。正直かなり苦しかったが、それだけ心配してくれていたことが伝わり、とても嬉しかった。心が温かい気持ちになった。疲れなども忘れ、大声で泣き続けていたのだ。
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