序章 1−2

「死亡確認されました」


白衣を着た男が床や壁、天井、全てが真っ白で覆われた部屋に入り、実験結果を淡白に伝えていた。


「では、そのまま最終フェイズに移ります」

「分かりました」


歳は二十代後半といったところ。しかし、仕事の疲れか、目元には二十代らしからぬクマがはっきりと浮かび上がっている。そんなクマをはっきりと作った男性研究員は、上からの指示のもと、部屋で倒れている屍体の回収にやってきた。


「なあ、こいつ本当に死んでるんだよな?」


遅れて部屋にやってきたメガネをかけた男が、不審に思いながらもクマの出来た男性研究員に声をかける。


「当たり前だ。お前も見ただろ」


こいつが悲痛な叫びを上げながら死んでいく様を、とクマの出来た男は冷静に答える。


「あれは苦しそうだったな……」


メガネをかけている男は、先ほどまでここで行われた実験を思い返す。


「絶対に俺達のこと恨んでるよな……」

「恨んでいるかもしれないが、人類のためには仕方のない犠牲だ。そんなことよりさっさと運ぶぞ」

「分かったよ。俺だけは呪わないでくれよ……」


二人は慎重に屍体を持ち上げ、キャタピラのついたタンカーに乗せ移動し始める。


「この実験上手くいくと思うか?」


よほどお喋りが好きなのだろう、メガネをかけた男は移動中もひたすら口を開いている。


「当たり前だろ。この実験は必ず成功し、人類は新たな進化を遂げるんだ」

「だといいけど……」

「俺達の研究に狂いなどありえない」

「まあモルモットには成功したから大丈夫だとは思うけどよ、もしもって可能性が……」


失敗を想像したメガネをかけた男が一度タンカーから手を離し、身震いを抑えるように自身の両肩に手を添える。


「もしもの場合はもう一度殺すだけの話だ」

「お前、怖いこというな……」

「当たり前のことだ」


そんな会話をしているうちに、二人は次の実験室までやってきた。


「被験体をお持ちしました」

「ありがとうございます。早速カプセルの中に」


二人がやってきた部屋の中には白衣を着た研究員や、カプセル、専門的な機材など揃い、ここからが本格的な実験の始まりだと感じさせる。

そして、目の前に現れたのは本研究での責任者、一ノ瀬室長という女性の姿が。


「分かりました」

「うわ、すごい空気……」

「お前は少し黙ってろ」


ここにいる人達は自分の持ち場に集中しているため、メガネをかけた男のようにムダ口をたたく者は誰もいない。


実験室内には緊迫した空気が流れていた。


「終わりましたか?」

「もう少しです」


緊迫した空気を感じ取ったのか、メガネをかけた男は先ほどから黙り込んでいる。


「よし、慎重に下ろすぞ」

「分かった」


二人は屍体を持ち上げ、慎重な手つきでカプセルの中に移し替える。


「完了しました」


クマを作った男の声を聞き、研究員の一人がボタンを押す。

すると、カプセルの蓋はゆっくりと締まり、機械的な音を上げながら横から垂直へと向きを変える。


次にカプセル内に大量の水が流し込まれた。


「では、これより最終フェイズに入ります」


全体を見渡すことの出来る位置に陣取っている一ノ瀬の掛け声と共に、周りの人間が一斉に動き始める。


「私達はこのあとどうすれば?」


役目を終えた二人は、先ほどから指示を飛ばしている一ノ瀬の下までやってきた。


「ご苦労さまでした。あなた達の仕事は一先ず終了です。指示があるまで待機を」

「分かりました」

「やっと終わった……」


メガネをかけた男は、緊張の糸がほつれたように肩で大きなため息を吐く。クマを作った男も緊張していたのか、一ノ瀬の言葉を聞いて表情が和らぐ。


「では、私達はこれで」

「はい。ご苦労さまでした」


一ノ瀬に一礼したあと、二人は部屋の外へと消えていった。


「薬品投与の準備が完了しました」

「一ノ瀬室長、こちらも準備完了です」


実験の準備は着々と進んで行く。


「分かりました。これより薬品投与を開始して下さい」

「薬品投与開始します」


一ノ瀬の指示を復唱するように、パソコンを操作している男性研究員が『開始』と表示されているコマンドを選択。途端、今まで以上に実験室内、カプセル内から機械的な音が響き渡る。


薬品が投与されている証拠として、屍体に繋がれているケーブルが命を得たかのように激しく動き回っていた。


「薬品投与完了。————生体反応、ありません」

「そんな……」


予想していた結果が現れないことに、多少の動揺が顔に出る室長。


「ど、どうしましょう?」


動揺が部下にも伝わったのか、次の指示を伺う声に力がない。


「——なあに、結果が出ないのならもう一度投与すればいいだけのはなしだよ」


不敵笑みを浮かべながら、白髪の男性が入ってきた。

歳は六十歳後半、顔には今まで生きてきた証をしめすシワが数多く刻まれている。


「結果がでないのだろ?」

「は、はい! 来栖くるす局長!」


来栖くるすと呼ばれる白髪の男性がやってきたことで、研究室内の空気が再び緊迫したものへと変わる。


「だったら結果が出るまで投与を続けたまえ」

「わ、分かりました! 投与を開始します!」


来栖くるすの圧におされた男性研究員は、躊躇うことなく『開始』と表示されているコマンドを選択。


「は、反応ありません!」

「もう一度だ」

「変化ありません!」

「もう一度だ」


このやり取りを繰り返すうち、男性研究員から躊躇いが消え変化が出ないと判断したらすぐ様次を投与するようになってしまった。


結果、屍体に六回薬品を投与した。


「来栖局長、これはやり過ぎです!」


流石に危険だと判断した一ノ瀬が、来栖のやり方に抗議を示す。


「もしなにかあったら……」

「おや、私に指図かな? 一ノ瀬君」

「それは……」


立場上、一ノ瀬はどうしても来栖に強く言うことが出来ない。それは他の研究員も同様。そのため、言われた通りに薬品を投与し続けている。


「文句がないのなら一ノ瀬君も見ているがいい。私達人類が新たに進化する様を」

「……」


一ノ瀬にはなにも言い返すことが出来ず、ただ歯噛みするしか出来なかった。


「残りの薬品数は?」

「残りは七本です」

「————では、その七本全てを一度に投与したまえ」


平然という来栖に対し、他の研究員達は顔に恐怖が現れている。だが、決して上には逆らうことは出来ず指示に従う。


「局長!」


しかし、怯える研究員達の中で一ノ瀬だけが来栖に意見する。


「流石に残りを同時に投与するのは危険です!! 分からないのですか!?」


他の研究員達も、一ノ瀬の意見に賛同するような眼差しを来栖に向ける。


「データを取り直してから再び行うべきです!!」


来栖がこれから行うことがいかに危険か一ノ瀬は必死に伝えるが——、

「続けたまえ」

意見を聞くことはない。


「続けるんだ」

「…………分かりました」


一ノ瀬の説得も意味をなさず、来栖はただ一言男性研究員に伝えるだけだった。


男性研究員も来栖の言葉通り、パソコンをいじったあと『開始』と表示されているコマンドを震えながら選択。


途端、全ての電気が落ち、辺りは一瞬で真っ暗に。


突然視界が暗くなったことに驚きや悲鳴を上げる女研究員や、慌てて大声を出す研究員。そんななか、一ノ瀬の迅速な対応ですぐに電気が復旧した。


「どうだ?」


来栖も当然の停電には動じず、男性研究員に実験結果を問いただす。


「——せ、生体反応微弱ですがあり! 生体反応があります!」


男性研究員の声が実験室全体に響き渡る。


それを合図に周りからも歓声が上がり始めるなか、一ノ瀬だけは顔色一つ変えず、屍体が入ったカプセルを見つめている。


「どうしたんだい一ノ瀬君? 君も喜ばないか」

「……はい」


一ノ瀬は、この実験の指揮を取っていたにもかかわらず、目の前で起こった奇跡を信じられずにいたのだ。


「どれどれ、近くで見ようかな」


上機嫌の来栖は、重たい腰を動かしながらカプセルの前へと移動し始める。


「おお、これは素晴らしい」


そして、カプセルを我が子のように優しく撫でる。


「見たまえ! これが今まで人類が成し得なかった、到達し得なかった領域! その領域に私達はついに辿り着いたのだ! 神にも等しい領域に!!」


喜びたまえと、来栖はカプセルに手を添えながら高らかに実験成功の喜びを表現する。


「やったな!」

「私達はついに!」

「私達は人類を超越する時が来たのだ!」


実験成功の報告はすぐに建物全体に行き渡り、次々と自分の目で確かめたいと一ノ瀬達のいる実験室へと流れ混んできた。


「本当に成功したのかよ……」

「当たり前だろ」


なかには先ほど屍体をここまで運んだ男達の姿が。

誰もが実験成功に歓喜するなか、カプセルに入っていた屍体がゆっくりと目を開いた。




そして、人類は犯してしまった。踏み込んでしまった。

————神の領域に。

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