第2話 赤本の匂い

私は悩んでいた。

あの、いつも物憂げな目をしてフラフラと校内を彷徨い歩いている愛しい後輩、三國理香と相思相愛になるためにはどうしたらいいのか。

志望大学にも無事合格したので、幸いにも考える時間はたっぷりある。ここは4月からも引き続きお世話になる自分の部屋。誰も邪魔するものはいない。

ひとまず私は明日理香に手渡すことになった(元)志望校の赤本を手に取った。

辛い受験期の友達、相棒だったものとはいえ、今となっては用済みになってしまった分厚い本。ただ、明日からはこの赤本が理香のお供になるはずである。

「用済みだなんて思っちゃってごめんね……今までありがとう」

感謝の気持ちを込めて、そっと抱き締める。

ああ、この腕の中にあの子も収まってくれればいいのに。


赤本には自分の書き込みがかなりたくさん残っているが、理香は残しておいてほしいと言っていたのでそのままの状態で渡す予定だ。鉛筆だけでなく赤ペンで書き込んでいるところもあり、全て綺麗に消すことは難しかったのでそう言ってもらえて助かった。それに、その方が勉強の参考になるという目的だとしても、自分が努力した軌跡を理香に追いかけてもらえると思うと嬉しい。


でもそれだけじゃなくて、理香にメッセージを送っておきたいと思った。

この赤本にはまだまだいろいろなことが書き込める余白がたくさんある。


「……でも……はー……難しいな……」


いざ何か気の利いたことでも書いてみようかと思うと何も思いつかない。好きです。付き合ってください?いやもうそれ伝えてるし。いつもうやむやにされて返事もらえてないし。ていうかあの子にはいつもなんかよく分かんないけど学園のアイドル寺井真由子がいつもいつもいつもそばにいるし。なんでなんだろう。やっぱり2人付き合ってるのかな。


「寺井真由子とは付き合ってるの?」


いやそれじゃダメだろ何この赤本!なんで最終ページにこんな設問が登場してるの!!??こんなこと書きたかったわけじゃない!!


苦しみ悶えながら時計を見るともう零時半を過ぎていた。早く寝ないとお肌に悪い。理香に好かれるために美容にも気を配りたい。ああ、これからお風呂に入ると更に寝るのが遅れる……でも入らないと。


お風呂や美容のことを考えているうちに妙案が閃いた。


やっぱり私、メッセージなんて書かない。


私は机の引き出しに仕舞っておいた可愛い桜色のプレゼントの包みを開けた。

中には包みと同じく桜色の、小さな香水の瓶。

志望校合格祝いとして叔母さんがくれたものだ。一回使ってみて香りだけ確認した後はなんだか勿体なくて、包みごと大事に仕舞っておいたのだった。

赤本の真ん中の方のページを開き、少し距離を開けて、一度だけ吹きかける。想いを込めて。自分の気持ちとしては本当は何度も吹きかけたいけれど、あまりやりすぎると桜くさすぎる赤本になってしまう。いきなり合格気分になれる赤本というのも悪くないけれど、普通に勉強の邪魔になる。こういうのはほんのわずかに香る程度でいいのだ。


香りに気付いた時の理香の表情を思い浮かべて、私は満ち足りた気分になった。

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